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「生きることは一種の狂である」
漢字学者の白川静さんは http://www.toonippo.co.jp/tenchijin/ten2004/ten20041109.htmlにおいて、「生きることは一種の狂である」とおおせられたという記事がありました。 白川静さんのことばで、私たちは他を省みないで、自分の深く思ったことを一生懸命やることが大事だと、思ってもいいのでしょうか。 (国語のカテかとも思いましたが、理解をふけめるために、敢えてここで二三のお教えを賜りたいと存じます。)
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- AZKARAM
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回答No.1
この人にとってはそうでしょうね。 しかし、「生きることは」と一般化はできません。 >敢えてここで二三のお教えを賜りたいと そんな姿勢じゃ一生ことばの意味はつかめませんよ。
お礼
ありがとう御座いました。 余計な言辞を弄し、誤解を招いておりますので、一旦締め切り、再度文章を考え、質問を起こします。 允に文章表現とは最深に注意をし、冗漫にならないようにしないと、思わぬ誤解を招くものでした。 無念の極みに存じます。
補足
≪ >敢えてここで二三のお教えを賜りたいと そんな姿勢じゃ一生ことばの意味はつかめませんよ。≫ 茶の間のおしゃべりや、討論、ないしは論議などのための質問として誤解されると、いけないという用心と予防線のつもりの付言でした。 無論披瀝するほどの知識と感受性、経験があるわけではありませんが、このことばに大変自分としては打たれていて、お忙しい方々の深いご理解をお教えいただきたいと言うのが真意です。 仰せの意味に受け取られ、軽軽たる、態度として写りましたら、どうか真意をもう一度ご理解賜りたく存じます。 長く茶の間の話題として、ぐたぐた置いている、哲学のご質問を見習いたくないというのが真意でした。 おしゃべりをするために、この質問を起こしては居ませんという意味なのです。 どうか真意をご斟酌たまわれますようお願いします。