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読書と国語の学力との関係
よく読書をする人は、国語が得意な人が多いですか? それとも、学力とは関係ないと思いますか? 読書をすることで、漢字も知ることができて、言葉の意味や文章の理解力も上がりそうな気がしますが、国語の学力との関係はあると思いますか?
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- Nakay702
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>読書をすることで、漢字も知ることができて、言葉の意味や文章の理解力も上がりそうな気がしますが、国語の学力との関係はあると思いますか? ⇒おっしゃるとおり、読書をすることと国語の学力との関係は大いにあり得ると思います。いや、それどころか、頭脳労働の能力・知的営為全般に関わりがあると言えるでしょう。 その理由などについては、すでに寄せられている回答でだいたい尽されているかも知れませんが、いい機会ですので、私も個人的な意見を少し述べさせていただきます。 ☆読書は思考力を鍛える 言語はすべて、有限個の材料しか持たないのに、それを使って表現できることは無限です。つまり、考えてみれば不思議なことですが、ともかくそのあたりの仕組みを学習したり利用したりする過程で我々は無意識のうちに頭を鍛えていることになります。 読書も、そういう属性を持つ言語そのものとつき合うことに他なりませんから、それによって(副次的に)考える力、分析力・推理力・判断力などを鍛えている、ということになるのだと思います。 ☆読書は語彙数を増やす 読書は、語句の配列からその配列の仕組み(構文)を理解し、それと個々の語句の意味(語義)を組み合わせて文意を理解する作業ですので、当然ながら語彙数が増やす効果があります。 一方、言語学者サピアと人類学者ウオォーフは言ったそうです。「我々はみな自分の用いる言語によってがんじがらめに拘束されている」(サピア・ウォーフの仮説)と。 つまり、我々の日常の言行、とりわけ知的営為が、それをするために使う言語に縛られており、それに大きく影響される、ということのようです。例えば、極端な単純化ですが、「語彙力1万語の人と2万語の人とでは、頭脳労働の能力が2倍違う」、という構図がある、ということです。 ☆読書は人間力を涵養する ということで、読書をすることで、語彙数が増え、思考力・判断力・応用力・批判力などの知的営為の能力が鍛えられる、ということになりますが、それのみならず、そして、それによって、読書は内面的な認識・見識・世界観の育成などにもつながる、つまり、人間力を涵養することにもつながる、といいます。 そこまで大げさにならないまでも、少なくとも、読書や言語学習は、想像を絶するほどに広く深く我々の生活と営為に作用し影響を与えている、ことは確かでしょう。
- tanatosu1986
- ベストアンサー率18% (3/16)
関係はするでしょう。 ただし、国語というのはなかなか曲者で、特に読解力(理解力)という部分になると笑える話があります。 とある教師がとある作品を引用してテストを作りました。 それを作者が解いたところ、満点を取れませんでした。 なぜならその教師の文章の理解が作者と違い、むしろ作者がそういう考えもあるのかと思ったそうです。 理解力というものも千差万別で、なかなか曲者だという話ですね。
お礼
ありがとうございます。
- kzsIV
- ベストアンサー率53% (238/446)
よく読書をする人は、多方面にわたって興味を持つので、次から次へと読書ができるのです。沢山の書を読むことによって、多くの漢字に会い、多くの言い回しに接し、言葉の意味や文章の理解力も自然と上がるのです。これを逆にとって、国語の学力を得るために、国語の先生がお進めの「何十選」のリストに従っての読書を続けようとしても、次第にそれが苦痛になり、中断することになります。 このカテゴリイで、親御さんの質問でしょうが、小中学生で国語が不得意だがどうしたらいいか、というような問いが見受けられますが、国語以外は不得意ではないのですから、問題はありません。興味ある内容の本を読み続けてください。 「国語」の科目は、高校生になると「古文」「漢文」が加わります。これは現代日本語と同系の、そして古くから日本になじんだ、外国語みたいなものですから、「現代文」「国語表現」とは別の勉強法で習得できます。「国語」を得意科目にし、文系のトップクラスに転じるチャンスが来ます。
お礼
ありがとうございます。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
当然、よく読書をする人は、国語が得意な人が多いです。 あるいは、国語が得意だからよく読書をするのだ、というべきか。 漢字は読めない、漢字の意味が分からない、「それ」が何を指すのかわからない、筆者が何を言っているのかわからない、なんて人は読書する気になりませんでしょ。当然、読書なんてしなくなります。 なので、ある程度は、読書前に国語が得意になっていないと、「よく読書をする」ようにはならないんだと思います。 ある程度の知識があって、読書を始める。 読書によって、漢字はもちろんですが、「それ」が何を指すのか、筆者が何を言っているのか、などなどをもともと理解でき、さらに「理解する訓練」を何度も繰り返すわけですから、読書によって国語力は必ず高まります。 書かれた内容をキチンと理解しているから、読書を面白く感じるし、面白く感じるから読書がさらに「続く」のです。難解な本も読めるようになる。 国語のテスト問題も、模範解答の内容に異論を持つ人もいるでしょうが、一応は読書好きで国語の先生になった人たちが作っています。 サイコロを振って、選択肢のアもウも間違いでイが正解だとか決めているのではなくて、この文章を読んだら、読者はイの意味に受け取るものだという経験に基づいて出題しています。 ですので、当然ですが「読書なんてしたことがない。読んでも意味わかんないもん」という子よりは、読書大好きの子のほうが、イが正解だと判断する可能性は高いのです。 となれば、よく読書をする子の国語のテストの点数も高くなります。当然その子は「国語は得意です」と言うようになります。 つまり、まあ、読書が先か、国語の学力が先かは議論の余地があると思いますけど、読書回数と国語の学力は、おおいに関係があることは、否定できないと思います。 余談ですが、読書が先か、国語の学力が先かについては、私は幼児期の母親による読み聞かせ習慣によって読書できる能力・意欲が身につくと思っていますので、私は「読書が先」説です。
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ありがとうございます。
- M_Sato
- ベストアンサー率54% (550/1003)
ある程度関係すると思います。読書が好きだと、読む速度、読解力が上がります。大学受験のとき、現代国語はほとんど勉強しなくてもいい点がとれました。
お礼
ありがとうございます。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
学校の国語でいい点を取る人を国語が得意な人、というのはおかしいでしょう。 国語の入試問題なんか見ると、漢字の書きとり読み込みなんかは別ですけど、本文の意味を示せ、とか何をいっているか次の中から選べ、なんていうのは日本語能力とは無関係な、相手の気に入る答えを選んだらいい点をやるぞ、に過ぎません。そんなのが国語が得意なんぞといったらおかしい。 自分の著書が問題になっていた入試問題を解いたら点数が取れなかったというような作家や詩人の話はたくさんあります。作者当人でも正解ができないような問題に正解をするなんて、何の能力でしょうか。 国語の学力、なんていうのはその程度のくだらない、どぶに放ってもいいものだと思います。人間の能力が国語の学力と関係あるなんて私は決して思いません。 読書をする人、は読書が好きだからするのです。誰に言われたわけでもなく読みたいのです。それは日本語が好きなのではなく、書いてあることを読み取り内容を想像し、理解することに快感を覚えるということです。そしてコトバではなく書いた人の息遣いとか発したかった意図がほしいから次々に読むのです。 これはアクティブな人間が自転車旅行をしながら現地の人と交感するのと何の代わりもありません。自分の人生がだんだん豊かになることがうれしいのです。 くその役にもたたない国語の成績なんてどうでもいいのです。
お礼
ありがとうございます。
語彙力,文法力,読解力,作文力の面で,露骨に正相関があると思います(信じます)。 「現代文」や「古文」,「漢文」に収録された文章を教室で習うだけでも基礎はわかりますが,それ以外に自発的に多読する必要はあると思います。すべての言語についていえることでしょう。いわゆる「ゆとり教育」は最小限の教育しかしておらず,国語力や教養のない愚民を国家的に大量生産した,とんでもない愚策でした。
お礼
ありがとうございます。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6876/20336)
漢字は読めるけど書けない というのが多い。 パターン認識は優れているけど パターン再現は劣っている。 薔薇 憂鬱 など ちゃんとよめるし意味もわかるけど 書けない。 パソコンができてから ワープロ機能を使うのでますます書けなくなっている。 そこはマイナスです。 言葉の意味 文章の読解力は上がります。 学力は 複雑な漢字を書く問題が出なければ 100点に近い成績。
お礼
ありがとうございます。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
そもそも、「国語」というのは何を意味するかです。国語の試験で高得点を取るのはコツがあって、出題者が望むような回答を思い浮かべるのが得意な人ほど高得点を取りやすいわけです。小説というのは論文や説明書とは違いますから、様々な解釈ができることが多く、原文を書いた人でもそこまで深く考えていないことが多いそうです。 「あなたの作品を試験問題に使わせてほしい」と言われて許可した作家が、その試験問題を解けなかったという笑い話のような話すらあるくらいです。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。