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白川静先生のおことばについて
QNo.4360319で同じ質問をしましたが、どうも誤解される文章のようですので、QNo.4360319を締め切り、ここに新たに起こします。 「生きることは一種の狂である」 これは漢字学者の白川静さんのおことばです。 http://www.toonippo.co.jp/tenchijin/ten2004/ten20041109.htmlにおいて拝読しました。質問者は何かこのことばに惹かれて、こんにち(今日)まで抱いてまいりました。 そして熱、情は受けているつもりでありますが、『他人には常軌を逸したかのごとく、夢中にのめり込み、まっしぐらにいくのだ』、という以上の表現ができないできております。情けないかな、人生の深さ、生き方の強烈の差を感じております。 先の質問でもご回答にて、このことばの重要性と軽々しい聞き方を注意されました。 私としては、ぜひとも更に意味の理解を広げ、且つ、深めたく、お教えを賜れますよう、質問しているのはもちろんであります。 どうかなにとどうぞ、ご所論の一端なりともご披瀝賜れますようお願い申しあげます。 (国語のカテかとも思いましたが、敢えてここで哲学にいたしました。無論哲学のご質問にありがちな、自己の意見を陳述したり、論議をの場にする意図はありません。お教えを賜りたいだけです。なにとぞよろしくお願い申しあげます。)
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noname#194289
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お礼
お借りします。 ANo.4様 「自ら意識しないで」は、私は「意識的に意志しなで」、「つまり人間の宿命的あり様として」と経験し、思っています。 「ものに執心すれば平凡を踏み外すが、そこには理想や志の高さもある。」⇒質問者、同感です。 「狂は理性の対極」本当にそうなんだろうか。そもそも「理性」って何なのか。⇒質問者、すごいご指摘です。 「権威主義の否定こそ狂の精神である。」⇒質問者、私も組織などでもずぅっと一応中心におかれながら、Odd、変わり者といわれて気持ちは、穏やかではありませんでして。(こんな理解だと、意味を取り違えていましょうかね) ANo.3様 新質問を起こしましたので、ご恵読賜れば幸甚です。 ANo.2様 自分もつらいのに、そういう苦、迷妄になかなか気づけませんね、私たちは。
補足
吉田松陰が多くの方をひきつけた、理由の一端に触れることができ、やはり質問を起こしてよかったと、ここに心底感謝を申し上げます。 私も、小学校から、恩師からも母からも、変人とか、奇矯とか評され、呼ばれてきて常人にどうしたらなれるのかが、課題でもりました。 白鳥蘆花の話も私みたいな騒がしい心では遠く、高い聖なる世界でした。吉田松陰がこのように仰せられていたのはとても嬉しいです。 紹介申し上げているコラムでも、狂のことばは松蔭のお話にぴったり合致するような気がいたします。 ありがとう御座いました。