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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:葉っぱのフレディは誤訳?)
葉っぱのフレディは誤訳?
このQ&Aのポイント
- 「葉っぱのフレディ~いのちの旅」の翻訳版が誤訳ではないかという指摘があります。
- 原文と翻訳を比較してみると、確かに違いがありますが、それを意訳として許容するべきなのか、誤訳として批判するべきなのかは個人の判断です。
- 英訳の機会がある方は、この作品の原文と訳本を比較して、どのような意見を持つか考えてみてください。
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noname#118466
回答No.1
誤訳と意訳は全く違いますよ。 誤訳は文法の解釈ミス、専門知識や社会慣習の知識不足などによって起こりますので作者の意図が読者に伝わりません。一方、意訳は全てを解った上で日本人に、或いは年代に応じて、より理解しやすい文章に書き改める事です。作者が伝えたい事は意訳のほうが伝わる場合があります。但し、最近の日本人は小説や映画、歌などを通じて外国式の表現、発想がかなり理解できるので意訳の必要性が以前より少なくなっているかもしれません。 葉っぱのフレデイーを誤訳を見つけるために読み返す気はありませんが、HPで見る限りにおいては、確かに翻訳者の語学力に疑問を持たざるをえないところがありますね。これらの意訳(?)を多用する方法は翻訳ではなく、たとえば長編のドン・キホーテを子供向けに書き直す時などには使われますが、葉っぱのフレディはそうでもないので、いくら意訳しても対応する原文がわかるのが普通です。(例えば I love it,tooを直訳するか、意訳するかの問題であり、無視することは出来ません。この場合、直訳すれば習慣の違いからおかしな日本語になります。) HPの作者は英文の時制の違いにもこだわっていますが、日本語には英語に匹敵する時制がないのでここは意訳しても良いと思います。(あまりこだわると変な日本語になりますので)