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明治時代の遼東半島

1.日清戦争後の下関条約で、清は日本に遼東半島を譲り、 2.ロシア・フランス・ドイツからの三国干渉により、日本は清に遼東半島を返還し、 3.日露戦争後のポーツマス条約で、遼東半島の南部の租借権をロシアは日本に譲渡し、日本と北京条約を結んだ清も承認した、 と理解しています。 ロシアは、2.の後、遼東半島の租借権を有していたのでしょう? そうでなければ、租借権を日本に譲渡することはないでしょうし、 そうであっても、日本がロシアに対し、清に返すよう迫り、その後、日本と清でその扱いを決めればいいような気がするのですが。  ご存じの方、よろしくお願いします。

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  • at9_am
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回答No.1

日清戦争後の1898年にロシアが旅順・大連とその周辺の租借を行っています。 この両都市は、遼東半島の先端(南端)部に位置しています。 この租借権を3で日本に譲渡しました。

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