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哲学って無意味でいらない学問ですよねという質問があると
そう考えることも哲学のうちです。というような回答がよくあります。 それはどういう意味でしょうか? 意味がないと言われたことが悔しくて、必死に論破したいのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
意味の無いものを本当に意味が無くていらないものかと 考えるのは充分に哲学的ということでしょうね。
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- cyototu
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#8です。 質問者さんと私はどうやら哲学が違うらしいですね。私は、それが漸近曲線として、永久にその目標に到達出来ないことを知りつつも、努力によってその距離を幾らでも縮めることが出来るかも知れないと言う目標として、究極的に自己を満足させることを善しと考えております。 そのことに関して、私の拙い経験に基づいた独断と偏見から出て来た考えですが、多分それを実現するためには、先ずは自己を満足させることなど一切忘れて、これと決めた他者(師なり、弟子なり、伴侶なり)に全霊を注いで、その方を満足させる努力によってのみ可能ではないかなと考えております。そしてかりそめにも、その他者の満足感を私が認識出来ることによって、自分の存在感を味わへ、それによって生きている意味について自己を満足させることが出来たら、私自身がどんなに幸運で幸福であろうと夢見ております。 質問者さんは、どうやら自己を満足させるという生を生きることに批判的なご意見ないし哲学をお持ちのようですね。
お礼
よくわかりました。ありがとうございます。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>哲学など、自己満足に過ぎない この言葉は、哲学とは何かと言うことが判っている方にしか言えない言葉ですね。 私は昔ある哲学書を読んでいて、「哲学とは、それが何であるかが判るようになった時に判るようになる学問である」というのに出っくわして、狐に摘まれたような気になったのを覚えています。 その後、それが何をする学問であるかが始めから判っている学問を飯の種に生きて来ました。その学問を「傷つき~~汚れえて~~いつうまあでえも~~~」やってきて、此のごろになって、私のやっている学問も、「それが何であるかが判るようになった時に判るようになる学問である」ことがやっと判って来ました。この個人的な経験から、哲学や私の専門分野の学問ばかりでなく、多分あらゆる学問が皆、「それが何であるかが判るようになった時に判るようになる学問」なんだな、と言う気になっております。 哲学とは何かが既にお判りになっている貴方が羨ましいです。
お礼
>哲学とは、それが何であるかが判るようになった時に判るようになる学問である そんなセリフあるんですね。気に触ったらすいませんが、それも自己満足の世界ですね。そういうセリフを吐く人は、ナルシストの匂いがプンプンします。 >哲学とは何かが既にお判りになっている貴方が羨ましいです。 わかってないです。批判したいだけなんです。すいません。 参考になりました。ありがとうございます。
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
NO2ですけど、他の回答も読んで少しはとりこんでくれましたか? >何か意味を問う前に、自分の存在意義を確立していない。 自分の存在意義の意味を考える学問なので哲学的には一生確立しないんですよ。存在意義を確立した人間こそ無知なので。 無知を認める事は、子供の学問なんですよ。世の中全部の事に「これはなに?」「どうして?」「なんで?」うざい。 無知はこれを放棄するから全部知っていると考える。知らない事を知ることを放棄するのが大人です。 答えのない問いに他人は正解を証明できませんから、自分が答えであり、エゴになるのです。 でも哲学者がエゴで自己満足という訳ではなく、そのエゴを他人と共有する為に言語化するのが目的。結果エゴを広める学問になっちゃいますね。
お礼
よくわかりました。ありがとうございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
No.3です。 >でも、無知の知というのがいまいちわかりません。 「私は真理を知っている」と言って真理を知らない人より、「私は真理を知らない」と知っている人の方が、前者より1つ知っていることが多いので、前者より知恵がある ってなる。 前者は、自分は知らないということ<すら>知らない。 >哲学が無意味なものっていうのは、無知どうこうじゃなく、ただの事実だと思います。 うーん、、、 無意味かどうかじゃなくて、実際哲学をやっている人が、自分でそれをやっていながら、やる価値が無いと言っていることが、滑稽なわけですよ。 無知者 VS 無知者より1個は多く知っている者。 例えば、ある人がアイスクリームをパクパク食べている状態を思い浮かべてください。 しかも よく食べているのを見かける。 「こいつ アイスクリームが好きなんだな」と心であなたは思っていたとする。 その人がある日 こんなことを言った。 「アイスクリームなんて、歯を悪くしデブにするだけで、何の価値も無い。」 「もしもし~」と思いません? 「あなた その無意味だとするものをさっきからパクパク食べていますがな。」とあなたは指摘する。 すると相手は「え? うまいなぁと毎日食べていたけどこれ アイスクリーム?」という。 あなた:「はい~ アイスクリームでんがな。 あんたさん 知らんで今まで食っとったんどすか?」 相手:「うわー 体に悪い」 あなた:「じゃ もう食べるのやめたら? 価値ないんでしょ? ほーれ ほーれ」 相手:「うわーーん アイスクリームの無い人生なんて、生きる価値などなーい」 あなた:「でっしゃろ ほやさかい あんさん 食とるんやろ。ほな アイクスクリームはあんさんにとって、価値あるもんやがな。あんさん 1つわかりましたなぁ」 こんな感じ? >それを無知の知というのは、そいつのエゴじゃなでしょうか。 うーーん エゴ、、、うーーーん。 確かにエゴかもしれないが、エゴ自体は悪いことじゃない。 ソクラテスは、眠り込んだ賢者を突っついて、目を覚まさせようとしたんですね。 その結果、自分は知らないということを認めることができなかった賢者は、自己愛ゆえに、ソクラテスを悪者にまつりあげるしかなく、処刑したんです。 で、あの当時、ワイロ渡せば簡単に脱獄できたそうなんです。 弟子のプラトンはソクラテスに脱獄を薦めた。 ソクラテスは脱獄を拒否。 エゴですが、命かけるまでだと、すごいエゴだと思います。 エゴ、自我、es 。 曲げて生きながら死んでいるより、命を投げ出して自我を貫いたってわけですね。 自我=命 ってことでしょうか。 そんなのも哲学に含まれる。 生きること自体 哲学だから切り離せない。 もちろん死んだ時、哲学はできなくなります。 生命がある以上、無意識に哲学していることになり、生命がある限り逃げられません。 だって自分と同一だから。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。
補足
お礼は後でするとして。 無知が愚かなら、人間すべて愚かものでしょう。ソクラテスにも無知な部分があったのでしょう。それで、ソクラテスは自分が無知であることを恐怖した。自分が無知であることが怖かった。受け入れられなかったのではないかと思います。 その内在する受け入れがたいものを、他人の中の無知というものに見出し、それを批判することで冷静さを保ったのかもしれません。 哲学など、自己満足に過ぎない。
- ap10
- ベストアンサー率33% (453/1356)
>哲学って無意味でいらない学問ですよねという質問があると >そう考えることも哲学のうちです。 というような回答がよくあります。 そうですね、その通りだからです 具体的に言えば、物事に意味があるのかどうか、意味があるのであればどんな意味があるのかを調べる/考えるのが哲学という学問だからです つまり、色々と考えて「A(この場合「哲学」)には意味が無い」と答えを出す作業は、正に哲学です ちょっと端折っている説明もありますが、こんな感じに捉えてもらえばご質問に対する回答としては十分でしょう
お礼
ありがとうございます。参考になりました。
- ecoshopQ
- ベストアンサー率10% (18/172)
>意味がないと言われたことが悔しくて、必死に論破したいのでしょうか? まあそうですね。 面と向かってそんなことをいう奴がいたら刺してやりますよ。 哲学が無意味だとお!
お礼
ありがとうございます。参考になりました。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
>それはどういう意味でしょうか? ソクラテスは無知の知を説いた。 誰に説いたか。 自分は何も知らないということに気づいていない人に。 自分は何でも知っていると思っている人に、知らないという自覚をさせてしまったため死刑になった。 愚かものは自分が愚かであることを認めない。 論破とかじゃなく、。。。 「哲学はいらないというあなたは、今まさに哲学をやっている。 どうしてあなたはあなたが不必要だと決定したことをやっているのでしょう。」と諭したってわけです。 無知者の無知を指摘したってわけですね。 そういうのって、コントでボケとつっこみでよくやりますね。 ボケはもちろん「哲学などいらない」って言う人。 突っ込みは「おまえ 今それやっとるがなぁ」という人。 観客 爆笑。 人を笑わせるために故意にボケるのはいいのですが、、、、笑われても気づけないとやばいっす。
お礼
面白い。ソクラテスかっこいいですね。参考になりました。
補足
でも、無知の知というのがいまいちわかりません。 哲学が無意味なものっていうのは、無知どうこうじゃなく、ただの事実だと思います。それを無知の知というのは、そいつのエゴじゃなでしょうか。
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
哲学者って嫌な奴なんですよ。私も含めて。 哲学というのはひとつの考えではなくディベート(議論)する学問なので、常に対極の考え方をする学問で、対極の思考法が論破できることで自分の哲学が正しいと証明できるのです。 だから、無意味でいらないものという結論に対しての回答が哲学者の中にはとっくの昔に完成されているのです。でも一般人にはなかなか理解できない屁理屈に聞こえるのです。 人の気持ちになった結果、「お前はこう考えるから、これを選ぶんだろ?」ってお店で料理を勝手に決められたらムカツクでしょう?人の気持ちがわかるのかって。 そういう学問の専門家なのです。嫌な奴です。同じ考えをするのに弁護士がありますね、嫌な奴です。
お礼
すごくわかりやすかったです。参考になりました。
補足
意味・意味とごたくを並べる哲学者にとって、一番問題なのは自分の意味を感じれないことだと思う。何か意味を問う前に、自分の存在意義を確立していない。 だから、他人の意見を論破したり指摘することでようやく自分を感じている。そうすることでしか自分を感じられない。 そうすることでしか他人と関われないかのようにも見えます。 言葉を他人と分かり合うためのものではなく、自分の意見を押し通すこととしてるのかもしれません。自己満足の世界観がそこにある気がします。 偉大な哲学者はほとんど孤独な生涯を終えているのも事実。
お礼
ありがとうございます。参考になります。
補足
意味がないとわかりきっているものを、「これ本当に意味ないのかな?心配になってきたな。もっと考えよう」ということですね。