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哲学に経験は無意味か?専門用語が不可欠か?哲学という学問の根本意義とは?

きょう削除されてしまった某氏の質問に絡んで、いろんな観点から問題が紛糾しました。回答者側とすれば最終的な決着をみてから削除してもらいたかったと管理者側の無粋を咎めたくもあります。 ところで質問者とのやり取り、また他の回答者の意見をみて改めて哲学とは何ぞや?という原点に思い至らざるを得ない感がありました。 私は、この分野の専門知識には、まことに疎いのですが、哲学というのは世間でよく言われるところの屁理屈をこね回す学問なのでしょうか。

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  • seinzeit
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回答No.3

元哲学専攻の大学院生です。(専攻は近現代ドイツ思想付近) 「某氏の質問」とやらを拝見していないので、見当違いでしたら申し訳ありません。 私は、哲学とは「誰もが当たり前だと思っていることをもう一度考え直してみる学問」だと思っています。 たとえば「世界は本当に存在しているのか?」とか、「人を殺すのは悪いことなのか?」とか。 普通の人は「そんなの存在してるに決まってるじゃん」「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」と、特に根拠があるわけでもないのに思いこんでいますよね。そこをあえてもう一回、本当に正しいのかどうか論理的に証明してみよう、という試みです。 確かにこの証明のプロセスを「屁理屈をこねまわす」と言い表すことも出来ますが、屁理屈をこねまわす理由は決して自己顕示欲ではなく、純粋な知的好奇心です。 証明に成功したら、「やっぱり正しかった」と安心してこれから生活できます。万が一「正しくない」という証明になってしまったら、我々は手遅れになる前に根本的な物の考え方を改めなければいけません。どちらにせよ、無意味ではないと思います。 * ところで上記の通り、哲学とは常識を疑う学問であり、それは根拠のない常識の上に安住している一般市民を不安がらせ、敵に回す行為にも繋がります。 時に哲学者が攻撃的な人物に見えて、普通の人から煙たがられることもあるのは、その学問の性質上、仕方ないのかもしれませんね。

sirayukihime
質問者

お礼

こんにちは!いや~さすがでいらっしゃいます。件の某氏も哲学のお勉強中だそうですが貴方くらいに優しく諭してほしかった。「近現代ドイツ思想付近」!と言われましても「え~すっご~、わかんな~い」とゆう感じです・・・。削除されるくらいですから、こっそり掻い摘んで言いますが某氏の質問というのは要するに「女に哲学ができるんか、何かこれと言う業績残したやつがおるんか、歴史的に不利やったという理由は、わしゃ認めんぞ」という、とっても失礼な言い回しの内容だったんです。 んでムカッときて、ない知恵絞って最初「私が思想しとるんだからしとるんだわ」というような投稿をしたのですが「んなら書いてみろや」と大嘲笑されたんです。その理由が貴方の御説明で、見事に氷解しました! 某氏は自分は棚に上げて人が使うことばの定義にうるさくてコップを説明するのにサイズから材質形状から説明しないと承知しないという感じなんです。論理力がないと言って。そいでもって私が何気なく言ったひと言をものすごく深読み曲解するんですね。私はそんなの経験とか洞察力が不足してるから、ことばに頼り過ぎるんだと思うんです。一を聞いて十を知れないんですかね。言葉数費やせばいいというものじゃないと思うんですが比喩や喩えはタブーなんて、これが哲学的手続きなんでしょうか? 心理学的には単純な人物のように思えましたけど。 ところで「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」の理由は「カンタンじゃん」とはいかないんですか?哲学的手続きによれば。 長い返事でスミマセンです。御回答有難うございます!お会いできてウレシイです!

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noname#155689
noname#155689
回答No.10

何度もすいません。これで最後にしま~す。 >貴方は自分が殺されても平気ですか? 質問に質問を返す形で申し訳ないのですが ◆身内が末期癌に侵され、治癒の見込みなく  抗癌剤の副作用に苦しむばかりで  ある日、貴方に「もう楽にしてくれ」と懇願してきたら  貴方はどうしますか? ◆人口を2年以内に30%以上減らさないと  もはや地球の生態系は保てず  全ての生物が絶滅するとしたら  貴方はどうしますか? 子供っぽい質問で恐縮ですが かつて親友を自殺でなくした経験をして以来 (殺しちゃ悪いに)「決まってるじゃん」では 私にとっては納得出来ない問題になっています。 >この命題に対して >個人を越えた絶対的形而上的確信を持つことに >何の意義があるのでしょうか? 絶対的形而上なんて期待していません。 そんな確信には一生至れないと思います。 ただ、倫理や道徳、常識、宗教や神話に判断を委ねるのではなく 自分で考え、自分で決断したい。 そうじゃないと自分の決断に責任を取れないと思う。 (責任といっても自己満的なことかも知れませんが) だから、考え続けることに意義を感じます。 諸行無常、諸法無為に通ずる覚悟です>そのつもり。 最後に >門外漢ですからね。 なんて言わないで。 私が辞書から「(臆見や迷妄を超えた真理認識の)学問一般」 と引いたのは「一般」を再認識しておきたかったからです。 哲学を特別視したり特殊化したり排他的に捉えるのは 止めませんか、と。 万が一、男性と女性の脳の構造に決定的な差異があり 女性の脳が形而上的な認識に向いていないとしても それなら女性脳ならではの新しい哲学を生み出せば イイだけで。でしょ?

sirayukihime
質問者

お礼

さて、ここへ来て「哲学の本義」たる「死」の命題が直接的に提示されました。私が問い直しを試みた哲学の基本姿勢に立ち返ったところで、このささやかなスレッドを閉じさせていただく潮時かな?と思います。 実は哲学に名を借りた知的スノッブを待ち構える気持ちもあったのですが、よく考えれば、この質問の立て方ではスノッブどもが寄り付くはずもなく御陰で皆様真っ当な御見識の方ばかりだったと思います。 私が一番聞きたかったこと・・・それは哲学は誰のものか、ということです。「哲学の本義は死」であるなら死が誰の上にも等しく訪れるからには哲学もまた万人のもの。最高学府において専門知識を身につける機会に恵まれたことを感謝すればこそ他者を排し罵倒するには当たらないはず。かような人に知性の証とは著作や業績を残すこと或いはそれらを知っていることだけなのか一考願いたかったものです。 体験はダイレクトに心身に働きかけます。しかし書物は、そうとは参らない。私にとって体験は書物以上に厳しい教師でした。知識の多寡を誇っているうちは体験を誇る者に軽侮され続けることでしょう。 最後にポイントですが、とても迷ったのですが、ただ今の私に直接の示唆を与えてくださったという基準でつけさせていただきましたこと御理解賜りたく願います。 皆様、有難う存じます。またどこかで、お会いできますように・・・。

sirayukihime
質問者

補足

(きょうは土曜日、お早うございます!ここからお読みください) てっきり今どきのアホがきが言う「どーして殺しちゃいけないの?」を連想しておりました。CUE009さんも御自身の体験によって、この命題に入るきっかけを得られたわけですね。 「殺す」という形態に新たなモデルケースが加わった、前例のない、この時代ならではの問題だと思います。今後法的な面も含め様々に論議されていくでしょう。 「病」というものは時に「死」よりも恐ろしい。経験した人なら分かるでしょうが究極の孤独を味わいます。こればかりは、どんな親しい人にも代わってはもらえないし苦痛を緩和してもらえなくても、丸ごと我が身で引き受けねばならない。「病」というものが一人ひとりに与えられた苦難の課題であるなら、それは全うされねばならない!その意味では「安楽死」は「逃げ」です。「自殺」もです。が、何と言う苦しい課題でしょう!今日の医学の発達をみる前なら、とうに死んでいるはずの者が息つないでいるところから「安楽死」の問題が起きてきている。これからは脳死問題に加え、どの程度の苦痛なら「安楽死」を合法とするのか、また個人差の大きい苦痛の感受性をどう客観的に測るのかといった諸問題に向き合っていかねばならないでしょう。 さて哲学というものは疑問を呈しはするが解決策や答えをもたらすものではない。それは他の領域に任せねばならない。従って他の諸学問に自ら手を伸ばし親しまねばならない。人体にたとえれば哲学はまさしく脳であり心であり諸科学はそのニーズを満たす手足である。なればこそ哲学する者は発注者としての誇りを持つと同時に他分野の諸学問に謙虚に接さねばならない。このように私は考えています。 死というもののとらえ方は時代によって変化し、そのつど人間は社会的合意を形成するよう努めてきましたが御提示の「安楽死」問題はまさに時代の過渡期に位置し恐らく哲学で答えをつけるのは困難であり、他領域において道がつけられるのを待つしかないと思います。そして、まさにこの過渡期において、かような苦難を与えられたことに深く思い致さざるを得ません。 人口の問題については、まあ、なるようにしかならないでしょう。無責任な気持ちではなく努力あるのみです。人以外の生態系が破壊され全ての生物が絶滅すれば早晩ヒトの命運も風前の灯。結果何もかもが滅びても、それもまた定めかも知れません。神のみぞ知る、或いは神にも分からない。 結局ベストが分からなくてもベターであるよう努力し続けることしかできない。それが自然の摂理からはみ出してしまったヒト族の唯一残された道でしょう。

noname#155689
noname#155689
回答No.9

>CUE009さんは件の削除されたスレッド、 >お読みでなかったでしょうね。 (中略) >某氏と同じ畑にいる人たちが一番考えるべきでしょうね。 私はsirayukihimeさんのご質問に 私なりに一生懸命考えて回答したつもりであって 某氏の話を延々持ち出されて少々困惑しております。 私の考える哲学と、某氏とは何の関係もないでしょう? ここは某氏の批判の場でもなければ >貴方が戦友のように思える・・・。 のように、某氏への不満を共有しあう場でもない筈でしょう? それとも、私の回答は sirayukihimeさんのご質問に対して何か的外れでしたでしょうか? と、補足要求をした上で >「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」を哲学的に追求したら >或いは「殺したって別にイイじゃん」となる可能性が >あるということでしょうか? 私は最近この問題を一生懸命考えています。 考えている、ということは「殺しちゃ悪い」という命題が 「絶対に正しい」という確信が持てずに 悩んでいるということなのですが・・・ 最後に、某氏の質問というのは「女性に哲学は不可能か?」 みたいなヤツのことではないですか? その質問なら私も目に留めたのですが 某氏の回答履歴を読み 質問者を馬鹿にする傾向が感じ取られたので その質問はスルーしました。 某氏や「満腹暇人の哲学」者批判はもう止めて >哲学という学問の根本意義とは? に思考を集中しませんか。

sirayukihime
質問者

お礼

CUE009さん、困惑させてしまって御免なさい。本心を申し上げますと貴方のように真剣に哲学しようというかたには私ごとき門外漢が申し上げることは何もないのです。ただただ御考えを伺っては「う~ん、なるほどなあ」と感心するばかりが私の本性です。初めてこうしたWEB上の「哲学板」なるものを覗いていて、ときに哲学=言葉遊びもしくは知識のひけらかしと勘違いしているようなスレッドを見るにつけても哲学の分野に専門的にかかわっている人にこそ私のような素人が、どのような印象を持って眺めているかということを意識の片隅に、わずかでも留めてもらえたらと考えたものです。某氏が哲学関係の人でなければ私も苦笑して素通りしたかと思いますが、何しろ命題がまずかったですね。こちとらも一応女の端くれですから。彼の回答履歴は存じませんでしたが私の返事に対して反応がやけに激しかったので、つい悪乗りしちゃったかも・・・。ちょっと反省。ちょっとだけですよ! さて「人を殺しちゃ悪い」という命題に悩んでいらっしゃるそうですが私からの素朴な質問です。貴方は自分が殺されても平気ですか?この命題に対して個人を越えた絶対的形而上的確信を持つことに何の意義があるのでしょうか?あくまで素朴な疑問です。門外漢ですからね。 う~ん、御指摘の通りそろそろ「満腹暇人」は放っておきましょうか。「人間のクズ」呼ばわりされたもんで怒りが前面に出ちゃってたかも。 再度お出ましいただき有難うございます!

noname#155689
noname#155689
回答No.8

○○とは何か?を問うときは 最初に辞書にあたっておくと 案外問題意識がつくりやすいのでオススメします。 で、三省堂「大辞林 第二版」によると「哲学」とは 1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。  もともと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、  次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。  存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)  などの部門をもつ。 2)自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。 「社長の経営術には一つの―がある」 まず、言葉の定義から考えても 経験が無意味なんてことは「無い」と捉えていいと思います。 次に、専門用語ですが >次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される という前提を受けて、個々の「論」、さらには 個々の論の中の個々の「説」に言及するような場合には 専門用語に触れずにはいられないだろうな、というか 専門用語を「一般の言葉」に書き直すと その「専門用語」を生んだ「論考」1冊分の説明が 必要になってきてきてしまうのでは?と思います。 ただし、そこまで言及する際には専門用語が必要だ、と言っているのではなく そこまで言及する際には専門用語を知ってるとラクだよ、ということです。 >「ロンリロンリ」と喚いておられましたが >あのようなクソ論理が何の役に立つってんでしょう。 >屁の突っ張りにもなりゃしませんわ。 >これだから哲学やってる人って世間で笑い者にされたりするんでしょうね。 論理を敵視しても仕様がないと思うのです。 論理が屁理屈に聞こえるのは 多分、論理に感情が混ざってしまっていて 揚げ足取りのための詭弁になっちゃっているからではないのかな? と、思うのです。 むしろそういった事態を避けるために 臆見や迷妄を超えた真理認識を問うのが哲学であり >哲学というのは世間でよく言われるところの >屁理屈をこね回す学問なのでしょうか。 といった偏見を正すのが哲学であろうと私は考えます。 >やっぱ十の書物も一つの経験に勝てないと思います。 書物を読むことも「経験」のひとつだと私は思います。 知識と経験を「対立項として捉えるのは偏見ではないか?」といった 普段考えないことを真剣に考えちゃうのが 哲学のイイところだと思いますよ。 >ところで「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」の理由は >「カンタンじゃん」とはいかないんですか? >哲学的手続きによれば。 簡単ではないでしょう。 「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」の 「決まってるじゃん」の根拠を徹底的に追求するのが 哲学ですから。 でもね、哲学的手続きによらずとも それは簡単に済ましちゃイケナイ問題じゃないかな。 むしろ「簡単に済まさない」ために哲学の存在価値が あるのではないでしょうか? しかし、そういう姿勢をウザったく思う人は結構沢山いる、と 私は感じます。

sirayukihime
質問者

お礼

(続きです) 私は論理ではなく詭弁を憎むものです。 「書物を読むことも経験のひとつ」しかり、広義の意味においては。が、正確には「プレ体験」と言うべきでしょう。経験体験そして直観力に恵まれない者が書物に手を伸ばす。しかし、ひとつの体験に恵まれない者は百の書物を読んだとて答えに飢えることでしょう。うず高く積み上げられた書物を見るにつけ彼は頭を垂れねばならない!まあ勤勉さは褒めてもよしとしましょう。 「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」を哲学的に追求したら或いは「殺したって別にイイじゃん」となる可能性があるということでしょうか? 何でもかんでも哲学の帽子をかぶせて「こねくり横丁」をぶらつき回る自称哲学の徒を私は「満腹暇人の哲学」者と呼ばせていただいております。こうした態度は哲学を冒涜するものです。私には「横丁」を練り歩く時間も体力もありません。 うざったく思う人がたくさんいるとしたら何故なのか某氏と同じ畑にいる人たちが一番考えるべきでしょうね。 御回答いただきまして、まことに有難うございました!

sirayukihime
質問者

補足

(長くなりそうですので、ここからお読みください) こんにちは!CUE009さんは件の削除されたスレッド、お読みでなかったでしょうね。 ここで質問を立てさせていただく前に一応辞書には当たっております。その上で敢えて、こういう問いを致しております。 削除されたスレッドの質問者の回答に対する反論というのが貴方の御推察どおり「揚げ足取りのための詭弁になっちゃって」おり且つ又質問する者にあるまじき著しくマナーに欠けた態度でありましたので、お示しくださった三省堂「大辞林第二版」2)に則って私なりの意見を述べました。 私は哲学の専門知識など全く知らず哲学特有の論理的手続きには疎いですが論旨は尽くしたつもりです。比喩を用いて表現したことを激しく攻撃されましたが、かの御釈迦様もたとえ話の名人であった由、私も「相手の目線に合わせるのが流儀」との某氏の言に倣って机の上に、じかに生首を載せたかのような御仁に分かりやすく説明したつもりでした。(おっと、また比喩的表現をしてしまいました・・・。) こんな私の意見にも理解を示してくださるかたが何人もいらっしゃいましたが某氏には非常に不愉快だったと見えて最後は「言葉遊びもほどほどにせよ」という批判が続出するなか、どろどろに荒れすさんだあげく、あっけなく幕引きと相なりました。哲学素人に突っ込まれてドロドロになる知識や思想や論理って何なんでしょう。下品な言い方で申し訳ないですが、やはりここは某氏の目線に倣って彼の「論理」を「クソ」論理と呼ばせていただきます。

回答No.7

こんにちは!僕は例の削除された質問に対して解答してました。 僕はそこで、二元論を展開して説明したのですが、反応がただ 興味深いとしかなくて残念な思いでした。 僕は20代半ば男性のフリーターで、大学すら行ってないほどの 無学で、専門的なことは一切わかりません。「二元論」も、 その板で指摘されて始めて知りました。 僕は、哲学素人ですが、哲学に専門家も素人も関係ないと思います。 哲学とは、人間が生きていくうえで、いろんな出来事にぶつかり、 悩んだりしてその過程でフと疑問に気づくことだと思います。 そこで、どこまで深く考えるかは、人それぞれです。 僕は例の板で、自分の恋愛の話をしました。なぜか本気で惚れた女性と 出会って恋愛して失恋して、そこで絶望しました。(笑) いろいろと悩み、自己嫌悪して、自己喪失。それまでは、結構モテて 自分に対して自信があったのですがもう玉砕。(笑) 絶望してるんだけど、別に死にたいとかじゃない。どちらかといえば 嬉しかった。本気になったというか、出会ったという感じがして…。 それから、価値観、人生観がガラリと変わったのですが、生まれ変わった ような新鮮感がありました。今まで常識にとらわれて小さかったなぁと思った。 今では、その人と出会ったからこそ、今の自分がいるんだと思います。 例の板には、その女性と出会ったからこそ、今の僕がいる。つまり、 女性がいるからこそ、男性がなりたつと書きました。そのどちらが 優れるとか出来る出来ないとか相対価値ではなく、異なるからこそ お互いが輝き、補い合うことができるのではと思います。 で、これをさらに深く考えてみたら、二つの異なる存在で一つになりえると 考えるようになりました。例えば、光と闇、生と死、正と悪など、二つの顔が あるけど、結局は一つです。光が強くなれば闇も濃くなる、悪の存在が大きく なれば、正義もそれに伴う。そうやってバランスをとる。 男女も同じです。自分にないものを欲しがると言うじゃないですか。(笑) という具合に、この世界を論理的にとらえようとするのが哲学なのでは ないでしょうか。専門知識がなくても僕は僕なりに哲学してます。 最後に、その恋愛で思ったことは、思考に囚われていてはダメだと思いました。 悩みまくっても、結局好きな気持ちには変わらないし、悩んでも時間が流れて いくだけ。優柔不断な男はモテなかったです。(笑) それに、この気持ちを伝えたいと思っても、言葉にすることができなかった。 どうしても言葉で書き出すのなら、言葉でない言葉で叫びたかったと意味不明になります。(笑) でも結局その時の僕は、シンプルに好きって言いました。(笑) 人間のこの混沌とした気持ちを言葉にすると矛盾してしまいます。だから、僕は、 思考はあくまで道具として使うようになりました。迷ったら、直感に従うことに決めてます。

sirayukihime
質問者

お礼

おぼえてますよ~vagabondさん! 私も哲学どころか大学すら行っておりません。正確には心理学科を目指してて受験に失敗したのです。ですから哲学板でケンカする方法なんて知らなかったんですが貴方も御存知の通り、彼奴の態度が目に余って、ついケンカを買ってしまったのです。先方はボクシングで遊んでるつもりが私がプロレス技で飛び込んできたもんだから「反則だ~」とか思ったでしょうが「んなもん知るか!」です。 どうも件の某氏は自分を書物そのものだと思い込んでおられたようですが「本棚」かイイとこ「司書係」に過ぎない自分の姿に気づいておられないようでしたね。「ロンリロンリ」と喚いておられましたが、あのようなクソ論理が何の役に立つってんでしょう。屁の突っ張りにもなりゃしませんわ。これだから哲学やってる人って世間で笑い者にされたりするんでしょうね。 ところで、私も本気で人を好きになったとき、その最初の経験で、それまで蓄えてきた机上の知識が、ものの見事にぶっ飛びました。今となってはニーチェなんて「嫌みなおっさん」くらいにしか覚えていません。自分の気持ちに素直になれなくてズタボロになった反動で今じゃ、ちょっと好いわ~とか思ったら「好き!好き!だ~い好き!!」の連呼しまくりなので、かえって「からかってんじゃね~?」と疑われる始末・・・。 件の某氏は「経験万歳主義」って冷笑してくれましたが、やっぱ十の書物も一つの経験に勝てないと思います。 おいでくださって有難うございました!貴方が戦友のように思える・・・。

noname#8543
noname#8543
回答No.6

sirayukihime様 貴方はとても重要なことを言っている. とっても良い産婆さん.その感性を大切にしてね. 神を“人類の為の”といった範疇で捉える人にとって “人間の神でもあり,生物全体の神でもある”もしくは “神は生きとし生けるものの為にある”ということを認識するのは 天動説と 地動説の差があるのかも知れない. ガリレオは言った“それでも地球は回っている” 無知蒙昧の人間にガリレオも処刑されそうになったよね. “真実”って何かを知らなかった. ただ自分達の頭で考え出した世界を守ろうとするだけだった. でも現実はそんなこと言ってられない処まできている. 人間も他の生物の生があることによって生きていられる. みんなそれぞれが関連しあいながら生きている. 生物の生態系が崩れるということは それを食べて生きている人間も危ういということさ. そして生態系を壊している張本人が人間. 生きとし生けるもの全て 生きようとしているのさ. みんな生きたいと思ってるのさ. 願いはみんな一緒. 知能の高い低いではないよね. 動物は,その人達からすればどのくらいの知能を持っていれば 犬や猫のように愛護されるべきものとして扱われるのだろうね. 人間の姿をしていてもIQ知能の低い人は人間でない動物として考えるのかなぁ. そういう人達ってその境目,切断点は何処と考えているんだろう. 知識によって神は認識できない. 人間が人間の為に作り出した呪縛からの開放.

sirayukihime
質問者

お礼

「産婆さん」の意味がよく分かりませんが、そうですか、私の感性でだいじょうぶですか。たまに笑う人いるんですけど。 犬や猫は、ほどよく知能が低いから可愛いんでしょうか。ヒトは知能が発達するほど別の何かを退化させているのでしょうか。 自然界の生き物たちの禅的?生き方を、ヒトが邪魔しているんでしょうね。 人間の使うことばって限界があるなあと思うこともあります。哲学には共感も感じますけど言語の奴隷にはなりたくないと思います。 再度お出ましいただき有難うございました!

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

参考までに 哲学とは、全ての生き物を含むこの世界の成り立ちを研究する学問なのです。屁理屈をこね回すのは、それが判らないからこね回しているのであって、いわば苦しんでいる様ですね。でもそのうち先が見えてこね回さなくなりますからね。例えば、#4さんが「我思う.故に我あり」と指摘すれば、「我生きる、故に我考える」という方もいますね。でもどちらが正しいかといえば「我思う.故に我あり」が正しいのですね。「我生きる、故に我考える」という考えは唯物論に通じますね。唯物論は正しくないことは、古来大哲学者は理解しているのですね。そんな風なものなんですね。

sirayukihime
質問者

お礼

お早うございます! 「我思う。故に我あり」実際これが限界だろうと思います。 「我生きる。故に~」と言っても「生きる」ということの本当のところが掴めていないのだから、突き詰めれば頭の部分から引っかかってきますよね。 哲学者って、まじめの上に何かつくくらいまじめなんだなって思いますけど、物分りも相当悪いような・・・。だから「こね回し」の横道を通らないと目的地に着かない?日が暮れるわ! 御回答、有難うございました!

noname#8543
noname#8543
回答No.4

デカルト “我思う.故に我あり.” 妻    “食事の用意できたわよ” デカルト “今考え中.私は世にある誤謬に悩む.私は確固たるモノの上に城を築きたい.それゆえに代数と幾何学が好きだ.う~む.” デカルトはすっかり忘れていた. 我が思うことができるのはその体があるから. その体を維持するのは食事をするから. その食事は他の動植物によって支えられているということ. その他の生物はどんな些細な生物といえども自然界のなかで相互に支え合いながらこの地球上で存在しているということさ. 鯨や海豚は知性があるから保護すべきといった偏狭な動物愛護などではどうにもならない. 人類も自然界の生態系を構成する一生物種ということに気付くべき時なのさ. 人間は律法によっていくら行動を制限できても,他の生物の生には人間の作った律法など通用しない. 人類だけが地球上で繁栄するなんて虫のいい話だよ. と今頃どこかで虫が話してるかもしれない. 人間同士だってお互いに支えあって生きているんだよ. 必要なのはソクラテスの言った人類の“無知の知”だ. 自然から解離した妄想哲学など“下手な考え休むに似たり”てぇとこかな. “キリスト教の先進国は滅びると主張する人もいる”などという人間のことしか考えない次元の低い話ではないのだよ. 人間同士で醜い喧嘩してる場合かねぇ. 現在が全人類を含めた地球上の生物の大量淘汰の危機状態にあるという末法思想のお話. 地球上の生態系の崩壊の危機と地球上生物大淘汰というお話なのさ. 生きとし生けるものの共生ということを目指して生きなければ このまま人間主体の思想が世界を牽引し繁栄を続けていけば “我思う.故に我あり.”のその我自体の存在の危機になっていってしまうということなのさ. 地球母さんが言う. 早く目を覚ましてね.デカルトちゃん. もう起きる時間よ. 何時までも寝ぼけてないで! 王様の夢は終わりにしてね.

sirayukihime
質問者

お礼

「我思う。故に我あり」 と我思う・・・。 件の某氏は「我生きる。故に我考える」とかゆう立場だそーです。どっちでもいいような・・・。 私、高校生のとき(大昔です(^^;)倫社の先生に「お前の考えはソクラテスとか古代ギリシャ人と共通しておる」と言われて「わしゃ古代人なみか!」とショック受けたことあるんですが、そうですか、自慢していいんですよね、ね? 私もヒトって地球のガンか?と思うことあります。時々動物や植物たちに「スミマセン」って謝りたくなります。 御回答、有難うございました。

  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.2

「きょう削除されてしまった某氏の質問」というのを知らないんですが(邪魔したかった・・・)、僕は哲学とは「実体験」が基本だと思います。 「思考だけが」あらぬ方向へ行かないようにするのは、案外難しい事とおもいます。 僕のようなレベルの低いとこでうろうろしてる人間でも、そういう危険が多々ありますから、難しい問題に取り組んでらっしゃるかたは、なお注意が必要では? データはとても大事ですけど、 「ああ、こういうことかぁー」 という、経験と実感がないと危ないですよね。 (あっても危ない場合もあり。) 僕自身、哲学の本はあまり読んでないほうだと思いますが、哲学は出来るとおもっています。 哲学に限らず、学問とは「本当のことを突き止めよう」とする行為だからです。 どのレベルの真実か?(深かろうが浅かろうが)に係わらず真実は真実ですから。 なるべく簡単な言葉で表現しようとすることが大事なんじゃないかと。 ですが、「今」何が簡単なことばでなにが専門用語なのか?がまた難い問題で、これを明確にしようとするのも哲学の内でしょうか・・・?。 広いですね、範囲が。 多少、暇人でないとできませんね・・。

sirayukihime
質問者

お礼

こんにちは! 私とバッチリ気持ちが共通してます。けどもし「邪魔し」に来られてたら今頃グッサリですよん。なんせ阿鼻叫喚でしたからね。もしよろしければNo.3を御覧ください! 早速の御回答、有難うございました!

noname#31699
noname#31699
回答No.1

かの有名な「ソフィーの世界」を読んでみてはいかがですか。 あなたの疑問にあるていど答えてくれる内容です。

sirayukihime
質問者

お礼

こんにちは! 「ソフィーの世界」ですか!たいへん評判を呼んだ本ですよね。そう言えば「読みたいなあ」と思ってて、そのままになってました。ぜひ読んでみます! 件の某氏にも薦めたかったですね!まさか、もう読んでたりして・・・。 do_genさんは初めての質問で初めてのマイ・回答者です。記念品を差し上げたい。けど無理なので文字チュ!を差し上げます。同性かな?ま、いいでしょう! 早速の御回答、有難うございました!