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「○○について哲学する」の意味

「○○について哲学する」 というのは 「○○について考える」 というのと同じ意味ですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.2

 「哲学する」と言えば、それ(考えること)が目的になっているような印象を受けます。  「考える」 のほうが上ではないですか。

1hdthd
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (8)

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.9

 結論としては、「学」がついていることで、すでに純粋な思索、思考とは少し離れていると言うか、不純なものが混ざってますね。

1hdthd
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.8

 純粋な疑問なんですが、いわゆる「哲学者」は自分で「オレは哲学者だ」 と思っていて、その当時から 哲学として認識されていたのだろうか?  哲学 という概念自体が、ありえない、虚の 言葉であるような気がする  今、ここにいる自分が思索することを哲学と言うのだろうか?  とすると、このカテゴリが要らない というより、ある事自体が無駄、もっと言えば害悪となるのか...

1hdthd
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.7

 まあ、「哲学する」ことをがどういうことか考えることも出来るわけで。 ⇒まあ、「哲学する」こと がどういうことか考えることも出来るわけで。 考える≧哲学 ではないかな

1hdthd
質問者

お礼

有難うございます。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.6

 まあ、「哲学する」ことをがどういうことか考えることも出来るわけで。

1hdthd
質問者

お礼

そうですね。有難うございます。

  • Ryo_ss
  • ベストアンサー率36% (35/95)
回答No.5

んー。違わないこともないですが…。 “考える”というのはいささか主観的ですね。 “哲学する”場合は客観的でなければなりません。 例えば私が貴方と大親友であり些細なことで昨夜喧嘩をしたとします。 何故そうなったかをめぐらす時 悪いことしたな…とか あんなに言わなくてもいいのに…とか 謝ってくれるまで許したくない…とか 自分の気持ちが優先されていると“考える”という行為で止まってしまってる状態です。 これが 喧嘩になった原因は何か→貴方が突然怒り出し売り言葉に買い言葉で言い合いになった→それまでは普通に過ごしていたように思う→直前に起こった出来事に関係があるかもしれないが自分には思い当たらない→では以前に同じこと,もしくは同じような感情を貴方が抱くような出来事・発言が自分の中になかったか→もしあったとしたら内容いかんでは謝罪すべきだがすぐにそれを教えてくれず溜めこんでしまった貴方にも非があるのではないか・それとも言えないような出来事だったのだろうか→思い当たらない以上貴方からも意見を聞く必要がある→貴方との交友関係を続けたく思うなら待っているよりも自分から話をすべきだろう→とりあえず言い過ぎたことへの謝罪は必要だが原因いかんによっては話し合いの必要がある→伝えたいこと,そのそもそもの原因に他意がない場合はきちんと説明できるように努めねば同じことを繰り返すような結果を招くかもしれないことを肝に銘じ,貴方に連絡を入れる という感じに,一つの物事を多方向から見て可能性を想像し,“何故そうなるのか・何故そうなったのか”など一つのことについて掘って掘って掘り進めてコアまでたどり着くことを“哲学する”と言うと思います。 この場合は具体性に欠けるので,わかりにくいかもしれませんが… もっと具体的にすると,このような場合でも最終的に何を不快に思ったのだろうかというところまでたどり着くはずです。 冷静な喧嘩の仲裁役がもう一人自分の中にいるという感じですね。 “考える”という行動は他の言い回しがしにくいのでハズレではないと思いますが,“どこまで”考えるのかが重要です。

1hdthd
質問者

お礼

ありがとうございます。参考になりました。

noname#94476
noname#94476
回答No.4

哲学する…探求・探究かな。 考える…思い巡らし、志向へかな。

1hdthd
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#101110
noname#101110
回答No.3

例えば 一昨日の晩飯について考える といった場合、それが何時のことだったのか、何を食ったのか、あるいは何処で食ったのか、または喰ったのか喰わなかったのか(痴呆症気味)、美味しかったか、そうでもなかったか、または、稀に誰と一緒に食ったのか、いくら自分が払ったか、あるいはつけで食ったのかといった形而下のことが殆どなのではないでしょうか。 もちろん、それを一歩踏み込んで、あのとき食ったのは果たして良かったのか、抜いた方が良かったか、それはなぜか、どうしてそんな疑問が沸いたのか、というふうに具体的な一昨日の夜のことだけでなく、晩飯全般に抽象化した思考へと深まって考えていくことが「哲学する」ことへの一歩だと思います。つまり 考える≦哲学する ということではないでしょうか。

1hdthd
質問者

お礼

考える≦哲学 ありがとうございます。

回答No.1

「哲学する」というのは真理を究めるために思考 するのであって、ただばくぜんと「考える」というのとは 違うでしょうね。

1hdthd
質問者

お礼

ちょっと違うのですね。 ありがとうございます。