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目の前のものは存在するのか?

タイトルのとおりですがものは認識できなければ存在してないということでしょうか?本当にそこに実在するのでしょうか? ただの脳の科学反応でしかないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • jo-zen
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回答No.4

>認識できなければ存在してないということでしょうか ⇒必ずしもそうではありません。大きなガラス張りのドアがあったとして、気がつかずに突っ込んでしまって、大けがをしたり亡くなられたりという事故もたまにあるように、認識できなくても厳然と存在するものもあります。空気とかもそうでしょうし。ただ、認識できなくても必ずそこにあるとは限りません。空気(酸素)はあるものだと思っていると、酸欠で命を失う事故も起こったりもします。 逆に、見えているものは存在するというのが、前提です。存在するから見える(認識できる)のですから、見えているものが存在しないというのは矛盾になります。錯覚・幻視などのように、実際にはないものがあるように認識してしまう場合もありますが、それは認識回路のエラーです。その場合を除いては、見えているものは存在するということです。

jdhuif
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど すごく核心を突いている回答でした

その他の回答 (11)

  • corkwood
  • ベストアンサー率12% (62/508)
回答No.12

在ることってなんなのでしょうか? やはり、領域をお互いに共有できない関係から受ける作用を物理的に在ることとしていると思います。 目で見て見えなくとも在る大気、走れば体に、手を早く動かせば風圧を感じます。 じゃ、真空などの空間は? 空間の能力の一つとして、在る物をその中に居させてあげられる能力を持っています。 そういった概念を満たすもの(ものではありませんが)をまた別の意味で在ると観測しています。 ミミズは壁にぶつかった時ここから先はいけない領域があることを発見します。 もし目があったとしたら、それでも生まれたばかり初めはぶつかると思います。 ぶつからないとしたら、そういった変異系統の方がこの世では理に叶っていたばかりに自然淘汰に生き残ったのだと思います。 初めぶつかったミミズは、目に見える感覚とぶつかる事の法則性を発見し、目に見えたらその領域に行こうとしても押し返される感覚がするし、視野像も相応します。 経験から得られた学習です。 人間も、目に見えて(視覚に反応して)、領域をを共有できないもの(触覚に反応)を、在ることの一つにしているのだと思います。 そういったときに起こる脳内化学反応を経験学習をして、それぞれの人なりに在るの解釈と、認識の閾値を満たすその反応の組み合わせ・強さが、在るという識として勝手な約束事として決め、認めているのだと思います。 じゃ、物は本当にあるのか?あっても無くても、人間の体も身の回りのものも元を正せば同種のパーツでできているわけです。それはお互いに領域を共有できない性質をもつエネルギーなわけでして。その性質が起こしているからくりを、結果として人間は過去の経験と学習と法則性の発見から、在ることというルールを勝手に作り出して、在ることということにしているに過ぎないのだと思います。 じゃ、光は?電磁波は?お互いに領域を共有できる性質のエネルギーもまたあれる(う~ん。日本語が無い。)のです。 在るのルールは、人間が自然のからくりから法則性を経験的に学習し、その際起こる脳の中の科学的ネットワークの発火をモニターし、そのパターンや独自設定の条件さえ満たしていれば、在るということにすると人間が勝手に決めて認めた識だと思います。

回答No.11

おそらく、適切な返答ではないのでしょうが、私は、自分が認識しているものが存在しても、しなくてもかまわないと思っています。、 正確に言えば、ものが存在するから、人は認識できるのですから、先に「存在」を位置付けて、「認識」を語るべきなのでしょうが、話が難しくなってしまうので、私は「認識したものは、存在している気がする」ぐらいに考えています。 この問題で大切なことは、「存在していても認識できないものがあること」「認識しても存在しないことがあること」、この2点を押さえておくことではないでしょうか。これを押さえておけば、「存在」と「認識」の関係はいいかげんでもかまわないと思っています。

noname#65351
noname#65351
回答No.10

深いですね…考え込んでしまいました。 人間の感覚は不確かですよね…「美味しい」って何で感じるのでしょう? 認識出来ない物…例えば水の中には酸素も含まれているのに見えません。元素記号で物が見えれば納得出来ますかね?否、違いますね… 人間の存在はDNAで確認出来ますが… 回答になってません。すみません…。混乱してきました!?

回答No.9

 jdhuifさんが存在するのも、jdhuifさんが存在する世界が存在するのも確かであると存じます。  jdhuifさんについて、そしてjdhuifが存在する世界についてどのようなものとしているかは、jdhuifさんが描いている内容でしかないと存じます。  他人が思っているそれらについても、その方が描いている内容でしかないと存じます。  それはそれなりにゆがみや変更がなければ、それなりに本当のことでしょう。  落としている事柄や角度などのこと、受け取っている主観のスクリーンの問題はありましょうが。  無論異なる意識存在の方が、見る場合、そういう人にjdhuifさんがなって、同じ角度で同じものをみた場合は、それなりの違いは出てくるでしょう。  窓から外の変哲もない、山野や人家をみて、すばらしい、美しい、聖なる世界を見ている聖者と、同じ窓から同じ位置で、同じ視界の景色をみて、恐ろしい、醜悪で邪悪な世界をみる、意識とがありうるのではないでしょうか。どちらが実在か。  眼前のものがあるとする、ことから一歩も出られない方には何もいみのないものですが、何があるべきことか、何が本質か、ということ本当の問題とする人には、どんな景色が実在かという具体的な話になるのでしょう。  そういう意味で実在は実在しかないのでしょう。  そして意識しだいで、現実の世界が現れているのでしょう。

回答No.8

御質問者様自身が、本当に実在すると表現する意味の限界内で実在しています。 認識できないものは、そもそも、存在しているか否か知り得る限界を超えています。

noname#82286
noname#82286
回答No.7

これはシンクロという概念ですね、本当にそこに実在するのでしょうか?未だ未発見なのでありそうだという概念だけですね、あるという証拠は永久に発見できない筈です。

  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.6

「万事は仮説である。何故なら“全ては証明しえない”という事実しか知りえないからである」らしい…… 参考著書「ユーザーイリュージョン」「解明される意識」

noname#117439
noname#117439
回答No.5

精神疾患にかかって幻覚を見るようになるとその患者に幻覚であることを納得させるのは難しいようです。 専門医が理詰めで話してもなかなか納得しないようです。 私は写真が趣味なので脳内に見える視覚と実在を忠実に表した写真の違いも趣味で研究しました。 結論は↓コレ 盲視を了解すると判りやすくなります。 http://tanfu.fhw.oka-pu.ac.jp/break/blindsight.htm 要するに見ていると認識している視覚と脳内の画像処理過程にはずれがあります。 見えている物が間違いなくそこにあるとの結論は心理学的実績からして成立しません。 人それぞれです。 へんなものが現実にダブって見えるイコール狂気ではなくてそんな自分の脳の不思議を客観的に楽しむ方も大勢います。 医者に掛かったほうが良いような精神状態を経験している私もコレはなかったですが。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.3

目の前のものは、「あたかも目の前に存在しているかのように見える」というのが、一番理に適った認識だと思います。本当にそこに実在するかについては、「そこ」とか「実在」とかの意味をもう少し正確に考えてみる必要があります。 我々は3次元空間に住んでいるという風に一般には考えられていると思いますが、この3次元空間というのは、人間の意識が、この「世界」を理解する上でのモデル(模型)です。人間は、そのモデルを通してこの世界を理解するように生まれつき出来ているということです。実際の世界は100次元でも1次元でも、あるいは、論理空間であっても、全く構わないわけです。とにかく最終的に人間の意識が、この世界を強制的に3次元空間として描写するようにできているわけです。 従って、「そこに実在する」というのは、人間の意識を離れて、客観的に「人間に見えている世界と全く同じ世界」が存在していて、そのような「世界」における「そこ」であり「実在」であるということはあり得ないことです。「そこ」とか「実在」とかは、あくまで、人間にとって見えている擬似空間上での「そこ」であり「実在」だというのが実相です。 一般には「物に色が着いている」と思われていますが、正確には、「物」に色が着いているわけではなく、意識が「物」に「色」を付与しているのです。このことからも、人間にとって見えている世界は、人間の意識を離れて客観的に存在している世界とは同じものではないことがわかります。

jdhuif
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、ちょっと悲しいような…

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.2

脳の科学反応としても其処に存在物が有るから脳が科学反応するのでしょう。 存在物が無いと所を見ても無いですから見えない(脳が科学反応しない) 故に実在する。

jdhuif
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 かなり核心を突いています。 でもやっぱり脳の化学反応で見えてるのでしょうか? どうしてもそう思いたくなりません…

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