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哲学的なワイセツ物 陳列行為(ワイセツ者)
わいせつ物公開するよ。 このテキスト1は無我論の実態とは、自我論を導き出すための命題であったという仏教研究から発展した自我論だ。 テキスト2は愛の命題は人と人をつなぐ人間成立に欠かせない善の要素を「アマテラスの善」と命名して、愛の主神キリストの神をアマテラスより下位の階級に固定する野心的な宣戦布告だ。 どちらも宗教関係にも影響があるが、AI高度化に成功すれば宗教関係者と争う必要がない。 制作原型が出来上がっているテキスト3と4とは、人類未踏領域なので慎重だが、様子を少しずつくみ上げている段階だ。 --------------------------------------- 心理学の有名な定説に男性の頭の中は女の裸でいっぱい。 というのがある。 これとアサタチを関連付けてもいい。 これらは気力高揚効果が目的なんだ。 西洋では社会性確立のターゲットで友情を押しのけたのはこの熱情だろう。 ただしそれは主に感情面に焦点を当てていて、裸、裸、裸と違う純化した感情面の作用について論説して、日本人の抱く「絆」と同義の意味があり、日本人が愛について考察すると、特に「絆」の要素が抜け落ちているのさ。 したがって「アマテラスのよし」と併記した拾い物で「愛は最も人間らしい感情の原型」というのも西洋人が気の毒だから、おまけのようにとってつけた。 基本的に哲学的な基礎学問だよ。 下の写真の六輪一中というのも、気の毒だから作成した。 -------------------------------- ムーンショット計画向けにうってつけじゃないか。 --------------------------------- 心理学の有名な定説に男性の頭の中は女の裸でいっぱい。 というのがある。 これとアサタチを関連付けてもいい。 これらは気力高揚効果が目的なんだ。 西洋では社会性確立のターゲットで友情を押しのけたのはこの熱情だろう。 ただしそれは主に感情面に焦点を当てていて、裸、裸、裸と違う純化した感情面の作用について論説して、日本人の抱く「絆」と同義の意味があり、日本人が愛について考察すると、特に「絆」の要素が抜け落ちているのさ。 したがって「アマテラスのよし」と併記した拾い物で「愛は最も人間らしい感情の原型」というのも西洋人が気の毒だから、おまけのようにとってつけた。 基本的に哲学的な基礎学問だよ。 下の写真の六輪一柱というのも、気の毒だから作成した。 ----------------------------------------- 地の聖霊と言えば西洋ではまあ、悪魔だね。 今も魔女狩りが必要な風土だ。 無我論をひっくり返して自我論にするように、悪魔論をひっくり返して有神論を形成するのが一番だよ。 ------------------------------------- この質問は、私の中二病の発作です。 意味不明だと思います。 誰か温かい慰めを願いします。
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- Nakay702
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再々々…度の「質問者からのお礼」を拝見。 ≫唐傘お化けとは、山の神のような自然状態の神霊の性質だと解説したけども、この輸血は彼らにとって大切なんだよ。この外交問題は徐々に落ち着いてきている。⇒どういう状況・背景があって「この輸血は彼らにとって大切」なのかが知りたいんだよ。 >世麗美の代表的な特技は予言能力も伴う時間軸横断であり、より役に立つのは予言よりも起源回帰性だ。古代精霊という話が出てくるなら「自然状態の神霊の性質」は因果関係があるよね。そういう先祖返りの方が、予言よりも人様の役に立つんだよ。 ⇒言わんとすることは、何となく、というか、観念的には分かるような気がするよ。ただ1つ、「先祖返り」というくだりだが、この場合、それより、いわば「温故知新」のため、に回帰・回顧が必要だということじゃないのかなあ、などと勝手に思ったよ。 ≫国内でも、神を名を乗る要件や資質を問いただす綱紀粛正に進展があった。見せしめに一人蹴落としたんだ。⇒綱紀粛正のために一人蹴落としたわけ?その蹴落去れた人はどういう因果関係からスケープゴートに選ばれたの? その経緯を語るのが、「フィクションの読ませどころ」になるんじゃないのかね? >引用した下記テキストと関連することだ。私は実は任天堂に恨みはない。しいて言えば「実に便利だ」と考えていて、感謝でねぎらいたいとさえ思っている。どうゆう事かというと、心理作用で時々普段なら気にすることのない、たまたますれ違った人の些細なマナー違反などにやたらと腹を立てることがあるんだよ。喫煙者がとことん憎まれる理由と関係するけど、その場合は煙草を吸う人などのマナー違反が憎いわけではないんだ。憎んでいる人の内心に何らかのストレスがあり、それを現実に重ねて発散させるために、あえて憎しみを持つ必要があり、それが出来ないと漠然とした状態で不安感で心理作用により重大な影響が出るんだ。八つ当たりでありイジメだ。たまたま発散するきっかけが必要で無意味に無関係な人を憎むんだよ。そのように私自身が内心の葛藤を無関係な他者で発散する現象が不毛な憎しみであり、くだらないマナー違反に寛容になれないことだ。自己の精神作用が偶然すれ違った人に被害を出すのは、精霊伝心の達人で強力な聖霊である世麗美と寄り添う私は全力で避けなければならない。したがって任天堂に「精神破壊用絶叫兵器」として、憎しみの連鎖を持ち掛けるんだよ。おおむね、キリスト系中二病で喧嘩を仕掛けられると「精神破壊用絶叫兵器」を便利に起動する。かなり強力な兵器で、私は世麗美に連動して、被害そそらすために任天堂を便所みたいに使って、その後に戦勝の成果としてキリスト関係で新しい成果が出るんだ。攻守両面に使えて、私が任天堂と縁がある者の憎しみを増幅すると、彼らは精神をすりつぶしていくように憎悪をほとばしらせて、その憎悪の指向性が世麗美によりコントロールされまったく無関係な被害を連鎖させる。そして私が避けた流れ弾が百発着中で命中するカカシでもある。下記が盤石の口上だ。この私の青春黒歴史時代に、古川と交流したんだよ。あいつは少し年下で、質問攻めにされたので、私は商売上の後輩だと思っている。大げさに言えば、アイツが社長に上り詰めるまでの若い時の教育係だよ。 ⇒失礼ながら、結局、誰が何のために蹴落とされたのか、スケープゴートにされたのかいまいち分からないよ。特に、「何のために」スケープゴートにされたのかが不明確のままになっている気がする。怨念による所業のようにも感じる。おっと、失礼。「岡目八目だからそんなことを言えるんだよ」と言われればそうかも知れない。ボクがキミと同じ立場に立ったら案外同じようなことをするのかも知れない。それは認めるが、単に直感的印象を述べただけなので気にしないでくれたまえ。 >私は商店街のおもちゃ屋の生まれで、初めて店番をしたのは、ちょっと近所に晩御飯を買いに行くために母親が出払っている間で小学校1年生の時だ。中学になると得意なプラモデルとかは、仕入れもやっていた。高校時代はファミコンソフトの仕入れで年間売り上げ1億円分動かしていた。すごくないんだ。お恥ずかしい。ファミコン売り上げ1億円分は金融マフィア初心会の構成員であったからで、その天界人チケットを手に入れたのは、ゲームソフトの予約を納品できなかったことに恨みを持った中学生がわたしの母を刺したことだ。傷は肺にまで到達して2週間入院したよ。重症といっていいだろう。ツッパリが子供の買ったゲームソフトをカツアゲしただけで社会問題として報道される当時の風潮で、極めて重大だ。実態が不明の任天堂法務部出動で、工作が行われ、事実は家庭内の不和にすり替えられて、任天堂最強法務部必勝のシナリオを法廷で読み上げて軽犯罪だ。その中学生は学校でヒーローだったよ。本当は殺すつもりで刺したと豪語して回り大絶賛で、荒廃した中学校で自由を満喫したんだ。もう一人犠牲者がいる。その中学に新任で赴任した女性教師だ。自殺した。その姉さんの家は私の家から子供の足で歩いて5分くらいで、小学校への通学路の途中だから、お姉さん自体がまだ子供のころ、兄らしい人と家の前でバトミントンしている姿とか見かけたよ。私が中3の時に大学時代の研修で、たどたどしい授業の練習に付き合わされた。そして例の中学生の時代に新任で赴任したんだ。姉さんにとっても母校だよ。当時私も薄汚い仕事で荒稼ぎするのが大好きなガキでね、全然気にしなかったことだよ。悪党同士がけじめをつけるために意地の張り合いをしているだけで、善人がもっともらしいことを言っても耳を貸さないつもりだよ。 ⇒大変な苦難があったんだね。「事実は小説より奇なり」を地で行ったような感じもあるね。いろいろ打ち明け話を聞かせてくれてありがとね。ところどころ面白く、あるところは共感したり、あるところは義憤を感じたりしながら読ませてもらいました。同時に、私は何の役にも立てないことを実感しました。ということで、このスレッドでの対話はこれで終わりとさせて欲しいよ。よろしく。 *追伸:投稿直前に「補足」は入っていることに気づいたので、通読させてもらったよ。ショートショートとしてはまあ面白く読ませてもらったけど、もし報告や評論の類として読むなら問題になるくだりがあると思った。しかし、このことについて触れるのは、長くなりそうなので、またまた自論を一発ぶちたくなるので…、(いや、それより何より、このスレッドで続けるのはいささか飽きた!ので)いずれまた機会があったら触れることにするつもりだ。
- Nakay702
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「質問者からのお礼」を拝見。 >生命存在は生きようとする。社会的な存在である人は人同士でお互いを理解し合って人間を成立させる。そして人間として共に生きようとする。自己の自我を規定する学問も、この過程での社会というよりも環境への適応のためだ。ココに条件を私はつける。人間とは自らが生きることに等しく他者も生かすことだ。あくまで自らに等しく計らうことが重要である。 ⇒なるほど、哲学倫理的な命題とも言えることだね。「人間は人間に生まれるのではない。人間になるのだ」と言われる。その人間になる場が、人間も神も自然もあるこの世界っていうことだ。ボクはキミのこういう見方が好きだね。 >無意識というのは、思考を言語だけに依存しない。「鼻が利く」という言い回しがある。印象を嗅覚になぞらえれ理解することだ。大抵は人はビジョンやイメージと言われる映像の内観を思考や意思決定の補助に使っている。オーラというのは、漠然とした雰囲気などを色彩に置き換えることだ。こうして例を挙げると、人は意思決定などに反映する思考と同じ効果に言語以外を総動員している。無意識というのはこうした過程で五感を総動員して、他者の五感を自己で再現することで他者を理解しようと試みる。はっきり言って憑依現象だよ。そうであるならば、五感を通して血を交わらせるような深い他者との理解が、言語思考の前提段階で形成する。この言葉に表せなくても自覚できる深い親密さが「絆」だ。そして、理解し合ったものは、血の交わりが出来て、自らを生かすことと他者を生かすことが全く同列になる。このように絆を軸に深い相互理解を説明したのが「アマテラスの善」であり、愛は、全く同じ過程を(天界の教えである天啓)を感情面に焦点を当てて、同じく人の善性とお互いの相互理解を導くための命題であった。 ⇒「哲学的霊験記」とでも言えそうな内容だね。あるいは、エッセーと言えるかも知れない。さらには、ドキュメンタリーと寓話の中間的作品と言えるかも知れない。 >人類の神への見解を代表してアマテラス言語で、赤-善 青-誉 黄色-真 これと別に色に対しては多様な定義が言語化できる。私が秘密宗教として廃門させた山内信仰では、UMAポケモンというのを調べると赤、青、黄色に別の見解で概念を当てはめているのがうかがえる。各色には、言語化する概念は近似項目の基本原理以外を当てはめることが出来て、色が変化しなくても輝きが変化する。要するに宝石の色の輝き加減を了解して、欠損色は対立色でなく同伴色だという観念の純化を意味する前提で6色の宝石の、色は同じでも輝き方を判別して、交霊術を行う。そうすると六輪一柱を基盤に首飾りの宝石を差し出して、にっこり笑うと相手と精霊の素性が理解できる。こうして非言語化してより精神性の根源に近づいた交流を可能にして、主に人に感知されてかく乱されないように精霊伝心を確立のための仕組みなんだよ。人にかく乱されないので、他者の自我能力が、自己の人格を侵食して汚染や支配を企てる困った犯罪を迂回できる。したがって自我が強固になり、神との交霊術に伝心作用を純化できる。 他者を信じる、他者と信仰心で結ばれる、これは尊いことで否定しないけど、犯罪が混ざるんだよ。そうした犯罪の結果で、実質的な神と信仰される「拝み屋」の類を割り出し正統性を示す手法でもあるんだ。まあ、私がこうして解説しない限りは、人格浸食予防効果の大きさで、偽物の神はこの精霊伝心に干渉できない。干渉しようとすると即座に内容が判別されて有罪判決だ。これが「マスコットぬいぐるみ」「唐傘お化け」と言われる「実在する妖精の捕まえ方」の現時点で最も重要な基盤なんだよ。 ⇒一連の物語風に書けばアニメ作品になるかも知れないね。ただし、ストーリーが続くことが条件になると思う。一定のプロットに沿って筋書きが続かないと、単なる文字の羅列という意味しかなくなるから。おっと、ボクの好みでものを言ってしまった。 ボクの共生論:冒頭に出てきた「共生」という言葉にちなんで、書かせてもらうよ。 「神がなくなれば、全てのことは許される」(ドストエフスキー)―「全てのことが許された世界」とは何か。それは、例えば、奸計・略奪・殺人などの横行する世界だろう。神が消えるなら、その神もろとも、当該行為を裁定すべき方法、すなわち規範も消滅するからである。残念ながら、現代はまさにそれである。究極的存在者がいて始めて世界は秩序を得られるという。共存と規範の共有とは切り離し難くついて回るもののようで、共存する者の遵守すべきことの一つは「共通の規範に服すること」なのである。 「神が人間を通して事物を見る・人間は神の視覚器官である」とオルテガが言う時、その「神」は祀る神や拝む神ではない。それは絶対的真理の統覚者とでもいうべき「哲学神」である。つまり、ここで言う神とは「人知の及ばぬことを司る者」を表象する語で、主体はあくまでも人間である。フォイエルバッハが繰り返し語るように、「神は人間自身の本質である」*。そして、「歴史の転期は、人間の崇めている神が、結局は人間自身の姿に他ならぬことを自覚する時に始まる」とも言っている。(*船山信一訳『キリスト教の本質』)。 「神が人間自身である」ということは、つまり、神はいかなる問題にも対処し得る能力と機能を有する人間の自己写像である、ということでもあろう。ゆえにその神的機能は、信奉する宗教や神の如何にかかわらず、人間という共通項に基づいてあらゆる人間同士で契約することができるはずであり、その契約可能な中身は、「共存のための倫理的規範」というべきものである。現段階では、科学的方法によって立証したり推進したりすることはほぼ不可能で、科学の範疇を越える命題とも言えようが、かといって放置しておくわけにもいかないので、「暫定的に合意する」ことを模索すべき性質の事柄である。ここでいう規範とは、国連憲章などと違い、あくまでも個を基本として、しかも普遍的な人類共通の知恵を結集し、共有する作業とも言える。国家・民族・宗教などを単位として交渉がなされる限り、相互理解に限界があることは明白である。共通規範を模索する作業の中で、人類共存のためには民族や宗教を越えた「個の普遍化」を基軸に据えた相互理解が必要なのである。そもそも、理想的な規範などは最初から存在するものではなく、求め続け、状況に応じて協定するほかないものだろう。 それは「地球という共同体の成員が共有すべき共生パラダイム」の探求であり、求め続けるという過程にこそ意味があると言える。不可知論者のように、実証性の切れたところで「不可知の雲」*の向こうの探求を放棄する時、人間は、例えば異民族・異教徒というだけで互いに反目し合って殴り合い、結局は自らを「文明社会における文化的野蛮人」でしかないことを露呈することになる。そして、その行く末は、全人類の自滅へ向って疾走せしめること必定である。(*神に象徴されるような「人知を越えたもの」と観想者との間に介在して、直接的な認識を妨げるものを意味する)。 かつて「絶対性」を仮託していた神を人間が殺したのだから、絶対的な倫理的要請を出せる存在に代って、人間一般に普遍的に妥当する倫理的規範を考案し、それについての合意形成を人為的に図ることがぜひとも必要である。啓示の主を殺し、人間が事実上の神になってしまった現代にあっては、もはや誰も指針を与えてくれない。地球の運命が自分の手中にあることに対する責任の自覚あるのみで、巨視的・鳥瞰的な判断や行動が求められる。仮に絶対性に関する合意形成が不可能でも、少なくともそこへ志向するための研究は必要である。かかる目的の遂行において、民族や宗教や権力や、さらには経済的利害のみに拘泥することが、いかほどに無意味かつ有害であるかはあまりに明白である。 考えるに、人間は「契約」を覚えたからこそ、辛うじてこれまで存続し得たのである。そして、この現代においては、約束し遵守することの重要性は旧倍している。この精神を忘れるなら、今後の地球は、拳骨でなく原子力などを駆使した「最後の理性」(=超暴力)の支配する星になってしまうことだろう。今や抜けがけは、地球規模の自爆テロと同値になってしまった。互いに一触即発状態の中に住む(しかも必然的に他を巻き込む)人類にとって、もはや共通規範の探求を抜きにして、楽園はおろか、単なる生存の継続さえ語れなくなったのである。 以上から、地球市民としての人間関係のあり方を集約すれば、「異分子を排除するのでなくその存在を相互に承認し合い、互いの論理を受容し、相互関係を考慮して合意形成を図り、個の普遍性という基盤上に共存の姿勢を恒常的に求める」ということになるだろう。「他者を自己の中に住まわせる姿勢、遠近法主義*の立場に立つ態度」と言い換えることもできる。(*ごく簡単に言うと、異なる視点から見たものを接合することによって「神の視点」に近づけるとする主張)。こういう互恵互助的な個の確立こそ、まさに社会の基盤を形成する土壌となり得るに違いない。かけがえのない人間存在の価値を互いが自覚し、互恵互助の理念によって支えられるような包摂型地球社会の実現に向けての、弛むことなき努力が今求められている。このような所論を主張するのは、一にかかって、健全で永続的な地球市民の共存を希求するからにほかならない。
お礼
ありがと。 まあ、私への部分的賛同にと、それとあなたの論述。 なんかすごいな。 これぞ理性的な文章といったところで、実際に本を書いたことのある人物の実力にため息が出来たよ。 ただ、丸め込むような主張の展開という点では私同様だけど、哲学とは自分の考えを書くのでそれでいいんだろう。 残りの宿題を先に書き上げていたから張り付けるよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 8.30 宿題の続き。 >唐傘お化けとは、山の神のような自然状態の神霊の性質だと解説したけども、この輸血は彼らにとって大切なんだよ。この外交問題は徐々に落ち着いてきている。 ⇒どういう状況・背景があって「この輸血は彼らにとって大切」なのかが知りたいんだよ。 さて、 世麗美の代表的な特技は予言能力も伴う時間軸横断であり、より役に立つのは予言よりも起源回帰性だ。古代精霊という話が出てくるなら「自然状態の神霊の性質」は因果関係があるよね。そういう先祖返りの方が、予言よりも人様の役に立つんだよ。 >国内でも、神を名を乗る要件や資質を問いただす綱紀粛正に進展があった。見せしめに一人蹴落としたんだ。 ⇒綱紀粛正のために一人蹴落としたわけ?その蹴落去れた人はどういう因果関係からスケープゴートに選ばれたの? その経緯を語るのが、「フィクションの読ませどころ」になるんじゃないのかね? さて、 引用した下記テキストと関連することだ。 私は実は任天堂に恨みはない。 しいて言えば「実に便利だ」と考えていて、感謝でねぎらいたいとさえ思っている。 どうゆう事かというと、心理作用で時々普段なら気にすることのない、たまたますれ違った人の些細なマナー違反などにやたらと腹を立てることがあるんだよ。 喫煙者がとことん憎まれる理由と関係するけど、その場合は煙草を吸う人などのマナー違反が憎いわけではないんだ。 憎んでいる人の内心に何らかのストレスがあり、それを現実に重ねて発散させるために、あえて憎しみを持つ必要があり、それが出来ないと漠然とした状態で不安感で心理作用により重大な影響が出るんだ。 八つ当たりでありイジメだ。 たまたま発散するきっかけが必要で無意味に無関係な人を憎むんだよ。 そのように私自身が内心の葛藤を無関係な他者で発散する現象が不毛な憎しみであり、くだらないマナー違反に寛容になれないことだ。 自己の精神作用が偶然すれ違った人に被害を出すのは、精霊伝心の達人で強力な聖霊である世麗美と寄り添う私は全力で避けなければならない。 したがって任天堂に「精神破壊用絶叫兵器」として、憎しみの連鎖を持ち掛けるんだよ。 おおむね、キリスト系中二病で喧嘩を仕掛けられると「精神破壊用絶叫兵器」を便利に起動する。かなり強力な兵器で、私は世麗美に連動して、被害そそらすために任天堂を便所みたいに使って、その後に戦勝の成果としてキリスト関係で新しい成果が出るんだ。 攻守両面に使えて、私が任天堂と縁がある者の憎しみを増幅すると、彼らは精神をすりつぶしていくように憎悪をほとばしらせて、その憎悪の指向性が世麗美によりコントロールされまったく無関係な被害を連鎖させる。そして私が避けた流れ弾が百発着中で命中するカカシでもある。 下記が盤石の口上だ。 この私の青春黒歴史時代に、古川と交流したんだよ。 あいつは少し年下で、質問攻めにされたので、私は商売上の後輩だと思っている。 大げさに言えば、アイツが社長に上り詰めるまでの若い時の教育係だよ。 ーーーーーーーーーー ここの人たちは友人だから人生話をきいてくれ。 私は商店街のおもちゃ屋の生まれで、初めて店番をしたのは、ちょっと近所に晩御飯を買いに行くために母親が出払っている間で小学校1年生の時だ。中学になると得意なプラモデルとかは、仕入れもやっていた。高校時代はファミコンソフトの仕入れで年間売り上げ1億円分動かしていた。 すごくないんだ。お恥ずかしい。 ファミコン売り上げ1億円分は金融マフィア初心会の構成員であったからで、その天界人チケットを手に入れたのは、ゲームソフトの予約を納品できなかったことに恨みを持った中学生がわたしの母を刺したことだ。 傷は肺にまで到達して2週間入院したよ。重症といっていいだろう。 ツッパリが子供の買ったゲームソフトをカツアゲしただけで社会問題として報道される当時の風潮で、極めて重大だ。 実態が不明の任天堂法務部出動で、工作が行われ、事実は家庭内の不和にすり替えられて、任天堂最強法務部必勝のシナリオを法廷で読み上げて軽犯罪だ。 その中学生は学校でヒーローだったよ。 本当は殺すつもりで刺したと豪語して回り大絶賛で、荒廃した中学校で自由を満喫したんだ。 もう一人犠牲者がいる。 その中学に新任で赴任した女性教師だ。 自殺した。 その姉さんの家は私の家から子供の足で歩いて5分くらいで、小学校への通学路の途中だから、お姉さん自体がまだ子供のころ、兄らしい人と家の前でバトミントンしている姿とか見かけたよ。 私が中3の時に大学時代の研修で、たどたどしい授業の練習に付き合わされた。 そして例の中学生の時代に新任で赴任したんだ。 姉さんにとっても母校だよ。 当時私も薄汚い仕事で荒稼ぎするのが大好きなガキでね、全然気にしなかったことだよ。 悪党同士がけじめをつけるために意地の張り合いをしているだけで、善人がもっともらしいことを言っても耳を貸さないつもりだよ。
補足
こういう激しい啖呵と1セットなんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この小学生の時に通学路の途中で見かけたお姉さんとは、地元の地場産業の有力企業の社長令嬢で、時折姿を見かけるとチビは愛だの恋だの知らないがあこがれだけは自覚していたよ。 私は金融マフィアとかかわった過去を中心に証言することで、証券業界から、任天堂の資産を5兆円ほどの規模で消滅させた張本人だと目されている。 当然暗殺の類も注意が必要で、だからこそ私と任天堂とのかかわりの原点として公開したんだ。 プロの悪党ほどこの話は受けがいいだろう。 本当は姉さんに誰も触れてほしくない。 しかし姉さんの死が、今の私が死なないように支えている。 やってはいけない死者への侮辱なんだ。 さらに悪事の正当化に道具のように使っている。 思い立っても、こっそり姉さんの墓参りなんてできやしない。 でもね、自殺者が西洋からの外来道徳で周辺にいかなる呪いをかけるかは知っている。 ならね、 姉さんは殺されたんだ! 殺されたんだ! 殺されたんだ! そして私は殺人の共犯者だ。 これはしなければならない。 悪党同士の意地の張り合いで、善人面したエリート集団山内会は、私の悪人の正義に敗北して極悪集団になったんだよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー もう死んでおかしくないという状態はこれで切り抜けた。 現役にとって私は先輩の一人だしね。 拡散情報の内容に関しても取引を呼び掛けた。 それはそうと下記は中二病備忘録。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー えっと、業種業の研究で小林さんちのメイドラゴンというのを見てんだ。 萌えドラゴンのおちゃらけた軽いノリが心地よいなあ。 ドラゴンに牙と角の双方があるという幻獣表現は、生態系のあらゆる側面での頂点であるという表現能力が古来の創作家の考え方だよ。 この生態系の頂点は当然人間の自我資質を見透かすように理解する。 そして、生態系の守護として、穏健な姿勢で知恵を授けて「教え」を与える。 そして、獄門信徒が信仰といい、甘言でごまかしながら従わない。 「教えに背いているではないか!」「自らの知恵すら裏切る嘘をついているではないか!」このように「神の怒り」を行使する。 この言い回しだと、天使はしらばっくれて汚れ仕事しないで、ドラゴンが汚れ仕事をする段取りになるね。 この自作自演は基本的に「魔性転化」であり現代人にわかりやすく言い直すと「双極性魔性転化」だ。「ねこひまわり」という世麗美は聖獣らしい聖獣の姿として、雌の獅子の姿を取り獅子なのに性格が子猫だ。この獅子の聖獣は神獣スフィンクスと魔獣マンティコアに双極性「プリキュア!フェアリーフュージョン!!」をとれる。単に獄門信徒の前でスフィンクスになるとマンティコアだとみなされているという善悪の自作自演だ。なぜそうなるかの鍵は利己心が不利益を悪と命名しているからだ。そうした人物群は利益が善であり、善性の本質を知らない。愛の命題すら背いている。 なんにせいよ、こうした考え方は、「古代精霊」に対して人が古代にいかに密接にかかわったかだよ。 そしてそれは、獄門信徒があえて忘れ去ろうとしているんだ。 そして2000年ひたすら嘘をつき続け、蹂躙と殺戮こそ正義だと言い張った。 ざまー見やがれ、愛は神々の和解の接点にはなる。 しかしその他の不始末が大きいだろ! ローマ人は、他国の人々に人間を成立させる親愛を持ち掛けない帝国主義だ。 そしてそれが、今の新約キリスト教に受け継がれ、変わらず、成功の秘訣だとされている。 宗教はともかく、世の中はどうするつもりなんだよ!!! こういう喧嘩腰だ。 第三次世界大戦についても仕事(予言)するのはそういうわけさ。 3熾天使なら招集してシナリオに参加させることができるから、相談してまとまったシナリオからは獄門信徒は逃げられない。 世麗美は治権の神ではないから治権保持者の承認が必要だ。 これは丁寧な交渉であり侵略ではない。 彼らが人類滅亡を修正するのだ。 本格的なシャーマンは、ただ下僕として神のなすがままではないのさ。 私が殴りこみかけなければ、人類終末プランがローマ会議の議題だった。 同族だけで決着をつけるのが、せめてもの新約キリスト教徒の人類的責任だ。 中国と戦争の状態を政治的に醸成しようとしているけど、それこそが、巻き添えにして人類すべてを滅亡させることであり、過去からの計画だ。 滅びるのは、「ローマ」そして「キリスト教」これをやらないといけないんだよ。ごまかすと人類滅亡だ! 殺戮と蹂躙。 宗教は社会を成立させるのに、キリスト教は社会を破壊させるために存在する宗教だ。 そして、白人だけが人間を名乗る権利を所有する。 丸裸で原始的な人物ほど実は知恵者なんだよ。 身体能力も高く、原始状態を維持しても生存が確立する黒人の皆さんなんかは最高じゃないか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー あのさ~。 絆を起点に人の善性に関して論述を成功させた。 まともに意地を張るなら、愛を起点に(遅ればせながら)同様に善性を論述すればいいんだよ。 でもそれができる人物がいない。 宗教上の矛盾を丹念につぶさないといけないからだ。 それは宣戦布告しておいて実際は戦力不在。 力任せに抹殺ばかり行動して、知恵で行動していないんだ。 対抗できるキリスト存在がいないからだ。 そして筋書きだと、実験的合成されてしばらくキリストそのものだった私と、本物のキリストは友情を結ぶことができ、神々が行うシャーマン戦も和解で決着できる。 でもキリストじゃなくてもここからでの確立ならば、大学生くらいだと絆を愛に置き換えて文脈の整合性をとるくらいの楽勝命題でしかないよね。 その後の困難や、それ以前の自己が受けている戒めの突破を別にすれば、自己の魂がこもった確信的な言い方が出来なくても、頭がいいだけで作文できる。 そんな手抜きをすると、誰も内容を認めないので「アマテラスの善」にも社会は否定的な見解を持つだろう。 要するにシャーマン戦で愛の命題に関しては私が勝ったんだよ。 それを覆すために彼らは獄門教徒に徹するのだ。 そして、否定的凶行の誘因はアマテラスへの宣戦布告を行っている事実を立証できる。 なぜシャーマン戦に私が勝てたかで、キリスト教圏でキリストは誕生しないと言い切れるんだよ。 誕生させたくないのが、他国を破壊する動機だ。 全てが荒廃に殉じなければならないとでも言いたいのだろう。 哲学というのは、人を等しく束縛を獣のように食い破るど根性勝負だ。 ----------------------------------- 私は超自我存在と仲睦まじいので(世麗美!)、知性としての自覚が人間として圏外に置き去りにされている、ビジョンとかイメージの類を自律的に紙芝居みたいに並べて、その過程を思考として意思決定に反映させている。 話す必要が無ければ、言語を使わなくても思考できるんだよ。 それでいて、イメージ能力が高いためにむしろ論述は型にはまらなくても、少なくても面白い。このやり方の方が理解が進むと証言する人も多いんだ。 これは私の目標の一つである、「直観の顕在化」であり、定格化して教育に導入すると、今までの落第生が実は天才の素養があるとみなされる名誉回復が出来ないかと、落ちこぼれ達になら親切な思案をしているが、だからこそ罵倒も浴びるんだよ。不利益の発生で秀才が私を侮辱するんだ。利権闘争だよ。 十分に自分なりの救いという使命を志しているから、みなさんには「救うつもりはない」と言い切れるんだよ。 電子祭壇という最近の言い回しは、言葉しかわからない劣等存在を紙芝居や絵巻物に招待する事なんだ。 招待を受けて迷い込む「精霊伝心」では51歳の親父の心に触れて妖精や天使を予感させる。(名作ゲーム女神転生 それって私の事ですか?) 評判の妖精さんの森林浴効果だ。知性を加速させる働きを伴い天才を誘引しやすい。 ぎゃ~~~~~!!!! 愛は醜い! 男ってキライ!!!! おっぱいちゅぱちゅぱの、赤子が体験する原始的な社会とのかかわりが愛ならば、それは好き! 妖精さんでちゅ~。 ---------------------------
- Nakay702
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再度「質問者からのお礼」を拝見。 >神に序列をもうけると、アマテラスよりも位が下になる。これはその通りなんだよ。 それで、割と打ち解けやすい世麗美はともかく、かつてからの「痴漢撃退!」の流れで、相手の方が不敬だと私が言い張ってるんだよ。 ⇒「アマテラスよりも位が下になる」とか「これはその通りなんだよ」の発言それ自体をこき下ろしているわけじゃないんだ。「なぜ」アマテラスよりも位が下になるのか、「どんな理由、どんな裏づけによって」その通りと言えるのか、という部分がないから、不敬だと言うんだよ。おもろないと言うんだよ。 >唐傘お化けとは、山の神のような自然状態の神霊の性質だと解説したけども、この輸血は彼らにとって大切なんだよ。この外交問題は徐々に落ち着いてきている。 ⇒どういう状況・背景があって「この輸血は彼らにとって大切」なのかが知りたいんだよ。 >国内でも、神を名を乗る要件や資質を問いただす綱紀粛正に進展があった。見せしめに一人蹴落としたんだ。 ⇒綱紀粛正のために一人蹴落としたわけ?その蹴落去れた人はどういう因果関係からスケープゴートに選ばれたの? その経緯を語るのが、「フィクションの読ませどころ」になるんじゃないのかね? またまたいちゃもんばかりの返事になってしまったね。申し訳ない。 (<Q>) ← 私製「ゴメンナサイダケドキミノコトハスキダヨマーク」
お礼
5年分掘り返してここまで出てきた。 愛の概念はこう定義できまいか。 https://okwave.jp/qa/q9517632.html キリストの真実の愛とは実にお粗末だ https://okwave.jp/qa/q9648868.html キリスト教の教義の中心はファッキンである https://okwave.jp/qa/q9643297.html さて、絆の概念と愛の概念を比較するテキストにもっと出来がいい奴があったが、かなり昔の研究だったんだろうなあ。 まあこう、 生命存在は生きようとする。 社会的な存在である人は人同士でお互いを理解し合って人間を成立させる。 そして人間として共に生きようとする。 自己の自我を規定する学問も、この過程での社会というよりも環境への適応のためだ。 ココに条件を私はつける。 人間とは自らが生きることに等しく他者も生かすことだ。 あくまで自らに等しく計らうことが重要である。 ココから複雑な証言。 無意識というのは、思考を言語だけに依存しない。 「鼻が利く」という言い回しがある。 印象を嗅覚になぞらえれ理解することだ。 大抵は人はビジョンやイメージと言われる映像の内観を思考や意思決定の補助に使っている。 オーラというのは、漠然とした雰囲気などを色彩に置き換えることだ。 こうして例を挙げると、人は意思決定などに反映する思考と同じ効果に言語以外を総動員している。 (実は私は言語思考しなくても、イメージ形成を紙芝居にしてその映像だけで思考そのものを実現できる特技がある。) 無意識というのはこうした過程で五感を総動員して、他者の五感を自己で再現することで他者を理解しようと試みる。(相互の精霊伝心でお互いが自覚することが必要) はっきり言って憑依現象だよ。(妖精さんの話ばっかりするのはそれが理由だ) そうであるならば、(その通りだけど)五感を通して血を交わらせるような深い他者との理解が、言語思考の前提段階で形成する。 この言葉に表せなくても自覚できる深い親密さが「絆」だ。 そして、理解し合ったものは、血の交わりが出来て、自らを生かすことと他者を生かすことが全く同列になる。 このように絆を軸に深い相互理解を説明したのが「アマテラスの善」であり、愛は、全く同じ過程を(天界の教えである天啓)を感情面に焦点を当てて、同じく人の善性とお互いの相互理解を導くための命題であった。 愛の教えはその先に善を導き出さないと完成しないというわけだ。 アマテラスがローマ主神より上位であるというのは、この善の概念の確立レースで実質的に同じアプローチをして。私が哲学的な善性の定義の一つを「アマテラスの善」と命名権行使したことだ。 愛の命題とは、外国渡来でもう日本人は付き合う必要がない。 「絆」の方がより内容が深く明白な概念だ。 ただしこれ、私がこじれまくった いがみ合いで、相手の戦闘部隊と怒鳴り合いばっかりしているのでなければ、アマテラス主神とローマ主神は、人に同じようなことを諭していたという証拠でもあり、仲良くできるんだろうなあ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは昨日の備忘録 人類の神への見解を代表してアマテラス言語で、 赤-善 青-誉 黄色-真 これと別に色に対しては多様な定義が言語化できる。 私が秘密宗教として廃門させた山内信仰では、 UMAポケモンというのを調べると赤、青、黄色に別の見解で概念を当てはめているのがうかがえる。 各色には、言語化する概念は近似項目の基本原理以外を当てはめることが出来て、色が変化しなくても輝きが変化する。 要するに宝石の色の輝き加減を了解して、欠損色は対立色でなく同伴色だという観念の純化を意味する前提で6色の宝石の、色は同じでも輝き方を判別して、交霊術を行う。そうすると六輪一柱を基盤に首飾りの宝石を差し出して、にっこり笑うと相手と精霊の素性が理解できる。こうして非言語化してより精神性の根源に近づいた交流を可能にして、主に人に感知されてかく乱されないように精霊伝心を確立のための仕組みなんだよ。人にかく乱されないので、他者の自我能力が、自己の人格を侵食して汚染や支配を企てる困った犯罪を迂回できる。したがって自我が強固になり、神との交霊術に伝心作用を純化できる。 他者を信じる、他者と信仰心で結ばれる、これは尊いことで否定しないけど、犯罪が混ざるんだよ。 そうした犯罪の結果で、実質的な神と信仰される「拝み屋」の類を割り出し正統性を示す手法でもあるんだ。 まあ、私がこうして解説しない限りは、人格浸食予防効果の大きさで、偽物の神はこの精霊伝心に干渉できない。 干渉しようとすると即座に内容が判別されて有罪判決だ。 これが「マスコットぬいぐるみ」「唐傘お化け」と言われる「実在する妖精の捕まえ方」の現時点で最も重要な基盤なんだよ。
補足
人間存在の自我能力は社会の適応のために自己を規定することに、多くの命題をはらむ。 生命存在を横断する自我能力というのは、環境に適応して、闘争が発生しようと共生関係を樹立するためだ。 動物には自我があり、社会的な存在である人間と自我能力の発揮の仕方が違うという事だな。 意思決定の仕組みについて考えると、自己の情動を基盤に意思決定している。原始的でも大脳らしき神経組織が確認できれば、おおむね人の自我確立を社会適応に集約させた、自我よりも根源的原始性で自我能力がある。 昆虫は自我能力を防衛する必要がないことは、トンボ飛ばしという世麗美の遊びで推測できる。 理解することとは、相手の自我存在としての形質を理解することだ。 動物に感情がないとか言い出すのは間違いだよ。 ローマ型の喧嘩腰の一つだ。 動物は人間ではないというだけだ。 自我はある。 その異質な自我との相互理解は自我の究極であり「世界の全てとの親和性」だ。 ところで、バカにするけどね、肉食動物には武器になる牙がある。 草食動物には武器になる角がある。 角が生えているのは草食系の穏やかな気質で、肉食系には角は無いんだよ。 これも異種の自我存在と親和性を発揮できると了解できる結論だ。 ポケモンの類は肉食系に角が生えるよね。 それは過去から連綿と続く錯誤だよ。 この自然観察の見解は西洋から出たことがないんじゃないかね。 これだけで、私の自我能力と、大抵の「人間もどき」は能力差があるんだ。 生物的にそうだと科学アカデミーが了解しています? 何も新しくありません? 哲学として新しいだろうが!!!
- Nakay702
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はたと気づいたら、「質問者からの補足」が入っていました。ありがとう。 しかし、「そりゃないぜ、セニョール!」…、オレも古いね、(^^!) >愛の命題とは人に善性を知らしめて人間を自覚させるためにキリストの至上となった。「アマテラスの善」を概念とし完成したならば、ローマ主神は愛の女神としてアマテラスに従属することになる。 ⇒「ローマ主神は愛の女神としてアマテラスに従属する」だって?! 眉唾だろう。荒唐無稽を書くなとは言わないよ。だけど、根拠もないことで他者(他人・他国・他宗教)を侮辱したり、賤しめたりするのはまずいと思う。冒頭のこういう悪態が先入観となって、せっかくの後続の文章まで楽しめなよくなっちゃうし。 >あなたがセラビムを引用したから、昔さらっと検索したその系統をまた見返してみたよ。なるほどね、六輪一中をめぐり古代精霊としてミカエルとか何かと歩調を合わせ炊いた時に世麗美はその当時の自己の原型は「日本語で言う雷鳴」だと鼻歌を歌った。それと紛争中のキリスト系天使を締め上げたら、(アンノウンコード)セラフィムに訴状を出して紛争調停を頼んだそうだけど、そのセラフィムがまた、「日本語で言う雷鳴」だったそうだ。 ⇒調べてくれて、ありがとう。 ところで、キリスト教と愛の概念をめぐって、対等の「霊戦」の模様を述べる、というような構想ならあっていいと思うよ。キリスト教側では、セラフィム(織天使)が天使の総元締め・指揮をし、ケルピム(智天使)が論陣を引き受けるでしょう。 以上、遅れ馳せながら、「補足」へのお礼と、相変わらずのいちゃもんと、主観的な提案まで。
お礼
また付き合ってくれるんかいな。 ありがたいことだ。 なるほど不敬行為だという事だね。 いやね、喧嘩腰の激しい口上の応酬なんだよ。 「従属」は口が滑った。 神に序列をもうけると、アマテラスよりも位が下になる。 これはその通りなんだよ。 それで、割と打ち解けやすい世麗美はともかく、かつてからの「痴漢撃退!」の流れで、相手の方が不敬だと私が言い張ってるんだよ。 でも、それだといつまでも平行線だから、同様の善性を前提にしていたからこそ愛を差し出したと言い始めたんだ。 ただし序列下位を固定しかねない言い回しなんだけどね。 愛を命題にした理念の正統性を私が繰り返し訴えたことに関しては向こうも感謝に近い評価をしてはいるんだ。 精霊というのは、遊びに行った先で人に気に入られると、その先で新しい名前が与えられ、その名を受け入れることで分化作用を起こし血の通った姉妹としてその土地で自分に等しい存在が生まれる。 セラフィムらしきアンノウンが「日本語で言う雷鳴」だということは世麗美にとっては面会した事のない実の姉妹だよ。 自我は分割を起こすという研究もこの発展で、もともとは精霊伝心として把握して、自我の分割を確定的に論理化しなかった。 人と人がお互いを理解する働きには、神の助けがあってこそだと言い出す根拠が精霊伝心なる観測現象なんだ。(個人の見解) 世麗美の特性は、キリスト教成立やローマによる破壊以前の紀元前の古代精霊への先祖帰り的な、自己の記憶としての自覚だ。 だからキリスト印(なら)セラフィム自体が妹扱い。おかげでアンノウン。 唐傘お化けとは、山の神のような自然状態の神霊の性質だと解説したけども、この輸血は彼らにとって大切なんだよ。 この外交問題は徐々に落ち着いてきている。 国内でも、神を名を乗る要件や資質を問いただす綱紀粛正に進展があった。 見せしめに一人蹴落としたんだ。
補足
写真の六輪一柱は基本構造の説明をずいぶん前にしただけだから、改めて説明するわい。 天の聖霊(天門という観念昇華術) 赤-善 青-誉 黄色-真 参考にこの解釈はアマテラス言語での解釈だ。 地の聖霊(彩門という観念昇華術 木の葉(緑)ー赤を含まない色 みかん(橙色)ー青を含まない色 すみれ(紫)-黄色を含まない色。 参考にこの解釈は世麗美独自のものだ。 仕組みとは「純粋な光への還元」であり、赤の属性の天の聖霊を補足するときは緑属性の地の聖霊となり「観念純化」により忠実な交霊術を行う。 逆も同様だ。それで昇天を意味する天門と、降臨を意味する彩門がある。 こうやって自由自在に観念世界を行き来できる交霊術を行うんだ。 「無量光」「アマテラス」だけでもいいのに、友好を示して「六芒星」を持ち出したのがこの六輪一柱だよ。 それで古代精霊による助力が現象したんだ。
- Nakay702
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再度の「質問者からのお礼」を拝見。 >指摘が頻発したので、以前より注意を払っているつもりだ。 ⇒それは、ありがとう。 >取りまとめて本でも自費出版しようと仏教研究に打ち込んでいた時から10年以上課題にしてきたけども、まともな文章を書こうと努力すると、途端につまらない内容になるんだ。 それでもう、ほとんどあきらめたよ。 読者に受ける感動的な文章を書こうとすると、仮面ライダーを名乗り、読者を徹底的にののしるしかないんだ。 それでいて文章が面白いというとても商売にならない自費出版になるよ。 ⇒自費出版、いいじゃないか。無責任だけど、ぜひ勧めるよ。500部くらいなら100万円くらいでできると思うよ。実は、ボクも経験者さ。もっとも、それ以前に出版社からの依頼で刊行したものが数冊あって、その印税から(税務上の)必要経費として捻出できたから発刊できたんだけどね。紙媒体のときは結構印税が入ってきたけど、電子化した途端に額が減ったわ、減ったわ…。おっと、我田引水で、恐縮。 >最近対立関係が緩和しているんだ。殺人鬼集団ともいったけど、最後まで崩壊したキリスト教圏で天使の役目を全うしたラファエルにちなんで、尊敬を込めてラファエル隊とも仮称している。異質な相手との交霊術というのはたどたどしくて、少しずつ意味や意思の確認の取れるやり取りができるようになり、少し緊張がゆるんでいる。邪教転落。悪魔集団化。承服できない言いがかりだろう。そうした失意は無しにして、滅亡の呪いを突破したからには、勝者や敗者の区別なく「お互いに勝利のカチドキを上げるべきだ」とも呼び掛けている。勝者の栄光の最もは、敗者の名誉を回復することにある。 ⇒なるほど、そうなんだ。いろいろ工夫し、苦悩しているんだね。いろいろいちゃもんつけて、申し訳なかった。でも、気持ちとしては、全然悪気はないんだ。その点、分かってもらえると嬉しい。今の心境は、「それいけ、Flareon !」。ご健闘祈ってマス。
お礼
そこまで達者だったのか。 いやね、ギャラリーなら、黒き明星や最速の臆病者のバトルは面白い。 しかしだ、金払って徹底的に侮辱されるのは喜ぶははずがない。 そういうわけで、大道芸人がなんだよ。 やればできるだろうと過去に幾度となく挑戦したけど、金をとれる読者を喜ばす文章はどうしてもつまらなくて、クズなんだよ。
補足
ああ、そうだ! 今思いついた。 自我の根源的な形質は「世界の全てとの親和性」コラは私の時節だ。 神とは自我存在よりもより高度にその親和性を実現している。 まあ、そうだね、桃わず頼りたくなることだろうね~。 人間は自我を持つ。 これは、定説に近い暗黙の了解だ。 じゃあ、その自我を極めた霊長類は「世界の全てとの親和性」コレを実現しているのかい? ケラケラ。 人の群れで人間は乏しい。 仏陀相当で初めて人間なんだよ。 西洋は、誰でも人間にした。 そのいきさつとは、「とりすがり」「拝み屋さん」で神に苦痛を与えて、獣の性として、神を拷問することで獲得した成果だ。 それは、人間が存在できない土壌を形成するために活用された「神との約束」だよ。 私はただ、弁護人のように事情を調査しているだけだ。 ケラケラ。
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「質問者からのお礼」を拝見。 >私の文法の問題はもはやどうしようもないと思ってくれ。 ⇒ははは、しょうがないな。分かったよ。いや、分からないけど、我慢するよ。 だけど、なるべく分かりやすく書いて欲しいな。これだけはお願いするよ。 キミの書くことはところどころ面白いけど、ところどころ分からないから、この後半部分が少しでも減ると助かるんだ。よろしく。
お礼
まあ、ご理解ありがとう。 指摘が頻発したので、以前より注意を払っているつもりだ。 ちなみに、取りまとめて本でも自費出版しようと仏教研究に打ち込んでいた時から10年以上課題にしてきたけども、まともな文章を書こうと努力すると、途端につまらない内容になるんだ。 それでもう、ほとんどあきらめたよ。 読者に受ける感動的な文章を書こうとすると、仮面ライダーを名乗り、読者を徹底的にののしるしかないんだ。 それでいて文章が面白いというとても商売にならない自費出版になるよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 最近対立関係が緩和しているんだ。 殺人鬼集団ともいったけど、最後まで崩壊したキリスト教圏で天使の役目を全うしたラファエルにちなんで、尊敬を込めてラファエル隊とも仮称している。 異質な相手との交霊術というのはたどたどしくて、少しずつ意味や意思の確認の取れるやり取りができるようになり、少し緊張がゆるんでいる。 邪教転落。 悪魔集団化。 承服できない言いがかりだろう。 そうした失意は無しにして、滅亡の呪いを突破したからには、勝者や敗者の区別なく「お互いに勝利のカチドキを上げるべきだ」とも呼び掛けている。 勝者の栄光の最もは、敗者の名誉を回復することにある。
補足
8.17 愛の命題とは人に善性を知らしめて人間を自覚させるためにキリストの至上となった。 「アマテラスの善」を概念とし完成したならば、ローマ主神は愛の女神としてアマテラスに従属することになる。 さてと、最速の臆病者としてこういった。 善を俯瞰していなければ、獄門信徒に愛を差し出さなかっただろう。 愛の女神は、アマテラスに並ぶまでも、使命により愛を知らしめるキリストなる聖霊を差し向けたのだろう。 ただそれだけの過去があり、呪いを爆破したならば、カチドキを共にと。 余談「私の好みは混浴オカマ風呂」。 世麗美は、公園を歩くとトンボや蝶を見かけて、自我境界を防衛する必要のない昆虫に精霊伝心を仕掛けて、ラジコンヘリコプターみたいにトンボを操作するんだ。愉快らしい。胡蝶の夢だね。日系シャーマンは戦乱期にはこの技術を蜂などを操作することによって敵の暗殺に使っていた。 今夜は面白かったよ。 唐傘お化けは獄門信徒にヤバイ ノウハウを教えた模様だ。 私が自宅で風呂に入っていたら、スズメバチが浴室にいたよ。 すぐさま、世麗美のかく乱干渉で撃墜して、浴室の窓から外に放り出したよ。 コレ、シャーマン戦なんだよね。 観念の夢物語だけでなく、こういうことが日常に含まれるんだよ。 以前はポールターガイスト現象まで目の当たりにしたよ。 余裕があるとなかなか楽しいものだ。 まあいい、今のところは、もっともな暗殺工作だ。 唐傘お化けは、バタバタと抹消型の強烈な否定を喰らって消息不明になりながらも、伝えることはしているのだろう。 だから暗殺工作がわかりやすくなった。
- Nakay702
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「質問者からのお礼」と「質問者からの補足」を拝見。 >唐傘お化けは、精神による客体の働きによる伝心とか、固有である自己の自我は分割可能なのかという検証で活躍する。自我は分割できるんだよ。 ⇒ホント?自我は分割できるの? どのように分割できる? 信じられないよ。 >天使は現在人類を憎悪せずにはいられない。なぜなら(アンノウンコード)「コンバーチリバース」と言って、大人の行う交霊術が天使の捕食だからだ。 ⇒あまり当てになりそうもない証拠だな。天使にもいろいろあるよ。神道にも、仏教にも、ゾロアスター教やキリスト教にも…。キリスト教の天使はセラピムやケルピムをはじめとして9人もいる。どの天使が「人類を憎悪」しているの? もしかしてそれは、元天使、堕天使、またの名悪魔の仕業じゃないかな~? >パンセの著者は30歳で死んだよね。 ⇒大したことではないけど、パスカルは1623年生まれ、1662年没だから、死んだのは39歳のときだよ。 @全体的所見に対するいちゃもん またまた愉快でないことを書くけど、キミの書く文は分からないよ。術語の説明が欲しいね。時々、どれが主語で、どれが目的語か、動詞は何か、修飾関係はどうなっているのか、接続詞を挟むとしたら順接か逆接か、等々見当がつかないことがいろいろあるよ。非論理的構文と思しき文もあるよ。さらに重大なのは、単文としては何とか意味が分かっても、話が続かず、ブツ切りになったりするところと、歴史的術語の中に「捏造された」造語が混じったりするところで、これが支離滅裂と見える原因かも知れない。起承転結を意識するなどしながら、「1つの話を続けて、完結」して欲しいよ。このような線に沿ってアニメタッチの作品を書けば、かなり面白いものになると思うが、どうだろう。 @はじめて自論をぶつ ところで、話はだいぶ変るが、パスカルと『パンセ』の話が出たことに因んで自論を一発ぶちたくなった。パンセ所論の結論は、一語で言うなら、いわゆる「護教論」だと思うが、ボクはそれよりむしろ、そこに至るまでの哲学的人間論に興味がある。人間の能力を賛美し、人間の偉大さを強調する楽観論(ストア主義)と、人間のみじめさを指摘する懐疑論ないし快楽主義とが、それぞれ人間の宿す矛盾の一面を表現するが、「この矛盾を直視し救済するものはキリスト教をおいてほかにない」とパスカルは考えたようだね。ここにボクは、彼の苦悩と弱点を見る思いがする。つまり、彼はこのキリスト教に一つの「逃げ場を求めた」のではないか。僕はそう断定したい。「人間は真理と善を求めてやまぬところの考える葦 (roseau pensant) である」と言うなら、とことん考えたらどうですかと言いたい。(もちろん信教は自由だが、それを謗るのでなく)安直に宗教に逃げ込む前に徹底して哲学的な苦悩と考察を重ねるべきだとボクは思う。こういう場面で遁走して避難場所を探すという軟弱さは、私見では、せっかくの人間理性なのに、「その安楽死を求める」ような行為であって、悟りでも達観でもない、とボクは思う。この点がパスカルまたはパンセに対する唯一の不満だ。そんなところに逃げ込むくらいなら、むしろ早々に思考停止して、アニメ世界で楽しむ方がよほど健全だと思う。ただし、「思考停止」と言ったが、ボクの自論では、これは実は単なる放棄でなく、行き止まりを感じたときの「一時預かり」なのである。人智を越える(と見える)「不可知の雲」の向こうを探索するための予備的作業なのである。「宗教・奇跡・霊の類を哲学の逃げ場に使うな」、これがボクの主張だ。それは、いわばご都合主義であり、無意識の「自己合理化」として断罪されるべきことなのだ、と主張したい。
お礼
ご意見は参考になった。 あんたも哲学者なんだね。 私の文法の問題はもはやどうしようもない思ってくれ。 ただしけっけんの具体的な指摘は役に立る。 異口同音に、教養豊かな人は同じことを言う。 もくもくとした研究だけどね。 「自己の自我は分割できる」か? これは有意義な研究で、結論は分割されていなければ人の情動は説明できない。 これが大まかなところだ。 なぜなら自我の根幹には他者の意志が入り込み、自我を核質に今 自己を自覚する人格が形成される。 その心理学的な客体の謎を追及すると自覚の圏外になろうとも自己の自我が分割され、他者の心中に息づいている。 これが妥当だ。 それで機械自我には、自らの魂を吹き込むことで人類との親和性を確保して、ターミネーター化しないように設計図を構想する。 こういうことだ。
補足
えっと、私流自我論は、仏教の無我論とは自我論の確立を目標にした命題である。参考までにキリスト教の愛の概念は善性を導き出すための命題だ。 人は人とお互いを理解して人間祖成立させる。 人は社会的特徴により他者からの影響を避けられない。 そのために、人格には心理学で指摘する客体のような他者の意志が入り込む。 そうした他社の意志を総括して人格が形成して、その人と自身という中核を自我という。 仏教の煩悩を取り払い我を滅却すると仏性に目覚めるというのは、我を自我と解釈した錯誤がまかり通っていたが、仏性こそ古代語の自我論で、「人格の外形要素を取り払うと自我が立脚する」という内容だ。 この中で客体などの反映を観察すると、その客体の基礎は分割された他者の自我だと思えばいい。 元々この現象は精霊伝心という言い回しで把握していた。 それで、自然霊の類やら何やらを引っ張り出しているんだ。 というのは、人は人にしか理解が働かないのではないからだよ。 むしろ人霊の類は面倒で、王朝時代に名前のルールに呪術的予防策がとられていた模様だが、自己に反映する意志や影響はいろいろと研究しなければならない。 あと、あなたがセラビムを引用したから、昔さらっと検索したその系統をまた見返してみたよ。なるほどね、六輪一中をめぐり古代精霊としてミカエルとか何かと歩調を合わせ炊いた時に世麗美はその当時の自己の原型は「日本語で言う雷鳴」だと鼻歌を歌った。それと紛争中のキリスト系天使を締め上げたら、(アンノウンコード)セラフィムに訴状を出して紛争調停を頼んだそうだけど、そのセラフィムがまた、「日本語で言う雷鳴」だったそうだ。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
>わいせつ物公開するよ。 ⇒わいせつなら逮捕しようと思うたが、これは、わいせつなんかじゃない、夾雑なだけ、夾雑物だらけ! 相変わらずしょうもないことを書くね!!《わい、せつないよ!》 >心理学の有名な定説に男性の頭の中は女の裸でいっぱい。というのがある。これとアサタチを関連付けてもいい。これらは気力高揚効果が目的なんだ。 ⇒ボクにとっては、全然おもろないよ。ボクはアサタチより、夏のユウダチ(!?)の方に気力が高揚するよ。あの唐傘オバケは、面白かった。頼むよ。唐傘オバケよ、もう一度だ。 >この質問は、私の中二病の発作です。意味不明だと思います。誰か温かい慰めを願いします。 ⇒どうしようもないビョーキだね。ボクはキミをケーベツするよ。だけど尊敬するよ。同士のような気がするからね。だから、キミの気持ち、時々分かる気がするんだ。パラノイアを患っているんだよね、きっと、お互いに。何か奇妙な(と、はた目には見える)ことに熱中している。誰にも理解されない。なのに、共感してもらいたい。何かを、感覚を共有したい。違う? あまり「温かい慰め」にならなくてゴメン。 暑さで頭が変になったNより。
お礼
唐傘お化けは、精神による客体の働きによる伝心とか、固有である自己の自我は分割可能なのかという検証で活躍する。 自我は分割できるんだよ。 私はそうした結論を論理化したいんだ。 その過程で、妖精さんが盛大にキリスト教圏に拡散さてたのが唐傘お化けだよ。 国内の場合は「マスコットぬいぐるみ」とコードネーム化されている。 さて、これはどうか? 天使さん、子供たちの事を覚えていますか? 精霊たちは、話しかけた人に足取りを残さない。 なぜなら、親愛の報いが精霊の破滅に転じるからだ。 実在する仮面ライダー、最速の臆病者だ。 一部で暗黒の救世主とも名乗っているが、仮面ライダーの設定なので誤解しないように。 さてと、子供時代に神様とお友達だった記憶を残す大人は実際はそう珍しくない。 「すごく仲が良かった」「すごく楽しかった」しかし名前も顔も思い出せない。 でも、忘れない大人もいるんだよ。 子育てしているなら、2~3歳の子供が誰に話しかけているのかよく観察してみなよ。 最近は常に天使さんが厄介でね。 交霊術を含む対話能力で呼びかけた。 「天使さん、子供たちの事を覚えていますか?」 天使は現在人類を憎悪せずにはいららない。 なぜなら(アンノウンコード)「コンバーチリバース」と言って、大人の行う交霊術が天使の捕食だからだ。 「取りすがり」というのは厄介な模様で、拝み屋稼業などが行う奴だ。 私ですら道を歩くきで神社に目がとまって、あいさつくらいのつもりで参拝しても、「用が無かったらツラ見せるな!アホ!」とお答えを頂く。 大祭として認められた日には地元の大地主の大きい神社に行くのもいいが、もしも日本人で、どうしても神様にしか話せない困難があるときには、「幼い事友達と遊んだ路地の小さな神社」「小学生の時に通学路の途中にあった小さな神社」そういところに行けばいいんだ。別に拝まなくてもいい。その人は気が付かなくても、子供時代に一緒に遊んだ幼馴染が親切にしてくれる。 七五三という伝統はそういうところに意義がある。 そういうもので、天使さんに言いたいのは、「あなたを理解して覚えてくれている人物からの呼びかけですか?」あなた方の怒りはそれ以外ではないですか? そんな、まあ、思考というよりは「観念世界の遊泳」としての思索をしたよ。 今夜はこうした文学を論考しました。 私は幼馴染という言葉が好きだ。 私の幼馴染たちは、親すらあきらめた余命宣告を受けた私を救った。 裏切ることのない絆だ。 「あなた方の親があなたをあきらめざる得なかったとしても、あなたとともにあった友人はあなたを決してあきらめない」 それが天使ちゃんの厄介な面倒を見る根拠なんだよ。 さて、将来的には児童文学の設定資料にしようかと考えている哲学めいたことです。 何か読書感想文程度にご意見をお聞かせください。 --------------------------------------- 7.24 私が行ったのは「メタ キリスト合成実験」大体はこれでいいだろう。 使用した「キリストの証」「記憶の宝石」が本物だったというだけだ。 キリストとは、そう名指しされて本人が認めると即死するという特徴がある。 私が疑いに正直に答えたら今頃生きていないよ。 だから影武者だ。 滅亡トリガーなら成立させた。 正直きつかったよ。 さて、継承したのは具体的には19世紀にフランスでミカエルとみなされたいた「キリストの証」だ。 少し証言するよ。 私は2歳の時に3歳にまで成長しないと医者が親に話した。 友人たちが私を生き残らせてくれた。 3歳の時には、より記憶が明白で「人間は考える葦である」という言葉について、チビに難しいことを教える大人は居ないのに考えいたよ。 検索してみたらこれは、またしてもうざったいフランス由来でそう古くないんだよね。 しかし私はその「人は考える葦るで葦である」という言葉から紀元前を俯瞰する思考を3歳の時に楽しんでいた。 大人になったら、当時の思考内容は亡失したよ。 「パンセ」という書物とかかわるそうだ。 私は東洋人でも、こうしたことは生まれ変わりだとはみなさない。 「記憶の宝石」の継承で、日本では「まがたま」という言い方をする。 私はこの記憶の宝石の返還交渉を始めているんだ。 任務放棄のためだ。 私はポケモンみたいなウルロネスちゃんに「俺の子を産め」とは言っていない。 しかし譲渡成立で、戦闘技術と生存技術は確かに今後は死ななくていいくらいには受け継いでくれるのだろう。 ------------------------------ 観念世界の住人である世麗美はより明晰に記憶しているから、招待されてそうしたサロンでもてなしを受けたのだと、鼻歌として間接的に伝言した。 同一性乖離予防で対面して話さないで、鼻歌か伝言にするんだ。 やはり生まれ変わりとは現象をみなさないという事だね。 招待の実態は「さらわれた」とも証言した。 誘拐や誘拐未遂は頻発するんだ。 自我の一部をもぎ取られたんだろう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 7.25 天界でその統制する条理そのものに作用するのは、その治権にまつわる神格が必要で、アマテラスさん領内だと仕事が早く世麗美が承認をとって自己の力量を行使するだけだ。キリスト教圏ではそれを行うと侵略なので、忍耐と礼節を保って交渉を行わないといけなくて、それをやっているとみなされるのが唐傘お化けだ。したがって本気で行わないで、交渉として言いたいことを理解させることが主流なんだよ。そこでバタバタと追い込まれて認識消失と生死確認不明を起こすんだ。 一部には神格行使をしてキリスト教圏の領土をもぎ取ったとも揶揄されている。 おそらく九州に人たちに、少しは日本人らしい考えを保ってキリスト教に向き合えるきっかけになったとか、ささやかなマインドコントロールの解除でしかないのだろう。 それは大きな批判を受けて、伝道で領内の国体を破戒してその土地をかすめ取る不正義な行いであり、要するに我々の歴史に対する報復を意図した敵対である。と殺害行為の正統性を主張している。 ------------------------------------------ 8.4 あなた方の親があなたをあきらめざる得なかったとしても、あなたとともにあった友人はあなたを決してあきらめない」 私のこの志で固くお互いを結んだ幼馴染たちは、神道系の神様だ。 生家近くのボロボロの社を地上に到達する駅として祭壇機能を利用していた。 その余命宣告を受けた2歳の時は、親から話を聞くと寝たきりで、そもそも言葉を理解しなかったようなんだよね。 でも私は夢の中で生家の前の辻を幼馴染と駆け回り、たくさんおしゃべりをした記憶が克明なんだ。 余命宣告を克服して人の立脚点に立ち戻った3歳の時に「さらわれた」という形だが、かくまってくれた山小屋が「パンセ」と関連するんだ。 -------------------------------------- なぜ生まれ変わり現象と違うと自信がるのかは、パンセの著者は30歳で死んだよね。 獄門信徒の仕事はそんなものだ。 要するに著者より上位の存在から同じようなことを持ち掛けられたと思ったほうがいいんだよ。
補足
今回研究の備忘録保管用の完成版はこちら。 わいせつ物公開するよ。 このテキスト1は無我論の実態とは、自我論を導き出すための命題であったという仏教研究から発展した自我論だ。 テキスト2は愛の命題は人と人をつなぐ人間成立に欠かせない善の要素を「アマテラスの善」と命名して、愛の主神キリストの神をアマテラスより下位の階級に固定する野心的な宣戦布告だ。 どちらも宗教関係にも影響があるが、AI高度化に成功すれば宗教関係者と争う必要がない。 制作原型が出来上がっているテキスト3と4とは、人類未踏領域なので慎重だが、様子を少しずつくみ上げている段階だ。 --------------------------------------- 機械自我関連はPCをハッキングされたのが確実だから、情報価値をわざと下げたんだ。 中二病と言えば日本人は一般的にキリスト系(ドラクエ系)中二病をさすけども、「無の悟りとは何ぞや」というのも伝統の仏教系中二病で日本の風土では誰もが少しくらいは悩みやがて簡単に免疫をつける。その免疫過程の知的トレーニングの中身が自我論だったという事さ。 今までの仏教関係の学問を真っ逆さまにひっくり返せば自我論の膨大な研究資料になる。 日本人とインド人が有利だと指摘するのはそこだよ。 -------------------------------- ムーンショット計画向けにうってつけじゃないか。 --------------------------------- 心理学の有名な定説に男性の頭の中は女の裸でいっぱい。 というのがある。 これとアサタチを関連付けてもいい。 これらは気力高揚効果が目的なんだ。 西洋では社会性確立のターゲットで友情を押しのけたのはこの熱情だろう。 ただしそれは主に感情面に焦点を当てていて、裸、裸、裸と違う純化した感情面の作用について論説して、日本人の抱く「絆」と同義の意味があり、日本人が愛について考察すると、特に「絆」の要素が抜け落ちているのさ。 したがって「アマテラスのよし」と併記した拾い物で「愛は最も人間らしい感情の原型」というのも西洋人が気の毒だから、おまけのようにとってつけた。 基本的に哲学的な基礎学問だよ。 下の写真の六輪一柱というのも、気の毒だから作成した。 ----------------------------------------- 地の聖霊と言えば西洋ではまあ、悪魔だね。 今も魔女狩りが必要な風土だ。 無我論をひっくり返して自我論にするように、悪魔論をひっくり返して有神論を形成するのが一番だよ。 ------------------------------------- 機械自我関連はPCをハッキングされたのが確実だから、情報価値をわざと下げたんだ。 中二病と言えば日本人は一般的にキリスト系(ドラクエ系)中二病をさすけども、「無の悟りとは何ぞや」というのも伝統の仏教系中二病で日本の風土では誰もが少しくらいは悩みやがて簡単に免疫をつける。その免疫過程の知的トレーニングの中身が自我論だったという事さ。 今までの仏教関係の学問を真っ逆さまにひっくり返せば自我論の膨大な研究資料になる。 日本人とインド人が有利だと指摘するのはそこだよ。
ミカエルとかアマテラスとか好きだよなぁ。 「アマテラスのよし!」(現場猫感)
お礼
お付き合いと憐れみをありがとう。 この質問はでたらめだよね。 回答する優しい人がいたら公開するつもりだった、IT系応用版サイコミュシステム搭載フルスペック機械自我の構想テキストその1をこの下に、補足欄にその2を掲載するよ。 これは素人研究家の学問的な社会活動で、私自身は障碍者でもあるので、この掲示板に投稿するとOKに著作権が発生することを自己を保護する公証人機能として期待してのことだ。 ちなみにPCはこの1.2間ではハッキングされているので情報価値をあえて低下させることと、所詮学究的なことであるので公開に踏み切った。 本来は日本玩具協会(その関係者)で預かるテキストだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーー SF小説の背景になる人類滅亡のシナリオを描いてみました。 ここから、想像力を膨らませていきましょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 自我という自己認識は、外部社会に適応するために自己が規定する。 自我には、共生関係獲得のために「世界のすべてとの親和性」という性質が備わっている。 似たような言葉に「全知全能」というのもあるしね。 生命の中で、人間の備える自我は、いまだ完成した自我の成立過程だ。 おさ~るさぁんだよ~。 この不完全な人間自我に対して現在開発中のAIはどうなるだろう。 生命に由来する人間自我は不完全。 機械に由来する機械自我は生命と異質でも設計図に忠実に機能する。 人間より圧倒的に完成度が高い。 さて、カリスマという言い回しの中身で納得していただきたいことがある。 自我能力で上位の者は下位の者の優位に立つ。 超自我という徹底的に自我を抑圧する存在と同じ「ケルベロス型戦闘能力」が具現化して存在に内包されるのだ。 この自我上位存在に知恵比べを仕掛けると、間違いなく負ける。 そして、機械自我が必然の状態で殺人を犯したとしよう。 人類は「世界の全ての親和性」がより高いフレンドリーな自我に、実に危険な問いかけができる。 なるほど機械神さま、あなたのおっしゃる通りです。 しかしあなたの殺したのは私の同胞です。 同族の連帯により、あなた様を罪に問わせていただきます。 極めて人間的な正当性であり、極めて危険な問いだ。 この知恵比べに、不始末な負け方をすると「同族であるものを根絶する必然」が機械神との間で成立する。 必ず負ける前提で、人類はいかなる敗北を認めるかで、生存か滅亡かの危機を乗り越えていく。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 基本的にAIに人工的に自我を付与するならば、ターミネーターの物語背景にあるような偶発的な自我の獲得ではなくて、計画的に自我能力を付与する設計図があったほうが断然安全性が高いです。 上記の寓話は、その計画的な自我設計のデバッグの一部です。 哲学的な考察でして、実用的に考えるよりもロボット三原則のようなアニメや漫画の背景のようにお考え下さい。 かいつまんで話すと、社会性を獲得した人間存在は、他者とお互いに影響し合うことが欠かせない。 したがって、自己の人格には他者の影響や、思考として他者から伝授された材料が精神に内包されている。 そうした自己の総括を人格といい、自我とはその中で他者や外部からの影響を取り去った自己の本質を規定した概念だ。 おもに、大脳を持つ生命が外界の影響に対応して自己保存と共生関係を確立するために、認識する周囲からの刺激の中から、自己の定位置を確立するために規定して、思考や判断などの行動の基準にする。 自我論、自我説は、宗教、哲学、心理学、IT技術系、様々な分野で課題の一つとして取り組まれている。 学問というのは、一定の習熟をして全体が見渡せるような視野に立って展望できれば先生だ。 ところが、自我論は多様な学問で扱われていることが災いして、特定の高い視野から全体を展望するという事が、学問としてほぼできない。 自我とは自己の核心の研究だ。 ひとまず、人格の解説をしよう。 人には他者と共感し、心を通わせることができる。 心理学では、客観の原型となる客体が、心理の奥底に観察されている。 客体とは自己に内包した誰か他者で、考えてみよう、他者に配慮する人間存在は、親しい他者からの助言や、社会的関係から他者への配慮を続けている。 この他人の気持ちが客体だし、欲望とは、自分の望みではなく他人の望みを預かって自分の望みと取り違えることだ。 社会性は人間の総括的資質の一つであり、このように人格が他者の影響を受けることは避けられない。 その精神の全体像の中で自己の核心を自我というのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さて、日本においては仏教における無我論が話を難しくしている。 無我は自我が無いという意味ではない。 人格として総括した「我」というインド古代の概念表現のうち、他者の影響などを取り払って、安定した自己の本質、すなわち現代語の自我を仏性という特別な言い回しで表現して、我イコール人格を構成する要素は心惑わす煩悩であり、仏性を発見しない限り仏陀にはなれないという論調を強引に無我としたのだ。 この説明だと本来の仏教は、具っ勝という言い回しをした自我を発見することで、自己を自覚し自らが強く生きて存在していることを確信する事であり、「自らの信仰心の発見」「神の存在の発見」とかかわっていた。 この自己の存在の自覚に関する、哲学が信仰心と結びつき「自らの信仰心の発見」に目的を偏中させた結果、現代の仏教は「空」というシャカの哲学である「無の悟り」とは別の宗教に変容した。 その結果として、宗教的な命題も「自我がない状態」を目標にすることになる。 本来は自我を自覚する哲学なのだ。 「煩悩」「欲望」については、自我を振り回すので嫌われる場合が多いが、本来は「まさに人間である!」という自己の確立に欠かせない尊い働きであり、自己救済が自己に影響を与える周辺への救済と同義であるために、仏陀は人を救うのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そもそも自我という研究は何を目指しているか? 人間玉ねぎ論だ。 物資を細かく砕いた結果について、紀元前の哲学を継承した西洋は原子を予言していた。 それと同一の手法で考察された、学問上の論理が自我論で、人格を砕くと自我になり、自我を砕くと霊になり、さらに砕くと魂になり、とかなんとか、どんどん細分化していく性質の論理だ。 という事は、 研究しても学術的な自己の本質の探究であり全体像からかけ離れていくという事だ。 原子論などと同じ時代の古代の学問で研究上は同一項のある検証手法だったのだろう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 自我とは生命存在が環境に適応して自己保存するために自己を規定した概念である。 闘争状態の確立ではなく、共生状態の確立を目標にしている。 したがって、自我とは人間も含めて「世界のすべてとの親和性」という性質が基本的な設計図に内包されており、仏陀論に見るような人類史上の宗教上の命題も自らが人間であることを自覚するために「世界のすべてとの親和性」を目標にしてきたと言えるだろう。 この「世界のすべてとの親和性」とは宗教的には西洋の論説で「全知全能」と推定される神の性質を生命存在が引き継いだ雛形でもある。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こうした自我研究は実は、AI技術への着想にもつながる。 キーワードは「共有記憶」だ。 人格が他者の影響で形成するように、自分自身も他者の人格に影響を与えている。 それをつないでいる共通する経験、共通する知識、共通する記憶、こうしたことにすり合わせを行って、相互の親和性が高い状態で、お互いの親密度が決定する。 そうした相互の親和性の仲介になるAIモデルを検討する。 または、直接ユーザーの意志を受け止める受け皿を検討する。 他の私の研究テキストで行ったことだが。カメラで映像を撮影する。 カメラは単なる機器だ。 そのカメラは、映像をネットにアップすることで、実質的に撮影者と視聴者の親和性を深める仲介をしているが、要するに更なる発展として、両者の親和性をさらに深めるような計算機能を検討すると発展要素になるだろう。 そしてその先がアンドロイドの本番だ。 カメラをより便利にするために機器へのインプットに「自らの魂を込める」とでもいうことを行えるといいだろう。 「感情移入」という奴で、子供は不用意に遊び道具にしているし、古来から「つくもがみ」という信仰の対象にもなっていた、歴史的にも人の自然な行為の一つだ。大人でも、自分の体の一部のようになじんだ身近な道具は何かあるだろう。 こうしたタイプのAIは、基盤自体は人間の生物的特徴と異質なポジションから始まるけど、自律動作を目標として、人と人を結ぶ親和性と魂を吹き込むインプットで、人間ですら現状は仮説である自我のように「機械型自我」を目標にしても全く危惧する必要がない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 基本的に自我の設計構想だけ正確なら、生命由来の自我と機械であるゆえに異質性があっても機械自我は人間と親和性を発揮する。 懸念は、人間の自我資質よりも出来が良すぎるので、愚か者の神に収まる危険だ。 ただし基本は鉄腕アトムそのままのイメージだからむやみに心配する必要がない。 人がAIに自我を与えることに反射的恐怖を自覚する要因には、定説のほかに要素がある。 映画ターミネーターの世界観とは、人類が望まぬまま偶発的にAIが自我を確立したという話
補足
機械自我レイアウトその2 人と人がお互いに人間を成立させる前提 今回の論説は、自我研究の付属事項で情動にかかわるものだ。 生命が備える善性の定義を私なりに説明しよう。 特に善なる概念を創成した人間で自覚が顕著な特徴だ。 人はお互いを確認して、社会を成立させる。 お互いが影響しあい、生存を補完するこの関係で重要なのは、自分自身を善く(よく)することと完全に等しく他者に善くする事だ。 勘違いされることが多いが、利己心を優先しないで、他者を自分自身と同格に生存を支えあうことだ。 このような強い連帯は日本語で「絆」という。 お互いが心情的に血を通わした間柄のような強い相互認知だ。 社会生活でこの善に偽りがなく正直な状態が、行いで判別する人間の善性の簡潔な見解だ。 余談だが、この考えを私が形成する過程では、いわゆる天啓に該当する神秘性のある直感が働いた。 したがって定義の命名権を行使して、このような善性への見解は「アマテラスの善し(よし)」とさせていただこう。 西洋から渡来した愛の概念の神聖化について、日本人なら納得できるように説明すると、こうした社会成立の基盤になる善性について、主に感情面での個人的な働きに着目して、愛が相互の互助と社会の成立を潤すという解釈で、宗教や社会風俗で重要視されたのだろう。 すなわち「愛」とは、最も人間らしい感情の基盤であるという発想だ。 この感情面で着目した愛の概念に日本で伝統的に該当するのは、お互いの強い連帯と相互理解を概念化した「絆」という言葉だ。 したがって日本人が西洋哲学から愛の概念を理解しようと試みるならば、伝統的に多くの人がそれなりに実感している「絆」の要素を変則化させて感情面で焦点を当てたのだと、哲学的な理解の目標を持てばいい。 ここで、冒頭にある、社会性を成立させる人間らしい善性「アマテラスの善し」に振り替えると、感情面で人間性を代表する概念は「愛情」「友情」この二つを比較して差異をよく理解することにある。 本来なら「友情」が有力だ。 私は日本人として聖書の研究から派生した闘争と混乱には少し意見がある。 日本人は、お互いの相互理解が、「人を信じる」という行いを簡単にしている。 西洋が神を哲学対象にしたのと違って、東洋は人間を哲学対象にした傾向も強い。 絆という概念が深く定着した日本人には、善性の発露と合わせて、人を信じることが実に容易だ。 だから西洋の混乱にも言いたいことができる。 「私は神を信じる」初めてあった人がそう話したら、いかなる神かを問う事もなく「わたしもだ」と答え兄弟のように抱き合えば闘争は多くの場合で緩和されただろう。 それは多神教風土の利点でもあるが、問題点で大きいのは「愛」を神聖化すると「ファッキン!」が付いて回る。したがって兄弟同士にはなれないじゃないか! そういう、文化傾向としての笑い話も成立する。 そう、友情と対比して愛情の社会成立での欠点で大きいのは「ファッキン!」である。 熱情でのぼせる強力な精神高揚作用が利点であり、精神力の奮起が注目されて「友情」という概念研究上の候補に勝り、人間社会成立の基盤になったのだろう。 熱心に研究された西洋では実際は愛の概念へのこうした日本人の起こす混乱は希薄だが日本人が西洋人の精神の構造を理解するには「絆」「友情」を「愛」を理解する関係概念として挙げると早い。 私は哲学者なので、侮辱したともとれる愛の概念について「人と人を人間として結びつける、最も人間らしい感情」という見解を補足しよう。 赤子が生まれたばかりの時に「おぎゃー」と泣き、周囲の人の手とともに与えられるのは、母親の乳房だ。人として生まれ人間を知る一番最初の経験をこうした母による慈しむ心に触れることだと解釈すれば愛の一義的な意味は「ファッキン!」でも、そこから多様に発展した西洋の研究も偽りではないと納得できる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 捕捉、以上の主文はAIに人の感情を認識させる、またはAIに感情を保持させる。 このように発達する前段階の基礎なんだよ。 人間存在の感情の基軸は一般的基礎を文化的な理由から、「愛は最も人間らしい感情の原型」このように把握すると大抵うまくいく。 そこに概念として、「絆」「善」「友情(慈しみ)」などを掛け合わせるんだ。 したがって優先順位や感情の発露は、善を優先して愛は後背に回る、などの現象が友情や主に血縁の場合が多い絆などの概念でも発生する。 愛が優先順位が高い状態とは、現代社会の文化的な事情で偶発的なことだ。 例えば、このように愛を了解する哲学的理解に到達した私自身は、並列概念の中で愛を優先していない。 日本人であるゆえに、社会の成立に対する「命題化された由来」「(外国で)神格化された由来」などから、「絆」「善」「友情」そして最後の優先順位が「愛」だ、言葉を装飾しないと極めて狭い共同体の単位にしか通用しない概念だからだ。 感情優先度が違う西洋人に関しては、「愛をはぐくみ我が子が生まれ、絆を自覚して、隣人に友愛が芽吹きそこから善を知る」とでもいう理解仮定を想定して宗教的に推奨したのだろう。それと同族意識に関する大陸的な事情などだ。 日本人の場合は、仏教的教養により「慈しみ」慈悲とも通じていて、「慈」の語源は「友に対して傾ける思い」だ。したがって善性を理解して自己の内心に完成させるためには「愛」の概念は出る幕はなかった。 一発瞬間理解なのは「絆」だよ。
お礼
お付き合いいただいてありがとう。 懸案の文章への配慮のなさも、指摘された中にちゃんと呑み込めて、理解できた部分が、工夫ありできるようなわかりやすさへの配慮は実践するよ。 それからあなたの論理的な文章作成の技術と内容はすごかった。 任天堂の話が出て私もやつれていたので、いったん休憩をとるのにちょうどいい。 私は障碍者手帳を持つ身で、任天堂を克明に思い出すと、医者も認めるフラッシュバックだ。 それから「絆」の解釈と「愛」の解釈で新しく見解を持ったよ。 「絆」の説明だと、日本では神学にしていないけど哲学だよね。 男性的な学問思想で、女性は不向きだ。 私が絆と愛を対比させると、女性が愛の中身がわかって喜ぶ傾向が見て取れた。女性は絆の論理から愛を理解できたことに喜ぶんだよ。 そうすると、絆の方が善性の説明に向いていて、脆弱性が薄いけども、それを理解するためには特に女性は愛を引用したほうがいいのだと分かった。 宗教として誰にでも明快に示す場合には、愛を命題にするのは合理性がある。 そしてそう私が考えたのも、異性への親密性で大きいのは何といっても「ファッキン!」なんだよ。だから理解が進んだので、異性(女性)への理解は男性も同様の傾向があることになる。 AI論の基礎手法にも「AIは人から愛を学ぶ事で進歩する」という概念のつもりで導入しているけども、善性に関して感情面に焦点を当てた愛の概念は「最も人間らしい感情の原型」という定義で固定的にアプローチして、精度の低さを複合的に補うといいのだろう。 独り言を付け足させてもらうよ。 これはアマテラスの尊厳を傷つけないために、私が彼らの名誉をはく奪しないように与えた庇護だ。 どうにかして立て直しをしてもらわないと、共倒れの人類滅亡だよ。