- ベストアンサー
どこまで言葉の揺れが許されるのか
世界史では教科書や参考書によって 言葉が異なるものが多々あります。 ある教科書ではモヘンジョ=ダロなのに 別の教科書ではモエンジョ=ダーロというのもあります。 この場合、記述問題の解答として どこまで言葉の揺れが許されるのでしょうか? この件について、何かご存じの方がいましたら 教えてくださいませ!
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>どこまで言葉の揺れが許されるのか 大学入試では選択肢問題が多く、記述式は少ないのでといっても問題の解決になりませんが、一般的に、表記の揺れについては、別解の形で処理するのが一般的です。その範囲は、教科書に用いられている表記は認めるのが原則です。例えば、「モヘンジョ=ダロ」が標準解答の場合、「モエンジョ=ダーロ」が高校の教科書にとられているならば、公表するかどうかは別として、「モエンジョ=ダーロ」は別解例として採点者に示しておくのが普通です。 地名・人名などの固有名詞を中心に、英語読み、母国語読み、日本の慣用読みなど幾種類もあって表記の違いが昔から見られます。以前に比べれば改善されているようですが。 質問を見て、次のような川柳を想い出してしまいました。 「ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い」 以上、参考まで。
その他の回答 (1)
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.1
こんにちは。 歴史の方は判らないですけど、化学では結構すごいですよ。 アトラセン=アンスラセン シュードクメン=プソイドクメン 英語系とドイツ語系の先生が混在してる事が原因なんですけど、関係者同士では意味が通じるのですが、部外者がその会話聞いてたら完全に混乱しちゃいます。(笑)