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Psychoanalyseなのに何故「精神分析」と訳す
「精神分析」のドイツ語原語はPsychoanalyseですが、何故「心理分析」と訳してきていないのでしょうか?
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#2,#3,#4です。 #4の回答中に誤りがありましたので,訂正します。 ×1887年(明治20年)にはドイツ帰りの榊俶が帝国大学医学部の精神病学(Psychiatirie)講座初代教授となり, ×1888年(明治21年)にはアメリカ帰りの元良勇次郎が帝国大学文学部で精神物理学(psychophysics)の講義を行なっています。 ○1886年(明治19年)にはドイツ帰りの榊俶が帝国大学医科大学の精神病学(Psychiatirie)講座初代教授となり, ○1888年(明治21年)にはアメリカ帰りの元良勇次郎が帝国大学文科大学で精神物理学(psychophysics)の講義を行なっています。 失礼しました。
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- Diogenesis
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お待たせしました。 #2,#3です。 (承前) では Psych- の訳語としての「精神-」はどこまで遡れるでしょうか。 ラテン語の psychologia は16世紀の文献にまで遡ることができますが, Psychiatrie,Psychophysikなど,Psyche に由来する造語の多くは 19世紀のドイツ語圏で考案され普及したものであるため, 江戸後期の医学の範となった18世紀までのオランダ語文献には登場しないようです。 たとえば,オランダの医学書に学んだ宇田川玄真が著し, 江戸後期の医師たちによく参照されたという『醫範提綱』(1805年)には 「脳髄精神之府」という記述がありますが, この「精神」は geest(蘭)ないし ziel(蘭)に対応したものでしょう。 これがドイツ語からの翻訳において Geist(独)ないし Seele(独)の訳語として受け継がれ, 類義の Psych-(独)にも当てられるようになったというのが真相に近いように思われます。 オランダ語翻訳の時代に先例があったと受け取れるような書き方をしたことをお詫びします。 正確なところを知るには幕末・維新期の医学書や哲学書, あるいは同時代の中国語文献などを精査する必要がありそうです。 以下,手の届く範囲の資料から確認できた断片的な情報を報告しておきます。 1875年(明治8年),Wilhelm Doenitz が浅草の警視庁第五病院で行なった 断訟医学(裁判医学)の講義の中で西洋近代の精神病学が日本で初めて紹介されたとされています。 精神柔弱と精神病を包括する Geistesstoerungen の概念が取り上げられ 「精神障礙(=碍)」の訳が当てられたと伝えられていますが, それ以上の詳細については,後年,湯村卓爾らが聞き書きをまとめた 『断訟医学 独逸国テーニッツ講義』(1879年)を繙いてみないことにはわかりません。 1876年(明治9年)には神戸文哉の『精神病約説』が出ますが, これは英国のHenry Maudsley著“Insanity”の翻訳です。 1879年(明治12年)には Erwin von Baelz が東京医学校(東京大学医学部の前身)において 内科学の一部として精神病学の講義を始めました。 受講生のノートなどから,その内容は『精神病の病理と治療』の邦題で知られる Wilhelm Griesinger 著“Die Pathologie und Therapie der psychischen Krankheiten”(1845年) に準拠したものであったと推定されています。 19世紀中葉のドイツ語圏における代表的教科書であったこの著作は “Geisteskrankheiten sind Gehirnkrankheiten”(精神病は脳病である)というテーゼで知られています。 ここに psych- と Geist- のクロスオーバーが見て取れますが, じつはこの書物,近年に至るまで翻訳されることがありませんでした。 よって講義当時の実際の訳語については受講生のノートに当たって確認する必要があります。 もう少し時代が下がると, 1887年(明治20年)にはドイツ帰りの榊俶が帝国大学医学部の精神病学(Psychiatirie)講座初代教授となり, 1888年(明治21年)にはアメリカ帰りの元良勇次郎が帝国大学文学部で精神物理学(psychophysics)の講義を行なっています。 このころまでには Psych- に「精神」の訳語を当てることがほぼ程度定着していたと見ていいでしょう。 余談ですが, 精神分析関連の文献が盛んに翻訳・紹介された大正期にあっても, 「精神」という語の用法・解釈には多様性が存在していたようです。 たとえば『変態心理』という名の雑誌を発行して 精神分析の日本への紹介の一翼を担った「日本精神医学会」という団体がありましたが, この団体が掲げる「精神医学」は mental medicine と称するもので, 医学の一部門としてすでに確立されていた Psychiatrie(精神病学;現在の精神医学)とは別ものです。 このあたりの事情は下記の論文に詳しいようです。 ■兵頭晶子(2005) 大正期の「精神」概念 : 大本教と『変態心理』の相剋を通して 宗教研究, Vol.79, No.1. http://ci.nii.ac.jp/naid/110002826643 質問者さんの鋭いツッコミのおかげでこの夏の自由研究のテーマが決まりました。 本格的に取り組めば学位論文になりそうなくらいの話題ですが, ボチボチ勉強を続けたいと思います。
- Diogenesis
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#2です。 元良勇次郎,中島泰蔵翻訳によるヴント氏『心理学概論』の下巻末尾には訳語対照表が付いています。 そこから「心理」,「精神」の語を含むものを抜粋してみました。 ウムラウトは小文字e,漢字は新字体で表記。 回答者はドイツ語の素養がないため綴りの誤りがあるかもしれませんが,御容赦を。 ■Materialistische Psychologie 唯物派心理学 ■Metaphysische Psychologie 形而上学的心理学 ■Vermoegenspsychologie 能力心理学 ■Voelkerpsychologie 民族心理学 ■Geistige Gemeinschaft 精神ノ結合体 ■Gesetz der psychischen Relationen 精神ノ相待ノ法則 ■Gesetz der psychischen Resultanten 精神ノ合成ノ法則 ■Gesetz des geistigen Wachsthums 精神成長ノ法則 ■Psychische Causalitaet 精神原因律 ■Psycho-physischer Parallelismus 精神物理並行説 ■Psycho-physisches Gesetz 精神物理ノ法則 これを見ると,Psychologie には「心理学」を, それ以外の Psyche からの派生語・造語,および Geist からの派生語には「精神」を当てるという 訳し分けが行なわれているのがわかります。 ドイツ語文献の Psychologie に英語翻訳の文脈で生まれた「心理学」の訳語が当てられた背景には この語が英語の psychology の訳語としてすでに定着していたという状況があったのでしょう。 訳者の二人ともが英語学校出身で米国留学の経験を持ち, ドイツ語以上に英語に堪能であったことが訳語の選択に影響を与えたかもしれません。 翻訳に際して,原著(1886年)の翌年に出版された英訳本“Outlines of Psychology” (1887年;原著者の協力の下,C.H.Judd が翻訳)を参照した可能性もあります。 逆にドイツ語翻訳の伝統から比較的自由であったはずの訳者たちが Psychologie 以外の Psych- に「心理」の語を当てなかったのは, この語が日本語として充分こなれておらず造語力に乏しかったこともあるでしょうが, すでに Psych- =「精神-」という訳が定着していたことの証と見ることもできます。 翻訳に先立つこと10年の1888年(明治21年), 洋行帰りの元良勇次郎が帝国大学で最初に講じたのは「精神物理学」でした。 (つづく)
お礼
いやあ、納得です。どうもありがとうございます。「つづく」の先は今後、 書き込んでくださるのかしら。
- Diogenesis
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オランダ語翻訳の伝統を受け継いで, ドイツ語の翻訳では“Psycho-”に「精神」という漢語を当てることが早くから定着していたようです。 御存知のように日本の近代医学はドイツ語からの知識の移入によってその礎が築かれました。 “Psychoanalyse”はドイツ語圏の医学の文脈で生まれたものですから, これを「精神分析」と訳すことは自然な発想だったはずです。 一方,「心理学」は西周による造語で, 当初“mental philosophy”の訳語として用いられました。 英語の“psychology”には「性理学」の訳語が当てられたものの定着せず, その後「心理学」の語が転用され定着したと言われています。 「精神-」と「心理-」の訳語が併存しているものとして, ■Psychotherapie/psychotherapy:医学では「精神療法」,心理学では「心理療法」 ■Psychophysik/psychophysics:歴史的には「精神物理学」,現在ある研究分野としては「心理物理学」 などの例があります。 しかしながら S.Freud の“Psychoanalyse”は「精神分析」の訳語が定着しており,「心理分析」と訳すことはありません。 (工学畑の人の翻訳でそのような「誤訳」を見かけたことはあります。) 「心理分析」なる語は学術用語としては流通しておらず, もっぱらジャーナリズムやエンターテインメントの世界で用いられるものです。 FBIアカデミーに「行動科学ユニット」はありますが,「心理分析官」なんていう役職はありませんし。
補足
ありがとうございました。 西周によるmental philosophyの訳語心理上学が1874年の『百一新論』に確認できました。フロイトの『精神分析入門』Vorlesungen zur Einfuehrung in die Psychoanalyseが書かれたのは1917年、アナキストの医師安田徳太郎氏によって邦訳されたのは、1926年ですが、その際にPsychoの訳語として精神が使われているけれど、Psychoに相当するオランダ語が「精神」と訳される習慣がそれまであったから、ということですね。ところで、1897年にはヴントのGrundriss der Psychologieが出ていて、それの邦訳が1899年に『ヴント氏心理学概論』として出ている事がわかります。つまり、フロイト邦訳の前にドイツ語圏からのPsychoの訳が精神でなかったということになりますが、例外的に、習慣と違っていたということでしょうか? また、オランダ語からの、精神という訳語のある邦訳文献にはどういうものがあるのでしょうか。
- dongri5656
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伝統のようなものでアドラーの訳語が「精神~」であった ためにフロイトその他でも継承されているためです。 しかし、今日では精神分析の訳語は病理学的な分野での 臨床用語として分かれつつあります。 一方、犯罪心理学等による分析技法では必ずしも対象が 精神病患者としての病気とは限らないことから心理分析 という用語を使う傾向があります。1990年代以降と くに映画「羊たちの沈黙」でジョディ・フォスター扮する 心理捜査官としての役が注目を集め、さらにロバート・K. レスラーの「FBI心理分析官」のブームと重なって、心理 分析の用語はなじみのあるものになっています。このため、 心理分析はこうした犯罪捜査の手法としてのプロファイリ ングを指して用いられることが専らといっても過言ではあり ません。
お礼
ありがとうございました。大満足です。