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日本史 律令制について
律令制度によって都市が成長した、ということを詳しく教えてください。
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- augustinus
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律令制度と都市の成長は別物だと考えられます。 古代ヤマト政権は、豪族の合議制で成り立っていた国家でした。 これに蘇我氏が律令の考えを導入し、天皇の力を強めようとしました。これに一役買ったのが聖徳太子です。 蘇我氏は、娘を天皇に嫁がせ、天皇の外戚として権勢を振るっていました(平安時代の藤原氏は同じ方法で権力をつけました)。 しかし、他の豪族連合は、自分たちの弱体化につながる律令制度には、基本的には反対の立場を取り、 ここで担ぎ出されたのが中大兄皇子(天智天皇)で、それを補佐したのが、蘇我氏とは反対の立場を取った中臣氏でした。 中大兄皇子は、蘇我氏の本家を滅ぼし、旧態依然の日本の仕組みを残そうと試みます(大化の改新)が、 大海人皇子(天武天皇)が蘇我氏と近く、再度律令制を構築しようと試み、これは半ば成功します。 しかし、天武天皇のあとを強引に継いだ持統天皇(天武の皇后で天智の娘)は、再度中臣氏(藤原不比等)と組み、 律令を骨抜きにしました(私有地を認め、天皇家に力を集中させない)。 ということを考えると、律令制度が都市の成長を促したとは考えられません。 律令制度は、あくまでも天皇家の権力強化(公地公民)が目的で実施されようとしていました。 諸豪族の寄り合いのヤマト政権は、律令は反対派がとても多く、権力闘争で多くの死者が出ています。 都市の成長は、5世紀前後、中国が朝鮮に攻め入ったり、朝鮮での国同士の戦乱で、多くの渡来人が先端技術をヤマトに持ちこんだことと、 その戦乱の最中、中国も朝鮮もヤマトと外交を盛んに行ったためだと考えられます。 あえてつなげるならば、都市の成長があって、律令の必要性を感じた(国家としての権威付けのため、天皇家の見料強化の)ために、 制度を整えたと考えられます。
- fumkum
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>律令制度によって都市が成長した、ということを詳しく教えてください。 律令体制は中央集権型の政治構造なので、中央-平城京や平安京のような都を発達させました。全人口600万人ほどの当時の日本で、官僚だけで1万人程度いたとの説もあります。それまでの豪族が急激に力を失ったわけでもないのですが(蔭位・食封などの特権の保持や、貴族制度を維持しますので)、独立性が高い豪族の位置から、貴族とは言えども朝臣として朝廷に出仕する境遇になりますので、都で生活することになります。平安時代になっても5位以上の貴族は許可がない限り、畿内を出ることを許されていませんから。 そのために、1万人程度の官僚(最下級のものを含め)には家族がありますから、都の人口は増えることになります。そのようなわけで都市が成長せざるを得なくなります。さらに、封戸からあがった米などや、現物支給された布などや、日常品の購入のための市の設置など都市機能が必要となりますので、さらに都市が成長することになります。また、衛士や運脚で税を運んできた農民などもいますから、短期長期に地方から出て来るものもいますので、さらに人口が増えることになります。 中央政権方ですから、地方にも出先機関としての国府を造り、中央から国司及び随員を送り込みますので、小型の都市ができることになるわけです。 以上、参考までに。
- tsubakimayu
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こんばんは、微力ですがご回答いたします。 律令制の基本としては、王を定め、その王の下に平等に万民が居るという思想があります。 このことから、人々に一律平等に耕作地を支給し、支給の代わりに租税・労役・兵役が課せられていました。 上記の耕作地の支給と、その代償としての各種の税の取立てを行うための、律とは刑法的なもの、令とは行政法的なものを指します。 このシステムを実行に移すためには、高度な体制作りが求められます。 これらを実行するための法整備はもちろんの事、どれだけの人民が居るのか、戸籍整備も必要になります。 このため、法律や官僚制(のようなもの)が整備されていきました。 律令制は、律令制を敷く過程でも高度な体制作りが必要となった分、国/都市として成長した、とも言い換えることができると思います。 また律令制により従来の豪族を廃止し、中央集権制も確立させました。 このことにより、中央によるコントロールが可能になり、国家/都市の成長に結びついていったと思います。 物凄く大雑把にまとめてみました。 見直してみると…上手くまとまってないですね。 お力になれれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。なるほど。 律令制を敷くには高度な体制が必要で、様々な法整備・戸籍整備が進み、 これが都市として成長し発展する基盤をつくった。 また律令制により中央集権が確立し、これにより都市が力をもてるようになった。 ということですね。 わかりやすいご回答ありがとうございます。
お礼
なるほど。 中央集権的であること、そして官僚機構がとても発達していたことで 中央の都が必然的に都市として発達していったのですね。 わかりやすかったです、ありがとうございます!