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パウロ様を淫乱者のように言うのは許せません
こんにちは。 質問と回答を読ませていただいていましたら、パウロ様を淫乱者 のように書いている回答がありました。 聖パウロ様をそのように言うのはどのような根拠があってのこと でしょうか。聖パウロ様は私たちキリスト教をよく知る者たちに とって恩人でありこの肉による世界から霊による世界へと導いて くださる尊い使徒です。その方を淫乱者のように言うのは絶対に 許せません。 どのような根拠によってそのような冒涜をパウロ様に加えようと するのか教えていただければさいわいです。 どうぞ偽物の生き方ではなく本物の生き方へと戻っていきます ように。そしてみなさまが神の赦しによって成長しますよう平安 が訪れ尊い忍耐に満ち溢れますますように。
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- tyr134
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まず、私はクリスチャンではありません。 ただ、宗教全般に興味があり、中でもラテン=キリスト教(カトリック及びプロテスタント諸派などの西・南ヨーロッパ社会で主に発展したキリスト教をそう呼称しています。師事する大学教授の受け売りですが。)に興味を持っています。 まず、その立場を表明すると共に、どうか失礼な事を回答してしまったり、価値判断が食い違った場合はお許し頂きたく思います。 まず、聖書の解釈やイエス様を始め使徒や聖者、さらに彼らの言葉から発展した教義や儀式に対するアプローチの仕方は大きく二つあることを指摘しておきたいと思います。 一つ目は、神学的なアプローチです。 神学というのは、キリスト教の宗教内からアプローチするやり方です。 これは信仰の問題として、扱われますし密接に関わっています。 史実や社会学的、民俗学的、宗教学的な意味や価値よりも、信仰が優先されます。 こちらは、あくまでもその宗教内や宗派内で確立・完結します。 原則的には他の宗教・宗派には関心を示しません。 あくまでも、自分たちの「信仰」の範囲内での問題です。 ※時々、他の宗教・宗派の神学解釈に対して批難する人が居ますがそれは筋違いです。 但し、一つの宗派が多数に分かれるときなどは激しく論争が行われます。 もう一つは、宗教学・民俗学・歴史学などの社会科学からのアプローチです。 こちらは、「信仰」よりも「事実・現象(真実ではない)」に興味関心が向かいます。 その為、時にはその宗教の信者の心情を傷つけることもあります。 そこから、あらぬ誤解が生まれ対立やトラブルに巻き込まれることもあります。 ※『ダ・ヴィンチ・コード』が出たとき、マグダラのマリア論争なんかも再燃してましたね。 あれとても、第一の立場と第二の立場の対立の好例ですね。まぁ、あれは程度の低い娯楽作品ですが。 >聖パウロ様をそのように言うのはどのような根拠があってのこと でしょうか 私自身は、聖パウロにそのような事実があったかは分りません。 ただ、歴史学的な理解ではパウロが回心以前は熱心なキリスト教迫害者であったこと、初期キリスト教教団内ではパウロ派と別の派が対立していたことなどなどは、ほぼ事実であろうという仮説は有力です。 また、かなり激高しやすい性格であったのではという説もあります。 とは言え、聖書をはじめ外典なども含めた様々な史料を考察した「仮説」にしかすぎません。 多くの信者にとっては、どうでも良いことのようです。(知り合いの神父さん曰く) 信者にとっては、いかに「信仰」するかであって、史実がどうとか聖遺物が本物かなんてのはあまり関係ないそうですよ。 多分、史実が聖書と違うと(歴史学など神学と関係無いところで)証明されようと自分の信仰心は揺るがないだろうとおっしゃってました。 このコミュニティーのカテゴリーである「哲学」に参加される方は、主に後者の立場の方が多い気がします。(私も含む) 今回の問題も、「信仰心情」と「学問的興味関心(あるいは娯楽)」との対立とも言えますね。 ただ、この問題が難しいのは後者には前者を傷つける意図は全くないという事ですね。(中には悪意を持ってる人も居るでしょうけど) そして、「信仰の自由・思想の自由」が認められる以上、他者の信仰心とやかく言ったり、他者に自分の信仰・思想を押しつけたりする事は好ましくないという事ですね。 それと同時に、後者は前者を傷つける場合もありそれがあらぬ対立に発展することを認識する事の大切さですね。 私自身、今までの回答で傷つけた場合もあるかもしれないと、猛省しています。(時に不特定多数の方が閲覧することを忘れがちになってしまうことも含めて)
基本的には No.2の方の――それにしても nabayoshさんは カトリックだったのですか!!――お考えに従います。《赦さない は あり得ない》という基本です。 それなのに 何をつけ加えるかと言いますと 対話は 必要であり必須であるという一点です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 私は過去の汚れと 魂の肉的な腐敗とを想い起こしたいと思います。それは 汚れや腐敗を愛するからではありません。神よ あなたを愛するためです。 ・・・ 〔十六歳のとき〕私をよろこばせたのは 《愛し愛される》 ただそれだけでした。けれども私は 明るい友情の範囲内に 魂から魂への節度を保つことができず 泥のような肉欲と泡だつ青春からたちこめた靄で 心はぼやけてうすぐらく ついには はれやかな愛と暗い情欲との区別がつかなくなってしまいました。この二つが混合してわきたち 弱年の私をひきさらって 欲望の淵につき落とし 醜行の泥沼の中に沈めていったのです。 ・・・ 《このような人々は 肉身上の労苦をうけるであろう。私はしかし あなたがたのために惜しむ》(パウロ:コリント前書7:28) 《妻のない者は いかにして神をよろこばせようかと 神のことを考えるが 婚姻にしばられた者は いかにして妻をよろこばせようかと この世のことを考える》(コリント前書7:32-33) 私は これらの声にもっと熱心に耳をかたむけるべきでした。・・・しかしあわれにも私は 衝動の奔流のままにわきたち あなたをすてて すべての掟から逸脱しました。・・・ (アウグスティヌス:《告白》山田晶訳 第二巻第一章・第二章) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 何ごとも できれば 出典を明らかにして 互いに自由な対話をするのが よいのではないでしょうか。
- nabayosh
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あなたは私と同じカトリックの方のようですね。 キリスト教にとっては非常に有難い存在であることは確かなのでしょうが、私はその「キリスト教」というもののせいで本来のイエスの教えを味わうことから引き離されてしまった人の多いことを残念に思っています。イエスの教えを最初に歪曲したのはパウロのような気がしますし、それを聖人聖者と崇め奉るのもどこかおかしいと考える立場です。 あなたがイエスの教えに真に立ち返るなら、ご質問の侮辱を「許せない」などというのがいかに筋違いの怒りであるかに気づかれると思います。 イエスは7の70倍までも許せと言っていますし、「またあなたがたに対して偽りを言い、あらゆる悪口を言う時、あなたがたは幸いである。小踊りして喜べ。天においてあなたがたが受ける報いは大きいからである」と言っています。 この程度のことで簡単に熱くなるあなたの信仰は、パウロ熱に冒されて本来立ち返るべきイエスの教えを見失ったものであるとしか思わざるを得ません。 剣はさやに収めるようになさってはいかがなものでしょう。 あなたの信仰が「許せない」という思いで一杯になるのはもったいない話です。
- kigurumi
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あーー 多分私が書いた例のやつだと思いますが、、、 パウロとアウグスティヌス 間違えました。 性 ちがった 聖アウグスティヌス様の行いが淫乱者? 聖アウグスティヌス様の性の趣味に関しては、信者さんの方がよくご存知だと思いますので、「それは パウロじゃなくて アウグスティヌス」と誰か訂正入れてくれたらよかったのですが、他の回答者に意見に口を挟まないというマナーのよさからか、信者さまは知っていながら私の情報間違いに対して指摘しなったのでしょうね。 パウロもアウグスティヌスも初期の恐怖 ちがった<初期の教父>程度の認識だったのですいません。 パウロ様は 「「女は、恥を知り、つつましやかな衣服にて自分を飾ればよく、髪の毛を編んだり、金や真珠や高価な衣服にて着飾ってはなりません。」 「女は全てにおいて従順に、静かに学ぶべきです。」 「わたしは、女が人に物を教えたり、男の上に立って指導するのを許しません。」 「女はただ静かに黙っていなければならない」 など、女性を家畜かなにかのように思っていた女性蔑視主義者でしたね。 これは合っていますよね? そして、エルサレム市民から、熱狂的な支持を得ていたエルサレム教会の初代教父のヤコブを神殿の階段から投げ落として殺そうとしたのも、パウロ様じゃなかったでしたっけ? それと、ユダヤ戦争の時、ローマ帝国がエルサレムに猛攻撃をかけるかどうかのジャッジの時に、意見を言ったのもパウロ様じゃなかったでしたっけ? パウロ様の意見にエルサレムの運命が決まって、阿鼻叫喚の地獄と化したと思えるのですが、同名で別人だったのでしょうか? その後2千年もユダヤ人は祖国無き民として、世界を流れていったのですが、そのきっかけがパウロ様だとすると、確かに偉業を成したお方ですね。 人類史上最悪のホロコーストが起こることになったわけですし。 パウロ様が熱心にキリスト教を作ってくださったお陰で、ユダヤ人を神殺しと汚名を着せ、やがてそのユダヤ人憎悪はホロコーストという人類の最大の恥 ホロコーストを引き起こしたわけです。 ナザレ派のリーダーをぶっつぶして自分の神学をイエスの教えとしてローマ帝国に布教したパウロ。 だとするとイエスの思想を殺したのは、ローマの市民権を持っているパウロですね。 ユダヤ人には違いないがディアスポラのユダヤ人。 ヘロデオンのパウロがイエス殺しの真犯人ってことでしょうか。 確かに、キリスト教にとっての救世主 メシア 神は パウロ様ってことで、そのパウロ様をこともあろうことかセックス狂いのアウグスティヌスと間違うなんて、ほんとに 失礼なことですよね。 誤情報でした。 訂正いたします。
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補足
nabayosh様、大変失礼な言い方になることをお許しください。 聖書はイエス様のおっしゃる深い意味を汲み取らずに薄っぺら な平和主義で読むべきではないと思います。引用だけを取り出 して間違った解釈をしたり、あるいはお答えの中で引用に自分 の解釈を付け加えて都合の良いように読んでいらっしゃるよう にお見受けいたしました。 イエス様の赦しがなんでもかんでも無原則にあるもののように あまりに単純にお考えになっているようにも思えて愕然といた しました。とても悲しいことです。 >イエスは7の70倍までも許せと言っていますし 確かにイエス様は「マタイ」でそのように言っておられます。 しかしその前にペトロがどういう問いを立ててイエス様にお伺いを したのかは一切無視でしょうか。どんなことでも許せ、どんな 人をも7の70倍までもゆるせとおっしゃったのではありません。 また、イエス様はその人がどうしようもない人間であることがわ かったときには、異邦人のように扱えとも厳しいお言葉でおっしゃ っておられます。なんでもかんでも許すのがキリスト教の信条で しょうか。それはちがうと思います。それでは原則もなにもない 愚か者の哲学ではないのでしょうか。 「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者 です」(ヘブル10-39)とういうことばをあなたに捧げます。 神の御手の中でまことの平安が与えられますように。