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可愛さあまって憎さ百倍

はじめまして。 このたびは、積年の疑問であった「可愛さあまって憎さ百倍」について詳しく教えていただきたいです。 宜しくお願いします。 この諺(?)は 可愛がっていた人間に何か都合の悪いことをされると、その分上乗せして憎くなる。 みたいな意味ですよね。 それから愛と憎しみは表裏一体であるみたいな解釈もされてるみたいですが、 しかし何故そうなるのかがイマイチ理解できません。 人は何かを与え、その分を返されないと・・・ といった感じなのでしょうか。 皆さん何故そうなるのか教えて下さい。 宜しくお願いします。

みんなの回答

  • mabomk
  • ベストアンサー率40% (1414/3521)
回答No.3

「番町皿屋敷」のお菊さんの話です。 姫路の有力代官屋敷にお菊さんが武家屋敷に行儀奉公に出ることになりました。 見目麗しき18歳、彼女に横恋慕したのが、代官の青山鉄山、権力に物言わせて自分のモノにしようとしたもの、身持ちの堅いお菊さん、何としても言うことを聞きません。(ここ迄は愛情)、業を煮やした青山鉄山、将軍家より下賜の家宝の皿10枚を「お菊、お前がしっかり管理する様に」と言い渡し、ある夜、そのうちの一枚を隠してしまった。「お菊、あの皿を今度いらっしゃる家老にお見せする、検分するので、これへ持て」と言い渡す、お菊さん、皿の入った木箱を出してきて数を数えるが、一枚、二枚、三枚、~~~八枚、九枚、」何度数えるもどうしても一枚足りない。「おのれ、お菊、当家に災いもたらそうと一枚持ち去ったのじゃな」「さー、どこへ隠した?」「白状せねば、折檻じゃ」「さー、云わぬか」、こうなると『可愛さ余って憎さ(も)百倍』、さんざと打ち据え、最後は肩口からバッサリ、縛り上げ、そのまま井戸へ放り込みます、、このお菊さんがその井戸から化けて出る、、、 私がこれ程愛情掛けて入るのに云うことを聞かぬとは憎らしや、親子、男女、上司と部下、色んな処で置きますね、古今東西。その転換点は何処に有りや、この場合、愛情の裏返し→憎しみ、裏返しであって直接の反対ではないのですね

  • outerlimit
  • ベストアンサー率26% (993/3718)
回答No.2

好きの反対は・・・・・ 無視 である  と喝破された方がいます 好き の反対は 嫌い では有りません 好きも嫌いも同じ感情だと

  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.1

はじめまして。 ご質問1: <この諺(?)は~みたいな意味ですよね。> 正しくは、 「かわいいと思う心が強いほど、いったん憎いとなれば、その憎しみもなみなみではない」 という意味です。 ご質問2: <それから愛と憎しみは表裏一体であるみたいな解釈もされてるみたいですが> おっしゃる通りです。 1.この諺はまさに「愛と憎しみは表裏一体」であることを表しています。 2.「表裏一体」とは「背中合わせの関係」を言います。つまり、突然表が裏になることがありえるわけです。 3.表の裏の関係は、180度反対でありながら、その間の程度が存在しません。つまり、表と裏の間には漸次的な程度の推移がないのです。 4.言い換えれば、「愛」は「憎しみ」という180度相反するものに変わりますが、その間で適度に天秤が動く「愛とも憎しみともつかぬ感情」、という状態はこの諺にはない、ということです。 ご質問3: <人は何かを与え、その分を返されないと・・・といった感じなのでしょうか。> そうではありません。 1.それだと、見返りを期待する、報酬を当然と思う、といった意味で「愛と憎しみ」とは関係ありません。 2.この諺は愛情が深いほど意義をもつ諺です。親子や夫婦、恋人など、愛が深いほど憎しみが深くなる、という逆説的な正比例の関係に言及しています。 3.例えば、親が子に多くのものを与えますが、その分返してくれないと憎しみが増す、というものでもありません。親の子への愛は無償の愛ですから、見返りは期待しないのです。それは、例え子に憎まれても子を愛する親と同じことです。 ご質問4: <「可愛さあまって憎さ百倍」> 1.上記の説明の通りですが、この諺は実はこれで終わりではないのです。 2.この諺の最後には「それでも愛している」が省略されているのです。何故なら、相手を愛していなければ、そこまで憎くはならないからです。 3.相手が例え肉親などでなくても、信頼を寄せていた人や会社などに裏切られた場合に「憎しみ」が増すのは、相手を「愛していた」からです。 それほど愛の感情のない相手には、「腹立つ」くらいの怒りは起こっても、「憎い」という自分の感情を貪るような、自分の感情生活を犠牲にするような愚かな選択はしないのです。 愛しているからこそ、なんとかしたい、なんとかしてほしいのです。 4.キリスト教に「汝の敵を愛せよ」という命題がありますが、それは「自分が憎しみを抱く敵は、実は自分が愛する者である、ということに気づきなさい」という諭しでなのです。 5.ご質問文にある「可愛がっていた人間に何か都合の悪いことをされると、その分上乗せして憎くなる」というのは、つきつめれば、その相手が可愛くてたまらない、ということを言っているのです。 以上ご参考までに。

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