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帰納
帰納法とは、「前提は正しいのに(真実なのに)、その結論が正しい(真実)とは限らない」ということなんでしょうか? 「法の原則が破られれば、社会の全ての人々を傷つける ↓ 人々が法を破り続ければ、法の原則が破られる ↓ ある人が法を破れば、その人は他の人々を傷つけていることになる」 これは帰納なんでしょうか? 何で帰納なんでしょうか?
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帰納法というのは、簡単に言うと「経験から真実を割だそう」という証明方法です。 例えば、太陽は東から昇って西に沈むという経験から、明日は東から太陽が昇ると推論し、結果そうなったら「太陽は東から昇って西に沈む」は真となります。 前提として「太陽が東から昇って西に沈む」という経験があるのです。 つまり、経験を前提として推論し、その後観察なり考察なりを経てある程度の結論を得るというプロセスとなります。 ただし、これはあくまでも「経験」を前提としているので、必ずしも結論が「真」となるとは限りません。 例えば、「犬Aはボールを追いかける」「犬Bはボールを追いかける」「犬Cはボールを追いかける」という事象が観察されたので「全ての犬はボールを追いかける」と結論付けたとします。 しかし、その後「犬Yはボールを追いかけなかった」という事実が見つかる可能性も残されています。 >「法の原則が破られれば、社会の全ての人々を傷つける > ↓ >人々が法を破り続ければ、法の原則が破られる > ↓ >ある人が法を破れば、その人は他の人々を傷つけていることになる」 これは帰納ではなく、演繹ですね。 帰納であるならば、 「ある人Aが法を破ったら、他人を傷つけた」(前提経験)>「ある人Bが法を破ったら、また他人を傷つけた」(観察)>人々が法を破ったら他人を傷つける(結論) となると思います。 演繹は帰納とは逆に、一般的命題、あるいは特殊な命題から経験に拠らず論理によって真偽を見極めようとする方法です。 有名なのに、三段論法というのがあります。 1・人は必ず死ぬ(大前提) 2・ソクラテスは人間である(小前提) 3・(1・2から)ソクラテスは必ず死ぬ(結論) もしも、前提が真ならば、結論も真となります。 ただし、演繹の場合どこを出発点(大前提)にするかが問題となります。 例えば、上記の大前提である「人は必ず死ぬ」というのは、「今のところ死なない人間が居たとは証明されていない=経験則(帰納的証明)」事を前提としています。 なんで、演繹と帰納は対立概念であるとともに補完関係にもあることになります。 >何で帰納なんでしょうか? 語源は分りませんが、多分、経験から帰ってきて結論に納まるって感じでしょうか。
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- morimaru47
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帰納法というのは、個々の経験的な事実から共通なものを取り出し、それに基づいて一般的な原理を導き出すことです。 一方、演繹法は、逆に一般的な原理を予め前提にしておき、そこから個別的な事実を観察することです。ここでは、前提を正しいと認めるならば、結論も認めざるをえなくなります。 つまり、帰納は「特殊→普遍」、演繹は「普遍→特殊」というように、両者は推論の方向が逆になるのです。 おそらく、帰納法は演繹法の対概念であることを中途半端に理解した結果、「前提が正しくても、結論が正しいとは限らない」という小難しい観念に陥ったものと思われます。
お礼
ありがとうございました!
お礼
昨日というのは経験が前提なのですね。 根本的に間違ってました。 わかりやすい回答、ありがとうございました!