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抽象化-具体化と帰納法-演繹法の概念について
論理的思考について教えてください。 「抽象化、具体化」と「帰納法、演繹法」はどういう関係なのでしょうか。 WEB上にある情報や書籍化された情報は混乱しています。「抽象化=帰納法、具体化=演繹法」と解説している方もいらっしゃれば、「論理展開は帰納法、演繹法のみ」としている方もいらっしゃいます。 私の認識では、「抽象化≒帰納法」です。抽象化は無駄を排除する思考法である一方で、帰納法は一般化の方法であり、これらを同義とするのは間違っていると思います。 また「具体化≠演繹法」であると認識しています。具体化は端的に言えば大カテゴリを小カテゴリに分けることで、演繹法は大カテゴリを前提としてそれに当てはまる事象を論理的に思考する方法論であり、それらは似て非なるものだと思います。。 どちらもロジックツリーで表現されることが多いですが、、ピラミッド構造化してしまうから混乱を招いているように思います。 どちらも思考の方法論ではありますが、ピラミッドの構成法は異なるものなのでないかと思います。 論理的であることにおいて「抽象化、具体化」と「帰納法、演繹法」は外せない概念だと思うのですが、それらの違いを簡単に説明してくれいてる文献がないので、どなたか分かりやすくご教示いただけませんでしょうか。
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抽象化・具体化はある反対の操作をさすのに対して、帰納法・演繹法は矛盾した証明方法をさすので両者は異なります。 まず帰納法ですが、これは特殊から普遍を導く方法一般で例証も含まれ、例証は具体化でもありえますので、帰納法と抽象化が別のものであることが判ります。 また演繹法がいわゆる三段論法であることはご存知でしょうか。中概念不周布の虚偽とかいわれるように、すでに明らかな前提から普遍的な命題を媒介して特殊へと進む必然的な過程を三段論法というわけですが、こちらも具体化とは違います。 「私は哲学書を読んだ。具体的には『死に至る病』を読んだ」 こういったものが具体化ですね。 もしすべての哲学書が『死に至る病』であれば演繹になりますが、そうでないならば演繹ではありません。 また帰納法・演繹法がそれ自体で完璧な論理であるのに比して、間違った論理で使われることもある抽象化・具体化は論理的とは限りません。なぜなら論理的に間違った証明は演繹でも帰納でもないからです。
- NemurinekoNya
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個人的な考えですけれども、 帰納・演繹法と抽象化・具象化は、似ているけれど、まったく違うものだと思います。 理系人的な発想では、 帰納:実験や経験的事実から、(一般的な)規則や原理をみつけること 演繹:公理などの前提から、(記号操作などの)推論によって結論を導き出すこと、証明すること です。 (規則or原理)は、《一般》ではあるかもしれませんが、《抽象》ではない。 僕の言葉では信頼性がないので、旺文社の国語辞典から帰納と演繹を抜粋します。 帰納 個々の具体的事実を総合して、一般的な規則・法則を導き出すこと。特殊から普遍を導き出すこと。 ⇔演繹 演繹 一般的・普遍的な原理から特殊な理論や事実を導き出すこと。 ⇔帰納 どうやら、 帰納・演繹は、抽象・具体ではなく、 普遍・特殊の関係でとらえるべきのようです。 ちなみに、 抽象 種々の事物または観念から、それぞれが持つ特殊な属性をのぞき、共通している性質だけを抜きだし、一つの概念を作り上げること。 ⇔具象・具体 具体(具象) 形・姿をそなえていること。 ⇔抽象 (旺文社 国語辞典) 英英辞典には abstract refering to something which exists as an idea and which is not physically real (Chambers Universal Learners' Dictionary) とあり、 抽象には《イデア》が関係しているようです。
- cowstep
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抽象化というのは、特定の事物(例えば、虹)から出発して、光はスペクトルだというように、一般化・普遍化することです。それに対して、具体化というのは、漠然としたアイデア(例えば、自動散髪機)から出発して、設計図を作り、製造して、完成品を販売するように、事物を特定することです。 帰納法と演繹法は、抽象化と具体化という視点とは全く異なるもので、証明の方法の相違です。 帰納法は、小さな前提条件から出発して結論を出します。例えば、リンゴが木から落ちるのを見て、水が高い方から低い方へ流れる。そこには共通の原理があるからで、それは引力だという発見にたどり着きます。 それに対して、演繹法は、大前提から出発して、結論を導き出します。例えば、生物は必ず死ぬ。人間は生物である。だから人間は死ぬ(不老不死はあり得ない)という結論に達します。