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理想的な社会
皆さんの思う、理想的な社会はどんな社会だと思いますか。 そして、 その社会になったとき困る人は出てきませんか。 その社会になったとき、すべての人が過不足なく満足できますか。 その社会になったとき、すべての人が安心できますか。 その社会になったとき、他に問題は出てきませんか。 その社会は、自分さえよければよいといった所はありませんか。 その社会は、すべての人々の隅々まで見渡せますか。 その社会は、すべての人を見渡した時、誰かが誰かの犠牲になっているということはありませんか。
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ありとあらゆる場所に、ありとあらゆる人たち、すなわち国籍、年齢、性別、価値観、学歴、美醜、貧富、社会的立場、障害の有無に関係なく、安心して楽しく存在できる社会だと思います。(その場所に様々な個性が同じ比率で存在しているというわけではありません) 人間趣味、嗜好が異なりますが、だからといって興味のないところはいかないというのではなく、考えの違う人とは口を聞かないというのではなく、積極的に、自分と違った人たちとふれあう機会があれば、もっと豊かな人生が送れると思うのです。 もちろん、困る人、不満な人、問題は出てくるでしょう。しかし、そうでなければ、楽しくもない。それは、その時、そこにいる人たちで考えればいいことだと思います。その考えて、解決する過程こそが、人間社会で「生きる」面白さだと思ってます。
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- sleepinghappy
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#9です。 >「豊かな」ということに含まれる意味は、人の人数が多いということでしょうか。 >それとも、精神的に豊かだということでしょうか。 >精神性とするならば、どのようなものが不可避だとお考えになりますか。 両方ですね。少子化などは嘆かわしい問題ですし、豊かな精神を持つということに損はありません。 「どのようなものが不可避」というのはどのようにして実現するか、もしくはどのような精神のことか、でしょう。 実現させるならば、まず今働いている世代が、やれあいつのせいだ、親のせいだ、担任のせいだなどと親同士でいがみ合ったり、うちの子供は出気が悪いなどと言うような状態では無理でしょう。親と先生、近所の人間などが全員協力し合い次の世代を育むという意識を持ち、子供の能力を最大限伸ばさなければいけないと思います。 精神という点では、常に次の世代や社会のことを考え、現時点で満足せずに常に更なる向上を求める精神、そして自己犠牲とまではいきませんが他人を思いやれる心をもてればと思っています。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 >「どのようなものが不可避」というのはどのようにして実現するか、もしくはどのような精神のことか、でしょう。 そのとおりです。これは絶対に必要になるもの、欠かすことの出来ないものという事(精神性)(概念)です。 >精神という点では、常に次の世代や社会のことを考え、現時点で満足せずに常に更なる向上を求める精神、そして自己犠牲とまではいきませんが他人を思いやれる心をもてればと思っています。 そうですなね。当たり前と思える中にも、問題が含まれていないか、見えない犠牲者はいないか、又、いる可能性はないか探さないといけないと思います。 ありがとうございました。
補足
みなさん。お答え有難うございました。 私として、未だ、明確な答えには勿論至りませんが、なぜなら、この課題は、個人個人の中から発し、そして、この数日間の思考もその内の過程の軌跡の一片であり、はかり知れなく多様永遠に多くの人々を持って、継続していくことです。 興味のある方も、興味のない方も、考えてみる価値はあると思います。
- Czerny
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#5、10です。何度もしつこくすみません。興味深い質問内容だったので、ついつい何度も意見させていただきました。 >どのような時代でも、一人では生きられないと思います。そのような時代、境遇のの中で、人と人との関係は、どのような関係が、大切になってくると思いますか? もしも全ての人が「共通の目的意識」を持つことができたら、良好な関係を保てるのではないかと思います。例えば、私が申し上げた原始社会の人々の生活は、殆どが「本能」に支配されています。「本能」とは生き抜くための術です。生きる為に食べる、生きるために寝る、生き残すために子孫を作る、、、つまり、原始社会では皆が「生きる」ということを共通の目的意識として持ち、狩など協力しあうことで、人との関わりを持っていたのでしょう。 現代の社会で考えてみますと、今は原始社会に比べ「命を脅かすもの(天敵)」が減り、安全な社会だと思います。つまり、「生きるために○○をする」といった共通意識は薄れていると思うのです。 その代わり、精神的なもので共通意識を求める傾向にあるのではないかと感じています。だとすると、全ての人が「心に満足感を得ている」という状態を常に保つ社会があれば理想だと思いますが、恐らくそんな社会はありえないでしょう。 あり得ないもの(手の届かないもの)だからこそ、「理想」なんですよね。「理想」は「現実」になった時点で「理想」ではなくなるのです。 そういった意味では、理想の社会とは存在しないものなのかもしれません。 興味深い質問をありがとうございました。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 >全ての人が「共通の目的意識」を持つことができたら、良好な関係を保てるのではないかと思います。 >生活は、殆どが「本能」に支配されています。「本能」とは生き抜くための術です。 >原始社会では皆が「生きる」ということを共通の目的意識として持ち、狩など協力しあうことで、人との関わりを持っていた ・共通の目的意識。...人々に共通した、生きる為に無視することの出来ぬ価値観ですね。 ・本能。...それが指し示す事柄であれば状況が変化しても、対する判断にしても、羅針と成り得ます。常に目的を指し示す。これはとても重要です。 ・皆が「生きる」。協力。...一人で生き残っても、子供は作れません。そして、怪我病気老化衰弱は即刻死の予兆へと繋がります。一人では狩の効率も落ち、外的からの警戒力も下がります。また様々な人の思考から編み出される文化も、お手本がいません事から生活力は落ちます。力を合わせないと動かせない物は、動かせません。そして、もし一人でも良いという者がいたとなれば、他者と出合った時、戦うか、無駄な争いはやめて立ち去るでしょう。もしかしたら、相手を獲物とみなし食べてしまうかもしれません。そう言っている内に異性と出会い心の中の安著感や落ち着きと出会い、自分の中の人間を発見し、子供を作り、自分もそんな存在の中の一人であった事に気付き、社会を築いていくのだと思います。そして、『皆が「生きる」』の中の「皆が」が重要だと思います。そして、その為に、争うのでなく、皆が寿命まで生き残るために、考えを出し合うのだと思います。問題を一進一退しながら解決して行く為に。 「本能」。これは私にとっては、大きな発見だと思いました。そこまでに到達し、そこから発せられたメッセージに従うなら、何が大切かは感覚では解るのだけどはっきりとは見えて来ないといった事は、起こりにくくなるでしょう。いかに深い本能からのメッセージに耳を傾け、聴き出し、それに気付き得れるか。そしてそれを昇華し人間の心に聞き、問い、考え、どう問題を減らしていくか。本能に聞き、人々に聞き、人の心になった自分の心に聞き、名案を出していくのだと思います。良い知恵を生み出し更に良い知恵に穏やかに周到されていくのです。それは、生きるという共通意識、その為に何をすればよいのかです。
補足
考えるヒントを頂き感謝しています。ありがとうございました。
- Czerny
- ベストアンサー率34% (93/271)
#5です。 >原始社会というと、色々な形態が思い浮かびますが、具体的にはどんな ものなのでしょう。 私が先に申しました原始社会は、人間の知性が進歩していない(文明が開花する以前の)動物的な時代の社会です。時代で言えば縄文時代以前でしょうか。 >医療の面等はどうするのでしょう。お年寄りや、体の不自由な方や、一般の人の老後はどのように保障しますか。また、社会、社会間の情報はどのように伝達し、個々社会の思想間の隔てはどの様に解消しますか。 仰っていることは、人間が高度な知性を持ち文明を発達させてから「気付いたこと」です。私が理想とする原始社会では、そのようなことを誰も知りません。心配をする人もいないのです。命ある限り、生きる為に日々行動する、そして命の限りが迫ったら死を受け入れる。 他の生物と区別して「人間」と呼ぶのは人間だけです。でも、人間も壮大なる自然界から見れば、一動物に過ぎないのです。つまり、動物的な(社会)生活を送ることが理想だと考えているのです。 ただ、発達させた知能を退化させることは出来ません。つまり、5ji55funさんのご質問にあるような条件を満たす理想の社会は、進化してしまった人間には創ることができない社会だと思います。 私自身だけに限って言えば、この時代・日本という国に生まれたのだから、今の社会・文明を受け入れつつ「心豊かに」人生を全うしたいと常日頃思っています。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 >時代で言えば縄文時代以前でしょうか。 ふむふむふむ。それは、この国においての原始社会にのみに、限定しないという理解でも宜しいのでしょうか。 >心配をする人もいないのです。命ある限り、生きる為に日々行動する、そして命の限りが迫ったら死を受け入れる。 >動物的な(社会)生活を送ることが理想 なるほどなるほど。お答えに、自身と自然との密接な関係を感じます。しかも、地球上の人間が作った歴史でなく、自然の中に全ての身を授け、五感の全てを発揮して生き抜いていこうという気概が感ぜられます。どのような時代でも、一人では生きられないと思います。そのような時代、境遇のの中で、人と人との関係は、どのような関係が、大切になってくると思いますか?そして私の初めの質問をもう一度観ます。 お答え頂きまして有り難うございます。
- sleepinghappy
- ベストアンサー率20% (4/20)
豊かな層の子供を持つ社会、とでもしておきましょう。大人と子供が何の伊上のなく暮らせるような社会。最近の少年犯罪などは酷いですから。 困る人は全員ですね。国は最低限の保障だけして、基本的に子供たちが全員で自分の困難や自分の社会的立場などをわきまえて生活して欲しいからです。お年よりは、多分困らないと思います、このような若者がいれば。 満足できる人はごく一部でしょう。若いのだから、悩み、ある程度で満足しないで、もっと上へ、もっと上へと目標をできるだけ高くしていって欲しい為、理想としては大部分が常に満足をせずに、更なる進歩を期待したいです。 安心という点では問題ないでしょう。もしも犯罪を犯す少年が減った場合、多くの若者が犯罪を防止する側に回るであろうからです。 若者が活躍した場合、中年層のリストラなどが・・・しかしそれも若者がしっかりしていれば問題はないかもしれません。 若者の「助け合い精神」がしっかりしていれば問題はないでしょう。しかしそれを育てるのはいま活躍している世代だということをお忘れなく。 未来を見据えている社会なのだから、恐らく見渡せるでしょう。 若者が新たな若者を育てる為多少の犠牲は出るかもしれません。 この社会は、実現可能だと思う。ただし、実現させるのは親や先生、今の大人たち。道をはずさないように育て、サポートするのは結局皆の努力しだいだと思います。
お礼
お答えいただきありがとうございます。
補足
ご回答ありがとうございます。 >豊かな層の子供を持つ社会 「豊かな」ということに含まれる意味は、人の人数が多いということでしょうか。 それとも、精神的に豊かだということでしょうか。 精神性とするならば、どのようなものが不可避だとお考えになりますか。
- sobamoti
- ベストアンサー率24% (63/261)
No.4です。 >その社会は、すべての人を見渡した時、誰かが誰かの犠牲になっているということはありませんか。 >その社会になったとき、他に問題は出てきませんか。 この国のよさはもう発展しないのでしょうか。 学校にはいじめっ子といじめられっ子がいて、郵政民営化法案に賛成派、反対派がいる以上は、仕方のないことです。でも、間に入って和解させようとする人もいます。 人間ていうのはうまいこと出来ているもので、誰かが犠牲になっても必ず誰かが味方についてくれます。 心配する必要はありません。
お礼
ありがとうございます。 全解出来る方法はありませんか。
- rika1098
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理想的な社会ですか、私は自分で言うのもなんですが、理想主義者です。 理想的な社会といわれてすぐに思いつくことは、世の中で、特に一般庶民が言うとキレイ事と言われがちな、平和のために、社会のために、人々のためにという考え方を【キレイ事】と感じるのではなく、【価値あることだ】とする社会が理想です。自他共に幸福を願い行動する人がいい意味で当たり前の社会が理想社会です。 若者が「おれは世界平和のために貢献するのだ!」と言ったとしましょう。それを聞いて、心から尊い勇者だと思う人はどれだけ少ないでしょうか。たしかに現実は厳しい、だけど、だからといって、そういう人に対し、青いや甘いと言っていれば、もっと冷たい世の中になってしまうことでしょう。なぜなら、社会は所詮人間の投影だと思いますし、そう思いません? そういう人をごく当たり前に、心から尊く一人一人が思える社会になればいいと思います。出来るか、できないかは横において、実際に価値ある人でしょうそういう人は。なのになぜキレイ事と思うのか、実際に名も力もないところから社会に対し偉大な貢献をしてきた人達は、周りからすれば現実離れの甘え事だという考えを断固信じきった人達なのに、社会の風潮といえば、未だになんと冷たいのでしょうか。 余談ですが、世の中お金ではなく、心だとする人間を青いやら甘いやらと言っていれば、それこそ自己中心的な社会になっていくのは一目瞭然だけど、そういう社会になるのは嫌なのに、言う人というか認めて終わっている人が多いよね。 他にもあるだろうけど、簡単に言えば、それは自分のことだけしか考えていないからだと思う。 たしかに今現在世の中お金みたいなところがあるけど、それが思想化すればどういうことになっていくのか、そこまで考える人は本当に少ない、考えたとしても、行動する人はもっと少ないんだよねマジで。だから、ある意味で今の社会は当然の結果ですよね。 なんかふけって調子のってしまいましたけど、ごめんなさい。
お礼
>【キレイ事】と感じるのではなく、【価値あることだ】とする社会が理想です。 >たしかに現実は厳しい、だけど、だからといって、そういう人に対し、青いや甘いと言っていれば、もっと冷たい世の中になってしまうことでしょう。 たしかに、と思いました。少し感心してしまいました。 青い甘いという方は、更なる理想を考えるための時間や、そのようなことに価値があると認識する部分が発芽していない状態か、または、心のどこかには、それに感応する部分に重み付けがされてない状態かもしれません。 >社会は所詮人間の投影だと思いますし、そう思いません? 思います。ある意味真実ですね。何かがおかしいとは感じてはいる人(気づきの段階の例)。個々人が、何が大切かわかってはいるんだが、どうしたらいいかわからない(答えを出すのが早すぎな例)。はたから見たら諦めちゃってる人(完全に諦めてはいない人の例)。社会の隙空間で、浅ましくも権力や我利エゴに徹して、ご都合よく暮らしてはいるが、一般に罪とは認められないことから、それをいいことに、はたから見ると立派な一般人を装ってる人。他等々。いろんな人がいっぱいいます。そんなのが巨・大・化したのが、今の社会。かな。 >世の中お金ではなく、心だとする人間を青いやら甘いやらと言っていれば、それこそ自己中心的な社会になっていくのは一目瞭然だけど、そういう社会になるのは嫌なのに、言う人というか認めて終わっている人が多いよね。 きっとやり方が、見えてきてないからかな。具現化が現世代でないと、価値が薄れがちな人の例(その先の世代の価値に気付いていない例)。終わらせるのが早早すぎかな。実は終わりはないことかと。 >たしかに今現在世の中お金みたいなところがあるけど、それが思想化すればどういうことになっていくのか、 お金がない社会だったら、浅ましい価値は問題外だが、みんなどんな価値を持つのだろうか。
- Czerny
- ベストアンサー率34% (93/271)
私が思う理想的な社会は、原始社会です。 「自然と共に生き、自然(土)に戻っていく・・」 地球上の一生物として、この法則に則った生活を繰り返していた原始社会は、究極の理想社会でしょう。 勿論、ここまで高度な文明社会を築いた私達が今更原始生活を送ることは不可能に近いかもしれません。しかし、世界各地には昔からの伝統を守りながら生活しているような民族がいます。彼らは、日本人の多くが抱えるようなストレスは無いのではないでしょうか。 人間が自然に背くような社会作るほど、ストレス社会を産み出すのだと、私は思います。
お礼
>世界各地には昔からの伝統を守りながら生活しているような民族がいます。彼らは、日本人の多くが抱えるようなストレスは無いのではないでしょうか。 人間が自然に背くような社会作るほど、ストレス社会を産み出すのだと、私は思います。 ふむふむ。動向を極理よりその方向を見定める手立てで、輪郭をはっきりさせる方法ですね。 大きな体制の中に埋もれてしまっていると、自分の姿かたちもその中で作り上げ、各自認識もその中で行われてしまいがちで、その盲目さと依存性により、ストレスという、対外的に見れれば解釈はしやすいのだけれど、構造上個人ではどうしようもない状態でストレスというきしみを上げるんですね。 原始社会というと、色々な形態が思い浮かびますが、具体的にはどんなものなのでしょう。医療の面等はどうするのでしょう。お年寄りや、体の不自由な方や、一般の人の老後はどのように保障しますか。また、社会、社会間の情報はどのように伝達し、個々社会の思想間の隔てはどの様に解消しますか。
補足
>ここまで高度な文明社会を築いた私達が今更原始生活を送ることは不可能に近いかもしれません。 それは、依存という言葉の内容と密接に関係があります。 依存とは、生きていくのに不可避なのに自分にはそれが出来なくて、他者にやってもらうことです。
- sobamoti
- ベストアンサー率24% (63/261)
今のままでいいと思います。 なんだかんだ言ったって、日本は平和な国ですよ。 中国人ですら日本に稼ぎに来ているくらいです。 アメリカは自由な国ですが、平和ではありません。 戦争はしない、武器も持たない、労働賃金も高い、食べ物もある、それで十分なのでは? 日本は短所より長所のほうが多いんですよ。 完璧な人間は存在しないのと同じで、完璧な国、完璧な社会なんて無理です。 (なので私は民主党の考え方は好きではありません。)
お礼
う~ん。
補足
>その社会は、すべての人を見渡した時、誰かが誰かの犠牲になっているということはありませんか。 >その社会になったとき、他に問題は出てきませんか。 この国のよさはもう発展しないのでしょうか。
- ayemex011s
- ベストアンサー率23% (62/265)
エバンゲリヨンの最終回みたいにみんな洗脳されてひとつになっちゃった社会 外から見れば異様だけど、本人たちは幸せかも
お礼
エバンゲリヨンをよく知りません。 洗脳の過程では、皆さん自ら選んだものなのかが不安です。
- Yatobi
- ベストアンサー率42% (120/285)
個人的には夜警国家(社会)…って、今の日本もこれに近いか? ただこれを存続していくとなると、まず外部からの圧力が大きかったらいけない。 またその一方で、各々の個人がある程度自律していなくちゃいけない。 「困る人」に関しては、余程の悪党が涌いた際にはそれによって苦しめられる人が出ることが予測される辺りか。 「満足」に関しては、満足自体が主観によるものだけに社会にその責任を問う事が出来ない…故に自律性の無い人が惑いあぐねる可能性が高い。 「安心」では外国からの軍事にせよ経済にせよ侵略的な行為に関する不安があったら台無しかも? 「利己的」かどうかは、各々が各々の幸福…というか利益追求に邁進したら、そりゃもう利己的な人ばっかりに成っちゃうかと。 「普遍的なケア」に関しては巡邏の質にも拠るかな…とか。 「犠牲」は、底上げも必要になるとかになると…ああ、なんかもう夜警国家の域からはみ出してるかも。 社会の構成要素が個人である以上、如何なる体制であっても個人が個人である限りは、全てが幸福なんて無理かも。 そういう意味ではアリンコの社会なんか、みんな精一杯に「幸せ」なの? 個人的にはすっごく嫌だけど。
お礼
う~ん。
補足
国家の任務を,私有財産を外敵から守り国内の治安を維持することのみに限り,他は自由放任にするという国家観。19世紀ドイツの国家社会主義者ラッサールが著書『労働者綱領』(1862)のなかで当時の自由主義国家を批判するために用いた言葉。ブルジョワの財産を保護するために国家を単なる盗難防止の見張り番と想定する。国家は個人の人格を尊重し,私生活に立ち入ることなく,その経済活動を見守るだけにすぎない。自由放任国家・中性国家・治安国家・法治国家などと同義語で,国家の能動的使命を論ずる福祉国家・文化国家・行政国家と相反する概念である。19世紀のイギリスなどにみられる資本主義の自由主義的傾向,産業主義,自由放任主義などをその批判の対象として,必要悪としての国家をまったく否定する考え方である。国家は「強奪と盗みを防ぐ夜警」だとする。
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お礼
>ありとあらゆる場所に、ありとあらゆる人たち、すなわち国籍、年齢、性別、価値観、学歴、美醜、貧富、社会的立場、障害の有無に関係なく、安心して楽しく存在できる社会だと思います。 安心して楽しく存在(存在という言葉がいいです。)する為に、何が必要だと思いますか。物理的、精神的、構造的、等々。 >そうでなければ >考えれば そうです。さらなるあたらしい発展です。 >その考えて、解決する過程こそが、人間社会で「生きる」面白さだと思ってます。 面白さ。意味だと思います。