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精神医学の判断基準についての疑問
精神医学では「社会不適応となって病人と診断される」らしいです。 私は精神科にかかっていますが(薬を処方されるので精神医学の範疇です)今の主治医もそう言っていました。 たとえばアルコール依存症では、毎日1本のワインを飲んでもそれはアル中ではなく、朝目覚めて最初に思うのは酒のこと、仕事せず、寝ても覚めても酒びたりになる状態で診断が下されるとのことです。 ではDSMは指標であり健常と異常の線引きではないのでしょうか?本人が苦しんでいるのであれば「病人」として診断することは様々な意味で本人を助けることになるでしょう。 病的であっても病気と承認されるまで本人も、その周囲も病気の一方的な受身になり続けるだけであるでしょう。社会に適応できなくなってからというのは重症と表現すればよいが、それが許されないのなら、どれほどDSMの基準を満たしても、本人や周囲が苦しんでも例えば端的にいえば「健常者」となる、ということになります。 (私は疑問ですが)なぜこれほど診断基準が高いのでしょうか?
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- iye
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私はDSMに詳しくはないですが・・・ DSMで各疾患の診断基準を十分に満たさない場合、診断の各大分類には「特定不能」というカテゴリーが用意されているようです。例えば、「特定不能の不安障害」というように。 これを採用するメリットは・・・ >本人が苦しんでいるのであれば「病人」として診断することは様々な意味で本人を助けることになるでしょう。 それから、『心』そのものをすべて捉えるきれるものでない以上、『精神の障害』もすべて把握して分類しきれるものではない。 ・・・というような所を、補ってくれると思います。 ただ、これを乱用すれば、過剰診断や単なるレッテル貼りになってしまったり、疾病分類自体の意味が薄れてしまいそうですが。・・・もし『(DSMの)診断基準が高い』と感じられるとしたら、このあたりに理由があるかもしれません。「伝統的な診断」では、それほど機械的で明確な「線引き」はないように思います。 『線引き』をするよりも、生きるのに困難があるとき、自分自身であれ他の誰かであれ、「心の在りよう」をこまやかに理解しようとする努力と、それぞれに応じた方策を考えることが大切ではないかと思いました。 『病気』でないなら、その困難はどこにあって、それに対して何が出来るか・・・ ・・・回答になってますでしょうか。
- h1r0s13
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私が思うに診療報酬でしょうね。 「 」 多少の病気は、ほおって置くと自然に治る場合が多いと思いますが、とりあえず安定剤でも処方しておくか、という病院が、たた見受けられます。 「 」 やはり、点数が欲しいのですね。 「 」 それに、生活保護者など、日々のお金が無い人たちには、どうしても人情というものが働きます。自立支援の申請書にも、そうした下地が反映されます。 「 」 可哀想で、放ってはおけないのです。それで救われている障害者も大勢おられます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >点数が欲しいのですね そういうことであれば、逆に病気の基準を緩和するということも考えられると思いますが・・・。 主治医が言っていましたが、自立支援を受けさせないように国は働きかけているそうです。更新の手続きとか説明不足とか・・・。私も自立支援の手帳交付の更新があることも、3ヶ月前に更新手続きを受けるということは役所から知らされてませんでした。実際改悪されましたし。 ある意味病気の基準が高いというこの疑問は、自立支援が必要な患者ではなく、病人に冷たい我国の手助けにもなっているでしょう。
- jo-zen
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お礼
ご回答ありがとうございます。 >過剰診断や単なるレッテル貼りになってしまったり そうらしいですね。病気の診断が病気を作る、ということですよね。 確かに「あの人は完全に病気だ」と言っても、それは個人として親密に関わる場合発症するということもあり、対人関係では苦労しているのですが、本人は通常の社会生活を送っていますし、心を開かない他人に対してはむしろ社交的とさえいえます(とはいってもその「落差」こそが病的なのですが)。 私自身の経験上では薬もカウンセリングもどちらも難しいと思います。とくに薬の害については専門書を読んでその害毒に驚いてやめてしまいました。 >「心の在りよう」 まったくそうなんです。考え方ひとつで世界は変わります。また健康的な食事や運動をすることで、心と身体の体調は薬を飲む前よりむしろよくなった感がします。 傷ついた心への理解のない、頭でっかちで形ばかりの診察で薬をリストアップするだけの精神科医の態度にも疑問です。また同じこともカウンセリングにもいえます。 確かに心を定義することはもちろん、ひとりひとり個性の違う心や病気の判断や診断をするということは難しいことですよね。