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中国のお金の単位
中国の小説を読んでいたら、わからないことが出てきました。お金の単位のことで。 三十一塊五毛三分銭一分也没少・・・とありました。塊が元で毛が角のことだというのは常識的なことなのでしょうけれど、そのあとの「分銭」「分」というのがどういうことかわかりません。「分」がいちばん小さな単位なのですよね。「分銭」と「分」は同じことなのでしょうか。それだったらわけて書く意味がわからない。それともかんちがいで、何か文法的なことなのでしょうか。 ちなみに文革期の話です。たぶん何の関係もないでしょうが。 詳しい方、どうかよろしくお願いします。
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- wawa37
- ベストアンサー率45% (137/298)
「銭」は金額の最後に付けます。 この場合は「分」が最後の位なので「分」の後に付いていますが、 もし「31塊」きっかりならば「31塊銭」と言えます。 「銭」は省略可です。 ただここでは「三分」の後に「一分」が来ていて、その間に「,」も無いので「銭」の字がないと意味が分からなくなってしまいますし、「,」が有ってもやはり「銭」の字がないと落ち着かない気がします。 私もNO.1の方の書かれたように 「三十一塊五毛三分銭,一分也没少・・・」とするのが良いと思います。
- kikujack
- ベストアンサー率47% (17/36)
中国人です。 10分銭=1毛銭 10毛銭=1塊銭 toska0411さんおしゃったとおりです。その「銭」は量詞です。 「三匹」ここの「匹」とその「銭」は同じ使い方です。 でもお金の場合は、「銭」が最後についてないなら、だいじょうぶです。 「三十一塊五毛三分一分也没少」、中国人もよくこのふうにいいますよ。 ちなみに、今中国で「分銭」をほとんど見えません。
お礼
お答えいただきすごくうれしいです。ありがとうございました。 とてもよくわかりました。僕なら日本語の質問に中国語で答えるなんてとてもできそうにない。 僕は中国文学をとても愛していて、それにかかわりたいものだなあと願っています。それなのにこういう文章で意味が正確に取れなくて、情けないなあとよく感じます。 そんなときに中国人の友人がいれば、とつくづく思うものです。 ところで、四川の地震、お見舞い申し上げます。
- toska0411
- ベストアンサー率14% (1/7)
こんにちは。 この意見は、僕個人の推測の域を出ないんですが、 三十一塊五毛三分銭、一分也没少 (この小説は、日本語に翻訳されているのでしょうか?) 31元5角3毛、1毛も少なくなってない(減ってない) こういう意味だと思います。 で、最後についてる銭は、中国語のお金の単位を話すときに使う、いわゆる量詞ではないでしょうか?
お礼
ありがとうございました。すごく助かりました。 也没少、のところに注目すればよかったんですね。三分と一分で四分も少なくなっている、とかむちゃくちゃに取らなくてよかった。 いわれてみればちゃんと合理的な文章になってるんですね。氷解ってのはこのことでしょうか。 この小説はまだ日本語に訳されていません。今のところこの方の本はまったく日本に紹介されていないようで。僕が見つけた、と思って喜んでいるところです。 僕の力で紹介したいなあ、と思ってまして。そのわりに中国語でわからないところがころころ出てきて困ります。キャリアなんてないも同然で。 契約も何もまだ影すらない状態だから、作者名や題名を出せないのが残念です。第三回老舎文学賞受賞作、とくらいは書いてもいいかな。今後の中国現代文学はこの女性が引っ張っていくんじゃないかなあと予想しています。 いいサイトがあるものだなあ。質問して三十八分で答えていただけるなんて。とても感激しています。
お礼
ありがとうございました。とてもよくわかりました。 けっこうこの作者さんは癖のある文章を書く方なのかなあ。どちらかというと児童文学ばかりを読み漁っていて、今回は大人向けの純文学を開いていたのです。まだ学習が浅くて、どういうのが正統的でどういうのが癖のある文章なのか、よくわからない。 まったく中国語というのは、海よりも深いですね。どんな言語でもきっっとそうなのでしょう。 この文章は、不倫した妻が家をだまって出ていく際、金を持っていかれてないかと夫が引き出しをひっくり返していた場面でした。妻はかなりとんでもない人物だったのですけど、お金は持っていかなかったということがわかり、ちょっとだけ彼女のことを見直しました。 すごく面白い小説です。