1972年の田中総理訪中の数日間については、非常になぞが多く、おもしろい本も多いので、是非いろいろと読んでみることをおすすめします。
質問については、私が最近読んだ本で、いくつかヒントになるかもしれません。(「田中角栄と毛沢東」 青木直人著)
1.謝罪について
周恩来と田中総理の首脳会談後の夕食会にて。
・・田中の次の言葉をきっかけに会場のムードが一変する。
「・・・・我が国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります。」
問題になったのは「多大なご迷惑」という言葉だった。(中略)日本語通訳は「給中国国民添了麻煩・・・と訳した。これは謝罪の言葉とすれば、実に軽い表現だった。これでは中国人は、道ばたでうっかり女性の着物に水をかけて、詫びられた程度の印象しか持たない。(中略)人的被害だけでも1千万人以上はあった日中戦争の謝罪の言葉としては、確かに不適当だろう。・・・
こういうボタンのかけちがいあたりから始まっているのかもしれません。日中共同声明には、「日本側は,過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し,深く反省する。」と書いてありますが、やはり被害者と加害者の意識はなかなか違いが大きいのかもしれません。一度謝ったところ、「謝り方が少ない!土下座して、頭をこすりつけんかい」という感じなのでしょう。天皇陛下が訪中したときも、確か謝罪をさせられたはずです。
2.賠償金について
(再び先ほどの本)
・・・・当時のレートで計算した場合の賠償金額を約52兆円と計算している。70年代当時、日本の国家予算は9兆円程度であり、50兆円超の賠償金額はどう算段しても払えるものではない。
現在でも、あの時賠償を放棄してしまったのを今でも失敗と思っている中国人は多いようです。そのため、ODAだけでは不十分であり、ことあるごとに日本に対して強硬な姿勢をとることが、国民との関係で必要なのでしょう。
補足
有難うございます。 何度、謝罪をすればよいのかと、中国人に聞くとだまってしまいます。 中国人の謝罪をしろという事は「金を出せ」という風に 理解したほうが納得できますが・・・・・・・