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中国政府は何時まで要求するのですか?

中国政府は日本に対して謝罪を毎年のように求めてきます。 1972年、毛沢東と田中元首相の間で国交回復が行われ、戦後処理は終わったはずです。 その時に日本は公式的に謝罪をしたと思いますが、 私の勘違いでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • puruton
  • ベストアンサー率20% (55/264)
回答No.3

 1972年の田中総理訪中の数日間については、非常になぞが多く、おもしろい本も多いので、是非いろいろと読んでみることをおすすめします。  質問については、私が最近読んだ本で、いくつかヒントになるかもしれません。(「田中角栄と毛沢東」 青木直人著) 1.謝罪について  周恩来と田中総理の首脳会談後の夕食会にて。  ・・田中の次の言葉をきっかけに会場のムードが一変する。 「・・・・我が国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります。」  問題になったのは「多大なご迷惑」という言葉だった。(中略)日本語通訳は「給中国国民添了麻煩・・・と訳した。これは謝罪の言葉とすれば、実に軽い表現だった。これでは中国人は、道ばたでうっかり女性の着物に水をかけて、詫びられた程度の印象しか持たない。(中略)人的被害だけでも1千万人以上はあった日中戦争の謝罪の言葉としては、確かに不適当だろう。・・・    こういうボタンのかけちがいあたりから始まっているのかもしれません。日中共同声明には、「日本側は,過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し,深く反省する。」と書いてありますが、やはり被害者と加害者の意識はなかなか違いが大きいのかもしれません。一度謝ったところ、「謝り方が少ない!土下座して、頭をこすりつけんかい」という感じなのでしょう。天皇陛下が訪中したときも、確か謝罪をさせられたはずです。 2.賠償金について (再び先ほどの本)  ・・・・当時のレートで計算した場合の賠償金額を約52兆円と計算している。70年代当時、日本の国家予算は9兆円程度であり、50兆円超の賠償金額はどう算段しても払えるものではない。  現在でも、あの時賠償を放棄してしまったのを今でも失敗と思っている中国人は多いようです。そのため、ODAだけでは不十分であり、ことあるごとに日本に対して強硬な姿勢をとることが、国民との関係で必要なのでしょう。  

niwadai
質問者

補足

有難うございます。 何度、謝罪をすればよいのかと、中国人に聞くとだまってしまいます。 中国人の謝罪をしろという事は「金を出せ」という風に 理解したほうが納得できますが・・・・・・・

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その他の回答 (2)

回答No.2

日本と中国の民衆レベルには、言語的、思想的に食い違いがあるようです。 復興を行うにあたっても日本の企業や政府が中国政府に対して行うというレベルなのでなかなか民衆レベルには受け入れられないという話を聞いたことがあります。 申し訳ないのですが、私も詳しく知っているわけではないのではっきりと言えませんが、以前、知人に下記のURLにある本を紹介されたので読んでみる事をお勧めします。参考になると思います。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/416365660X/qid=1092139694/sr=1-35/ref=sr_1_2_35/250-2067189-0071400
niwadai
質問者

補足

早速の返事有難うございます。 1972年に国家として正式に謝罪したと言うことでよいということですね。

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  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.1

名称こそ平和条約ですが、講和条約です。講和とは和解のことであって争いを終結するということですから、賠償や領土問題なども講和をもって解決します。そのあとで賠償や謝罪などを要求することはできません。 しかし日本がしたでにでるので、味を占めたのでしょう。このままではどこまでも貪られます。

niwadai
質問者

お礼

早速の返事有難うございます。 私の記憶ではこのときに、田中総理は公式的に謝罪をし、毛沢東は戦後保証を放棄すると発言したと記憶しています。しかしその時の条件に台湾の切捨てがあったと思います。 そして、毛沢東の戦後保証の放棄の発言にも関わらず、 日本は現在まで、多額の経済援助を行ってきました。 私の記憶でよいのでしょうか?

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