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中国人は毛沢東が好きですか?

最近、ワイルドスワンという小説を読んで、疑問に思ったんですが、中国人は歴史的に見て、毛沢東という指導者についてどういう評価をしているんでしょう?私は彼が行ったあまたの政策のあまりのひどさになんていう政治家だったのだろう、と、ただただびっくりしているのですが、いまだに天安門広場には毛沢東の肖像画が掲げられてあったり、建国の父として、一応中国では尊敬される人物なのですか?また彼の妻の江青についてはどう評価されているのでしょう? 文革などあまりにひどいと思うのですが、、、まだいまだに毛沢東批判などはタブーなのでしょうか。 中国の歴史には初心者なので、どなたか分かりやすく説明して頂けるとうれしいです。

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  • buchi-dog
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回答No.2

中華人民共和国は毛沢東が率いる中国共産党が建国し、支配する国です。中国共産党が毛沢東を否定することは、自らを否定することですのでそれはできません。 中国共産党は、毛沢東が犯した過ちについては「全て無視する」ことで対応しているようです。即ち、毛沢東の過ちについては学校で教えられることもマスコミで取り上げられることも本に書かれる事もありません。 中国に言論の自由はありません。新聞も出版社もインターネットも全て政府が統制しています。政府に都合の良い情報しか、エリートでない一般国民には伝えられません。毛沢東時代を経験していない中国の若い世代は、毛沢東が何をしたのか、毛沢東時代の中国がどうだったのか正確なことは知らないでしょう。 日本人などの外国人は毛沢東の過ちを知っていますから質問者様のような疑問を持ち得ますが、毛沢東の過ちを知らなければ、素直に「毛沢東主席は建国の父なんだ」と考えるでしょう。 中国でどのような歴史が教えられているかについては、下記のような本があります。 逆検定 中国国定教科書 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31584528

mezmez
質問者

お礼

詳しい回答有難うございます。中国は毛沢東が建国し、いまだにその共産党が実権を握っている国だというのを忘れていました!目からうろこです。これでは、確かに毛批判などしませんよね。それゆえ、国民にも悪いことは知らされない、とはある意味、本当に怖いですね。でもこれだけ世界で中国人が活躍している時代、外から自分の国を見れる時代なわけですから、中国人の認識も変わってきているのかもしれませんね。 とっても参考になりました。ありがとうございました。

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  • hiro1005
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回答No.6

(毛と周の)死去から五年後(中略)十一期六中全会がひらかれ『建国以来の党の若干の歴史問題についての決議』を採択した。毛沢東の功罪はこう書かれた「毛沢東同志は偉大なマルクス主義者であった。文革において重大な誤りを犯したが、功績のほうが誤りより大きい。功績第一、誤り第二である」 その後、改革開放が進むにつれて、中国のたちおくれが人々によく理解されるようになり、毛沢東評価はますます厳しくなる方向へ傾いた。しかし87年はじめに胡耀邦が失脚し、ついで89年に趙紫陽が失脚するというゆれ戻しのなかで、毛沢東評価はいくらか回復している。 これは中国国内政治を見るバロメーターになっている。改革派が優勢のときは毛沢東株が落ちて、保守派が優勢になると毛沢東株が上がる形である。 以上は、「毛沢東と周恩来」(矢吹晋、講談社現代新書、1991)p.181からの引用です。 また長期的には毛沢東株と周恩来株は同時に下がり、これが民主化・近代化のメルクマークとなるだろうと矢吹は述べています。もちろん一般大衆が毛をどのように評価されているか知るのは単純な作業ではないと思いますが、少なくとも文革時代の誤りについては批判の対象となっています。もっとも言論に制限のある国ですから、毛沢東に関してもプライベートに関するゴシップなどは共産党が良い顔をしないかもしれません。実際、毛沢東の女性関係は謎が多いです。 華国鋒は軍長老の勧めもあり、毛沢東の死後いち早く行動を起こし、四人組を逮捕ました。しかし彼は毛の後継者としてしか政治的基盤を持たなかったため、毛を批判することはなく、文革の責任を四人組に押し付けてしまいました。そのため実際のところ、江青をはじめ四人組の実態や毛沢東の意思など文革末期はどのような状況であったか、については不明な点が多いです。 ついでにNO.4さんの回答に事実誤認がありますので指摘しておきます。 >毛沢東が死ぬと、更に江青の嫌がらせは度を増します。 周恩来の死去は76年1月8日、毛沢東の死去は76年9月9日です。

mezmez
質問者

お礼

ありがとうございます。自国民で互いに疑うようにしむけ、暴行を許していた(ように私には見える)、恐怖の時代を作っておきながら(それも10年!)、誤り第二、とはおそろしいですね。周恩来については良いうわさも聞くのですが、やはり中国では毛沢東をペアに見られるんでしょうか?

  • buchi-dog
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回答No.5

江青ほかの「四人組」は死刑などの判決を受けましたが、実際に処刑された者はいません。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%BA%BA%E7%B5%84_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2)
mezmez
質問者

お礼

ありがとうございます。早速ホームページ見てみました。江青は恐ろしいですね。私怨をはらすために、文革を利用するなんて!

  • sqwe-ir
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回答No.4

毛沢東が政権を握った時、大失政をした為に彼は政権を後継者に譲ります。(実際は、復権を狙っていた) 尻拭いをさせられた後継者は、あまりの財政難から一部資本主義導入を試みました。 これが文化大革命の始まりです。 毛沢東は、赤い本を見せ、後継者を徹底的に批判。 あっと言う間に中国全土にこれが広がります。 皆、赤い手帳を降り資本主義弾圧に乗り出します。 資本主義を導入した指導者グループは逮捕。再教育と称して労働者になり下がりました。 (若き日の鄧小平など) その子供は学校の2階から落とされ、下半身不随になります。(鄧小平の息子) 鄧小平は、献身的に息子の世話を続けます。 わずかな賃金で労働者として生活を続けます。 その後、毛沢東は、絶対的な権力を握ります。 学校では、「毛主席万歳」 こう書いてから授業に入ります。 政治は、周恩来に全て任せていました。 江青は、この座を狙い、周恩来を徹底的にけ落としにかかり、 4人組を組んで徹底的に攻撃を繰り返します。 周恩来は、1日3時間程度の睡眠で公務に没頭します。1日も休みません。誰にも任せません。 絶対に江青に隙を見せない為です。 毛沢東が死ぬと、更に江青の嫌がらせは度を増します。 激務と嫌がらせが原因で、周恩来は大病を患います。 それでも公務を休まず職務を遂行します。 ここぞとばかりに江青と4人組の暗躍が始まります。 死ぬ間際まで職務を続け、病床で、後継者に、労働者 の鄧小平を指名します。 江青と4人組は、周恩来が死ぬ所を確認すると、笑い、ののしりながら病院を去りました。 周恩来の国葬の時、国民の誰もが 「私たちは貴方の子供でした」こう言い、泣きました。 「江青と4人組から私たちを命がけで守ってくれました。」こう言ったそうです。 その直後、江青と4人組は逮捕されます。 国民の誰もが死刑を望んでいました。 江青は処刑。4人組も似たような刑になったそうです。 流れはざっとこんな感じです。

mezmez
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございます!周恩来は毛沢東派だったとはいえ、まともな政治家だったようですね。建国の父として、崇められてるとはいえ、毛沢東がいなかったら、中国の歴史はだいぶ違っていたでしょうね。こんなに中国からの移民が世界中にあふれていなかったかもしれないですね。もっと中国の歴史、勉強してみようと思います。

  • ideo11
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回答No.3

鄧小平がいいことも悪いこともしたと言った事があるはずです  毛沢東のしたことを否定すると中国共産党にまで責任がおよぶので体制が崩れるまで批判をされるということはないでしょう。 ある博物館では周恩来は座っているが毛沢東は立って展示されていたそうです

mezmez
質問者

お礼

回答、有難うございました。たしかに、毛批判は、現体制を批判することですよね。それにしても一党独裁体制というのは本当に怖いですね。

  • cubics
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回答No.1

まあ、ロシアにたとえれば、レーニンとスターリンを合わせたような人物と考えるといいのではないでしょうかね。 ちょっと強引なたとえですが。 スターリンの評価はさんざんですが、まあ、レーニンの部分は認めないわけにはいきませんね。 でもレーニン像も撤去されたりしてるなぁ。^^;;) 四人組については、スターリン部分だけでしょうし。 「批判」はタブーかどうか、詳しくはわかりませんが、「再評価」はされていますね。^^;) もちろん革命世代で熱狂的に崇拝した人、冷めていた人、文革で影響を受けた人、それ以降の世代の人、いろいろいらっしゃると思います。 以上、レーニン、スターリンの捕らえ方にも難はあるとは思いますが、参考意見として。

mezmez
質問者

お礼

ありがとうございます。社会主義が崩壊した国では、歴史上の人物像も変わって来ているんですね。一人の人間を崇拝しすぎる政策、というのは怖いですよね。絶対に無理がありますよね。