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徳川綱吉の変化
徳川綱吉といえば、生類憐みの令で有名なように、暗愚な将軍のイメージがあります。 しかし若いころは、儒学を重んじ、新井白石などを重用して善政を引くなど、比較的よい統治者だったようです。 なぜ若年のころは優秀だったのに、老年になってキチガイじみた行動をとるようになってしまったのでしょうか? 人間年をとると、ここまで変わるものでしょうか?理由がわかるかた教えてください。
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「生類憐みの令」ですけど、現在のバイクのヘルメットやシートベルトのように、人間罰則がないと守りませんから、エスカレートしたのではないかな。 この時代以前ですと、戦国の遺風が残り、犬を見つけると殺して犬鍋にする風潮があったり、かなり殺伐とした時代で、水戸光圀でさえ、若い頃は刀の切れ味を試すために、神社の軒下にいた乞食を斬り殺したという話もあるくらいで、人格者の水戸光圀がこうですから、一般の武士など酷い物でした。 戦国時代との決別を図ったと言うことで、一定の評価をしてもよいと思います。
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- outerlimit
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別に狂いじみた言動などしていません しかし 子が跡を継がなかったために あること無いこと 全て 具合の悪いことを押し付けられているだけです (この例は 中国の歴史 ソ連や中共の前権力者が次代どのように評価されたかを調べれば判ります) 例に挙げた 生類憐みの令 と言うものは ありません いくつかの令を総称しているだけです それと これについては 近年 相手を殺す事が手柄の戦国の意識を 文治主義の意識に切り替えるための手段と評価されています (大久保彦左衛門のような 何かと言うと戦のことを持ち出す者や、旗本奴・町奴のいざこざのような 暴力で決着をつけようとする風潮が蔓延していました) 質問者の捉え方は、吉宗前後の情報操作に載せられているだけです そのくらい 時代や人物の評価は難しく、また 極端な評価も存在することを理解してください
お礼
たしかに歴史にはいろいろな視点がありますね。ありがとうございました。
- jo-zen
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以下のURLを参考にしてみてください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E7%B6%B1%E5%90%89 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%A1%9E%E6%86%90%E3%82%8C%E3%81%BF%E3%81%AE%E4%BB%A4 現在では、評価が変わってきているようなので、必ずしも悪政だったかどうか、?の部分があります。
お礼
参考になりました。ありがとうございました。
お礼
江戸時代はかなりモラルが低かったんですね。ありがとうございました。