- ベストアンサー
自然な日本語に添削していただけませんか(菊)。
日本語を勉強中の中国人です。日本語で文章を書く能力を伸びたいと思うので、作文の練習をしております。次の作文は自然な日本語に添削していただけませんか。特に、難しいと感じたのは、こそあど系の言葉、過去形と現在形の取捨です。また、質問文に不自然な日本語がありましたら、それも指摘していただければ幸いです。よろしくお願い致します。 もう数日も立っていたが、その日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。 この日、バスで帰ることにした。街の景色を見たかったのだ。バスに乗り、ちょうど窓際の席があった。あっ、ラッキー! 「あのう、すみません、席を交換していただけませんか」と後ろから女の子の声が伝わってきた。なんだか私に向かう声だ。窓外の風景をすでに眺め始める私は、後ろを振り向いたら、ある女子学生の照れくさい顔が目に入った。「クラスメートと一緒に座りたいですけど」と、その女子学生は、私の隣のもう一人の学生姿の女の子を見ながら、小さな声で言った。通路側の席でも窓の外が見られるし降りやすいしと思い、「いいですよ」と私は言った。 新しい席につき、私は流れてゆく都会の景色を眺め始めた。まだ肌寒い早春のこの頃。車窓外のネオンの光がちょいとちょいと車内に漏れてきた。ふと視線を取り戻したら、隣の乗客の前の席に何か植物がかけてあることに気づいた。植物の薄いにおいがする。車外の明かりを借り、それは薄い黄色をしている菊だとわかった。まさかこんなところで菊に出会ったとは。 私の目はすっかりその菊に奪われていた。ひたすらその菊を眺めることになった。花びらが一枚一枚ほんの少し内に曲がり、中央の蘂を一層一層、しっかり包んでいる。私はただここに座っている。その薄い黄色の菊を目の前に。思う存分にその菊のすべてを心の底に、満ち溢れるのに任せた。青い空、緑の野原、きれいな水、澄んだ空気、土の匂い、さらさらの風、ぴかぴかのお日様、朝浴びた露の味までも、そこにある菊が届けてくれた。車窓外から漏れてきた明かりを浴び、その菊の回りに薄い黄色のかさに包まれているような気がする。今夜、月は出ていないが。 もうすぐバスを降りる。永遠に着かなければよかった! 隣席の人の同意を得て、その美しい一瞬をカメラに収めた。カメラは自動的にフラッシュを使ったのか、スクリーンに出てきた菊は、目に迫ってくる輝かしい黄色の菊だ。暗い中でよく見られないが、私の見たのは薄い黄色の菊ではなく、鮮やかな黄色の菊なのだ。まるで光る束のようだ。その黄色の菊は私に一語もしゃべらなかった。いや、すべてのことを精一杯、私にしゃべった。無言のコミュニケーションを通し、そこにある小さな命がその命なりの「花心」を私に教えてくれた。 その日、バスで帰ってよかった。女子学生に会ってよかった。通路側の席に座ってよかった。隣席の人から写真を撮る同意を得てよかった。黄色の菊に出会えてよかった。すべてのすべて、ありがとう。
- みんなの回答 (20)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
awayuki_ch さん こんにちは。 お礼をありがとうございます。また、補足を読ませて頂きました。 前回の回答は、締め切られてしまうかな思いながら書きましたので、私の文章だけを記しただけになりました。 awayuki_ch さんのお書きになった文章の一つ一つに対する私なりの見解を、以下に記しますのでご参考になさってください。 1.もう数日も立っていたが、その日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。 ⇒「立って」はもちろん「経って」ですね。 ⇒「もう数日も経っていたが」という表現は、「○○から数日が経過した」というように、起点を示す言葉が入るほうが自然です。 ⇒そのために「あれから数日が経った」という表現を使いました。 2.この日、バスで帰ることにした。街の景色を見たかったのだ。 ⇒この後に続く文章のスタイルを見ても、ここは、「私」という主語を入れるほうが良いと思います。 ⇒この日、私はバスで帰ることにした。 ⇒「街の景色を見たかったのだ」でも良いですし、「街の景色を見たかったからだ」とか「街の景色を間近に見たかったからだ」などでも良いと思います。 3.【バスに乗り、ちょうど窓際の席があった。】は少々おかしいです。 ⇒「バスに乗り」という表現を使うのであれば、「バスに乗りあたりを見回すと、ちょうど窓際に空いてる席があった」というようになります。 ⇒他の言い方では「バスに乗ると(乗り込むと)、ちょうど窓際に空いている席があった」 4.後ろから女の子の声が伝わってきた。(このような場合、「伝わってきた」はあまり使いません) ⇒後ろから女の子の声が聞こえてきた。 5.なんだか私に向かう声だ。 ⇒「なんだか」と、はっきりしないけれどという表現を使っていますので、文末は「だ」と断定するのではなく、「のようだ」という表現が妥当です。 ⇒「私に向かう声」は「私に向けられた声」とか「私に向かって発せられた声」など表現を変えるほうがよいでしょう。 6.窓外の風景をすでに眺め始める私は、後ろを振り向いたら、ある女子学生の照れくさい顔が目に入った。 ⇒眺め始める私は、後ろを振り向いたら、顔を目に入った。という文章は成立しません。 ⇒このままの表現を使うと、眺め始める私が振り向いたら顔が目に入った。という文章になります。 ⇒ここで「眺め始める私」は間違いです。既に窓外を眺め始めるという動作に入っていたわけですから、【眺め始めていた私】という表現が正しいと思います。 ⇒「振り向いたら」という言葉遣いより、「振り向くと」とか「振り向いてみると」という表現の方が文章としてはきれいかもしれません。 7.「クラスメートと一緒に座りたいですけど」 ⇒「座りたいですけど」という言い方は少々不自然です。 ⇒「座りたいのですけど」となりますが、セリフですから「座りたいんですけど」という言葉遣いが自然ではないでしょうか。 8.【私の隣のもう一人の学生姿の女の子を見ながら】という文章は全てが「の」でつながっており、非常に読みづらい文章になっています。 ⇒私の隣に座っているもう一人の制服を着ている女学生を見ながら」などとすると、読みやすく、また判り易いと思います。 9.通路側の席でも窓の外が見られるし降りやすいしと思い ⇒「見られるし」は「見ることが出来るし」、「降りやすいし」は「すぐに降りられる」とか「降りるときすぐ降りられる」 10.新しい席につき、私は流れてゆく都会の景色を眺め始めた。 ⇒単に「流れてゆく」だけではなく、「窓外を流れてゆく」とか「目の前を流れてゆく」、「流れるように目の前を通り過ぎてゆく」などのほうが良いとおもいます。 11.「まだ肌寒い早春のこの頃。」 ⇒この文章は唐突で中途半端です。 ⇒まだ肌寒い早春のこの頃に何かを感じたということだと思います。 ⇒例えば、「まだ肌寒い早春のこの頃、夕闇の迫った街を行く人々は寒そうに早足で歩いている」とか、「まだ肌寒い早春のこの頃、日が落ちたばかりだというのに、夜の帳(とばり)が降り始めていた」など。 12.車窓外のネオンの光がちょいとちょいと車内に漏れてきた。 ⇒ここで使われた「ちょいとちょいと」は意味不明。 ⇒「ちょいと」は、人(主に女性)が近くにいる人(主に男性)を呼び止めるときに使う言葉です。 ⇒「車内に漏れてきた」は、カーテンなどを引いてあるのに、その隙間から光が差し込んで来るようなときに「漏れてきた」を使います。 ここでは、まだカーテンは引いていないわけですから、「漏れてきた」ではなく、「差し込む」「入り込んでくる」などの表現でよいでしょう。 13.ふと視線を取り戻したら、 ⇒視線は、「取り戻す」のではなく、「戻す」です。 ⇒窓の外を見ていた視線を車内に戻すわけですから、「ふと視線を車内に戻したら」「ふと視線を車内に戻すと」 14.植物の薄いにおいがする。 ⇒草花や食べ物などは、「におい」という言葉より「香り」という言葉の方が品がいいです。また、「香り」が強い場合、「濃い香り」とは言いますが、弱い香りの場合、「薄い香り」とは言わずに、「ほのかな香り」「かすかな香り」などという言い方をします。 15.車外の明かりを借り、それは薄い黄色をしている菊だとわかった。 ⇒「車外の明かりを借り」で切ってしまうより以下の表現の方が自然です。 ⇒車外の明かりを借りてよく見ると、それは薄い(淡い)黄色をしている菊だとわかった。 16.まさかこんなところで菊に出会ったとは。 ⇒「出会った」ではなく「出会える」とか「出会えた」という表現の方が、菊と出会わせていただいたというニュアンスが醸し出され、出会いを感謝している気持が現れます。 17.私の目はすっかりその菊に奪われていた。ひたすらその菊を眺めることになった。 ⇒この二文は一つにまとめる方が読みやすいです。 ⇒私の目はすっかりその菊に奪われてしまい、ひたすらその菊を眺め続けることとなった。 18.花びらが一枚一枚ほんの少し内に曲がり、中央の蘂を一層一層、しっかり包んでいる。 ⇒「花びらが一枚一枚」ではなく、「花びら一枚一枚が」 ⇒一層一層の部分は回答文で。 19.私はただここに座っている。その薄い黄色の菊を目の前に。思う存分にその菊のすべてを心の底に、満ち溢れるのに任せた。 ⇒ここに記された三つの文章も、二つ、もしくは一つにまとめる方が読みやすいでしょう。 ⇒私はその淡い黄色の菊を目の前にして、ただ座っているだけだった。そして、心の底の方からその菊の全てが湧き出してきた。私はそれらが私の心に満ち溢れてくるに任せて座っていた。 ⇒私はその淡い黄色の菊を前にして座って、その菊のすべてが私の心の中に満ち溢れてくるに任せていた。 20.青い空、緑の野原、きれいな水、澄んだ空気、土の匂い、さらさらの風、ぴかぴかのお日様、朝浴びた露の味までも、そこにある菊が届けてくれた。 ⇒ここでは、「ぴかぴかのお日様」という言葉に違和感を覚えます。 突然子供向けの言葉が出てきたかのような違和感です。 ⇒「朝浴びた露の味」という表現も同じ様に違和感があります。 朝、露を浴びたときに味わった味?「味」という単語が原因? 21.車窓外から漏れてきた明かりを浴び、その菊の回りに薄い黄色のかさに包まれているような気がする。 ⇒「その菊の回りに」を使うのであれば、「薄い黄色のかさ出来ている」 ⇒「その黄色の菊の回りが」とすれば、「薄い黄色のかさに包まれているような気がする」でかまわないでしょう。 22.「今夜、月は出ていないが。」 ⇒あまり良い使い方ではないような気がします。(間違いではありません) 23.隣席の人の同意を得て、その美しい一瞬をカメラに収めた。 ⇒この「同意」は「許可・許し・承諾」などのほうが良いでしょう。 ⇒一緒に何かをするときは「同意」で良いのでしょうが、ここは、撮らせて頂く許可を得たわけですから「同意」より「許し」 24.カメラは自動的にフラッシュを使ったのか、 ⇒カメラの意思でフラッシュを使う(焚く)わけではなく、カメラの機能としてフラッシュが自動的に焚かれるわけですから、「カメラは自動的にフラッシュが焚かれ」 25.スクリーンに出てきた菊は、 ⇒スクリーンというかモニターに映し出された 26.目に迫ってくる輝かしい黄色の菊だ。 ⇒実際に目に迫ってくるのではなく、「目に迫ってくるような」 少々、表現的に違和感のあるところを抽出してみました。 ご参考までに。 awayuki_ch さんから頂いたご質問には後日回答します。 頑張って下さい。
その他の回答 (19)
- Ryo_ss
- ベストアンサー率36% (35/95)
NO.3のRyo_ssです。 お礼・補足ありがとうございました。 ところどころ勘違いがあったようで申し訳ないです。 “あれからもう数日も経っていたが,あの日の情景がいまでもありありと浮かんでくる。”について。 ここに出てくる“あれ”は貴女が菊と出逢った日をさしています。なので あれから=菊の花との出逢いがあった日から 次に出てくる“あの”は出逢った日そのものです。なので仮にそれが今日から一週間前の18日に起こった出来事だと仮定すると・・・ あの日=菊の花と出逢った日→18日 を指しています。なので上記の文に当てはめると “菊の花と出逢った日からもう数日も経っていたが,出逢った日(18日)の情景が今でもありありと浮かんでくる。” となります。ここで,こそあど言葉を使った“~から”についての簡単な紹介をさせてもらうと これから=今から未来 (例:今日はこれから友達と食事に行きます。) それから=話の続きを促す (例:それから,今度の週末は遊園地に行く予定です。) あれから=過去のある点から (例:お母さんに言われて,あれからきちんと宿題は済ませました。) どれから=複数ある物の中から(例:遊園地のアトラクションはどれから乗ろうか今から楽しみです。) と言った具合でしょうか。他にもパターンはありますが今回はこの4つだけ紹介しました。 “あの日”と“その日”の違いですが・・・ あの日=過去にあるとある一日 その日=過去未来に囚われず指すとある一日 と言った感じです。なので1週間後の予定を聞かれて“ごめん!その日は無理!!”と答えることはあっても“ごめん!あの日は無理!!”と答えることは大変不自然です。 過去にある日を指す場合はどちらを使っても構いませんが,“あの”を使ったほうがより限定的だったのでそちらを使いました。 文頭に“あれから”を持ってきたこと,もしかしたら外国の方は違和感を持つかも知れませんが,私の認識が正しければ日本人の中でそこに疑問を抱く方は多分いないだろうと思います。 “あれから,もうどれくらい経ったのだろうか。しかし,私にはあの日の情景が今でもありありと浮かんでくる。” としたらわかりやすいでしょうか?貴女がどう教わったのかわからないので,もう少し詳しく疑問に思っている貴女の考えとの矛盾点を教えていただけると助かります。 次に過去においての今を強調したくて“この日”を使うのなら全体的に出逢った日のことを書いている(貴女の書いた作文の)2~6段落目は基本的に現在形で書いたほうがよいかと思います。 始めの文だけ簡単に直すと・・・ この日、バスで帰ることにした。街の景色を見たかったのだ。バスに乗り、ちょうど窓際の席があった。あっ、ラッキー! >>この日はバスで帰ることにした。街の景色が見たくなったのだ。バスに乗り見渡すと,丁度窓際の席が空いている。あっ,ラッキー! という感じです。作文の始めと終わりでその出来事が過去であったことを示しさえすれば問題なく文章を綴る事が可能です。この作文のように思い出を語る場合の言葉の形式だけ考えると 現在→過去→現在 = 過去形→過去形→過去形 現在→過去においての今→現在 = 過去形→現在形→過去形 でまとめるとよいと思います。(私は基本的には現在→過去→現在で書きました。) “かさ”については何を表しているのか理解できず・・・。 想像に想像を重ねたところ,ネオンの光りが黄色の花びらのフィルターを通し花からその周りだけに黄色い光りの帯を届けていたのかと思いました。花のサイズも・その光景も私には知る由もなかったので,その考えが私の中の候補の中で一番自然だったのです。 考え違いを起こし,申し訳ないです。 月に例えていたのなら・・・ その菊の回りに薄い黄色のかさに包まれているような気がする。今夜、月は出ていないが。 >>菊の花は薄い黄色の暈に包まれているように見える。今宵輝くことのない月の代わりに・・・。 と言った感じの方がより伝わりやすいでしょうか・・・。ちょっといい表現が思いつかなかったのですが,“包まれているような気がする”とすると貴女が包まれているようなので,その表現を使うのならもう少し誰(何)がそうあるのかを強調したほうがよいでしょう。 中国での菊と日本の菊では持たれるイメージが大分違うようですね。 日本では,“儚い・寂しい・悲しい”といった感情的には弱いイメージの方が強いだろうと思います。日本でこの作文を発表?する場合は中国でのイメージを一言添えたほうがよさそうですね^^ 大変長くなってしまいました。申し訳ないです。
お礼
Ryo_ssさん、また返事が遅れて大変申し訳ありませんでした。再びご親切に説明して頂きありがとうございます。「あれから」と「あの日」について疑問に思ったところを補足させていただきました。よろしければ、もう一度説明していただけないでしょうか。「過去においての今を強調したい」場合の作文の方法を教えていただ嬉しいです。月の発想はちょっと無理にこじつけるような感じですね。そこは読み流してくださいね。私は月が好きです。月を眺めると、いつも蘇軾の有名な文「但願人長久,千里共嬋娟」を思い出されます。その比喩はこの文章の中で使いたいです。ありがとうございました。
補足
>あれから=過去のある点から (例:お母さんに言われて,あれからきちんと宿題は済ませました。) 挙げられた「これから」、「それから」、「どれから」は全部理解できますが、「あれから」についてお聞きしたいところがあります。私は「あれ」と「から」を分割して意味を考えております。Ryo_ssさんの意味は、「過去のある点から」の決まった言い方は「あれから」になるということなのでしょうか。つまり、「あれ」と「から」を分けずに、「あれから」を一つの表現として覚えればそれでいいということなのでしょうか。 「こそあ」の言葉について次のような感じで教わりました。 「これ」 話し手に近いもの。 「それ」 話し手から遠いもの。 「あれ」 お互いに分かるもの。暗黙の了解があるもの。 たとえば、次のような会話は日本人同士の中でありえるのでしょうか。勝手に作った会話なので、不自然な日本語の表現がありましたら、ご添削ください。 A:あれから、インターネットで絵葉書をたくさん作ったんだ。全部見た? B:うん、見た、見た。(BはAの言った「あれから」の意味がちゃんとわかる。つまり、お互いに暗黙の了解があるということ。) C:ごめん、Aさんの言った「あれから」って何?(CはAの言った「あれから」の意味がわからなかったので、Aに聞きたくなる。) 私の疑問に思ったところは、「あれから」の「あれ」は読者にはまだわからないのに、いきなり「あれから」で文を始めると、読者の心の中に(つまり、上記の会話の中のC役に当てはまる)、『「あれから」って何?』という疑問が生じるのではないでしょうか。どうも私の言っている意味は日本語でうまく伝えられません。わかりにくいところがありましたら、また書き直せていただきます。 文章の最初のところの「あの日」についても同じような感覚です。読者はまだ「あの日」がわかりません。つまり、読者と作者の間で暗黙の了解がないということです。読者は「あの日」ってどの日のことなのかわからなくなるでしょう。 >“あれから,もうどれくらい経ったのだろうか。しかし,私にはあの日の情景が今でもありありと浮かんでくる。”としたらわかりやすいでしょうか? 申し訳ありませんが、文章の最初のところで「あれから」と「あの日」を使う理由はまだわかりません。 >日本でこの作文を発表?する場合は中国でのイメージを一言添えたほうがよさそうですね^^ この作文はどこでも発表しません。ただの自己満足というか、心を流れている大切な感覚を、糸を引き出すように日本語という言葉で紡ぎたいです^^。
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
こんにちは ( ^^ 暇を見て、また一部手直ししてみました。 前回と同様にほぼそっくり書き換える形になってしまったことをご容赦ください。言葉の一部のみ差替えても却って不自然な文になってしまうので、どうしてもそうせざるを得なくなってしまうのです。 ------------------------------ 席を替わると、私は再び流れてゆく都会の景色に目を戻した。時折車窓から差込むネオンの光が車内を照らす。早春の今、まだ外の空気は肌寒い。 ふと視線を車内に移すと、通路向かいの席の前にかけられた袋から、何かの草花が顔を覗かせているのが目に留まった。微かな芳香がこちらまで漂ってくる。窓外からの明りを頼りに目を凝らして見ると、驚いたことにそれは薄い黄色の花をつけた菊だった。 今時こんな場所で菊にお目に掛かるとは‥。 季節はずれのその花に心惹かれ、私はしばし熱心に見入った。 たくさんの細い舌状花が幾重にも重なり、その一枚一枚が中央の筒状花の集団を包み込むように内側に反り返っている。 シートに身を委ねて菊を愛でる中に、私はすっかり満ち足りた気分になった。目の前の淡い黄色が、次第に私を色彩豊かなイメージの世界へと誘(いざな)う。 燦々と降り注ぐ太陽の光と澄んだ空気、青空の下では爽やかな風が緑の野原を吹き渡り、小川の水はどこまでも清らかだ。土の匂い、朝露の味までも感じられる気さえした。 今宵、空に月はない。でも私の目には、窓から差込む街灯りに照らされた菊が、あたかも月明かりを浴びているかのように美しく映った。 ------------------------------ バスの車内灯はなぜ点いていなかったのかや、月光の色についての認識(普通は青白い)など、疑問点は多々ありますが、細かい部分は敢えて目を瞑りました。 ただ、花の描写については看過出来ないものがあったので、その点についてだけコメントします。 菊という花の構造はちょっと複雑で、普通私達が1個の花だと思っているものは、実はたくさんの小花が集まって作る「頭状花序」というかたまりです。この文に登場する菊は、文章の感じから中央に数多くの筒状花(つつじょうか)の集団があり、その周りをやはり多数の舌状花(ぜつじょうか)が層状にぐるっと囲んでいるタイプだと思われます。 文中に「中央の蘂」とありますが、雄しべ・雌しべは中央の多数の筒状花一つ一つの中にあって極めて小さなものですから、隣の席からそれを肉眼で観察することは先ず困難だと思います。
お礼
補足の箇所の訂正 ×私は月の色をレモン色だと思っております。 ○私は月光の色… ×なぜ月は太陽のような色ではないのでしょうか。 ○なぜ月光は太陽の光… 再びありがとうございます。長文なのですが、ご丁寧に添削して頂きありがとうございます。日本語がお上手な感じがします(母国語ですものね^^)。外国人の私の特に気に入った表現は、「草花」、「目を凝らして見る」、「季節はずれ」、「愛でる」、「色彩豊かなイメージの世界へと誘(いざな)う」、「燦々と降り注ぐ太陽の光」などです。月光の色と菊の蘂の箇所の描写は常識と合わないような気がします。ご意見は大変参考になりました。ありがとうございました。
補足
>通路向かいの席の前にかけられた袋から 申し訳ありませんが、位置はわからなくなってしまいました。これも通路側の席なのでしょうか。私は窓際の席のことを表したかったのです。つまり、私が座っていた通路側の席の右前の席のことです。 >バスの車内灯はなぜ点いていなかったのか 私は中国にいます。バスの中に照明が無いわけではありませんが、人が少ない場合は、発車したあと、運転手はよく一部の電気を消します。 >月光の色についての認識(普通は青白い) 私は月の色をレモン色だと思っております。たぶん、好きな中国の詩人の一句「月光で暖まる女の子は傷がつかないそうだ」からの影響で。月は太陽の光を反射する。そう考えると、なぜ月は太陽のような色ではないのでしょうか。(物理学者に聞かなくちゃ…。) >文中に「中央の蘂」とありますが、雄しべ・雌しべは中央の多数の筒状花一つ一つの中にあって極めて小さなものですから、隣の席からそれを肉眼で観察することは先ず困難だと思います。 おっしゃるような感じの菊だと思います。「中央の蘂を包む」という箇所はただの想像です。実際見えませんでした。
- rinaly-k
- ベストアンサー率17% (126/730)
日本語で文章を書く能力を伸びたいと思うので →伸ばしたいと思うので 次の作文は自然な日本語に添削していただけませんか。 →次の作文を その日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。 →あの日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。(一番最後の一文が「あの日」の方が良いと思ったので、こちらもそろえました。) この日、バスで帰ることにした。 →その日、バスで帰る事にした。 バスに乗り、ちょうど窓際の席があった。 →バスに乗ると、ちょうど窓際の席が空いていた。 「あのう、すみません、席を交換していただけませんか」と後ろから女の子の声が伝わってきた。 →「あのう、すみません、席を交換していただけませんか」と後ろから女の子の声が聞こえてきた。 なんだか私に向かう声だ。 →どうやら私に向けられた声のようだ。 窓外の風景をすでに眺め始める私は、後ろを振り向いたら、ある女子学生の照れくさい顔が目に入った。 →私はすでに窓外の風景を眺め始めていたが、後ろを振り向くと、女子学生の照れくさそうな顔が目に入った。 「クラスメートと一緒に座りたいですけど」 →「もし出来たらクラスメートと一緒に座りたいのですけれど…」(すわりたいですけど、では物凄く偉そうに聞こえます) 通路側の席でも窓の外が見られるし →通路側の席でも窓の外は見られるし(本当は窓側のほうが良く見えるけれど、通路側でもいいかな、という感じがでます) ふと視線を取り戻したら、 →ふと視線を戻すと 菊に出会ったとは。 →菊に出会えるとは。 思う存分にその菊のすべてを心の底に、満ち溢れるのに任せた。 →思う存分にその菊のすべてが心の底に、満ち溢れるのに任せた。 もうすぐバスを降りる。永遠に着かなければよかった! →もうすぐバスを降りなければならない。永遠に着かなければ良かったのに! スクリーンに出てきた菊は、 →スクリーンに映し出された菊は 暗い中でよく見られないが →暗い中でよく見えなかったが 鮮やかな黄色の菊なのだ。 →鮮やかな黄色の菊だったのだ。 その黄色の菊は私に一語もしゃべらなかった。 →その黄色の菊は私に何も語らなかった。 いや、すべてのことを精一杯、私にしゃべった。 →いや、すべてのことを精一杯、私に語りかけてきた。 その日、バスで帰ってよかった。女子学生に会ってよかった。通路側の席に座ってよかった。隣席の人から写真を撮る同意を得てよかった。黄色の菊に出会えてよかった。すべてのすべて、ありがとう。 →あの日、バスで帰ってよかった。女子学生に会えてよかった。席を替わって上げて良かった。隣席の人から写真を撮る同意を得られてよかった。黄色の菊に出会えてよかった。すべてのすべて、ありがとう。 原文はあまりいじらずに、言葉使いで気になったところを書いてみました。これが正解!と自信があるわけではないので参考程度に見てください。 この文を読んで、美しい光景が浮かびました。とても素敵な出来事だな、と感じました。 ただ、文章とは全く関係ないのですが、日本人にとって菊というのは「仏花」のイメージがあります。もし日本人向けに書いた文章だとしたら、違う花のほうがより好印象かもしれません。
お礼
お礼が大変遅れて申し訳ありませんでした。ご親切に添削して頂きありがとうございます。「すわりたいですけど」では物凄く偉そうに聞こえるのでしょうか。「の」は語気を調整するような感じですね。それは難しいです。「通路側の席でも窓の外は見られるし」の「は」の使い方を教えていただき嬉しいです。よく理解できました。「仏花」とは、亡くなった人へ贈るお花のことなのでしょうか。中国でもお墓参りをする時、菊という花を贈りますが、菊を詠う詩と文章もいっぱいあります。ここは中日ちょっと違いますね。大変参考になりました。ありがとうございました。
補足
>あの日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。(一番最後の一文が「あの日」の方が良いと思ったので、こちらもそろえました。) 「こちらもそろえた」というお考え方に興味を持っております。なぜそろえたほうが良いとお考えでしょうか。読者は最初まだ「あの日」はどの日のことなのかわからないのではないでしょうか。
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
qa3963658への回答ついでに、その関連部分だけ添削してみます。 長文なので、さすがに全部はご容赦ください ( ^^ ------------------------------ 「あのう、すみません‥」 窓外の風景を眺めていると、後の席から若い女性の声が聞こえて来た。どうやら私に話し掛けているらしい。振り向くと、女学生の照れくさそうな顔がそこにあった。 「クラスメートと一緒に座りたいので、席を交換していただけませんか」 彼女は、私の隣に座っている同じ制服の女の子を見やりながら、小さな声でおずおずと言った。 「いいですよ」 私は言った。景色なら通路側からでも見えるし、どうせ間もなく降りるのだから、むしろその方が都合がよいと思った。 ------------------------------ 申し訳ありませんが、かなり “好み” が入っています。 表現的なことは個人の好みが絡む(正解がない)ので、参考程度に読んで下さい。 このパートで私が最も気になったのは、「私」に声を掛けてた女性が相手が振り向きもしない内に続けて「席を替わってくれ」と頼んでいる点です。まあ、実際にこういう話し方をする失礼な人がいないこともありませんが、どちらかと言えば稀でしょう。普通は相手がこちらを向くのを待って要件を切り出すと思います。
お礼
いつもお世話になっております。お礼が大変遅れて申し訳ありませんでした。ご丁寧に添削して頂きありがとうございます。「見やる」と「おずおず」は新しい表現です。『「私」に声を掛けてた女性が相手が振り向きもしない内に続けて「席を替わってくれ」と頼んでいる点』はおっしゃるとおりだと思います。考慮の不足でもう少し推敲したほうがいいですね。大変参考になりました。ありがとうございました。
- suunan
- ベストアンサー率14% (224/1569)
添削すると以下のようになります。 ----------------- 私は日本語を勉強中の中国人です。文章力を伸ばしたいと思い作文の練習をしております。次の作文を添削していただけませんか。 特に難しいと感じているのは、こそあど系の言葉および過去形と現在形の選択です。質問文についても間違いがありましたら指摘してください。 よろしくお願い致します。 数日前の事だが、その情景はありありと目に浮かぶ。 その日、街の景色を見たかったのでバスで帰ることにした。 運良く窓際の席に着くことができた。 「あのう、すみません、席を交換していただけませんか」と後ろの女の子が話しかけてきた。外の風景を眺めていた私が振り向くと女子学生が照れくさい顔をして「クラスメートと一緒に座りたいので」と、私の隣のもう一人の女子学生を見ながら小さな声で言った。通路側の席でも窓の外が見られるし降りやすいしと思い、「いいですよ」と私は言った。 私は別の席につき、流れてゆく都会の景色を眺め始めた。まだ肌寒い早春のこの頃。車窓外のネオンの光がちょいちょいと見える。ふと視線を戻したら、隣の乗客の前の席に何か植物がかけてあることに気づいた。薄い黄色の菊だ。まさかこんなところで菊に出会うとは。 ★元の文ではバスの中に照明が無い事になっている。 また、植物の匂いは最初からしていたので、見て気づいた後で 匂いを述べるのはおかしい★ 私の目はすっかりその菊に奪われていた。花びらが一枚一枚ほんの少し内に曲がり、中央の蘂を一層一層、しっかり包んでいる。私はその薄い黄色の菊 菊のすべてが心に満ちるのに任せた。青い空、緑の野原、きれいな水、澄んだ空気、土の匂い、さらさらの風、ぴかぴかのお日様、朝浴びた露の味までも、そこにある菊が届けてくれた。明かりを浴びた菊は薄い黄色のかさに包まれているような気がする。★月との関係が不明★ もうすぐバスを降りる。永遠に降りたくはないが。 隣席の人の同意を得て、その美しい一瞬をカメラに収めた。自動フラッシュの効果で、スクリーンに出てきた菊は、目に迫ってくる輝かしい黄色の菊だ。薄い黄色ではなく鮮やかな黄色の菊なのだ。まるで光る束のようだ。 菊は私に一語もしゃべらなかった。いや、すべてのことを精一杯、私にしゃべった。無言のコミュニケーションを通し、そこにある小さな命がその命なりの「花心」を私に教えてくれた。 バスで帰ってよかった。女子学生に会ってよかった。通路側の席に座ってよかった。隣席の人から写真を撮る同意を得てよかった。黄色の菊に出会えてよかった。できごとのすべてに、ありがとう。
お礼
いつもお世話になっております。お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。質問文を含め、ご親切に添削して頂きありがとうございます。大変参考になりました。ありがとうございました。
補足
>元の文ではバスの中に照明が無い事になっている。 私は中国にいます。バスの中に照明が無いわけではありませんが、人が少ない場合は、発車したあと、運転手はよく一部の電気を消します。 >また、植物の匂いは最初からしていたので、見て気づいた後で匂いを述べるのはおかしい 私も考えてみました。菊の匂いが非常に薄いので、嗅覚より視覚から引き出したほうが良いのではないかと思いました。 >月との関係が不明 その菊を月に喩えたかったです。月と同じような朦朧美、清淡の美しさを感じました。「かさに包まれている」は「暈がかかっている」のような意味を表したかったです。「今夜、月は出ていないが」はわかりにくい表現て申し訳ありません。これは「菊はまるで月のようだ」の間接的な表現のつもりだったと思います。つまり、後半に「菊は月の変わりにバスに出ていた」が省略されました。
- Ryo_ss
- ベストアンサー率36% (35/95)
続けてすみません。 質問文での 日本語で文章を書く能力を伸びたいと思うので、作文の練習をしております。次の作文は自然な日本語に添削していただけませんか。 の部分ですが, 日本語で文章を書く能力を伸ばしたいと思っているので,作文の練習をしております。次の作文を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。 の方が統一性が出ると思います。 最後を“幸いです”と括られているので特にこの方がいいのではないかという印象です。 詳しくないので“印象”程度なんですが・・・。 以上です。
お礼
再びありがとうございます。質問文の添削までも丁寧にして頂き心より感謝いたします。大変参考になりました。
- Ryo_ss
- ベストアンサー率36% (35/95)
あれからもう数日も経っていたが,あの日の情景がいまでもありありと浮かんでくる。 あの日,私はバスで帰ることを思いたった。街の景色が見たかったのだ。 バスに乗り込むと,丁度窓際の席が空いていた。“あっ,ラッキー!”私はすぐさまその席へと腰を下ろした。 窓の外の流れる景色を眺めていた私に,とある声が降ってきた。 “あのう・・・。すみません,席を交換していただけませんか?” どうやっても私に向けられたその声に振り向くと,照れくさそうな顔をした女子学生の姿がそこにはあった。彼女は私の隣に座っていた女子学生を見ながら “クラスメートと一緒に座りたいんですけど・・・。” と小さな声でつぶやいた。街の景色は通路側の席でも楽しむことは出来るし,通路側というのは降りるのには大変都合がいい。私は“いいですよ。”と軽く了承した。 新しい席に落ち着き,私はまた窓の外へと目を移した。流れてゆくまだ肌寒さの残る早春の街並みは,都会ならではの灯りの強さだけをこのバスの中にも届け始めていた。ふとそれに気づいた私はバスの中へと視線を戻した。“植物の薄い香りがする・・・。”差し込む灯りを借りて,私は香りを辿った。私の席の斜め前。それは確かにそこにいた。“まさかこんなところでこの花と出逢うとは・・・。” 私はすっかりそれに心奪われていた。花びら一枚一枚がほんの少しだけ内に描く曲線。中央の蘂を守るように一層一層がしっかりと包み込んでいた。薄い黄色に染まるは菊の花。私はただ思う存分にその姿が私の心の奥を満ち溢れさせることに身を委ねた。 青い空,緑の野原,綺麗な水,澄んだ空気,土の匂い,さらさらの風,ぴかぴかのお日様,朝浴びた露の味までもそこにある菊の花が私の中へと届けてくれた。月の出ていなかったこの夜,私ただそこで,外から溢れてきた灯りを浴びた菊の薄黄色い柔らかな傘で優しく包まれている心地だった。 “永遠に着かなければよかったのに!!”私はもうすぐこの場を離れなければならなかった。それでもこの美しい一瞬の輝きを手放したくなかった私は,隣席の人に同意を得,すぐさまシャッターを切った。 カメラは自動的にフラッシュを焚いたのか・・・。デジタルカメラのスクリーンに映ったその菊は,迫らんばかりの輝かしい黄色を誇っていた。まるで光りの束のような鮮やかな黄色い菊は,私の求めた姿ではまるでなかった。そしてスクリーンに映るその菊は,私に一言も語りかけてはくれなかった。否,そうではなかったのだ。全てのことを精一杯私に伝えてくれていたのだ。無言のコミュニケーションを通し,目の前にあるその小さな命は彼女なりの“花心”を私に確かに教えてくれていた。 あの日バスで帰ってよかった。女子学生に出会えてよかった。通路側の席へ移ってよかった。写真を撮る同意を得ることが出来てよかった。あの菊に出逢えてよかった・・・。 私はあの日のことを思い出すたびに,全ての偶然へ感謝の気持ちでいっぱいになる。心から・・・いつもあの日のみんなへ“ありがとう”と・・・。 貴女の作品を元に私なりに書いてみました。 ちょっとつかみきれない表現がありましたが,そこは個人の表現の自由なのでそのままにしておきました。 書いていて気をつけた点は,貴女が過去を振り返る視点で文章を組み立てているようだったのでそれで揃えたという点でしょうか・・・。 あと,“ありありと”の表現ですが ありあり=あたかも目の前にあるように心に感じられるさま。 なので“ありありと浮かぶ”だけで良いと思いますよ。 言葉が2重になってしまいますから・・・。 私は専門家ではないので説明できませんが, 貴女がどの視点に立って文書を書いているのかはっきりと理解していると言葉をつかみやすいのではないかと思います。 今回の文も “現在→過去→現在” “現在→過去の中においての今→現在” と組み立てることも可能なので混在するとどの言葉を使えばいいのかわからなくなってしまいます。 文中の貴女がいるのはどの時間なのかメモしてみるといいかもしれませんね。 私の文ではかなり都会にお住まいの設定になっています(東京等)。 何が違うかと言うと光りが“漏れる”か“溢れる”かの違いですね。 私としては,菊の都会においての儚い強さから“溢れる”の方がしっくりきました。そぐわないようであれば申し訳ないです。 つい参加したくなり書いてしまいましたが,私の文は軽く流して他の方の意見を特に参考になさってください。 とても色鮮やかな作品でした^^ 情景を思い浮かべるのが楽しかったです。 ありがとうございました。
お礼
お礼が大変遅れて申し訳ありませんでした。かなりの長文ですが、ご丁寧に添削して頂きありがとうございます。 好きな表現が多すぎます。特に印象深いのは、「ある声が降ってきた」の「降る」、「花びら一枚一枚がほんの少しだけ内に描く曲線」の「曲線」、「シャッターを切った」の「切る」、「フラッシュを焚く」の「焚く」、「私の席の斜め前。それは確かにそこにいた」という文、「薄い黄色に染まるは菊の花」という文、「迫らんばかりの輝かしい黄色を誇っていた」という文、そして全文の最後の段落の書き方です。 おっしゃるとおり、「現在→過去→現在」と「現在→過去の中においての今→現在」は確かに混入していると思います。振り返るとき、臨場感が強くなった時、「過去の中においての今」になりました。 いろいろな表現を吟味するのを通して、美しい言葉の世界を案内してくださいました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
補足
1.「もう数日も立っていたが、その日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。この日、バスで帰ることにした。」 >あれからもう数日も経っていたが,あの日の情景がいまでもありありと浮かんでくる。あの日,私はバスで帰ることを思いたった。 「あれ」と「あの」はお互いに暗黙の了解がある時に使う言葉だと教わりました。ここではこういう意味がなく、読者にはわからず、作者の私だけわかっている過ぎ去った遠い日の出来事のことについて書きたいと思うので、「その日」を使いました。また、第二段落の文頭の「この日」は、意識が「現在」から、「過去」に流れてゆき、「過去においての今」(つまり、現在→過去の中においての今)に立つようになったことを表したいと思います。 Ryo_ssさんはどういうお考え方で「あれから」と二つの「あの日」を使われたのか、教えていただけないでしょうか。いきなり「あれから」から文を始めると(後ろの「あの」も)、読者の心の中に『「あれ」と「あの」はいったい何? 私にはわからないよ』という疑問が生じるのではないでしょうか。 2.「車窓外から漏れてきた明かりを浴び、その菊の回りに薄い黄色のかさに包まれているような気がする。今夜、月は出ていないが。」 >月の出ていなかったこの夜,私ただそこで,外から溢れてきた灯りを浴びた菊の薄黄色い柔らかな傘で優しく包まれている心地だった。 薄黄色い柔らかな傘も気持ちいいです^^。なぜ傘に喩えておられたのかやっとわかりました。「かさ」という言葉があったせいでしょうか^^。私の言っている「かさ」は「暈」という漢字に当てはまります。常用漢字でないので、平仮名のままにしました。 その菊を月に喩えたかったのです。「かさに包まれている」は私の心地のことを言っているのではなく、菊も月と同じように回りに「暈がかかっている」という意味です。私の書いた「包む」は誤解を招いてしまったようです。「今夜、月は出ていないが」はわかりにくいかもしれません。これは「菊はまるで月のようだ」の間接的な表現のつもりだったと思いました。つまり、後半に「菊は月の変わりにバスに出ていた」が省略されたと思います。 ということで、光が「漏れる」と「溢れる」の中では、「漏れる」でないと、「月に暈がかかる」のような効果が得られませんね。私はその菊から月と同じような朦朧美、清淡の美しさを感じました。 ちなみに、菊は中国では、象徴的な意味を持つ花です。文人精神の象徴とした「梅蘭竹菊」は中国では非常に有名ですが、日本ではあまり知られていないようですね。また、中国語に「心素如簡,人淡如菊」という言葉があります。日本語に訳すと「心は竹簡の如く素朴に、人は菊の如く淡く」のような意味です。 3.>私としては,菊の都会においての儚い強さから“溢れる”の方がしっくりきました。 このエッセーは都会のネオンの下での菊の清らかな強い命をたたえており、そしてその菊と出会ったまであったすべての出来事、人へ感謝する気持ちを表しました。
- mmtct
- ベストアンサー率22% (31/136)
もう何日も経ってしまったが、その日の情景がいまでもありありと目に浮かんでくる。 その日はバスで帰ることにした。街の景色を見たかったのだ。バスに乗りこむと、ちょうど窓際の席が空いていた。あっ、ラッキー! 席に座り窓の外を眺めていると 「あのう、すみません、席をかわっていただけませんか」と後ろから女の子の声がした。どうも私に言っているようだ。振り向くと、女子学生の照れくさそうな顔が目に入った。「クラスメートと一緒に座りたいのですが・・。」その女子学生は、私の隣にいるもう一人の学生姿の女の子を見ながら小さな声で言った。通路側の席でも窓の外は見られるし、第一降りやすい。「いいですよ」と私は言った。 新しい席につき、再び私は流れてゆく都会の景色を眺め始めた。まだ肌寒い早春のこの頃。車窓のネオンの光が時折車内に漏れてきた。ふと視線をバスの車内へ戻すと、隣の乗客の前の席に何かがかけてあることに気づいた。植物の薄いにおいがする。車外から差し込む明かりで、それは薄い黄色をしている菊だとわかった。まさかこんなところで菊に出会うとは。 私の目はすっかりその菊に奪われた。ひたすらその菊を眺めることになった。花びらの一枚一枚がほんの少し内に曲がり、中央の蘂を一層一層、しっかりと包んでいる。私はただここに座っている。その薄い黄色の菊を目の前にして。私は思う存分、その菊のすべてを心の底に満ち溢れるのに任せた。青い空、緑の野原、きれいな水、澄んだ空気、土の匂い、さらさらの風、ぴかぴかのお日様、朝浴びた露の味までも、そこにある菊が届けてくれたかのようだった。菊は車窓から漏れてきた明かりを浴びて、薄い黄色のかさに包まれているように思えた。今夜、月は出ていないが。 もうすぐバスを降りる。永遠に着かなければいいのに! 隣席の人の同意を得て、その美しい一瞬をカメラに収めた。カメラは自動的にフラッシュを使ったのか、スクリーンに出てきた菊は、目に迫ってくる輝かしい黄色の菊だ。暗い中ではっきりとはわからないのだが、私の見たのは薄い黄色の菊ではなく、鮮やかな黄色の菊なのだ。まるで光る束のようだ。その黄色の菊は私に一語もしゃべらなかった。いや、すべてのことを精一杯、私にしゃべった。無言のコミュニケーションを通し、そこにある小さな命がその命なりの「花心」を私に教えてくれた。 その日、バスで帰ってよかった。女子学生に会えてよかった。通路側の席に座ってよかった。隣席の人から写真を撮る同意を得てよかった。黄色の菊に出会えてよかった。すべてのすべてに、ありがとう。 素晴らしいエッセイですね。 感激しました。 「私は思う存分、その菊のすべてを心の底に満ち溢れるのに任せた。」 という箇所はかなり英語直訳的ですがなんとなく 好きなのでこのままに。。。。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません。かなりの長文ですが、ご親切に添削していただきありがとうございます。いろいろな表現方法が習得できました。「席をかわる」、「第一降りやすい」、「時折」、「差し込む明かりで」などは私にとって新しい表現です。新鮮な感じがします。「私は思う存分、その菊のすべてを心の底に満ち溢れるのに任せた」という文はお気にいられるのでしょうか。それは中国語の直訳です。エッセー風と楽しんでいただき嬉しいです。本当にありがとうございました。大変参考になりました。
- z_574625
- ベストアンサー率16% (144/899)
外国人がこれだけ書ければたいしたものですね。 何が言いたいのかは、ほぼ100%伝わってきます。 とりあえず前半部分。 文法的には正しくても、なんとなく、感覚的に、直感で直している部分もあります。 ・もう数日も立っていたが → ~経っていたがor ~たっていたが ・女の子の声が伝わってきた。 → ~聞こえてきた。 ・なんだか私に向かう声だ。 → どうやら私に~ ・窓外の風景をすでに眺め始める私は → ~風景を眺め(始め)ていた私は ・私は、後ろを振り向いたら、 → 私が、後ろを振り向くと、 ・一緒に座りたいですけど → ~座りたいんですけど(~座りたいのですけど) ・もう一人の学生姿の女の子を見ながら、 → もう一人、別の女子学生~ 後半部分は他の誰かにお任せします。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。指摘された箇所はほとんど納得できました。「どうやら」、「と」/「たら」の使い方がまだよくわからないので、整理してみます。また質問させていただくかもしれません。その時はまたよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
- 1
- 2
お礼
時雨先生、お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。添削意見を拝見しました。丁寧にご教授くださり本当に有り難うございました。 >ここで使われた「ちょいとちょいと」は意味不明。 「ちょいと」という表現はどこかで読んだことがあるような気がします。自分の使える単語になりたいので、使ってしまいました。不自然な使い方だと指摘してくださり、助かりました。 >⇒「朝浴びた露の味」という表現も同じ様に違和感があります。 >朝、露を浴びたときに味わった味?「味」という単語が原因? 先生は「朝露を浴びた葉の煌き」とお書きになっています。それは美しい情景描写だと感じました。ただ、私は味覚という視点から表現したかったのです。「浴びる」は誤用かもしれません。「朝飲んだ露の味」と訂正させていただきます。 先生の添削意見は本当に大変参考になりました。心より感謝いたします。日々精進します。