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自然な日本語に添削していただけませんか(菊)。
日本語を勉強中の中国人です。日本語で文章を書く能力を伸びたいと思うので、作文の練習をしております。次の作文は自然な日本語に添削していただけませんか。特に、難しいと感じたのは、こそあど系の言葉、過去形と現在形の取捨です。また、質問文に不自然な日本語がありましたら、それも指摘していただければ幸いです。よろしくお願い致します。 もう数日も立っていたが、その日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。 この日、バスで帰ることにした。街の景色を見たかったのだ。バスに乗り、ちょうど窓際の席があった。あっ、ラッキー! 「あのう、すみません、席を交換していただけませんか」と後ろから女の子の声が伝わってきた。なんだか私に向かう声だ。窓外の風景をすでに眺め始める私は、後ろを振り向いたら、ある女子学生の照れくさい顔が目に入った。「クラスメートと一緒に座りたいですけど」と、その女子学生は、私の隣のもう一人の学生姿の女の子を見ながら、小さな声で言った。通路側の席でも窓の外が見られるし降りやすいしと思い、「いいですよ」と私は言った。 新しい席につき、私は流れてゆく都会の景色を眺め始めた。まだ肌寒い早春のこの頃。車窓外のネオンの光がちょいとちょいと車内に漏れてきた。ふと視線を取り戻したら、隣の乗客の前の席に何か植物がかけてあることに気づいた。植物の薄いにおいがする。車外の明かりを借り、それは薄い黄色をしている菊だとわかった。まさかこんなところで菊に出会ったとは。 私の目はすっかりその菊に奪われていた。ひたすらその菊を眺めることになった。花びらが一枚一枚ほんの少し内に曲がり、中央の蘂を一層一層、しっかり包んでいる。私はただここに座っている。その薄い黄色の菊を目の前に。思う存分にその菊のすべてを心の底に、満ち溢れるのに任せた。青い空、緑の野原、きれいな水、澄んだ空気、土の匂い、さらさらの風、ぴかぴかのお日様、朝浴びた露の味までも、そこにある菊が届けてくれた。車窓外から漏れてきた明かりを浴び、その菊の回りに薄い黄色のかさに包まれているような気がする。今夜、月は出ていないが。 もうすぐバスを降りる。永遠に着かなければよかった! 隣席の人の同意を得て、その美しい一瞬をカメラに収めた。カメラは自動的にフラッシュを使ったのか、スクリーンに出てきた菊は、目に迫ってくる輝かしい黄色の菊だ。暗い中でよく見られないが、私の見たのは薄い黄色の菊ではなく、鮮やかな黄色の菊なのだ。まるで光る束のようだ。その黄色の菊は私に一語もしゃべらなかった。いや、すべてのことを精一杯、私にしゃべった。無言のコミュニケーションを通し、そこにある小さな命がその命なりの「花心」を私に教えてくれた。 その日、バスで帰ってよかった。女子学生に会ってよかった。通路側の席に座ってよかった。隣席の人から写真を撮る同意を得てよかった。黄色の菊に出会えてよかった。すべてのすべて、ありがとう。
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awayuki_ch さん こんにちは。 お礼をありがとうございます。また、補足を読ませて頂きました。 前回の回答は、締め切られてしまうかな思いながら書きましたので、私の文章だけを記しただけになりました。 awayuki_ch さんのお書きになった文章の一つ一つに対する私なりの見解を、以下に記しますのでご参考になさってください。 1.もう数日も立っていたが、その日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。 ⇒「立って」はもちろん「経って」ですね。 ⇒「もう数日も経っていたが」という表現は、「○○から数日が経過した」というように、起点を示す言葉が入るほうが自然です。 ⇒そのために「あれから数日が経った」という表現を使いました。 2.この日、バスで帰ることにした。街の景色を見たかったのだ。 ⇒この後に続く文章のスタイルを見ても、ここは、「私」という主語を入れるほうが良いと思います。 ⇒この日、私はバスで帰ることにした。 ⇒「街の景色を見たかったのだ」でも良いですし、「街の景色を見たかったからだ」とか「街の景色を間近に見たかったからだ」などでも良いと思います。 3.【バスに乗り、ちょうど窓際の席があった。】は少々おかしいです。 ⇒「バスに乗り」という表現を使うのであれば、「バスに乗りあたりを見回すと、ちょうど窓際に空いてる席があった」というようになります。 ⇒他の言い方では「バスに乗ると(乗り込むと)、ちょうど窓際に空いている席があった」 4.後ろから女の子の声が伝わってきた。(このような場合、「伝わってきた」はあまり使いません) ⇒後ろから女の子の声が聞こえてきた。 5.なんだか私に向かう声だ。 ⇒「なんだか」と、はっきりしないけれどという表現を使っていますので、文末は「だ」と断定するのではなく、「のようだ」という表現が妥当です。 ⇒「私に向かう声」は「私に向けられた声」とか「私に向かって発せられた声」など表現を変えるほうがよいでしょう。 6.窓外の風景をすでに眺め始める私は、後ろを振り向いたら、ある女子学生の照れくさい顔が目に入った。 ⇒眺め始める私は、後ろを振り向いたら、顔を目に入った。という文章は成立しません。 ⇒このままの表現を使うと、眺め始める私が振り向いたら顔が目に入った。という文章になります。 ⇒ここで「眺め始める私」は間違いです。既に窓外を眺め始めるという動作に入っていたわけですから、【眺め始めていた私】という表現が正しいと思います。 ⇒「振り向いたら」という言葉遣いより、「振り向くと」とか「振り向いてみると」という表現の方が文章としてはきれいかもしれません。 7.「クラスメートと一緒に座りたいですけど」 ⇒「座りたいですけど」という言い方は少々不自然です。 ⇒「座りたいのですけど」となりますが、セリフですから「座りたいんですけど」という言葉遣いが自然ではないでしょうか。 8.【私の隣のもう一人の学生姿の女の子を見ながら】という文章は全てが「の」でつながっており、非常に読みづらい文章になっています。 ⇒私の隣に座っているもう一人の制服を着ている女学生を見ながら」などとすると、読みやすく、また判り易いと思います。 9.通路側の席でも窓の外が見られるし降りやすいしと思い ⇒「見られるし」は「見ることが出来るし」、「降りやすいし」は「すぐに降りられる」とか「降りるときすぐ降りられる」 10.新しい席につき、私は流れてゆく都会の景色を眺め始めた。 ⇒単に「流れてゆく」だけではなく、「窓外を流れてゆく」とか「目の前を流れてゆく」、「流れるように目の前を通り過ぎてゆく」などのほうが良いとおもいます。 11.「まだ肌寒い早春のこの頃。」 ⇒この文章は唐突で中途半端です。 ⇒まだ肌寒い早春のこの頃に何かを感じたということだと思います。 ⇒例えば、「まだ肌寒い早春のこの頃、夕闇の迫った街を行く人々は寒そうに早足で歩いている」とか、「まだ肌寒い早春のこの頃、日が落ちたばかりだというのに、夜の帳(とばり)が降り始めていた」など。 12.車窓外のネオンの光がちょいとちょいと車内に漏れてきた。 ⇒ここで使われた「ちょいとちょいと」は意味不明。 ⇒「ちょいと」は、人(主に女性)が近くにいる人(主に男性)を呼び止めるときに使う言葉です。 ⇒「車内に漏れてきた」は、カーテンなどを引いてあるのに、その隙間から光が差し込んで来るようなときに「漏れてきた」を使います。 ここでは、まだカーテンは引いていないわけですから、「漏れてきた」ではなく、「差し込む」「入り込んでくる」などの表現でよいでしょう。 13.ふと視線を取り戻したら、 ⇒視線は、「取り戻す」のではなく、「戻す」です。 ⇒窓の外を見ていた視線を車内に戻すわけですから、「ふと視線を車内に戻したら」「ふと視線を車内に戻すと」 14.植物の薄いにおいがする。 ⇒草花や食べ物などは、「におい」という言葉より「香り」という言葉の方が品がいいです。また、「香り」が強い場合、「濃い香り」とは言いますが、弱い香りの場合、「薄い香り」とは言わずに、「ほのかな香り」「かすかな香り」などという言い方をします。 15.車外の明かりを借り、それは薄い黄色をしている菊だとわかった。 ⇒「車外の明かりを借り」で切ってしまうより以下の表現の方が自然です。 ⇒車外の明かりを借りてよく見ると、それは薄い(淡い)黄色をしている菊だとわかった。 16.まさかこんなところで菊に出会ったとは。 ⇒「出会った」ではなく「出会える」とか「出会えた」という表現の方が、菊と出会わせていただいたというニュアンスが醸し出され、出会いを感謝している気持が現れます。 17.私の目はすっかりその菊に奪われていた。ひたすらその菊を眺めることになった。 ⇒この二文は一つにまとめる方が読みやすいです。 ⇒私の目はすっかりその菊に奪われてしまい、ひたすらその菊を眺め続けることとなった。 18.花びらが一枚一枚ほんの少し内に曲がり、中央の蘂を一層一層、しっかり包んでいる。 ⇒「花びらが一枚一枚」ではなく、「花びら一枚一枚が」 ⇒一層一層の部分は回答文で。 19.私はただここに座っている。その薄い黄色の菊を目の前に。思う存分にその菊のすべてを心の底に、満ち溢れるのに任せた。 ⇒ここに記された三つの文章も、二つ、もしくは一つにまとめる方が読みやすいでしょう。 ⇒私はその淡い黄色の菊を目の前にして、ただ座っているだけだった。そして、心の底の方からその菊の全てが湧き出してきた。私はそれらが私の心に満ち溢れてくるに任せて座っていた。 ⇒私はその淡い黄色の菊を前にして座って、その菊のすべてが私の心の中に満ち溢れてくるに任せていた。 20.青い空、緑の野原、きれいな水、澄んだ空気、土の匂い、さらさらの風、ぴかぴかのお日様、朝浴びた露の味までも、そこにある菊が届けてくれた。 ⇒ここでは、「ぴかぴかのお日様」という言葉に違和感を覚えます。 突然子供向けの言葉が出てきたかのような違和感です。 ⇒「朝浴びた露の味」という表現も同じ様に違和感があります。 朝、露を浴びたときに味わった味?「味」という単語が原因? 21.車窓外から漏れてきた明かりを浴び、その菊の回りに薄い黄色のかさに包まれているような気がする。 ⇒「その菊の回りに」を使うのであれば、「薄い黄色のかさ出来ている」 ⇒「その黄色の菊の回りが」とすれば、「薄い黄色のかさに包まれているような気がする」でかまわないでしょう。 22.「今夜、月は出ていないが。」 ⇒あまり良い使い方ではないような気がします。(間違いではありません) 23.隣席の人の同意を得て、その美しい一瞬をカメラに収めた。 ⇒この「同意」は「許可・許し・承諾」などのほうが良いでしょう。 ⇒一緒に何かをするときは「同意」で良いのでしょうが、ここは、撮らせて頂く許可を得たわけですから「同意」より「許し」 24.カメラは自動的にフラッシュを使ったのか、 ⇒カメラの意思でフラッシュを使う(焚く)わけではなく、カメラの機能としてフラッシュが自動的に焚かれるわけですから、「カメラは自動的にフラッシュが焚かれ」 25.スクリーンに出てきた菊は、 ⇒スクリーンというかモニターに映し出された 26.目に迫ってくる輝かしい黄色の菊だ。 ⇒実際に目に迫ってくるのではなく、「目に迫ってくるような」 少々、表現的に違和感のあるところを抽出してみました。 ご参考までに。 awayuki_ch さんから頂いたご質問には後日回答します。 頑張って下さい。
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- MockTurtle
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ANo.15 補足への回答です ( ^^ > 私はAという席に座っています。Dの席のことを表したかったです。 > > ーー|通 |ーCーD > ーー|路 |ーAーB あれれ‥? (@@; それならば「通路を挟んで」を取って、 「右斜め前の席」(「斜前」(はすまえ)とも言います) でいいでしょう。通路側に移ったことは文脈上明白なので、斜め前と言えば当然「窓側」ですから、これも省いて大丈夫だと思います。この種の描写は、なるべく回りくどい表現になるのを避けたいものです(注: 位置関係を厳密に伝える必要がある場合は、その限りではありません)。 ただ、この位置関係だと座った状態では前席の背もたれが邪魔になって、A席からD席は見えないのではありませんか? 席交替のため立った際に目に入ったということならば理解できるのですが、awayuki_ch さんの文章では、座った状態で視線を窓外から車内に戻した際に初めて気付いたことになっているので、何だか不自然ですねぇ・・・ ( ^^; ちなみに、私がこの文章を読んだ時点で想像したのは、次のような状況です(ちなみに空席なしの設定)。 A B|通 |■ ■ ■ C|路 |■ 菊 A: 「私」が最初に座っていた席 B: 女学生 C: 後から「私」に声をかけた女学生 菊: 席には菊の持ち主が座っていて、菊は前席の背もたれの裏側に袋に入ってぶら下げられている(鉢植えではなく切花) つまり、C席の女学生と入れ替わって右斜め後方に移動した結果、通路の反対側の席(の前)にある花が目に入ったと考えました。 ただ、こうして図にしてみて思ったのですが、これだと菊の位置は「通路を挟んで右斜め前の窓側」と言うより、「通路向かいの窓側」でしたね。
お礼
何度もありがとうございます。MockTurtleさんの位置関係図を拝見しました。ただ、このような位置関係だと、菊のかおりが強くないので、私のような嗅覚の鋭くない人間は嗅げないのではないかと思います^^。ご説明ありがとうございました。
補足
お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。
- shigure136
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awayuki_ch さん こんにちは。 「これ」「それ」「あれ」は、awyuki_ch さんがお書きになっている通りで、話し手からの距離感を基準に使われるのですが、主に、物体として目で確認できる物を指すときに当てはまるものなのではないかと思います。 「この」本を見てごらん。 ⇒話し手の目の前に置いてある本 「その」本を見てごらん。 ⇒話し手の傍ではなく、相手の近くに置いてある本 「あの」本を見てみよう。 ⇒両者の近くには置いてないけど、二人とも、どの本のことを指しているのか判っている。 これは「こ」「そ」「あ」の代表的な使われ方だと思います。 しかし、「あれ」「あの」などが常に二人の間で「暗黙の了解」があるとは限らないのです。 例えば、「あれをどうぞ」と言った場合 ⇒たしかに、「あれ」話し手の傍にはなく、聞き手の傍にもなく、二人から離れたところにおいてある物を指し示しています。 ⇒ところが、二人から離れたところにおいてあるものが一つだけだった場合は問題がないのですが、複数のものがおいてある場合、「あれをどうぞ」と言われても聞き手はどれを手にして良いのか判らないのです。 「あれってどれ?」という質問が返ってくることになります。 この場合、「あれ」は、自分たちの傍にあるものではないというだけで、二人の間に「暗黙の了解」のあった「もの」を指しているのではないことが判ります。 また、いつもこのように話し手からの距離とか、聞き手との距離によって使い分けられるかというとそうでもないのです。 話し手と聞き手が並んでいる場合の会話では、対象物はどちらも二人から同距離にあることになります。 この店に入ろうか。 ⇒これは目の前にある店(特に話し手の近くにあるわけではない)に入ろうとしています。 その店に入ろうか。 ⇒二人から少し離れたところにある店(特に聞き手に近いわけではない)に入ろうとしています。 あの店に入ろうか。 ⇒二人からかなり離れたところにある店。 ⇒そして、この場合も、話し手が入ろうとしている店を、聞き手も判っているかどうかは明確ではありません。つまり、暗黙の了解は無いけど「あの」が使われるのです。 このように「こ」「そ」「あ」は、原則として、話し手、聞き手からの距離と、両者が暗黙のうちに了解しているものに使われるのですが、そのような使われ方だけではないのです。 さらに、対象が物体ではなく事象、状況などの場合、「こ」「そ」「あ」の使い方は、awayuki_ch さんが勉強した使い方から大きく離れてきます。 1.>【あれから】数日が経ったというのに、【あの日】の情景はいまでもありありと目に浮かんでくる。 ここでの疑問は、両者(書き手と読み手)の間に、未だ暗黙の了解が無いのに、何故「あ」が使われているのかということだと思います。 awayuki_ch さんは、「こ」「そ」「あ」の使い方に自信がないあまり、「数日が経った・・・」という唐突な書き出しにしたのだと思います。 しかし、このような書き出しにしても、読んだ人は「数日っていつから数日なんだろう?」と戸惑うことになるのです。「あれから」」という言葉を入れた時と同じ影響が出てくるのです。このような文章に接した場合、読者は、何か出来事があって、その日から数日が経過したということだなと判断すると同時に、どんなことなんだろうと期待感を持って読み進めることになるのです。 そして、ここで使われる言葉としては「あれから」だけでなく、「それから」も使えるのです。 そういった意味では、「あれから」「それから」「これから」などは、読者を文章に引き込んでいくテクニックに相当するものかもしれません。 >【その日】、私はバスで帰ることにした。 >【その日】、バスで帰ってよかった。 これらも「その日」だけでなく、「あの日」「この日」などを使うことが出来るのです。 原爆が長崎に落とされた。 「あの日のことは忘れない」 「その日のことは忘れない」 「この日のことは忘れない」 私は最終回に逆転ホームランを打たれた。 「あの日のことは忘れようにも忘れられない」 「その日のことは生涯忘れないだろう」 「この日のことは昨日のことのように覚えている」 厳密に言えば微妙にニュアンスが異なるのかもしれません。しかし、どれを使っても五十歩百歩、出来事のあった日のことを指していることに変わりはありません。 上記【】で括った箇所でなぜそう(←ここの「そう」も正しい?)書かれたのか、説明していただけないでしょうか。 ⇒「そうなった」は「そのようになった」ということですから正しいです。 ⇒しかし、「こうなった」も、「このようになった」ということですから正しいのです。 ⇒ただ「ああなった」は、「あのようになった」ということですから、第三者が行った事柄については使えますが、例文のような場合には使えません。 awayuki_ch さんが作成した会話は十分成立しますよ。(ご添削ください→ここに「ご」は不要です。「添削をお願いいたします」で良いでしょう) A:あれから、インターネットで絵葉書をたくさん作ったんだ。全部見た? B:うん、見た、見た。(BはAの言った「あれから」の意味がちゃんとわかる。つまり、お互いに暗黙の了解があるということ。) C:ごめん、Aさんの言った「あれから」って何?(CはAの言った「あれから」の意味がわからなかったので、Aに聞きたくなる。) 私の疑問に思ったところは、「あれから」の「あれ」は読者にはまだわからないのに、いきなり「あれから」で文を始めると、読者の心の中に(つまり、上記の会話の中のC役に当てはまる)、『「あれから」って何?』という疑問が生じるのではないでしょうか。 ⇒たしかに、この会話部分だけを取り出すと、 C の人のセリフを読者も発することになるかもしれません。しかし、ここにある「あれから」の果たす役割はとても大きいのです。 「あれから」があるだけで、A、Bという二人の間に何かがあったことが判るのです。 CがAに訊きたくなるように、読者もその先を読んでみたくなるのです。 何から何まで全てを明白にするのではなく、隠れた部分を敢えて作って興味をそそるという手法にもなると思いますが・・・・・。 文章の最初のところの「あの日」についても同じです。「あの日」って何があった日なんだろうと思って読みはじめるかもしれません。 ただ後段でその説明が書かれていなければ、読者は何が何やら判らなくなってしまいます。 ちょっと長くなってしまいましたのでこの辺にしておきます。
お礼
時雨先生、何度もありがとうございます。もう一度八年前に使っていた最初の教科書で確認しました。確かに最初は『暗黙の了解は無い「あ」』を学びました。「こ・そ・あ」の使い方を詳しくまとめていただきありがとうございます。読者を文章に引き込んでいくテクニックも習得できました。大変参考になりました。本当に有り難うございました。
- Ryo_ss
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Ryo_ssです。No.9の補足に対しての回答です。 “あれ”についてですが・・・。 あれ と それ は非常に近い場合があります。 それ = 話し手から遠いもの はあっているといえばあっていますが,“あれ”も同じ意味を持っています。 あれ = 話し手から遠いもの も成り立つのです。どちらがどう違うのかというと“それ”より“あれ”の方がやや遠いものを指します。ですから・・・ A:これと・・・それと・・・あれもいただけますか? B:はい。こちらの3点ですね? というような会話は日本では普通にあり得る話です。 “あれから”については分割して考えても問題はありませんが,基本的に“過去のある点から”を表す場合は“あれから”を使用しますので混乱するようならまとめて憶えても構いません。 しかし,awayuki_chさんの認識にはあまり間違いがあるようにも見えませんので,最大の疑問は“あれから”を文頭に使っても読者が疑問に思わないのは何故か?というところですね。 理由は,“あれから”の“あれ”を後の文で説明しているからです。 もっというと,“あれから~”と始まったことで普通に思い出話をするよりも何を思い出してるのかに注意を惹きつけることが可能です。 挙げられた例文についてですが・・・ CさんはAさんの言った“あれから”にそれが何か知らないがゆえ興味を持ちましたよね?それを読者にも持たせるのです。 “あれから~”と始まって“あれ”について説明が後にも先にもないと問題ですが,今回の作文では菊との出逢いが後から詳しく書かれてますよね?なので作文を読み終わる頃には“あれから”の“あれ”とはこれのことを言っていたのか・・・。と読者は納得しているのです。 日本人でawayuki_chさんのように“あれから”に改めて疑問を持つ人はいないと言って過言ではありませんが,無意識に疑問をもち理解・納得しているのです。 ですから,“あれから~”と文章をはじめても大丈夫なんですよ^^ 例えばおじいさんが孫に思い出話をする時 “あれからどのくらい経ったのかなぁ?” とつぶやくと“あれから”の“あれ”を知らない子供は “あれからって何?!早く教えて!!” って気持ちになりますよね? その気持ちになって欲しくて使う方法だと思っていれば好いと思います。 嫌な言い方をすれば,awayuki_chさんのような“あれ”に対する疑問や純粋な興味を一番言いたい事(菊との出逢いのエピソード)をより強く印象に残すために利用したんですよ^^; 月は私も好きです。眺めていると不思議と気持ちも落ち着きますし・・・。時間を忘れます。 夜空というのは月に限らず見ていて飽きないですね。とても面白い。 私は雲が少しあるぐらいが特に好きです。 少し曇っていると別の世界を反対側から覗いているようで想像力をかきたてられます^^ 月のたとえはもっと作文を推敲し上手く効果を感じられるように使えると好いですね。 でも,伝えたい状況はawayuki_chさんとこうして接している上で私には理解できましたよ^^
お礼
お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。「あれ」について詳しく教えていただきありがとうございました。読者の注意を惹きつけることも可能なのですね。おじいさんが孫に思い出話をする例はわかりやすいと思います。私の伝えたい状況を理解していただけると聞いて嬉しいです。何度も本当にありがとうございました。
- shigure136
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awayuki_ch さん こんにちは。 お礼をありがとうございます。また、補足を読ませて頂きました。 前回の回答は、締め切られてしまうかな思いながら書きましたので、私の文章だけを記しただけになりました。 awayuki_ch さんのお書きになった文章の一つ一つに対する私なりの見解を、以下に記しますのでご参考になさってください。 1.もう数日も立っていたが、その日の情景がいまでもありありと目に浮かぶ。 ⇒「立って」はもちろん「経って」ですね。 ⇒「もう数日も経っていたが」という表現は、「○○から数日が経過した」というように、起点を示す言葉が入るほうが自然です。 ⇒そのために「あれから数日が経った」という表現を使いました。 2.この日、バスで帰ることにした。街の景色を見たかったのだ。 ⇒この後に続く文章のスタイルを見ても、ここは、「私」という主語を入れるほうが良いと思います。 ⇒この日、私はバスで帰ることにした。 ⇒「街の景色を見たかったのだ」でも良いですし、「街の景色を見たかったからだ」とか「街の景色を間近に見たかったからだ」などでも良いと思います。 3.【バスに乗り、ちょうど窓際の席があった。】は少々おかしいです。 ⇒「バスに乗り」という表現を使うのであれば、「バスに乗りあたりを見回すと、ちょうど窓際に空いてる席があった」というようになります。 ⇒他の言い方では「バスに乗ると(乗り込むと)、ちょうど窓際に空いている席があった」 4.後ろから女の子の声が伝わってきた。(このような場合、「伝わってきた」はあまり使いません) ⇒後ろから女の子の声が聞こえてきた。 5.なんだか私に向かう声だ。 ⇒「なんだか」と、はっきりしないけれどという表現を使っていますので、文末は「だ」と断定するのではなく、「のようだ」という表現が妥当です。 ⇒「私に向かう声」は「私に向けられた声」とか「私に向かって発せられた声」など表現を変えるほうがよいでしょう。 6.窓外の風景をすでに眺め始める私は、後ろを振り向いたら、ある女子学生の照れくさい顔が目に入った。 ⇒眺め始める私は、後ろを振り向いたら、顔を目に入った。という文章は成立しません。 ⇒このままの表現を使うと、眺め始める私が振り向いたら顔が目に入った。という文章になります。 ⇒ここで「眺め始める私」は間違いです。既に窓外を眺め始めるという動作に入っていたわけですから、【眺め始めていた私】という表現が正しいと思います。 ⇒「振り向いたら」という言葉遣いより、「振り向くと」とか「振り向いてみると」という表現の方が文章としてはきれいかもしれません。 7.「クラスメートと一緒に座りたいですけど」 ⇒「座りたいですけど」という言い方は少々不自然です。 ⇒「座りたいのですけど」となりますが、セリフですから「座りたいんですけど」という言葉遣いが自然ではないでしょうか。 8.【私の隣のもう一人の学生姿の女の子を見ながら】という文章は全てが「の」でつながっており、非常に読みづらい文章になっています。 ⇒私の隣に座っているもう一人の制服を着ている女学生を見ながら」などとすると、読みやすく、また判り易いと思います。 9.通路側の席でも窓の外が見られるし降りやすいしと思い ⇒「見られるし」は「見ることが出来るし」、「降りやすいし」は「すぐに降りられる」とか「降りるときすぐ降りられる」 10.新しい席につき、私は流れてゆく都会の景色を眺め始めた。 ⇒単に「流れてゆく」だけではなく、「窓外を流れてゆく」とか「目の前を流れてゆく」、「流れるように目の前を通り過ぎてゆく」などのほうが良いとおもいます。 11.「まだ肌寒い早春のこの頃。」 ⇒この文章は唐突で中途半端です。 ⇒まだ肌寒い早春のこの頃に何かを感じたということだと思います。 ⇒例えば、「まだ肌寒い早春のこの頃、夕闇の迫った街を行く人々は寒そうに早足で歩いている」とか、「まだ肌寒い早春のこの頃、日が落ちたばかりだというのに、夜の帳(とばり)が降り始めていた」など。 12.車窓外のネオンの光がちょいとちょいと車内に漏れてきた。 ⇒ここで使われた「ちょいとちょいと」は意味不明。 ⇒「ちょいと」は、人(主に女性)が近くにいる人(主に男性)を呼び止めるときに使う言葉です。 ⇒「車内に漏れてきた」は、カーテンなどを引いてあるのに、その隙間から光が差し込んで来るようなときに「漏れてきた」を使います。 ここでは、まだカーテンは引いていないわけですから、「漏れてきた」ではなく、「差し込む」「入り込んでくる」などの表現でよいでしょう。 13.ふと視線を取り戻したら、 ⇒視線は、「取り戻す」のではなく、「戻す」です。 ⇒窓の外を見ていた視線を車内に戻すわけですから、「ふと視線を車内に戻したら」「ふと視線を車内に戻すと」 14.植物の薄いにおいがする。 ⇒草花や食べ物などは、「におい」という言葉より「香り」という言葉の方が品がいいです。また、「香り」が強い場合、「濃い香り」とは言いますが、弱い香りの場合、「薄い香り」とは言わずに、「ほのかな香り」「かすかな香り」などという言い方をします。 15.車外の明かりを借り、それは薄い黄色をしている菊だとわかった。 ⇒「車外の明かりを借り」で切ってしまうより以下の表現の方が自然です。 ⇒車外の明かりを借りてよく見ると、それは薄い(淡い)黄色をしている菊だとわかった。 16.まさかこんなところで菊に出会ったとは。 ⇒「出会った」ではなく「出会える」とか「出会えた」という表現の方が、菊と出会わせていただいたというニュアンスが醸し出され、出会いを感謝している気持が現れます。 17.私の目はすっかりその菊に奪われていた。ひたすらその菊を眺めることになった。 ⇒この二文は一つにまとめる方が読みやすいです。 ⇒私の目はすっかりその菊に奪われてしまい、ひたすらその菊を眺め続けることとなった。 18.花びらが一枚一枚ほんの少し内に曲がり、中央の蘂を一層一層、しっかり包んでいる。 ⇒「花びらが一枚一枚」ではなく、「花びら一枚一枚が」 ⇒一層一層の部分は回答文で。 19.私はただここに座っている。その薄い黄色の菊を目の前に。思う存分にその菊のすべてを心の底に、満ち溢れるのに任せた。 ⇒ここに記された三つの文章も、二つ、もしくは一つにまとめる方が読みやすいでしょう。 ⇒私はその淡い黄色の菊を目の前にして、ただ座っているだけだった。そして、心の底の方からその菊の全てが湧き出してきた。私はそれらが私の心に満ち溢れてくるに任せて座っていた。 ⇒私はその淡い黄色の菊を前にして座って、その菊のすべてが私の心の中に満ち溢れてくるに任せていた。 20.青い空、緑の野原、きれいな水、澄んだ空気、土の匂い、さらさらの風、ぴかぴかのお日様、朝浴びた露の味までも、そこにある菊が届けてくれた。 ⇒ここでは、「ぴかぴかのお日様」という言葉に違和感を覚えます。 突然子供向けの言葉が出てきたかのような違和感です。 ⇒「朝浴びた露の味」という表現も同じ様に違和感があります。 朝、露を浴びたときに味わった味?「味」という単語が原因? 21.車窓外から漏れてきた明かりを浴び、その菊の回りに薄い黄色のかさに包まれているような気がする。 ⇒「その菊の回りに」を使うのであれば、「薄い黄色のかさ出来ている」 ⇒「その黄色の菊の回りが」とすれば、「薄い黄色のかさに包まれているような気がする」でかまわないでしょう。 22.「今夜、月は出ていないが。」 ⇒あまり良い使い方ではないような気がします。(間違いではありません) 23.隣席の人の同意を得て、その美しい一瞬をカメラに収めた。 ⇒この「同意」は「許可・許し・承諾」などのほうが良いでしょう。 ⇒一緒に何かをするときは「同意」で良いのでしょうが、ここは、撮らせて頂く許可を得たわけですから「同意」より「許し」 24.カメラは自動的にフラッシュを使ったのか、 ⇒カメラの意思でフラッシュを使う(焚く)わけではなく、カメラの機能としてフラッシュが自動的に焚かれるわけですから、「カメラは自動的にフラッシュが焚かれ」 25.スクリーンに出てきた菊は、 ⇒スクリーンというかモニターに映し出された 26.目に迫ってくる輝かしい黄色の菊だ。 ⇒実際に目に迫ってくるのではなく、「目に迫ってくるような」 少々、表現的に違和感のあるところを抽出してみました。 ご参考までに。 awayuki_ch さんから頂いたご質問には後日回答します。 がんばってくださいね。
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
こんにちは ( ^^ 前回のANo.13を少し訂正します。 「通路を挟んで右斜め前の窓【際】の席」 ↓ 「通路を挟んで右斜め前の窓【側】の席」 この方が聞こえがいいと思います。と言うのは・・・ 日本には「窓際族」という俗語があります。これは、一応 “○○長” などの役職名は与えられていても実際には部下は一人もおらず、仕事らしい仕事も与えられない、言わば社内で飼い殺し状態に置かれた中高年サラリーマンを指す言葉です。1970年代後半にこの言葉が世間で使われるようになって以来、「窓際」にはどうもマイナーなイメージが付きまとうようになってしまいました (笑) もちろん言葉本来の意味が変ったわけではないので、気にせず使っても構わないのですが、この場合は「通路側」の反対語という意味からも「窓側」の方が適当でしょう。 さて、質問文の添削が途中までだったので、訂正ついでに最後の部分を載せます。例によって添削と言うより「書き直し」に近いものですが、「ふ-ん、こんな言い方もあるのか」程度の参考にしてください。 ちなみに、乗合バスの中でのストロボ撮影は、他の乗客が大変迷惑します。今後はやらない様に注意してくださいね ( ^^ ------------------------------ ふと気がつくと、バスはもう家の最寄のバス停に近付いていた。だが、いつもは到着が待ち遠しいそのバス停に、今夜はいつまでも着いて欲しくない気分だった。 このまゝ菊と別れてしまうのは何とも名残惜しかったので、隣席の人に頼んで写真を1枚撮らせてもらった。 一瞬ストロボが閃き、続いてカメラのモニターに菊の花が映し出された。しかしその花の色は、薄暗がりの中で見ていた時のイメージとはまったく違う鮮やかな色彩を放っていた。あたかも光の束を見るかのようなその眩さに、私は思わず目を見張った。 菊は、もちろん何も言わない。が、その美しさが私の心の琴線を震わせ、それに応えて私がカメラのシャッターを切る。無言のコミュニケーションを通して私と菊とは、その時確かに魂で語り合っていたのだと思う。 今宵たまたま帰宅にバスを使おうと思ったこと、そして女学生達に声を掛けられたこと‥。結果として菊の花との一期一会の邂逅(かいこう)をもたらしてくれたそれらの偶然一つ一つに、私は「ありがとう」と感謝した。 ------------------------------ このパートで一番気になったのは、「その美しい一瞬をカメラに収めた」という部分です。一昔前まではこういう場合、「フィルムに収めた」と言っていました。カメラは写真を撮影するための機械装置で、画像を記録する媒体ではありませんから、「カメラに収める」にはやや違和感があります。 ただ、デジカメが主流になった現在、「CCDに収めた」や「SDカードに収めた」では日本語として様にならないので、こういう表現も致し方ないのかな?とも思いますが ( ^^;
お礼
こんにちは。度々ありがとうございます。「窓際」という言葉のエピソードを聞かせていただきました。「窓側」のほうが聞こえがいいのですね。 >ちなみに、乗合バスの中でのストロボ撮影は、他の乗客が大変迷惑します。今後はやらない様に注意してくださいね ( ^^ 乗合バスの中でのストロボ撮影はめったにしません。これは他の乗客にとって大変迷惑なことなんでしょうか。知りませんでした。すみません、礼儀悪いです。勉強になりました。これから気をつけます。 文章を書き直していただき心より感謝いたします。「その時確かに魂で語り合っていたのだと思う」はなんと人の心を震撼させる迫力のある表現でしょう。「一期一会」は心に刻み付ける、好きな言葉です。「一期一会の邂逅」は考えさせられる深い意味を持つ表現ですね。 >「CCDに収めた」や「SDカードに収めた」では日本語として様にならないので すみません、機械音痴です。CCDとSDカードはデジカメの中の何のものなのか、ぜんぜんわかりません…。 ありがとうございました。
補足
>「通路を挟んで右斜め前の窓【側】の席」 訂正を拝見しました。申し訳ありませんが、私の表したかった意味とはまだ違うような気がします。通路を挟まないと思います。私はAという席に座っています。Dの席のことを表したかったです。 ーー|通 |ーCーD ーー|路 |ーAーB
- rinaly-k
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>「あれ」と「あの」はお互いに暗黙の了解がある時に使う言葉だと教わりました。 確かに、会話の中で使うときはそうですね。 「あれどこにおいたっけ?」「あああれね、そこの引き出しの中よ」とか 「あの話なんだけど」「あの話はもう終わったことでしょう」 みたいな感じで、他の人が聞いたら何がなんだかわからない感じですね。 でも文章で使う場合はまた少し違ってきます。 読者はある意味、筆者と同じ側に立って文章を読みます。完全な第三者ではないですよね。筆者の心の動き等を一緒に体験しますよね。ですからこの場合「あの日」としても問題ないのです。筆者の体験した、思い出に残る「あの日」をこれから一緒に体験するんです。それは読者と筆者の暗黙の了解です。日本人で「あの日」って「どの日?」という風に感じてしまう人がいたら、それは文章を読み慣れていない人です。 日本の有名な大ヒット曲の中に「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら」という歌詞があります。 これが「その日その時その場所で君に会えなかったら」ではおそらくあんなに売れなかったんじゃないかな?なんて思います。 「あの日」というのは「その日」よりも、その人にとってより個人的なな感じがします。 「すわりたいですけど」に関してですが、前の回答で偉そうと書きましたが、ちょっと違いました。このつながりでは日本人でしたら「すわりたいですけど」は使わないと思います。偉そうにするなら「すわりたいんですけど」でした。 「すわりたいですけど、スカートが皺になるのですわらないでおきます。」とか「すわりたいですけれど、脚を捻挫しているのですわれません」とか自分の状態を表現する場合は「すわりたいですけど」でも通じますが、人にお願いする場合は「の」が必要です。 座りたいのは自分の都合であって、相手には関係ないのにお願いする訳ですから、自分の気持ち(すわりたい)だけ言い放つのは、感じの良い話し方ではないです。 awayukiさんほど見事な日本語を書かれる方でも、難しいのですね。 中国の方が日本語を話す時、どうしてもつっけんどんな感じがするのは助詞の使い方が難しいからなのですね。悪口ではないのでお気を悪くなさらないで下さいね。長年不思議だったのです。 日本語ってややこしいですね。
お礼
度々ありがとうございます。 >読者はある意味、筆者と同じ側に立って文章を読みます。完全な第三者ではないですよね。筆者の心の動き等を一緒に体験しますよね。 なるほど。そういうことなんですね。共鳴してくれる読者に恵まれるなら、筆者にとって最高の幸せかもしれません。 挙げられた有名な大ヒット曲は小田和正の曲ですね。私の大好きな一曲です。 「座りたいですけど」について詳しく教えていただき嬉しいです。理解できるようになりました。 「相手に気を使う」、「相手を傷付けないように」などなど、日本の方はいつも考えていらっしゃるのですね。これは日本語を勉強してよくわかったことです。礼儀正しい、優しい、親切などの好印象を持っております。ただ、時々度が過ぎるのではないかも感じております。どうも中国語をしゃべる時の私は日本語をしゃべる時の私より、中国語をしゃべる時の私のほうが楽で、ストレスが少ないようです。以上は私の個人の感想です。悪い意味がありません。お気を悪くなさらないで下さい。 >悪口ではないのでお気を悪くなさらないで下さいね。 ぜんぜん気にしておりません。率直な意見がけっこう好きです。どんどん教えてくださいね。 ありがとうございました。
- MockTurtle
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ANo.8 補足への回答です ( ^^ > 私は窓際の席のことを表したかったのです。つまり、私が座っていた > 通路側の席の右前の席のことです。 すみません、はっきりしなかったので、その辺は適当に書きました。 “右前の席”・・・ですか。座った状態でその位置が見えるかなぁ? それはともかく、この場合の表現は次のような感じになります。 「通路を挟んで右斜め前の窓際の席」 > バスの中に照明が無いわけではありませんが、人が少ない場合は、発 > 車したあと、運転手はよく一部の電気を消します。 そうなんですか。日本でも長距離夜行バス(東京~大阪間など)では、最終乗車地を出て一定の時間が過ぎると消灯します。が、路線バスではそういうことは先ずありません。お国柄の違いですかね。 > 私は月の色をレモン色だと思っております。 うーん・・・ 実際に月がそういう色に見えることは、多分中国でもないんじゃないかと‥ ( ^^; ただ、地上付近で見るお月様は、赤褐色に見えることがよくあります。それは、低高度の月はより厚い大気の層を通して見ることになるため、その中の塵や水蒸気などによって波長の短い光(青系)が拡散され届き難くなるからです。 もっとも、詩文であればあくまでイメージですから、レモン色の月があっても悪くはないと思います。日本では、青白い月光を次のように銀色に見立てることもあります。 「恋し銀座の 銀の月」
お礼
度々ありがとうございます。 >お国柄の違いですかね。 車内で新聞や本を読む人は日本よりずっと少ないと思います。電気を節約するために、いいのではないかと思ったりはします。慣れてきましたし^^。 >うーん・・・ 実際に月がそういう色に見えることは、多分中国でもないんじゃないかと‥ ( ^^; 私は時々想像の世界で走りすぎるのかもしれません^^。 >ただ、地上付近で見るお月様は、赤褐色に見えることがよくあります。それは、低高度の月はより厚い大気の層を通して見ることになるため、その中の塵や水蒸気などによって波長の短い光(青系)が拡散され届き難くなるからです。 地上付近でお月様を見たことがありません。赤褐色なんですか。面白いです。難しい知識ですね。教えていただきありがとうございます。 >青白い月光を次のように銀色に見立てることもあります わかります。月の形をするアクセサリーにもよく銀色の月が出ます。月の光を意識しながら月をその色にするのかもしれませんね。 漢詩の中で、月の光を「水」、「地上の霜」などに喩えられたことがあります。美しい比喩だと思います。 ありがとうございました。
- shigure136
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awayuki_ch さんこんいちは。 まだ締め切られていないので、質問文の方を添削をしてみます。 1.日本語で文章を書く能力を伸びたいと思うので、作文の練習をしております。 ⇒「能力を伸びたい」とは言いません。 ⇒ここは「能力を伸ばしたい」 ⇒次のような言い方もあります。 *日本語で文章を書く能力を伸ばしたくて、作文の練習をしています。 *日本語で文章を書く力を付けたいと思い、作文の練習をしています。 *日本語で文章を書く力を付けようと思い、作文の練習をしています。 *日本語の文章を書く力を伸ばそうと、作文の練習をしています。 *日本語の文書をもっと上手に書けるようになるために、私は作文の練習をしています。 過去形と現在形の取捨です。 ⇒ここで使われている「取捨」は、「取捨選択」もしくは「選択」の方が良いのではないかと思います。
お礼
時雨 先生 こんばんは。質問文を丁寧に添削して頂きありがとうございます。「日本語で文章を書く能力を伸ばしたくて」、「日本語で文章を書く力を付けたいと思い」、「日本語で文章を書く力を付けようと思い」、「日本語の文章を書く力を伸ばそうと」、「日本語の文章をもっと上手に書けるようになるために」などなど、同じ意味を表すのにいろいろな書き方がありますね。繰り返し読み覚えます。「取捨」と「選択」の意味も勉強させていただきました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
- Ryo_ss
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永遠に着かなければ・・・ の質問が違反として削除されてしまいましたね。私も気づいていなかったです^^; 私の記憶が正しければ,回答者の誰かにお礼を述べるような状況には至ってなかっただろうと思い,私が書いた解答をコピー・補足しました。 多少お役に立てるとよいですが・・・。 “永遠に着かなければよかったのに!!”私はもうすぐこの場を離れなければならなかった。 について。 中国ではどうなのかわかりませんが・・・。 日本のバスで考えると,アナウンスが次に止まるバス停の名前を言いそれが貴女の家の最寄のバス停であった。少しずつ停留所へと近づきバスも減速し始める。本当なら料金を用意し荷物をまとめ降りるための用意をしなければならないが,私はその場を動きたくない。 といった状況を表しています。 “着かなければよかったのに!!”の一言だけを取り出すと着いてしまった後の発言(到着してしまったという動作の完了)にもなってしまいます。大きく言うとバスを降りた後でも可能な表現です。しかし,その後に“私はもうすぐこの場を離れなければならなかった。”と付け加えたことで,着いた後の発言ではなくその直前であることを促しています。 もうすぐバスを降りる。永遠に着かなければいいのに! について。 これは書いた本人ではないので詳細は省きますが・・・ “着かなければいいのに!”という部分だけを取り出して考えると,“よかったのに”とするのと比べてまだまだその場を離れるのには余裕のある発言です。降りねばならないバス停まではまだ数回停留所を通り過ぎるだけの時間があるようにもとられます。もっというと,菊を見つけてすぐに思うことも可能なのです。しかし,その前に“もうすぐバスを降りる。”となっているので“よかったのに!”とするよりもそうあってほしいという願望の度合いが強く感じます。 切迫感だけで言うと,“永遠に着かなければよかったのに!!”の方が伝わるでしょう。“いい(よい)”が過去に変わることでそれも叶わないという部分が強調されます。その場合も今の状況を後か先に付け加えておいたほうがよいとは思いますが・・・。 要は今何処にいるのかの違いが大きく,願いがまだ少しでも叶えられるのか,もう叶わないのかの問題です。 例えば,まだ降りるまでに少なくても約一回分停留所を過ぎるだけ(前の停留所を出てすぐ等)の余裕があったのなら“着かなければいいのに!”とすればいいでしょうし, もう次は降りなければならない(もうすぐ見える・もうバスが停止した)という状況であるなら“着かなければよかったのに!”とすればよいでしょう。 簡単ですが・・・基本的には よかったのに=過去形→不可能(・諦め) いいのに=現在形→(まだわずかでも)可能・願望 だと思っていれば大概の人には貴女の思いを伝えることが出来ます。 後は作者の書き方次第です。作文は沢山の文章で成り立っていますからいくらでも補足することが出来ます。叶わないとわかっていてもさらに未来への願望を残しつつ切迫感を持たしたいのなら, 私はもうバスを降りなければならなかった。“永遠に着かなければいいのに・・・。”その願いもむなしく先に見える停留場は少しずつ,しかし確実に大きくなってきていた。それでも私はこの一瞬のもつ輝きを手放したくはなかった。 とすると,叶わないとわかっていても望んでしまうが現実はそうはいかないう状況を汲み取らせることが可能になります。 もっといい例の書き方があるかもしれませんが触りだけでお許しください。 あとは・・・そうですね。どうしても気になるのであれば・・・貴女が,それを思ったときバス停に着いたと思ったのか着くと思ったのかで判断すればよいと思いますよ。 長くなりましたが・・・以上です。作文の添削についての質問はここでする以外なさそうですので今後は注意したほうがよさそうですね。
お礼
Ryo_ssさん、お待たせいたしました。詳しく説明して頂きありがとうございました。せっかく回答していただいたのに、削除されてしまうことになって申し訳ありませんでした。削除された理由は「前回投稿した同様の質問を締め切らずに関連質問の追加情報を新たに質問として投稿すること」だそうです。補足欄を使ってほしいということです。これから気をつけます。 >叶わないとわかっていてもさらに未来への願望を残しつつ切迫感を持たしたいのなら, >私はもうバスを降りなければならなかった。“永遠に着かなければいいのに・・・。”その願いもむなしく先に見える停留場は少しずつ,しかし確実に大きくなってきていた。それでも私はこの一瞬のもつ輝きを手放したくはなかった。 >とすると,叶わないとわかっていても望んでしまうが現実はそうはいかないう状況を汲み取らせることが可能になります。 そういう意味に近いのかもしれません。白と黒の間で、模範解答のない「灰」という色の存在もありえるようにね。 私は当時たぶん次のようなことを思いながら「もうすぐバスを降りる。永遠に着かなければよかった! 隣席の人の同意を得て、その美しい一瞬をカメラに収めた」という文を書いたのだと思います。「美しさはいつか終わる時を迎えるとわかっている。輝かしい極短い美しい一瞬があるからこそ、その美しさはむなしいと思わない。美しさの終わりを迎える時、自然の流れと同じように素直に受け入れたほうがいい」です。 私たちの人生はたくさんの美しさが織りなされるものだと思います。それぞれの美しさに恵まれる極短い一瞬一瞬を大切にして精一杯生きるべきです。いまの私は1秒後の私より若い、私の両親は生きている、私の好きな人は生きているなどなど、いろいろな美しさに恵まれています。
- shigure08
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awayuki_ch さん、おひさしぶりです。偶然このサイトを見て驚きました。字数制限もあることなので、添削というより、私なりに書き換えてみました。 あれから数日が経ったというのに、あの日の情景はいまでもありありと目に浮かんでくる。 その日、私はバスで帰ることにした。それは、街の景色をこの目で見たかったからだ。バスに乗り込むと、ちょうど窓際の座席が空いていた。あっ、ラッキーと心の中で叫びながら急いでシートに身を沈めた。 窓から外の景色を見始めてしばらくすると、「あの~、すみません。席を替わってくださいませんか」という女の子の声が聞こえてきた。どうも私に向かって掛けられている声だと思い、後ろを振り返ってみた。そこには一人の女学生の照れくさそうな顔がこちらを向いていた。「友達と一緒に座りたいので替わっていただけますか」とその女学生は私の隣に座っている女の子を見ながら小さな声で言った。 通路側の席からでも窓の外の景色は見ることが出来るし、降りるときも降りやすいかと思い、「いいですよ」と私は頷きながら返事をした。 新しい席に着き、私は再び、窓の外を流れる都会の景色を眺め始めた。まだ肌寒い早春の夕方、街を彩り始めたネオンの光がキラリキラリと車内に流れ込んできた。ふと視線を車内に戻すと、私の隣の乗客の席の前に何か植物が掛けてあることに気付いた。そして、植物からはほのかな香りが漂ってきている。窓の外からの明かりを借りてその植物を見ると、それは淡い黄色に咲く菊の花だと判った。まさか、こんなところで菊に出会えるとは思ってもいなかった。 私の心はすっかりその菊に奪われてしまった。ひたすらその菊を眺めることしか出来なくなっていた。花びらの一枚一枚がほんの少し内側に曲がり、中央の蘂を大事なものを守るかのようにしっかりと包んでいる。 私はその淡い黄色の菊を目の前にして、その菊の全てが私の心の底に満ち溢れてくる感覚に身を任せて座っていた。青い空、緑の野原、きれいな水、澄んだ空気、土の匂い、そよぐ風、光溢れる太陽、そして朝露を浴びた葉の煌きまでが、そこにある菊が届けてくれているような気がした。窓外から差し込んできた明かりを浴びて、その菊の周りには淡い黄色の傘が出来ているような気がした。 もうすぐバスを降りなければならない。永遠に着かなければ良いのに!隣席の人の許しを得て美しい黄菊をカメラに収めた。カメラは自動的にフラッシュが焚かれ、モニターに映し出された菊の花は、目に迫ってくるほど輝かしい黄菊である。暗い中でよく見ることは出来なかったが、そこに私が見たのは、淡い黄菊ではなく、鮮やかな黄色に輝く美しい菊の花だった。まるで黄色い光の束のようだ。 その黄菊は私にひと言もしゃべらなかった。いや、そうではない。その一瞬に、全てのことを精一杯私にしゃべってくれたのかもしれない。無言のコミュニケーションを通して、そこにある小さな命がその命なりの「花心」を私に教えてくれたのだ。 その日、バスで帰ってよかった。女学生に会えてよかった。席を替わってあげてよかった。通路側の席に座ってよかった。隣席の人から写真を撮る許しを得られてよかった。黄菊に出会えてほんとによかった。それらの全てにありがとう。
お礼
時雨さん、ご無沙汰しております。またお会いすることができ本当にとても嬉しいです。有り難う御座いましたm(_ _)m。 かなりの長文ですが、丁寧に書き直していただきありがとうございます。特に「あっ、ラッキーと心の中で叫びながら」、「街を彩り始めたネオンの光」、「私の心はすっかりその菊に奪われてしまった。ひたすらその菊を眺めることしか出来なくなっていた」、「中央の蘂を大事なものを守るかのように」、「朝露を浴びた葉の煌き」、「淡い黄菊」などの表現方法が好きです。 日々恵まれたたくさんの偶然性に心から感謝します。私は神様を信じませんが、言葉には言霊が宿っていることを信じます。心の中にあものを素直に出せる、いい言葉を使う人でいようと思います。でも、心がシャンとしていないとこのようなことはできません。これはいまになってよくわかりました。また日本語で作文が書けるようになり嬉しいです。これからもよろしくお願い致しますm(_ _)m。
補足
1. >【あれから】数日が経ったというのに、【あの日】の情景はいまでもありありと目に浮かんでくる。 >【その日】、私はバスで帰ることにした。 >【その日】、バスで帰ってよかった。 こそあど系の言葉が苦手です。上記【】で括った箇所でなぜそう(←ここの「そう」も正しい?)書かれたのか、説明していただけないでしょうか。 「こそあ」の言葉について次のような感じで教わりました。 「これ」 話し手に近いもの。 「それ」 話し手から遠いもの。 「あれ」 お互いに分かるもの。暗黙の了解があるもの。 次のような会話は日本人同士の中でありえるのでしょうか。勝手に作った会話なので、不自然な日本語の表現がありましたら、ご添削ください。 A:あれから、インターネットで絵葉書をたくさん作ったんだ。全部見た? B:うん、見た、見た。(BはAの言った「あれから」の意味がちゃんとわかる。つまり、お互いに暗黙の了解があるということ。) C:ごめん、Aさんの言った「あれから」って何?(CはAの言った「あれから」の意味がわからなかったので、Aに聞きたくなる。) 私の疑問に思ったところは、「あれから」の「あれ」は読者にはまだわからないのに、いきなり「あれから」で文を始めると、読者の心の中に(つまり、上記の会話の中のC役に当てはまる)、『「あれから」って何?』という疑問が生じるのではないでしょうか。 文章の最初のところの「あの日」についても同じような感覚です。読者はまだ「あの日」がわかりません。つまり、読者と作者の間で暗黙の了解がないということです。読者は「あの日」ってどの日のことなのかわからなくなるでしょう。 2. >「あの~、すみません。席を替わってくださいませんか」 >「友達と一緒に座りたいので替わっていただけますか」とその女学生は私の隣に座っている女の子を見ながら小さな声で言った。 「替わってくださいませんか」は「替わっていただけますか」より丁寧な表現になるのでしょうか。 3. 時雨さんは全文の中にどんな時に過去形を使われたのか、どんな時に現在形を使われたのか、だいたいの選択の基準を教えていただけないでしょうか。過去のことを振り返る時、臨場感が強くなった場合、現在形を使うという私の感覚はあっているのでしょうか。 質問が多すぎて申し訳ありません。急ぎませんので、お返事はいつでもかまいません。楽しい連休をお過ごしください。
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お礼
時雨先生、お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。添削意見を拝見しました。丁寧にご教授くださり本当に有り難うございました。 >ここで使われた「ちょいとちょいと」は意味不明。 「ちょいと」という表現はどこかで読んだことがあるような気がします。自分の使える単語になりたいので、使ってしまいました。不自然な使い方だと指摘してくださり、助かりました。 >⇒「朝浴びた露の味」という表現も同じ様に違和感があります。 >朝、露を浴びたときに味わった味?「味」という単語が原因? 先生は「朝露を浴びた葉の煌き」とお書きになっています。それは美しい情景描写だと感じました。ただ、私は味覚という視点から表現したかったのです。「浴びる」は誤用かもしれません。「朝飲んだ露の味」と訂正させていただきます。 先生の添削意見は本当に大変参考になりました。心より感謝いたします。日々精進します。