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太平洋戦争のトリビア
近現代戦史にお詳しい方にお聞きします。 太平洋戦争(1941/12~1945/8)で、コアな戦史マニアしか知らないような珍しいエピソードをご存知でしたら教えてください。 例えば、知る人ぞ知る隠れた英雄、珍事件、珍作戦、悲惨な事件などなど。 よろしくお願いいたします。
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それほどコアでもありませんが。 本家トリビアの泉に出た奴だと 「米軍は富士山をペンキで真っ赤に塗装することで日本人の士気を挫こうとした」。冷静になった誰かがペンキの量を算定して「こりゃ無理」ということで中止しました。 似たような例では「日本軍は硫黄島戦の前に『取られる位なら爆破して沈めてしまえ』と考えた」(同様の理由で中止)というのがあります。 豪傑では潜水艦乗りの板倉艦長でしょうか。優秀なサブマリナーでしたが、逸話が多かった。 新任少尉の時に遅刻してきた艦長(大佐。男爵でもあった)を酒の勢いもあってぶん殴り、「酒は止められんか」「無理です」「減らせんか」「断酒よりも難しいでしょう」。 開戦後、包囲されていたこの艦長の指揮部隊へ潜水艦を以て救援物資 (と好物の酒)を届け感謝されています。 このほかにも作戦中、酔った勢いでアリューシャンの海に落ちたり、敵爆撃機の襲撃を味方のふりをして回避したり・・・。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%80%89%E5%85%89%E9%A6%AC 珍兵器の類では、ダンケルク戦に負けた英国が水道管の先に銃剣を付けた「鎗」で義勇防衛隊を編成したことが知られていますが、日本も本土決戦が近くなると似たようなことをしています。竹やりが有名ですが、このほかにも手当たり次第に引っぱりだしています。村田銃なら良い方で、シャスポー銃とか火縄銃の類もありました。 そんな中でも白眉は北海道は室蘭の沿岸防衛部隊が装備した 「投 石 機」 でしょうか。新作ですが、参考にしたのは古代ローマの文献。近代戦に紀元前の兵器を使うというのは絶後のことでしょう。敵戦車を撃破するのには相当量の爆薬が必要で、これを投擲するために、考古学者(で予備将校)の部隊長が考案、実作に及んだそうです。 http://www.sinzirarenai.com/japan/ こんなのもありますので、信じようと信じまいと。
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- Pinhole-09
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トリビアという程のものではありませんが、 日中戦争(当時名は日支事変)で昭和12年だったと思いますが、杭州湾に敵前上陸成功後直ちに、「日軍百万杭州湾上陸」と書いた幟の下がったアドバルーンを揚げました。 アドバルーンを戦場の宣伝戦に使ったのは世界で始めてかな?。 敵軍をおどかす為でしょうが、わざわざ自軍の情報を与えるのも面白く、また百万とは法螺を吹いたものです。(実際は4~5万でしょうか)
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- pbf
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ビルマ戦線でのお話。 日本軍は「ついに新兵器、空中機雷を完成させた」というニセ情報を流しました。 1944年3月18日、空中機雷を搭載したわが陸軍偵察機「百偵」が写真撮影のため出動中のところ、敵英軍に発見され、スピットファイア2機の追撃を受ける。 百偵の速度ではスピットファイアを振り切れない。危うし、百偵!! そこで百偵はついに新兵器「空中機雷」を後方に放ちました。追っ手の眼前に広がる無数の黒い球体。 実はコレ、単なるゴム風船だったのですが、よほど慌てたのかスピットファイアは二機とも操縦を誤って墜落してしまったということです。
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- tiltilmitil
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・日本の軍艦には、土俵が備え付けられていたものがあった。 確定できる資料を発掘できなかったけど、たしか戦艦伊勢だったかな。当時の艦長が大変な相撲好きだったとか。
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- buck
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まず、明らかな誤りのことを >軍の指揮下で行動していたものはすべて軍属であり >攻撃され殺されても文句を言えない立場であり >連合国にとっては殺しても罪にならない対象だったことを 間違いです。 信用しないほうが懸命です。 トリビアについて。 本の紹介になりますが、故吉村昭氏の『大本営が震えた日』を読むと、一般には知られていない開戦、機密保持、開戦の意思の秘匿に関する興味深いエピソードはつづられています。
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- eroero1919
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比較的有名なネタですが、まだ出ていないので。 米軍は上陸作戦の前に密かに偵察して日本軍の兵力を割り出したのですが、その予想する兵力が実際の兵力の二倍に算定してしまうことがしばしばあったそうです。 その理由が、トイレの数から人数を割り出していたのですが、腸が長くて菜食中心の日本人はアメリカ人の倍のンコを出すのでトイレの数が二倍あり、それで人数を倍と計算してしまったようです。 あとほとんど全くといっていいほど知られていない事実としては、太平洋戦線では日本兵の頭蓋骨がお土産として米兵の間で流行ったということです。なぜ頭蓋骨かというと、よく欧米人は狩りをするとシカの頭なんかを剥製にして部屋に飾りますよね。あれと同じ思想です。「狩りのお土産」というわけです。当時は人種差別は当然のことで、黄色人種は「半分人類、半分猿」だと思われていたので「半分動物みたいなもんだから骨をお土産にしても問題ないだろ」ということだったようです。 米軍は1942年にこの行為を禁じましたが、兵士の間ではひそかに流行っていたようです。 そうそう、あとひとつ。戦争が終盤になるにつれ、米兵の間では「日本人の女の股は横に割れている」と噂が広まったそうです。終戦後、日本に進駐した米兵はそれを確かめようと勇躍日本人女性とコトに及んだのですが、違わないことを自分の目で確かめてガッカリしたそうです。
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偶然って怖いのよ。 つ^_^)つ http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-16kisuka.htm 後、錆びた槍の方が「イタイ」ので、竹に槍つけて雨ざらしにした。
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全然コアなマニアでなく詳しくもないのですが、自分が本で読んで、へえーーと思った話。 No.7の方がお書きになっているマレー作戦(タイ上陸~マレー半島南下~シンガポール)のときに、歩兵が自転車でマレー半島を南下したということでした。 銀輪部隊だそうです。私が読んだのは近衛歩兵第五連隊の話。 たしかに歩くよりはずっと速いでしょうが、「兵団が自転車に乗ってマレー半島を南下」というのは、今の時代からするとすごい図だなと思ってしまいました 現地で自転車を徴収し(軍人側は「よろこんで差し出してもらった」と書いていますが、「自転車を持って行かれた」と語る現地の人もいるようです)、自転車にまたがってゴム林などの間の悪路を走行し、途中で自分達で修理しながら行ったんだそうです。 最後のほうには兵隊はみんな、自転車修理が上手くなったそうです。 最終的に自転車でどこまで乗って行ったのか、自転車をどうしたのかは知らないのですが。 シンガポールの手前までか??ジョホールバル。。。。 当時を知る人には珍しくないのでしょうが、これも自分で「そうだったのかー」と思ったのが、シンガポールは昭南島(しょうなんとう)で、グアムは大宮島(おおみやじま)と呼ばれていたこと。 で、すぐ現地に神社を作っちゃうんですよね。今はどちらにも残っていないそうですが。 グアム各地の地名には当て字で漢字をつけていたそうです。 ハガニア(アガニア)が「明石」とか。 >知る人ぞ知る隠れた英雄、珍事件、珍作戦、悲惨な事件 これは、それぞれの土地や作戦について書かれた本を読めばいくらでもあるのだろうと思います。 詳しい人はとても詳しいですが、一般的にはもうあんまり分からんですよね、戦前~終戦直後は。
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- Tacosan
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えっと.... 「アメリカより先に宣戦布告したコスタリカ」 とか? 日本はコスタリカには宣戦布告してないんだけどなぁ....
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- kantansi
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No.6です。 米国本土を攻撃して米国人に死者を出したというのは風船爆弾によるものですが、死者は出なかったものの、負傷者を出した米国本土攻撃は以下のような潜水艦によるものがありました。 第一は、乙型大型潜水艦の伊17によるカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃作戦です。 第二は、伊25潜水艦によるオレゴン州アストリア市にあるスティーブンス海軍基地への砲撃です。 基地の施設に被害を与え、アメリカ海軍兵士に負傷者を出しました。 この攻撃は、1812年にイギリスの軍艦がアメリカ軍基地に砲撃を与えて以来のアメリカ本土にある基地への攻撃でした。 また、その前日には、同じ乙型潜水艦の伊26がカナダのバンクーバー郊外にあるカナダ軍の無線羅針局を14センチ砲で砲撃し被害を与えました。
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- Kiriyama-taicho
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面白くは無いですが…、 マレー半島侵攻作戦、最終的な目的地はシンガポール攻略ですが、 日本軍の半島上陸地点は3ヶ所ありました。その最北がマレー半島が 最も細くなっているクラ地峡に近い、現在のタイ王国プラチュアップ キリカン市のアオマナウ(すだち湾)というタイ国軍のベースです。 ここで日本軍とアオマナウのタイ国軍との衝突が発生し、タイ国軍側に 甚大な被害をもたらしました。しかし日本とタイは同盟国で日本軍は タイ国軍にだけ奇襲作戦を事前に連絡していました。ではなんで勘違いが 起こったかというと何と日本軍から事前通知を受けていた国軍司令部が OK,OKと返事しておきながら、地方基地に連絡していなかったのです。 タイでならありがちな事件でした。
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御回答ありがとうございます。 ペンキの話はアメリカ人ならではの逸話と言う感じで面白かったです 投石機も意外でした! 参考URLも面白かったです。