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太平洋戦争のトリビア

近現代戦史にお詳しい方にお聞きします。 太平洋戦争(1941/12~1945/8)で、コアな戦史マニアしか知らないような珍しいエピソードをご存知でしたら教えてください。 例えば、知る人ぞ知る隠れた英雄、珍事件、珍作戦、悲惨な事件などなど。 よろしくお願いいたします。

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  • k99
  • ベストアンサー率47% (491/1025)
回答No.2

それほどコアでもありませんが。 本家トリビアの泉に出た奴だと 「米軍は富士山をペンキで真っ赤に塗装することで日本人の士気を挫こうとした」。冷静になった誰かがペンキの量を算定して「こりゃ無理」ということで中止しました。  似たような例では「日本軍は硫黄島戦の前に『取られる位なら爆破して沈めてしまえ』と考えた」(同様の理由で中止)というのがあります。  豪傑では潜水艦乗りの板倉艦長でしょうか。優秀なサブマリナーでしたが、逸話が多かった。  新任少尉の時に遅刻してきた艦長(大佐。男爵でもあった)を酒の勢いもあってぶん殴り、「酒は止められんか」「無理です」「減らせんか」「断酒よりも難しいでしょう」。  開戦後、包囲されていたこの艦長の指揮部隊へ潜水艦を以て救援物資 (と好物の酒)を届け感謝されています。 このほかにも作戦中、酔った勢いでアリューシャンの海に落ちたり、敵爆撃機の襲撃を味方のふりをして回避したり・・・。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%80%89%E5%85%89%E9%A6%AC  珍兵器の類では、ダンケルク戦に負けた英国が水道管の先に銃剣を付けた「鎗」で義勇防衛隊を編成したことが知られていますが、日本も本土決戦が近くなると似たようなことをしています。竹やりが有名ですが、このほかにも手当たり次第に引っぱりだしています。村田銃なら良い方で、シャスポー銃とか火縄銃の類もありました。  そんな中でも白眉は北海道は室蘭の沿岸防衛部隊が装備した 「投 石 機」 でしょうか。新作ですが、参考にしたのは古代ローマの文献。近代戦に紀元前の兵器を使うというのは絶後のことでしょう。敵戦車を撃破するのには相当量の爆薬が必要で、これを投擲するために、考古学者(で予備将校)の部隊長が考案、実作に及んだそうです。 http://www.sinzirarenai.com/japan/ こんなのもありますので、信じようと信じまいと。

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質問者

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御回答ありがとうございます。 ペンキの話はアメリカ人ならではの逸話と言う感じで面白かったです 投石機も意外でした! 参考URLも面白かったです。

その他の回答 (15)

  • kantansi
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回答No.6

近現代において、米国本土を攻撃して、米国人を殺傷したのは、911が起こるまでは、太平洋戦争における日本の風船爆弾だけです。 昭和20年5月5日、オレゴン州で風船爆弾に触れた、ピクニック中の女性1人と子供5人が爆死しました。アメリカ国民は報道管制のため風船爆弾の存在を知らず、危険を察知できなかったために起こった事件です。 米軍は風船爆弾の発射地点は突き止めたものの、当時ジェット気流の存在を知らず、日本がどうやって風船爆弾を米国まで運ぶことができたのか理解できませんでした。 また、風船は和紙で作られましたが、その接着剤としてこんにゃく芋が使用されたため、当時日本ではおでんのネタからこんにゃくが消えてしまったとのことです。

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お礼

ありがとうございます!

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.5

ゼロ戦:完成品は愛知県の工場から飛行場まで、牛車で24時間かけて運んでいた。 (日本の道路はでこぼこだらけで、振動により精密機械が狂うのを防ぐため) 生産効率を上げるため、長良川をイカダで輸送する案も出た。 近くに飛行場作れよ・・・ 日本人が開発した陽極分割マグネトロンは高性能レーダーの開発に必要で、日本以外の先進国ではレーダーに使われていたが、日本では殺人光線(超強力な電子レンジっぽいもの)の開発にのみ用いられた。 ちなみに 太平洋戦争(Pacific War)といえば、常識的に20世紀の大戦争として、世界中で通じる名称です。19世紀に起こった硝石戦争(Guerra del Pacifico)のほうがよほどトリビアのような。

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質問者

お礼

ありがとうございます!

回答No.4

なかなか珍な回答をされる方がいるようですが… 後援会=軍属? じゃあ自衛隊友の会の方々は自衛隊私服組なの? そうだとしたらトリビアですねえ 軍属とは制服を着ない軍に雇用された公務員や見なし公務員のこと 技師、陸軍大学教官、収容所の看守などです。収容所の看守は兵隊の倍ほど給与が出ています。 さてトリビアとしては! 20世紀に太平洋戦争は起こっていないです。太平洋戦争は1884年にボリビア・ペルー連合軍の敗北で終結しています。 沖縄守備隊であった第32軍の権限は自分の隷下にあった2個師団1個旅団に対する命令権しか持っておらず、大激戦の最中なのに戒厳令もなく4つの命令系統が存在したこと 1・第32軍…隷下の部隊に対してのみ命令ができる 2・西部軍…航空軍やひめゆりなど学徒兵への命令権を所持(司令部は熊本) 3・海軍…海軍守備隊及び特攻隊への指揮権を所持 4・内務省…知事を司令官として警防団・警察・消防を中心に防衛召集した住民で武装した。住民への避難命令その他は彼らしか出せない

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質問者

お礼

御回答ありがとうございます。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.3

隠れた英雄、います。 占守島の戦いに参加した勇敢な日本軍兵士たちです。 何故、英雄かというと北海道がソ連に占領されて北日本人民共和国となって日本から分断されるのを阻止したからです。 ポツダム宣言を日本政府が受諾した翌日、ソ連が千島列島の最北端を守っていた日本軍を攻撃したのです。 守備隊は果敢に戦いソ連軍に大きな被害を与え、停戦合意するまでかなりの日数を稼ぎました。その結果、ソ連軍は占守島に釘付けにされ北海道そのものに上陸できなかった。このことはなぜか有名でない。マニアでないと知らない。日本が分断されなかったのは本当に良かった。政府はこれを教科書に載せるべきだと思う。

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質問者

お礼

御回答ありがとうございます これはすごいです。確かに隠れた英雄だと思いました。

  • aatw
  • ベストアンサー率37% (178/480)
回答No.1

トリビアというほどのことではありませんが 当時の日本人全員が軍属だったという事実は知ってますよね。 階級とかは関係なく 軍の指揮下で行動していたものはすべて軍属であり 攻撃され殺されても文句を言えない立場であり 戦争加害者そのものだったのです。 軍に反対して特高につかまって監獄にいる人間だけが 戦争被害者といえるのです。 乳児から老人まで隣組に加入して 周囲の危険思想人物を監視して 反戦思想家の密告を日常にしていた 大日本帝国臣民はすべて軍属であり 連合国にとっては殺しても罪にならない対象だったことを 若い人は覚えておいてください。 当時の日本人はすべて戦争加害者だったのです。 お国のため…という言葉を口にした臣民すべからく戦犯です。 戦争を知らない若い人に、覚えておいてほしい「事実」です。 http://siteofaatw.t35.com/gunji.jpg このような看板を家に掲示していたのです。 戦犯そのものです。

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質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 それは国民義勇戦闘隊のことでしょうか。 であれば確かに陸軍の指揮下にありましたが、老人子供は除外でしたよね。

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