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クラシックはなぜ暗いのか
「暗い」という言葉は万能ではないし、意図するところも伝わりにくいものです。要は、「のりが悪い」(そりゃのりのいい曲もありますよ、ですがあくまで協和音的にしろ不協和音的にしろ、インテリジェント貴族的なのりです)「庶民的でない」「肩肘張った感じがする」「顔が硬直する」「異次元世界に入り込む気がする」「富裕層あるいはインテリ層と密接なような気がする」etc.の感覚のことです(サティは別枠にしてもいいと思いますが、作品の内容からあれはあまりクラシックの作曲家と思えないところがあります) すなわち、なぜクラシック音楽にこのような感覚を生じさせるものがあるのか、それはどういうところから感じられるのか。 あるいは、ポピュラー音楽にはそれがほとんど感じられないのはなぜなのか、分かるようで分からない疑問です。 どういう風に考えたらよいでしょうか?
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こんばんは。補足を拝見しました。 「暗い」と「柄が悪い」が対極的な言葉であるかはさておき、おっしゃることはわかるような気がします。 私の高校時代に部活で一緒だった連中の中で、柄があまり良くない奴らがストラビンスキー、ワーグナー、レスピーギが大好きであったりしました。 また、 私は柄は悪くなかったですけど、中学の頃、友人からセックスピストルズを聴かされたとき、"Anarchy In the U.K" はなかなかいい曲だなと思いました。 Fayrayや、さだまさしの曲は、どう見ても、柄が悪い人には似合いません。 クラシックにもポピュラーミュージックにも色々あるわけで、 また、ご質問文にある「このような感覚」というのは、人によってあったりなかったりする(少なくとも私にはない)ものですから、 一概にどちらとかこちらとか言えるものではないと思います。 もっとも、ドラムの音が4ビートや8ビートなどで入っていれば、乗りやすかったり踊りやすかったりしますよね。 多くのポピュラーミュージックがそれに該当します。 (これがご質問への答えになるのかもしれません。) まー、「ポピュラー」という言葉自体に「庶民的」に近い意味がありますけどね。
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- tattom55
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「クラシックの方が優れている」とか「深い」とか言うつもりは全くないので誤解しないでくださいね。 クラシックは調和を求めて色々な制約を作り、それを少しずつ時代の要求に合わせるように制約を改善し続けてきました。それでもまだ「理論」に裏付けられたものが多いのです。作曲家たちはその理論をさらに改革し応用し自由を求めています。「破壊」を試みる人も当然いるしそれも自由ですが多くは認められずに消えていきます。理論に則っているからこその作曲の「腕」なのです。理屈っぽいのは当たり前で、理屈が理解できるとこの上もなく面白いのです。 歌えない、という意見がありましたが、歌曲はもちろん歌手には歌えるように作られていますよね。器楽のメロディは音域が人間の声域を越えるものが多いので歌えないわけですよね。これも器楽の発展の中で上記のような試みを繰り返してきた結果でしょう。それとポップスやジャズに比べて歴史が遥かに長いせいで、和声理論も複雑怪奇なものになってしまっています。数えるほどしかない和音を使っている歌謡曲やポップスは親しみやすく感動も直接的です。ある意味とっても単純なんです。(オレはその単純さにすっかり飽きてしまってます。歌詞に感動できてもメロディやコード進行に感動することは滅多にありません)。ジャズは理論を発展させ今や理論書の勉強が必要なほど「理論的」ですよ。。 そんな中でも理論を知らない人の心の琴線に触れる音楽というものはすばらしい、とオレは思います。クラシック音楽を好きな人でクラシックを「暗い」という人に会ったことがありません。40歳すぎていきなり霊感に出会う人もたくさんいますよね。あなたにもそういう瞬間がいつか訪れるかもしれません。 解る必要なんてありません。感じればいいんです。感じなければ聴かなければいいだけです。
お礼
理屈っぽく、作曲家が頭を抱えて長期にわたって作り上げるのが、一般的なクラシック作品かとも思います。しかしなぜ、もっと小曲を中心に作らなかったものかと考えます。それらのほうがよっぽど需要に合うのではないかと。その中には、非常にのりのよいものだってあったっていいのではないかと。 理論を十分勉強することと、大曲とのりのいい小曲を作ることは平行してもいいのではないかと感じます。 ポップスは、クラシックの中の親しみやすい音形(和音進行)を取り出して、さらにリズムと結びついて世界を作っていったその作り方が、庶民的な本能と結びついている気がします。でも、庶民的な本能と貴族的なそれがそう違うとも思えないわけです。
- thirdforce
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クラッシクは、暗いと言う事はないと思います。ポピュラー。歌謡曲は、軽いのりですが、クラッシクは、重厚な感じがします。それで暗いと言うイメージがあるのでは。ポピュラー音楽でも、クラッシクを取り入れている音楽が多いです。セミポピュラーとでも言うのでしょうか。明るい音楽もおおいです。 どういう、内容の音楽だとか、歌曲でしたらどういった内容かを調べるのも面白いでしょう。 むしろ、歌謡曲のほうが、暗い気がして、歌詞も男女関係で、女が苦しみ、泣く、振られる。などで、聞く気にもなりません。勿論いい内容の詩がありますが。
お礼
「暗い」なんて書いて、誤解を覚悟なんですが、要はインテリっぽいというか、お嬢お坊ちゃんっぽいというか、少なくともジーパンでステージには立たないのは何でかというか。そんなところなんです。セミポピュラーでも、クラシックの「暗さ」をひきずっています(私はそこらへんが好きですけどね) 歌謡曲の暗いのはまた別枠で考えなきゃならないと思いますね。これはクラシックの「貴族インテリお嬢」とは違った方面からの「暗さ」です。
そりゃもちろん「パトロンの好み」です。 その上、ロマン派に入っちゃったら、「精神主義」の波を受けて「おちゃらけ」やっていると「生き残れなかった」分けでして、もちろん道端で演奏している分には良かったのですが。 最近は何と言っても大衆化、パトロンが「大衆」なので難しいのは受けませんモンね。MP3でバルトークなんかダウンロードしますか?
お礼
昔のパトロンって、おかしこまっている人たちばっかりだったんでしょうかね。どうも、それが信じがたくてこういう質問をしました。昔でも、音楽でお茶らけるとか下品に笑うとか強烈な歌詞に陶酔するとか、そういう需要もあっていいと思うんですけどね。
- lirakko3g
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そもそも作られた目的が違うからじゃないかな? クラシックは、もともと貴族や王族の道楽のために作られることが多かったのではないかと思います(宮廷音楽)。 水辺で遊ぶ最中に聴くために作曲させたりとか、食事中に聴く曲を作れとか。 あとは宗教音楽がクラシックになったもの。もともと神を賛美するための曲なので厳かだったり憂いのある曲になっているのでは? 以上、あくまで私個人のイメージですけど。 でも暗い曲調のクラシックにも好きな曲はたくさんありますよ。
お礼
歴史的に言って、貴族的なものや宗教的なものと密接というか、一体ですよね。そこのとろこが、はめをはずすことは絶対にないという暗黙になってしまったんでしょうかね。
- DONTARON
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歌詞がないからというよりほとんど歌えないからそう感じるのでは ないかと思います。歌詞がついていて歌うことができればもっと身近に感じられるのではないかと思います。
お礼
歌曲はありますけどね。インストよりもっととっつきにくい気がしてしまいます。
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お礼
柄がよくない人が、ストラヴィンスキー、ワーグナー、レスピーギはいいですね!かわいげがあります。クラシックにも「柄」が悪いのは近年になってやっと出てくるようです。 で、ここでひらめきましたが、時代の文明化が進んで、工業商業技術が蔓延し、庶民生活が豊かに開かれていきつつあってはじめて、ストラヴィンスキーのような新しい流れ、「貴族性」「文学性」「お嬢おぼちゃん性」からはなれたクラシックが台頭する。その枠を破るには、文明の進歩が不可欠というか、起爆剤なんでしょうかね。もちろんこれは、音楽だけの問題ではなく、文学や絵画の閉鎖性を打破するとき、新しい流れが起こり、その一方向がより庶民性であり、諧謔性であり、なんというか、より柔軟な方向性を許されたということなんではないかと。 あとは、おっしゃるようにリズムセクションの発展ですかね。これが長らく省みられなかった(植民地で土人がなんかいろいろたたくのを聞いたでしょうに)のが痛いところかもしれません。