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「満ちる」と「満つ」の文法と慣用に関して
次は同義両活用について述べた文章の一節です。出典、吉川泰雄著「つなぐ」と「つなげる」 通用する「満ちる」に対して、四段活用の「満つ」にも、慣用的用法として、<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>などの用途がある。通用する「足りる」に対して、四段の「足る」にも<取るに足らん><足ることを知るものはさいわいだ>などと言う。西方のことばの侵入や慣用語的な言い方である。通用の「借りる」に対し、<人手を借らんでも>と言うことのあるのも西方のことばの侵入であろう。通用の「飽きる」に対する、「飽く」は、副詞の「あくまで」を引くまでもなく、<飽きも飽かれもせぬ仲>と言い、なかば西方ふうに、<飽いてしまった>と言うこともあるようだ。 さて、質問です。 >>通用する「満ちる」に対して、四段活用の「満つ」にも、慣用的用法として、<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>などの用途がある。 ここの一句の文意が読み取れません。<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>の、どれもが文法には外れているが慣用上は認められている、と読むのが素直なのだと思います。しかし、そう読むと別の疑問が生じます。 1 <定員に満たない>と<一歳に満たない子>について。 著者は、これらを文法に外れていると述べているのですか。「満つ」の未然形に打ち消しの助動詞「ない」が接続していると考えると文法に合っていませんか。文語の「満つ」と口語の「ない」が混交しているのが、いけないのですか。それとも、ここに誤りがあるとは述べていないのでしょうか。文意が掴めません。 2 <意に満たぬやつ>について。 文法上は「満つ」の連用形に「ぬ」が接続したもので、正しくは<意に満ちぬやつ>だと考えます。著者も、そう述べているのだと考えます。著者の主張は別の所にありますか。 よろしくお願いします。 なお、勘違い、錯覚などは何方様にもあることで回答に誤りがあることは一向に気にしません。むしろ、皆で協力して真理に迫ることこそ理想です。ただ、文法は高度に論理の世界です。詩歌の鑑賞と違って論証なしに感覚で処理されては困ります。日本人の平均を大幅には下回らない程度の読解力と論理的思考力とをもち、かつ、ご自身の言語感覚だけに頼るのではなく、広く日本人全体の言語事情に目配りのできる柔軟な姿勢のある方の回答を希望します。別段、難しい注文をつけているのではありません。これまで、凡そ延べ420人のお世話になりましたが困った回答者は天文と物理と国語に各一人だけでした。3/420に該当しない方は大歓迎です。重ねて申します。回答に誤りを含むこと自体には一向に気にしません。ある程度、怪しい部分を嗅ぎ分ける本能が備わっていますし、皆で訂正していけばよいことです。
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質問に引かれた説は >西方のことばの侵入や慣用語的な言い方 と言っている点で、妥当ではありません。 それにしても、 >文法には外れているが慣用上は認められている。 とは言っていません。 「通用」は“広く一般に行われている”という意味です。 文語では本来「満つ」、「足る」、「飽く」は四段活用です。 関東ではそれが上二段>上一段に変化したのです。 「借る」も本来四段活用です。 「虎の威を借る狐」 現在の共通語は東京方言をもとにしたため、「満ちる」、「足りる」、「飽きる」が使われるというだけです。 「取るに足らぬ」が本来の形で、「取るに足りない」は関東で変化した形。 「西方のことばの侵入」ではなく、「東方のことば (口頭語) に変化することなく、もとの形 (文章語) が存続している」と言うのが適切でしょう。 『万葉集』冒頭の雄略天皇の歌にもある「そらみつ大和の国」の「みつ」が「慣用上は認められている」ものだと言うなら何をか言わんやですが。
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- kimosabe
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口語文法講座3「ゆれている文法」、読んでくださっているのですね。 正しい日本語はもちろんあります。誤った日本語もあります。「お客様、お茶をお飲みしますか」などは完全に誤った日本語。しかし、正しい日本語と誤った日本語との間には、前時代の文法規範からは外れているけれど、その時代には十分通用していて、しかも前時代の語形と共存している語形があります。「たとえば、可能表現において「見られる」と「見れる」が共存するように。この共存状態が「ゆれ」で、いわば新しい日本語への過渡的状態とみなすこともできるでしょう。「正」か「邪」かの判断がもっともつけにくい部分です。「『つなぐ』と『つなげる』」という論文も「正」か「邪」という観点からは論じていません。論文の最後の部分に「同義両活用という事実は、ことばの変遷によって現出しているが、そこまで働いてきた要因・条件は個々多様であって、一概に系統的、分類的に同義両活用動詞について説明することは容易ではない」と述べているように「ゆれ」が起こった要因・条件を説明しようとしているのがこの論文です。 通用する「満ちる」に対して、四段活用の「満つ」にも、慣用的用法として、<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>などの用途がある。 ここの一句の文意が読み取れません。 とのことですが、「潮が満ちないうちに岸に戻ろう」の「満ちない」と、「一歳に満たない(満たぬ)子」の「満たない(満たぬ)」との「ゆれ」について、執筆者は、「満たない(満たぬ)」は「~に満たない(満たぬ)」という慣用句の中で使われるということを指摘しているのだと思います。「慣用的用法」というのは「慣用上は認められている」という意味ではないと思います。このことは論文中の「慣用語的な言い方」という言葉からも推察されます。(とすれば、通用と慣用句とによる明確な使い分けなのだから「ゆれ」ていない、とも言えそう) 「西方のことばの侵入」については、「侵入」が穏やかでなく、No4の方がおっしゃるように「存続」、または「残存」「混入」とでも言ったほうが刺激が少なくて良いのではないかと思います。 ところで、よく「日本語の乱れ」が言われますが、昭和39年発刊のこの本でとりあげられている「ゆれ」の問題が、40年以上経った今でも「ゆれ」ている(つまりあっさり新しい語形に移行しない)ことを思うと、日本語のいわば基底部に当たるところは一面なかなか変化しないものだとつくづく感じます。 あまり回答になっていませんね。
お礼
締め切るに当たって 「行かせた」と「行かした」の件と合わせ、従来、私が一段活用で済ませてきた動詞の中には、本来、出自正しい五(四)段活用が相当混じっている事が、よく分かりました。当分、感覚は直らないでしょうが理論的背景を知ったので抵抗感が急速に薄れてはいます。ご報告まで。
補足
問い掛け文が混じっているので、補足と解釈し、こちらに記します(お礼の欄だと少し長過ぎだそうです)。 >>「慣用的用法」というのは「慣用上は認められている」という意味ではない 流石よく私の心理を読み取って下さいました。解釈に苦しんだ理由は「慣用的用法」=「慣用上は認められている」と受け取ったことにあります。また、「西方のことば」を文語、古語と意識できず、欧文?漢語?関西語?と曖昧だったことによります。 私流に、こう大胆に書き直すと皆さんの助言や著者の意図に反しますか。分かったか否かテストをするから書いてみよ、と命じられた積もりで記してみます。 “通用している「満ちる」に対して、四段活用の「満つ」にも、<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>などの用例がある。通用している「足りる」に対して、四段の「足る」にも<取るに足らん><足ることを知るものはさいわいだ>などと言う。文語の影響が生きている言い方である。通用の「借りる」に対し、<人手を借らんでも>と言うことのあるのも文語の残滓であろう。通用の「飽きる」に対する、「飽く」は、副詞の「あくまで」を引くまでもなく、<飽きも飽かれもせぬ仲>と言い、なかば文語ふうに、<飽いてしまった>と言うこともあるようだ。” 文章の味わい加減は知りませんが、文意としては似たようなものに思えます。まぁまぁ、許容範囲に入りませんか。<満たない><満たぬ><足らん><足る>などは慣用句の中で使うという雰囲気を出しておかないといけないのでしょうかね。 問い掛け文になっていても特にご返事を求めるものではありません。看過できない記述があればご返事を下さいませ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 「ゆれている文法」は借り物で読み始め、面白いので本日夕刻、買ってきました。最大の収穫は性急に正誤を言わず「揺れ」として捉えることを知ったことです。 ・「文法のもひとつ奥」」も読んでみると昭和10年代だけの文法ではないし、いまの文法でもあるし、多分もっと以前の文法でもあったのだと思います。「つまりあっさり新しい語形に移行しない」はつくづく、そう思います。 その他 ・ >>「ゆれ」ていない、とも言えそう ・ >>「西方のことばの侵入」については、「侵入」が穏やかでなく この2点にも賛成です。 有り難うございました。何時も難しいところで救われます。またの機会にもよろしくお願いします。
- suunan
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「>>「満ちる」に対して、四段活用の「満つ」にも、慣用的用法として、<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>などの用途がある。 ここの一句の文意が読み取れません。」 文意は簡単です。自説に該当する具体例を示しただけです。 「~どれもが文法には外れているが慣用上は認められている、と読むのが素直なのだと思います。」 その著者の文意に「それが文法に外れている」という意味は 含まれていません。「侵入」は、広い領域で統一されていた状態に 後から別のものが入って混ざったという物理的な順序やバランスを 示しているのであって、それが悪いとか間違っているという意味では ありません。活用が何段という記述はそれらが文法に 「外れていない」ことの説明です。 したがって、あなたの質問は、前提から間違っており 成立しません。 「なお、勘違い、錯覚などは何方様にもあることで回答に誤りがあることは一向に気にしません。」 それは相手が実際にその種の間違いを犯した後か、 自分が下位の相手のレベルを計るため答えさせる時に 述べる事であって、 本件のように自分より優れた判断を求める時に 使う文章ではありません。
お礼
第一段落と第二段落について ANo.1のお礼の欄の(*)に疑義が挟まらない限り、ANo.1、ANo.2の適切な解説によって解決ずみです。 第三段落について そうでしたか。それはいけませんでした。気になる向きは無視して下さいませ。 質問を公開する時点で通り魔的な回答が付く事を覚悟すべきなのでしょう。それにしては3/420というのは、驚異的な低率です。417/420の方々には日頃から深く感謝しています。 有り難うございました。
- miirumatsu
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重ねての投稿、申し訳ありません、1番の者です。 訂正があります。 打消しの助動詞「ぬ」 と書きましたが、 打消しの助動詞「ず」 の誤りです。 「ぬ」は「ず」の連体形です。 申し訳ありませんでした。
お礼
こちらこそ申し訳ありません。
- miirumatsu
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「文法的に外れている(誤っている)」とは、どこにも言っていないのではないでしょうか。 筆者は、「通用する」「しない」を論点にしています。 標準語として一般的に「通用する」用法と、日本語として標準的といえるかどうかは疑問だが、慣用的には用いられていて、西日本訛りの影響もあろう用法とについて述べている文脈だと思います。 >「満つ」の未然形に打ち消しの助動詞「ない」が接続していると考えると文法に合っていませんか。 合っていますし、筆者もそう言おうとしています。 「満つ」はタ行四段活用の動詞です。 口語として考えれば「五段」と言っても間違いではないのでしょうが、「満と-ウ」というオ段の活用形が現実的には未然形に存在していないので、筆者は、そこを敢えて口語の五段活用であるといわずに、文語の四段活用であるといっているのです。 >文語の「満つ」と口語の「ない」が混交しているのが、いけないのですか。それとも、ここに誤りがあるとは述べていないのでしょうか。 ここに誤りがあるとは述べていません。 どこにも、「いけない」とは言っていません。 >2 <意に満たぬやつ>について。 文法上は「満つ」の連用形に「ぬ」が接続したもので、正しくは<意に満ちぬやつ>だと考えます。著者も、そう述べているのだと考えます。 違います。 口語の標準語の文法上というのであれば、タ行上一段活用の動詞「満ちる」の未然形に「ぬ」が接続して「満ちぬ奴」となります。 連用形に打消しの助動詞「ぬ」は接続できません(打消しの「ぬ」は未然形接続です)。 筆者は、「ない」であれ「ぬ」であれ、「満ちる」に打消しが接続する場合は、タ行上一段活用の「満ちる」の未然形ではなく、タ行四(五)段活用の「満つ」の未然形が接続する場合が、慣用的には多い、と述べているのですし、事実もこれに則しています。 筆者が比較しているのは、 「満ちる(タ行上一段活用)」 と 「満つ(タ行四(五)段活用)」 の両方の活用をもつ同義の動詞について、です。 以下の 「足りる」「借りる」「飽きる」も、「満ちる」と同様、全て上一段活用の動詞ですが、 「足り-ナイ」 「借り-ナイ」 「飽き-ナイ」 「足り-マス」 「借り-マス」 「飽き-マス」 「足りる」 「借りる」 「飽きる」 「足りる-トキ」 「借りる-トキ」 「飽きる-トキ」 「足りれ-バ」 「借りれ-バ」 「飽きれ-バ」 「足りろ(よ)」 「借りろ(よ)」 「飽きろ(よ)」 (ただし、「足りる」の命令形は、意味上、存在しえないでしょう) の上一段の活用のほかに、 「足ら-ナイ」 「借ら-ナイ」 「飽か-ナイ」 「足り-マス」 「借り-マス」 「飽き-マス」 「足る」 「借る」 「飽く」 「足る-トキ」 「借る-トキ」 「飽く-トキ」 「足れ-バ」 「借れ-バ」 「飽け-バ」 「足れ」 「借れ」 「飽け」 上のような、四(五)段活用としての活用ももっている、「マルチ動詞」の仲間だといっているのです。 ただし、口語の文法では、「ない」「ぬ」に接続する時以外は、これらが四(五)段活用を起こす例はないでしょう。 格言やことわざは、文語のうちと考えるべきだと思いますので。 (「足るを知る」「虎の威を借る狐」等)
お礼
ANo.2も拝見済みです。合わせてお礼を述べます。 質問文の2は、とんでもない誤りに気付きました。質問を1、2に分ける必要はなく、2も1に吸収されるべきでした。 原因は「ぬ」「ず」です。とうとう、ヤッテシモウタといったところでしょうか。(*)の認識がない時点では、何処かしらに文法上の誤りが有る筈だとの呪縛が災いして2をデッチ挙げたのかも知れません。私は信用の置けないヤツだと自覚しました。 >>日本語として標準的といえるかどうかは疑問だが、慣用的には用いられていて、西日本訛りの影響もあろう用法・・・・・・・(*) この一言で、多分全面的に解決したと思います。 <定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>、これらが「標準的といえるかどうかは疑問だ」とは些かも考えていませんでした。<満ちない><満ちぬ>同様、全く標準化しているとばかり受け取っていました。また、これらが「西日本訛りの影響」だとも知りませんでした。そのため、何故わざわざ慣用と断るのか理解できず辻褄合わせに悩みました。(*)の事情があるのであれば、よく読み下せます。 (*)に異論のある方があってはいけないので、念を入れる意味で24日(日)までは締め切らないでおきます。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
補足
締め切るに当たって 識者にとってはANo.1、ANo.4、 ANo.5は同じことを述べていて差異はないのかもしれません。仮に、著者が何番の回答を読めば原文に手を入れる気持ちになりそうか。この視点で2つを選びました。何れ劣らぬ善意に兄弟の序をつけるのは忍びないですが、システムの上から止むを得ないのでポイントの件は、ご勘弁下さいませ。
お礼
お答を正しく読み取れたか否か心配ですが、本家と分家を取り違えてはいかんぞよ、とのご注意と受け取りました。 >>「西方のことばの侵入」ではなく、「東方のことば (口頭語) に変化することなく、もとの形 (文章語) が存続している」と言うのが適切でしょう。・・・(#) 見解はよく掴めた積もりです。話題が、こういう高度な言葉の変化に及んでは背景をもたない私には甲乙、黒白をつける事はできません。張り合いがなくてすみません。 どちらかに軍配を上げることはできませんが、一例として大和の国の枕詞「そらみつ」の存在は確かに(#)の傍証である気がします。 右から風が吹けば右に靡き、左から風が吹けば左に靡くと思われてもいけないので、早くとも3月2日(日)までは締め切らないことにします。専門知識の所有者が多方面から書き込んで下さるかもしれませんから。 ANo.1を読んだ後は、「文法には外れているが慣用上は認められている」と著者が述べているとは受け取っていません。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
補足
補足ではありません。 「右から風が吹けば右に靡き、左から風が吹けば左に靡く」 こんな器用なこと出来ますかねぇ。私の場合は出来てしまうかも。 訂正するほどの話題であるか否か判りませんが。