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明治維新です。
学制が、出る前は寺子屋と言うところで民衆は、勉強していたそうですが寺子屋とは、どのようなところですか? 詳しく教えて下さい。 お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
上方では寺子屋、江戸では手習いといったように思います 読み書きそろばんといいますが まあ、基本的には読み書きをおしえたところですね 江戸時代は今でいう小学生くらいから商家に小僧さんとして奉公に出たり、親の手伝いしたりがあたりまえでしたからね、基本的な生活のことは親や奉公先で教わったのです 貧乏な家之子は読み書きもできないひとももちろんいました、男の子よりも女の子のほうが武家にお行儀みならいにいったりして教養の高い人もいたようです しればしるほど面白いですね
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- ssiinn
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回答No.4
前述の方々の補足となりますが、 私塾で、基本的に、教養のある人が教えてたと思います。 基本的教養、読み書き、「国文」(平仮名や漢字)や、当時の教養の基本は漢文ですから、高等になると「漢文」の朗読など。 あとこれは、推測ですが、「算術」(いまでいう算数ですね)等もあったのではないかと?(算盤とか)
質問者
お礼
ごてきせつなかいとうありがとうございます。
- SCNK
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回答No.2
寺子屋は上方にあったもので、江戸では学問所といったそうです。形態的には私学でしょう。
質問者
お礼
ごてきせつなかいとうありがとうございます。
- tak2006
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回答No.1
検索したところ下記のURLを見つけました。 とても興味深い話がいろいろ載っていますよ。
質問者
お礼
ごてきせつなかいとうありがとうございます。
お礼
ごてきせつなかいとうありがとうございます。