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いわゆる「差別語」の変遷
昔の本などを読む機会があると、結構今は使うのがはばかられるような表現に出会います。「ちびデブの・・」なんていう絵本があったりしました。 昔は、別に意識しないで使っていたわけですが、どういう理由で規制がかかるようになってきたのでしょうか。その行政上社会通念上の変化というのは、どういうところからきているのでしょうか。 私が考えたのは、結局経済的に豊かになり、福祉が充実してきたことが大きいと考えています。 逆に考えると、もし、経済的混乱や貧困戦乱などが将来この国に起こると、また言葉上も乱暴(というか古風に)なっていくでしょうか。それとも、言葉上は穏便に続けて、制度的に荒くなっていくでしょうか?
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たぶん、本来人間が格差、差別が好きな動物だということなのでしょう。 差別用語にも元々差別用語としてできた言葉、本来差別用語とは関係のない言葉、差別用語ではないけれども連想される言葉などいろいろあります。 元々差別用語ではないため普通にその用語が出てきてもある時期から一部の人たちによって差別用語として使用されるとその後差別用語として認識されます。後は言葉狩りによって、差別用語だからといって使用できなくなるのです。本来の使用方法で使用している人たちにとってはえらい迷惑なことです。ある地方では普通の言葉が差別用語になり使用が憚れて別な言葉に言い換えるなど非常に苦労しています。 だから、今、差別用語として使用していない言葉がある時期から差別用語として認識され使用できなくなることもあると思います。人間から差別という意識を除かなければ、差別用語は増え続けるわけです。 日本語の美しい言葉がある人たちのために差別用語として認識されないように心も美しくありたいものです。
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- dulatour
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『ちび黒サンボ』という童話が、消えてしまった顛末やカルピスのマークが変更されたこと、また「ワンリトルインディアン ツウリトルインディアン~」という歌が歌われなくなった経緯を調べてみるとよいでしょう。 また、一昨年あたり問題となった奈良県の名目だけの県職員の問題などもなぜこうしたことがまかり通っていたのかを考えてみるとよいでしょう。 参考までに、日本の言葉狩りの戦後の例としては、「丁稚」「小僧」を「従業員」と改めることや、「女中さん」を「お手伝いさん」といい改めることが、昭和30年頃のことだと記憶しております。 当時は「にこよん」などは、まだ問題とはされていませんでした。 差別語というのは、そのことを論じること自体が差別意識につながるので、ここでは十分に説明することができません。言葉狩りがどのように行われてきたかを説明することはできますけれど、問題にしてはいけないことを問題にすることが差別なのですから、差別語を定義することはできません。
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大げさに言うと、政治的配慮ということにつながっていくような気がします。つまり、大衆支持というか選挙公約というか。結局は「純粋に差別を禁止する」とか「純粋に言葉を定義し美的なものに従う」という態度とはだいぶかけ離れているのでしょうね。
お礼
人間の本性に基づいているということはいえますね。それが実は生存の非常な武器であるということかもしれません。異分子を排除することはやはり安全といえば言える。これが刷り込まれてしまっていますね。 こういう元があって、これを悪用する者が出ると、どんどん歯止めがかからなくなっていきます。悪用でなくても、政治的措置とかなりゆきとか。たかが言葉なのですが、これが社会を動かすほどの影響力さえ持ちます。こまったものです。 本質を分かる人間が増えることが大事なのでしょうが、それは絵空事なのでしょうね。