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繁華街の変遷
東京の繁華街といえば、昔は浅草や銀座など東よりだったようですが、現在は、新宿、渋谷など西よりの地域が圧倒的に栄えています。 これはいつごろからで、その理由は何故でしょうか? また西より(渋谷、世田谷など)のほうが、高額所得者が多くすんでいるような印象を受けますが、もともとは、さびれていたと思われるこの地域にお金持ちが住むようになったのは何故でしょうか?
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「繁華街の変遷」 現在でも、銀座や日本橋といった戦前からの繁華街はそれなりに栄えています。 新宿、渋谷は、高度成長期から栄えるようになった繁華街です。これらの地域が栄えるようになったのは、東京の西南側に人口と購買力の中心が移ったからです。 一方、戦前は栄えていたと言う浅草や上野広小路は、普通の意味の繁華街ではありません。これも、人口と購買力の中心から外れてしまったことで一応説明できるでしょう。 「また西より(渋谷、世田谷など)のほうが、高額所得者が多くすんでいるような印象を受けますが、もともとは、さびれていたと思われるこの地域にお金持ちが住むようになったのは何故でしょうか?」 戦前の東京の金持ちは、今の文京区・港区の高台の地域に概ね住んでいたようです。それらの地域は、今でも「超高級住宅地」として金持ちが住んでいるか、ビル街(オフィス、高層マンション)に変貌している例が多いと思います。 戦前は、 (1) 交通機関と道路が未発達。人力車や遅い自動車が、未舗装の道を走っていた時代です。鉄道も今よりずっと遅く、遠距離を走る鉄道は未電化でした。 東京の都心に職場のある官僚や企業関係者は、あまり遠くには住めませんでした。 また、当時は東京の人口は今よりずっと少なかったので、文京区と港区で概ね間に合ったはずです。 なお、現在の新宿区や豊島区など、当時は「郊外」であった地域に住んでいた要人として、 平沼騏一郎 首相:大久保 岡田啓介 首相:新宿角筈 山縣有朋 首相:目白 大隈重信 首相:早稲田 近衛文麿 首相:荻窪 といった例があります。こうした人は、特にどこかに通勤するわけではありませんので、自然豊かな「郊外」に広壮な邸宅を構えていたわけです。 昭和10年頃から、東京の西側に東急、小田急、京王が鉄道網を整備し出し、こうした地域から都心への通勤が可能になりました。文京区や港区の高台地域もだんだん地価が上がってきました。その結果、東京の西側の住宅開発が進みました。 この時期に、例えば佐官クラスの軍人(今で言うと、年収1千万円くらい)が、今の世田谷区や杉並区あたり(例:豪徳寺)に家を買うような例が出てきます。同クラスのサラリーマンや役人も同様だったでしょう。今で言うと、千葉や埼玉にローンを組んで家を買う感覚で、金持ちの行動とはいえません。 山手線の外側に「高級住宅地」が成立するのは、田園調布のような先行例を除けば、戦後になってからではないかと思います。
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- luune21
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>いつごろ 私の個人的な記憶では、1960年代頃からではないでしょうか。高度成長期(オリンピック施設建設~都庁移転頃)の成長度に合致するように山手に移動したように思います。 さらに東部は、低地で地盤も悪く、江戸の昔よりすでに密集地であったことも原因にあげられそうです。 >理由は何故 壊してから作るより、新しく作る方が楽だからです。 京、町、脳、OS(Windowsなど)も作り変えでではなく、作り加え(もしくは移転)で進化しています。 >金持ちが住むようになったのは 支配者、権力者、金持ちは高所が好きです。同じ渋谷でも谷側ではなく、松涛や代官山などの山側に高額所得者は住んでいますね。世田谷などの西部には、~台や~丘、~山の開発にことかかない地形です。古来より、ダウンタウンから逃げ出そうとする傾向もあるようです。
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早々のご回答ありがとうございました。 なるほど「××は高いところが好き」といいますが、権力者や金持ちもそうなんですね。
お礼
詳しいご回答ありがとうございました。 大変よくわかりました。