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なぜ藤原定家のこの歌に後鳥羽上皇が激怒したの?
藤原定家は順徳天皇の内裏歌会で「野外柳」という題を述懐ふうに取り成して、禁忌の詞を含んだ歌を詠みます。 道のべの 野原の柳 したもえぬ あはれ嘆きのけぶりくらべに この歌が後鳥羽上皇の逆鱗に触れたそうですが、「禁忌の詞」とはこの歌のどのことばをさすのでしょうか?なぜ上皇がお怒りになったのでしょうか?
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下記サイトの説明からすると、ご質問の歌には「常に禁忌とされる言葉が含まれている」と いうわけではなく、「以前からの確執」があったところに、「恨みを強く込めた歌」を出したことで 怒りを買い、しかもそれが「道真の歌の本歌取」だったことで処分を下せる理由を与えてしまった、 ということのように思われます。 参考(いずれもCtrl+Fで「したもえぬ」を検索して下さい): http://www.econ.hit-u.ac.jp/~makoto/ninnajiharu.html (検索位置の数行前、「上の歌は」の辺りからを参照) http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books212.htm (同じく、「後鳥羽上皇・藤原良房・定家の時代となり」の辺りからを参照) http://dokushin.hp.infoseek.co.jp/teika-1.htm (同じく、「承久二年(一二二○年)」の辺りからを参照)
お礼
ありがとうございました、DexMachina さん! 実はわたしも異性に対して「したもえ」するんです(ぽっ!)