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天皇御号、99代の後?
歴代天皇一覧表を見ると、第99代と第100代の間に北1~北5と ありますが、どういった事でしょうか?無知ゆえに漠然とした質問で すみませんが、よろしくお願いします。
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明治時代になって皇室の系譜が整理され、天智天皇の崩御後に大友皇子が即位して弘文天皇になったこととされました。他にも類似の例があった筈です。 安徳天皇も明治になってから天皇歴代に数えられたのではなかったでしょうか。後鳥羽天皇と安徳天皇は在位期間が明らかに重複していますが、どちらも正統の扱いです。 明治天皇が「南朝が正統」と裁可なさったので、敗戦の後も昭和天皇は明治天皇の決定をお引き継ぎになり、今上陛下もそれをご継承されて「南朝が正統、北朝は非正統」となっています。北朝の初代の光厳天皇と後鳥羽天皇は同様の経緯で皇位についているのですが、年数の違いで前者は非正統、後者は正統(歴代の代数に数える)となっています。
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- nene-k
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先の回答者さんと、重複するかも知れませんが・・・ ご存知のように、第96代・後醍醐天皇と、足利尊氏らが組んで鎌倉幕府=北条氏を倒し、建武の新政を成し遂げます。 しかし、この建武の新政が公家優遇だったために反発した武士の棟梁・足利尊氏が天皇に反旗をひるがえし、室町幕府を立ち上げます。 この尊氏=室町幕府が天皇立てて政治を行った朝廷が北朝で、戦い敗れて京都から奈良の吉野へ逃げた後醍醐天皇とその系列が引き続き朝廷として政治を行った朝廷が南朝・・・この時代が南北朝と呼ばれる時代です。 つまり、日本という一つの国に二人の天皇と二つの朝廷があった時期なのです。 この時代、おおむね北朝側が有利に事を勧めていましたので、事実上は北朝が実権を握っていましたが、天皇家のシンボルである「三種の神器(神代から受け継がれた草薙の剣と八坂瓊曲玉と八咫鏡)」を南朝側が持っていたため、歴史上正式な天皇家は南朝という事になります。 それで、後醍醐天皇のあとに、97・98・99代の三人の天皇が続く事になりますが、その間に北朝では別の天皇(質問者さまが「北1~北5」と書いていらっしゃる5人の天皇です)を立てていて、その6代目である後小松天皇の時に、南朝が三種の神器を北朝に渡し、「南北朝合一」・・・つまり二つに分かれていた朝廷を一つに戻して南北朝時代が終ったので、その北朝6代目の後小松天皇が次の正式な天皇という事になります。 なので、99代の後の100代・後小松天皇となるわけです。
- mi-tan99
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こちらをご覧下さい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E7%9A%87%E5%AE%A4%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D 室町時代初期に、天皇家が北朝と南朝に分かれてそれぞれが天皇を名乗っていました(いわゆる南北朝時代) 明治44年に明治天皇の勅裁によって、南朝が正統とされ、北朝側の天皇は歴代の天皇に数えないこととしました。 戦前は天皇を神格化していた(政府だけでなくメディアや国民もそれを大いに煽ったわけですが)ので、足利尊氏などは天皇に逆らった逆賊、その息がかかった北朝は正統ではない、というわけです。 実際には、その後の天皇家は北朝の系譜なのですが(^^;
お礼
ありがとうございます。非常に丁寧な回答で分かりやすかったです。 勉強になりました。ありがとうございました
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