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江戸以降日本に奴隷制は無かったと言われますが
奴隷と奴隷的な身分(丁稚、小作人)等の間にある差異とはなんでしょうか。
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- buchi-dog
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「一方、奴隷と小作人は、職業選択や転居の自由がないという点で似ています」 戦前日本の小作人は小作地を地主に返す権利を有し、職業選択と転居の自由を有した筈ですが?
- penser
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まずは、言葉の説明から。 奴隷……奴隷には一切の所有権がなく、逆に所有される対象、つまり、モノ・商品として扱われる。 丁稚……(日本で)子供が10歳前後で商家に預けられ、衣食住を店側に負担してもらいながら、無給で働く場合を言う。ただし、商売人として腕を上げれば、所帯を持つことが許されるため、通常30歳くらいで丁稚の身分からは開放される。 小作人……地主から土地を借りて農業をし、その代償として地主に工学の地代を払うことで生計を立てている人。身分は固定的で、小作人の家に生まれたら、一生小作人として働かなければならない場合が多い。 奴隷と丁稚は、無給で働かされる点で似ています。 相違点は、奴隷は身分が固定的で、一生モノとして非人間的に扱われるのに対して、丁稚は商売見習いとして店側に育てられ、行く行くは一人前になることが前提となっているという点です。 丁稚は、人材育成システムという色彩が強く、奴隷に比べて人権上の問題が少ないと言えます。 一方、奴隷と小作人は、職業選択や転居の自由がないという点で似ています。 相違点は、奴隷が私有財産を持つことを許されていないのに対して、小作人は私有財産を持つことを許されているという点です。 また、小作人は地主の所有物ではありませんから、モノとして売られることもありません。 小作人は、人権上問題のある仕組みですが、奴隷よりはマシと言えるでしょう。 小作人は世界史では農奴と呼ばれる人々と近いと言えます。
- buchi-dog
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No7ですが、訂正します。 誤) 戦前の日本の小作人は、農地を借金の担保 正) 戦前の日本の小作人は、多くの場合は、自作農が所有する農地を借金の担保
- buchi-dog
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「小作人にも色々あって、土地の所有権を放棄しただけの小作人もいましたが、それ以上の借財があり、財産として売買される小作人もありました」 戦前の日本の小作人は、農地を借金の担保、もしくは税金の滞納で競売にかけられて所有権を失い、その土地を、新たな地主に小作料を支払って耕作し続ける人です。必ずしも、自作農が所有地を一度に失うわけではなく、自作農が3筆の所有農地のうち一筆を競売されて所有権を失い、一筆の農地は小作地、ニ筆の農地は自作地(自分の所有地)として農業を続けるケースもありました。 小作人が土地を地主に返し、小作料を精算して、家族単位で別な場所へ移る(例:都市のスラムへ移住する、日本政府の支援金を得て海外(南米、満洲などへ移民する)のは小作人の自由でした。小作人は奴隷ではないので、自らの意思で行動できます。 「それ以上の借財があり、財産として売買される小作人」 というのはいかなる状態、時代や地域を想定しているのか不明ですが、ロシアの農奴を想定しているのでしょうか? 農奴と言うのは「領主(地主)の奴隷が小作人になっている」状態を指します。農奴は原則として家族を形成していますが、「小作人」ではなく「奴隷」なので、所有者の意思によって農奴の家族が分解・売却される場合もあったようです。これは、アメリカの南北戦争以前の黒人奴隷(プランテーションで使役される)と同じです。非人道的な悲しい話ですが、歴史的事実です。
- buchi-dog
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自由度が高い順に 労働者 年季奉公人 前借金を負担する年季奉公人 奴隷 となります。課題の丸投げに直接の回答はできませんので、上記のキーワードで考えてください。 上記とは別な分類で (自由度、人権度が高い順に) 現代の日本の少年院にいる少年少女 (差異) 現代の日本の刑務所にいる受刑者 (大きな差異) 明治時代、北海道などの監獄にいた徒刑囚 江戸時代、佐渡の金鉱にいた水替え人足 (大きな差異) ソ連の強制収容所にいたソ連人 (差異) ソ連の捕虜収容所にいた日本人 ソ連の捕虜収容所にいたドイツ人 (大きな差異) 北朝鮮の強制収容所にいる政治犯 となります。 下記の本を読むと、「人類史上、最も虐げられた人々」について分かります。 北朝鮮絶望収容所 ワニ文庫 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30675657
- komes
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確かに制度としての奴隷制度はなかったでしょうが奴隷によく似た境遇は存在したと思います。 小作人にも色々あって、土地の所有権を放棄しただけの小作人もいましたが、それ以上の借財があり、財産として売買される小作人もありました。 また遊女の多くは金銭により売買され、その境遇から自由になるには身請けという金銭を支払うか、一定の期間の労働を終える必要がありました。 しかもその期間は一定の居住地以外に出る自由も許されませんでした。 また非人とされた人々は特定の職業以外に従事出来ない定めでした。 またアイヌ族は制度上は和人と区別され人間としての自由は制限ないし区別されていました。 法的には財産権のない日本人といえる境涯でした。 丁稚は自由意志で従事する職業でしたから奴隷とは明らかに異なります。 西欧の開放奴隷のようなものでした。
- nemosan
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身分ではないけど… 「奴隷」と「囚人」との差も分かりませんね。 無宿人を捕らえて佐渡の金山で働かせる「鉱山役夫」 http://www.ne.jp/asahi/chihiro/love/ooedo/ooedo23.html
- d-y
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http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%A5%B4%E9%9A%B7&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=14076713545900 奴隷は、他人の私的財産として扱われます。 人間としての権利や自由は、認められません。 端的に言うと、奴隷とは「生物学的にはヒトであるが、法的には家畜」なのです。 少なくとも江戸時代以降は、そういうのは日本に存在しなかったと思います。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
こんにちは えた、ひにんと呼ばれた方々は、 丁稚や小作人よりも身分が下だったと記憶しております。 もっとも嫌われる仕事、たとえば死刑の執行人や、 死んだ動物の解体などを生業として、 農民から揶揄されながら暮らしておられたそうです。
- 6dou_rinne
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奴隷は自分から奴隷はやめられませんが、丁稚や小作人は自分の意志でやめることはできました。