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日本人が奴隷に?

こんにちは。 ドラマ坂の上の雲を見ていたら高橋是清が出てきて、アメリカで奴隷契約を結ばされたといいます。英語そのものがわからなくてサインしたら奴隷契約だったのだと。 豊臣秀吉の時代、奴隷商人がこの国に来ていて、ドサクサに紛れて、あるいは大友宗麟のような非常な大名から売られて日本人が奴隷として海外に行ったという話もネットで乗っていました。 こうした話もう少し詳しく聞きたいのですが。 よろしくお願いします。

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  • phj
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回答No.4

奴隷の話にはそもそも、外国と日本での制度の違いがあります。 日本にはそもそも、外国で言うところの「奴隷」制度が機能した時代は一回もないのです。 一般的な奴隷制度、つまり古代ローマやギリシャなどからアメリカの黒人奴隷まで、この奴隷というのは「所有物」という扱いになります。現代的な感覚で言えば「人間の家畜」または「人間のペット」です。 所有物ですから、たとえば事故で死んだ場合などは、所有者に金額で保証されます。この金額は同等のスキルを有する奴隷を買う値段が原則になります。 奴隷の金額は、子供は安く、大人は高く、男性のほうが女性よりも高く、医術や建築学などスキルの高い奴隷は高く取引されました。大体どの時代でも、1000万円前後であり、スキルの高い奴隷なら3000万円ぐらいの価値はあったといわれています。 このような世界的な状況の中で、戦国時代になると日本に西洋の貿易船がやってきます。当然奴隷商人もやってきていて、日本人の奴隷を買い付けました。そして驚いたことに日本の奴隷は、世界の基準から見て1/3程度の値段で買うことができることに気がついたのです。 そのため、最初の頃西洋の奴隷商人はたくさんの日本人を買っていった、と言われています。まあ、奴隷商人と書きましたが、実体はイエズス会の宣教師が仲介役をやっていたようです。 この時代も後の時代も、日本での奴隷制度はいわゆる借金を前借して、その期限まで強制的に働くことを求められるものであり、ドラマ「おしん」でもおなじみの方法でありました。貧しい家庭の子供が売られる、というのは先付けで賃金分が親に支払われ、その分を売られた子供が自分で働いて返すのが日本の奴隷制度だったわけで、おしんのような奉公でも女郎などの売春婦でも、方式は同じで金額だけが違ったわけです。(つまり、娘を女衒(売春婦になる娘を集める仲介業)に売らなかったおしんの両親はいくらかはましだった、ということ) このような方式である以上、本人が働いて返せないほどの金額で売買されることはありません。ですから、日本の奴隷(と思われていた)の金額は、世界標準から見てべらぼうに安かったわけです。 そして、西洋の商人が買った際も、日本人の仲介業者は海外も同じ制度である、と思って商売をしていたわけです。 これが、のちのちのトラブルになります。戦国時代の日本は西洋の船が日本に来るのと同様に、日本人も東南アジアまではよく来航しており、各地に日本人街があったのです。 この日本人街は当然自由人としての商人や武士たちが主体でしたが、ここに奴隷として売られていった日本人達が訴えをもってくるようになったのです。 曰く「年季奉公といわれてきたものの、年季があけたはずなのに返してくれない」という訴えです。 これらの声が大きくなったのがちょうど秀吉が天下を取った頃で、秀吉はすぐに詳細な調査を命じ、日本人が多数奴隷として海外に売られていることを知ったわけです。 この商習慣のズレが元々にあったものの、イエズス会のやり方は余りにもあくどく、人を人と思わない商売のやりかたに嫌悪感を抱いた秀吉は、バテレン禁止令を出して弾圧を始め、秀吉の後を継いだ徳川家康は、ついに鎖国まで踏み込んでイエズス会などのカソリックを放逐、西洋国との貿易はプロテスタント国家である英国とオランダのみに絞ることになったわけです。 これとまったく同じ構図が繰り返されたのが、明治維新後のアメリカとの人身売買契約で、日本人は年季奉公や新規開拓者としてハワイやカルフォルニアに行ったのに、契約では奴隷身分だったというものです。 高橋是清のエピソードは、人を人と思わない、特にキリスト教徒以外は人にあらず、という感覚がアメリカにあったことを物語っています。ちなみにアメリカが完全に奴隷的な制度を廃止したのは、公民権法が施行された1964年のことなのです。 ここでちょっとだけ、慰安婦の問題に触れます。 実は慰安婦の問題と日本と世界の意識のズレはまさに「奴隷制度」の問題なのです。 世界の常識では、軍隊の兵士に慰安を行うのはまさに奴隷女の仕事だったわけです。それが何千年も続いてきたのです。ですから、当然に日本の慰安婦も「奴隷同様に徴発された女性に違いない」という理解から出発するのです。 しかし日本人にはそもそも(世界標準としての)奴隷と言う感覚はなく、むしろ戦国時代も明治時代もそれで酷い目にあってきたので、そんなことはしない、というのが一般的な感覚であり、ここに世界とのズレが生じるのです。 「奴隷」という歴史的経緯を知れば知るほど、慰安婦問題のズレが気になるようになります。

その他の回答 (4)

  • tanuki4u
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回答No.5

日本における奴隷制度の話に関しては http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b99569.html 〈身売り〉の日本史 341 人身売買から年季奉公へ 上記の書籍では、秀吉の時代を前後として人身売買から年季奉公にシフトしたということを中心に書かれています。 それ以前に関して日本史の用語としては奴婢 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E5%A9%A2 「基本的には家畜と同じ扱いであり、市場などで取引されていた。」 というように、売買対象です。 http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/BKK0001777.pdf?file_id=27196 律 令 制 の中で は「奴婢」(古事 記,日本書記で は単 に 「奴」 とい う)が 稲千 束で売買 された とい う記録 が残 って い る。 ちなみに奴隷制から進化して・・・というのも眉唾なところがあって 需要と供給があれば奴隷制度が生まれます。 世界史でロシアの農奴解放ってのがありますが、大昔から農奴制があったわけではなく http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%BE%B2%E5%A5%B4%E5%88%B6 西欧で産業革命が進行し、人口が増加したために小麦の需要が増え、それを賄うために農奴制が生まれます

  • shirouuda
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回答No.3

tanuki4氏に補足のつもり。 「雑兵たちの戦場」と同じ著者・藤木久志先生の「戦国の作法」によれば、 大名の戦争だけでなく、隣村とのケンカでも捕虜を奴隷として売り、親族が奴隷を買い戻す際の相場や借金の方法まで確立されている様子が書かれています。貧しい田舎ではなくて近江の村でです。 この本では、確認できるのは戦国時代の事だそうですが、私は、古代から中世でも、ずっとそのような時代だったと思っています。 このような時代を終わらせた、江戸幕府の初期の幕閣は、「おれ達が民の生活を幸せにしてやった。ありがたいと思って年貢をたくさん差し出せ。」と本気で思ってたと思いますよ。

  • tanuki4u
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回答No.2

http://26.pro.tok2.com/~yataro/sy-hitouri.html 戦国時代の戦争の一面は「奴隷狩り」です。 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777)) [単行本] あたりをお読みください。 ドサクサに紛れて 変な表現ですが、「供給元(日本側)」があったので買い手も来ましたという話です。

回答No.1

 初めはキリスト教布教を認めていた豊臣秀吉が途中で禁止したのも、江戸幕府が禁キリシタン令を出したのも、日本人が東南アジアへ奴隷として売られていったことも一因です。  もっと古くは元寇の折りに対馬に到着した元+朝鮮人連合軍が対馬の人々を奴隷として、連行したと言う話もあります。その時の連行方法がエグく、日蓮が伝聞を残していますが、「手のひらに穴を開けてそこに縄を通して連行した」らしいです。 ↓文永の役の「対馬侵攻」を読んでね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87

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