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「仮定節を含む文は文頭のほうが焦点を持つ」について

http://sanwa.okwave.jp/qa3591933.html 上の#3の回答に衝撃を受けたのですが、フランス語も日本語も英語も、いわゆる「焦点」というのことへの考え方には共通するところが多いことに気づかされました。一般に、ひとつの節のなかでは後ろに焦点が来やすい。間投詞などは文頭に来やすい(=焦点も文頭)。ここまでは理解していました。 ところが今回教わったのは if や though, whatever/however etc. など「何かを仮定する接続詞」をつけた節は、主節より前にきたほうが焦点がくる、ということです。 (1)If he's a baker, I'll marry him. (2)I'll marry him if he's a baker. これら2文を比べてみると、(1)も(2)も前の節のほうに焦点がきていませんか。これは私にとっては驚きでしたし、たしかにそうだ、と思いました。文法家の皆様はどうみなされますか? 日本語でも同じことが言えそうです。 (3)もし彼が現れたら、結婚しよう。 (4)結婚しよう、もし彼が現れたら。

みんなの回答

回答No.2

Gです。 こんにちは!! 私なりに書いてみますね。 これはもう文法的考えではなく単なる人間がする表現方法の現実と言ってもいいのではないでしょうか。 ただ、学校では、このフィーリングの考え方を教えてくれなかったと言うことだと思いますよ。 つまり、1)では、条件付け、として書かれている、と言うことに過ぎないのです。 限定と言う単語の方が分かりやすいですか? だからこそ、カンマが使われているのです。 こういう状況であれば、こういう条件の下ではね、と限定していることをまず言う、と言う事なのです。 2)ではただの追加的表現だと言うことなのです。それほど重要視しているわけではないけど「後付けの条件」のフィーリングの表現なのですね。 だからカンマをいれるほど「分けて表現しようとすること」もないわけです。 簡単すぎてせっかくの感動を減らしてしまったのではないかと懸念していますが、学校で教えてくれなかったフィーリングに基づいての表現方法が実は絶対的なものであることに気がついたことはこれからの英語習得には大きな影響を受けたのではないかと思います。 なぜなら実は私自身もこの国に来てからそんなにかからないで日本で教える文法に基づいた英語教育の知識がほとんど言っていいほど(基本は除いて)水の泡となって消されたので今の私があると言っても過言ではない経験をしているからなのです。 参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

焦点ということと主文ということを混同されているように思います。 日本語は必ずしもそうとはいえませんが、英独仏の印欧語族系統の 言語では何に文の重きが置かれるかというのは暗黙に決まっています。 それはラテン語以来の原則です。

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