- 締切済み
なぜ日本の県意識はこんなに低いんですか?
日本は数百年に渡り藩という各地独立した自治制度がありました。 各藩には藩主が居り武士達は藩主に命を捧げ奉公しました。 藩の移動もそんなに簡単にできるものではありませんでした。 それではなぜ現在、藩意識、県意識がこんなにも低いんでしょうか。 普通数百年も各自治区に別れていたらほかの地区に対する対抗心とか差別感が出てもいいと思います。 文化や性格様式も他の藩とは違うはずです。 単一民族としてもかなりの違いが出るはずじゃないでしょうか? やはり維新後の天皇を中心に日本人意識を持たせたことが大きかったのでしょうか?
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
みんなの回答
- googahaku
- ベストアンサー率17% (43/242)
歴史的に見るなら、一般庶民に「村」の意識はあっても、その集合体の藩(県)にまで拡大した共同意識はなかったでしょう。その必要性もなかったでしょう。むしろ水利など、利害の対立から反目しあう事の方が多かったのではないかと思われます。 その昔に、支配者たる藩主やその手先の武士たちと被支配者農民との間に十分な信頼関係があったとは思えず、藩や県単位の共同体意識が醸成される土壌はなかったのです。 また、質問者は、日本の藩・県の意識低いといわれるが、どこの国と較べて低いのでしょうか?
- hazu01_01
- ベストアンサー率31% (341/1067)
まず、藩というものをよく知ってください。 一円支配がある藩は数少ないです。ほとんどの場合、主たる城域を除けば離れたところに分けて領域が存在します。旗本程度になると同じ場所を何家かで分けて領しているところもあります。 また、幕府は大名が領域と密接化することを嫌いましたから、よくあちこちへ移転させています。 そして、その転封の時に数合わせに分けたりくっつけたりしています。 その単位は今の「大字」単位とかその下の「字」単位で行っています。 薩摩藩、長州藩、仙台藩といった大藩ならば異なりますが、多くのところでは今の市町村であっても複数の藩や旗本領の集まりなのです。 市町村単位で見ると地域意識がないように見えても、昔の領域で見ると婚姻圏、生活圏などが同じだったりしますのでよく見てください。 今、市町村単位が異なっても婚姻圏、生活圏などが一緒のところは歴史を振り返れば江戸時代以前などで同じ領主の領地だったりします。
- outerlimit
- ベストアンサー率26% (993/3718)
必要性を感じないから 団結心は 虐げられていると思い込んだときに 最も強くなります
- jayoosan
- ベストアンサー率28% (929/3259)
県意識、私はある一部の人や年代でみるとかなり強いと思いますよ。 私はある地方で生まれ、東京で育ちましたが、その生まれた地方人であるという意識は常にあります。 ただ東京で育ったせいか、中央からみると地方は単なる地域色とみており、時代劇のお国的なイメージはないと感じていたので、もし20代前半までにこの質問を見たら、たぶん質問さんのように書いていたと思います。 しかし社会人になって仕事でいろんな県を移動したり、都内でもつきあいでお客さんや得意先の人の県民が経営するお店(いわゆるお国の味の店)につれていかれると、県民性や彼らが県を意識する気持ちを強く感じます。 例えば、私が他県に出張でいったとき、その土地で食事をしたり話をすると、そこの人ではないとわからない話題や物事に対する感覚を感じたりします。その地域がかかえる産業と生活に対する悩みや問題に対する意識は、その土地の人間でないとわかりません。また、その土地で有名な名物料理を出されて食べたとき、たぶん彼らにはこの味は当たり前なんだろうなと思いつつ、私は「この味と料理が毎日?かんべんしてよ」と思うことが多々あります。そこでは、私はやっぱり他県人です。 また都内においても、つきあいでお客さんや得意先の人の県民が経営するお店にいくと、その県の話や味自慢をし「ああ、みんな自分の国が好きなんだな」と思います。知らない地元の酒の自慢をされても、ちんぷんかんぷんなのですが。 これは自分で足をいろいろ運ぶようになって(旅行のような一過性のものではなく)、気がつくようになったことです。
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
明治の廃藩置県以後、県の構成もかなり変わっていますし、県知事が中央政府からの任命という形式をとっていたため、縁もゆかりもない県知事が任命されたこともあったはずです。 また、戦前・戦後を通じて、人々の流動が多い場所では、そのような意識も育ちにくかったのではないかと思います。
- Roman0
- ベストアンサー率18% (118/628)
> やはり維新後の天皇を中心に日本人意識を持たせたことが > 大きかったのでしょうか? 明確に違います。 現に、「錦を飾る」というコンセプトは戦前まで濃厚にのこっていました。 端的に言って GHQ による戦後教育の問題です。 県民意識にせよ、国民意識にせよ、教育によって郷土、母国の歴史を誇りと共に教えなければ、郷土、母国に対する愛着など育ちません。たまたま、何か個人的体験で「いいなあ」と思う人はゼロではありませんが、少数派にとどまります。 それをせず、意味の分からない「市民」などという観点で教育しようとしたものが GHQ の作った教育基本法です。しかも、それを教えた日教組などの左翼やサヨクの教師が大勢存在しました。今でも、無視できない量で、しています。 これが、県意識が低い最大の理由ですね。 無論、他にもありますよ。 補助金漬けの地方自治体財政制度とか、東大を頂点としたピラミッド型学歴ヒエラルキーとか。が、最大の要因は、教育です。 なお、本件は個別事例を挙げてどうこう言ってもあまり意味がありません。統計的に有意かという話ですからね。
- hukuponlog
- ベストアンサー率52% (791/1499)
んー、どうなんでしょうね。私は弘前と会津に親戚がいますが、結構ありますよ。 特に会津は比較的親しい親戚なので色々話を聞くと、例えば鹿児島県民に対しては「この人は自分のことをどう思っているんだろう?」と意識してしまうと言っています。「敵・味方」という意識はさすがに無いのですが、「自分(会津人)のことを変に意識しているのかなぁ?」と、逆に意識してしまうと言っていました。 また、弘前の方の親戚は津軽と南部は違う、という気持ちは結構持っていますね。 長野県の友人は、かなり強烈な県民意識を持っています。大学や職場で「県人会」なんてあるのは珍しいでしょう? 県全体としても強烈(だいたい、出身者全員が県歌を歌えるなんて、他じゃあり得ません)ですし、詳しくは知りませんが、地域ごとの意識もかなり強いですね。 平気で「あそこは藩が違うから」とか「そもそも県庁所在地が長野になったのは・・・」みたいなうんちく話をします。 まぁ、日本全体としては、質問者さんのおっしゃるとおりなんだろうな、と私も思いますが、さほど少数でもない例外はあるようです。
- manito
- ベストアンサー率24% (16/66)
日本では普段の日常生活の中で、個人が日本国民であると同時に県民であるという様に感じることが少ないせいだと思います。 自分が住んでいるカナダではカナダ人であると同時に●●州人であるということも強く意識します。なぜなら、買い物をするたびにGSTとPSTの二種類の消費税をそれぞれ国と州に対して払わなければいけないし、別の州に行ったら法律も微妙に変わるからです。 日本も昔だったら、地方ごとに全く違った制度や法律があったのでしょうが、現在は普段気にすることのない地方条例というのがある程度です。もし都内は15歳から飲酒喫煙が認められていて、北海道では21歳以上じゃないと駄目、というような法律の違いが出来上がれば日本人でも意識するようになるのではないでしょうか。 ちなみに自分は長野県出身ですが、他県出身者と話をする時は、同じ日本人として一緒にされたら嫌な気分になります。特に東京人や大阪人などと同じ日本人として見られることが嫌いです。それはモラルの問題や生活様式の違いが大きいためです。長野県内では出身県別の差別意識は強く残っていると思います。また、特に外国人と話をして「日本はハイテク国家だね」などと、首都周辺だけを見てそれが「お前の国」なんだという様に見られる時も、不快に思います。 なので大都市のように全てがミックスされた場所ならそういったことを意識しないで済むと思いますが、現代でも地方に行けば行くほどに差別意識は根強くあると思います。