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文法的には正しいけど
久しぶりの質問です。 私の信じる事は今回の質問なりお礼・補足には出来るだけ入れないようにしますので出来るだけ多くの方々からの回答をいただければと思っています。 このカテで5年間いろいろな方々の質問や回答を読ませてもらってきてひとつ非常に不思議と言うか理解が出来ない事があります。 それは 1)「文法的には正しくないけどアメリカでは一般的に使われている」 2)「文法的には正しいけどネイティブだったら使わないでしょうね」 3)「文法は大切」と言いながら「あまり文法にこだわらないほうがいい」 4)「アメリカ人の文法はひどい」と言いながら日本人の国語文法のことは無視 5)「日本人留学生の英語文法の成績は抜群」でもコミュニケーションは出来ないのは文法と表現力とは無関係 6)英会話に対して「日本の英語教育は読み書き重点」と言いながら「卒業生の多くが読み書き出来ない」 これらの矛盾に関して誰も日本では関心が無いようの思われます。 これは私の無知から来るものなのでしょうか、 それとも実際に関心がないと言えるのでしょうか。 もしいえるとしたらなぜ関心がないのでしょうか。 それともまったく気がつかないと言うレベルなのでしょうか。 そして、なぜ試験にしか使われない文法と呼ばれるものの一部と実際に使える文法の一部との区別をしないのでしょうか。 (いわゆる私が言う試験文法と社会的に認められている社会文法との違いですね。 学校文法にはこの二つが組み込まれているので最近試験文法と言ったほうがいいと言うアドバイスを使わせてもらっています) いろいろ質問を書いてしまいましたが、結局はひとつの質問になると言うことなのではないかと思っています。 現状の説明でもかまいませんし、同意・反論何でもかまいません。 とにかく少しでも日本の状況や英語学習者、英語教育者、そして英語関心者の思いを知ることを望んでいます。 文法の得意な方もこれを機会に文法がどれだけ大切なのかを「説得」してください。 お礼補足では決して批判的な言葉は使わないことをお約束いたします。 そして、特に、試験文法批判者の方々もご意見いただければうれしいです。 私の信じていることを論じるための質問では決してありません。 ただ、これらの矛盾の存在について疑惑の念を強くしていることは確かです。 言い換えれば、この辺にも高校卒業者の英語力に影響していると思うわけです。 よろしくお願いいたします。
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無関心ではないが、直せない軌道修正しにくいというのが実情ではないでしょうか。 どんな物事にも二面性があり、またその二面のギャップは、一般的なサービスでは提供側(例えばメーカー)の意図と、受け取り側(例えば消費者)のニーズのあいだにギャップがあった場合は、それは自然と修正されていきます。 例えば民間の企業でしたら、技術者や開発者が商品をつくります。それはコインの表側を作ったのかもしれません。しかし、消費者ニーズがまったく逆でコインの裏側を求めていた場合は、次期バージョンや製品改定を経ながら、ある意味メソッドを変えてまで「表を裏に合わせるくらいの意気込みで」商品開発と改革を行います。売れなければ、商売が成り立たないからです。 しかし教育においては、受験というニーズにまず変化がないことと、提供側の意識もメソッドも「他に代替物」もなく、また民間のように独断で変革に動けるわけでもなく、勝手なこともできない。誰か企業プロジェクトのようなリーダーがいてくれればいいが、英語教育においては全体をひっぱるよう、あるいは指針を示すようななリーダはもう出ない。 さらに、消費者(生徒)の側も、人と違うことをやると自分のニーズ(受験)を充たせないのではないか、(他の代替メソッドを知らないので)間違っているのではないかという不安にかられてしまい、やはり従来のメソッドに戻る、あるいはそれが基本だと誤解する。 それを見て教師側も、「ほらみろ、そこしかないだろ?」と圧力をかける。 学校教育とは違うアプローチをやっている民間英語学校は沢山あるんです。しかし、生徒の側がネイティブ圏の実際の英語を知らないため、「それはいままでのやり方からすると邪道だ」「どっかのおかしい先生が自論でやってるだけでしょ」で終わってしまい、英米の大学や大学院でせっかく英語を目にしてきた先生たちでさえ、旧来のメソッドとのすり合わせをしながらやらざるを得ない(極端にはずれると、生徒が来ない)という実情があるからだとおもいます。 そういった海外で英語を学問として修めた先生の本をいくつか読みましたが、海外で学んだ人たちは国内だけの専門家と異なり、さすがに現地の生きた英語を知っているなと思います。しかし、食べていくために塾で教えたり、受験にあわせた本を書くにしても、受験生はいままでの解釈を質問としてぶつけてきたり、「日本語による英語の解釈」で理屈を構築してぶつけてくるそうです。 アメリカの大学だと先生も「それは私は知らない」とか「その部分は私の学問の範疇ではない」「英語で考えろ」と言えてしまうものが、日本だと「先生は何でも答える」「先生は何でも知らなくてはならない」病に先生も生徒もかかっているため、そういった受験生の独自の理屈の質問に、いかに答えるかに苦労すると書いている方もいました。
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- mukumook
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Gさん、こんにちは。 いつもいろいろな観点から日本人の英語力向上にご尽力いただいてありがとうございます。 まだ締め切っていらっしゃらないのをいいことに、一英語学習者の思いをつづります。 >これらの矛盾に関して誰も日本では関心が無いようの思われます。 そんなことはないと思います。 というのも、このサイトで数年皆さんの生きた回答で勉強しているのですが、実は、学生時代までに身につけた自分の英語の知識やある英語塾で実際に使われている教材の内容に、全てではありませんが、疑問を感じ、自信を失いつつあるのは私だけではないと確信しているからです。 >1「文法的には正しくないけどアメリカでは一般的に使われている」 2「文法的には正しいけどネイティブだったら使わないでしょうね」 まさしく1)、2)です。 (ただし、この"文法的に正しい(正しくない)"という表現は不適切な感じを受けますので、これを"日本の学校で習う英語(試験文法?)の公式に当てはまる(当てはまらない)"くらいに解釈したらどうかと思いますが。) 特に2)は、ン十年前、学生時代にも耳にしたことがありますし、実際、当時アメリカ人の女性との文通で「何を言っているかわからない」と指摘されたこともありました。 残念なことに、多くの学習者(もしかしたら実際に回答者に回っていらっしゃる方でも)は自分の知識に基づいた英語表現が実際に英語圏で使われているかどうかはまったくわからない(判断できない)か、通じる通じないという意識は持たず、まさか間違っているとは考えも及ばずに過ごしている人も多いのではないかと考えています。 全てとは言えませんが、私たちを導いてくれた指導者もしかりだったのではないでしょうか。 近年でこそ、情報が行き来して、現在英語を担当している教師の中には今私が持っている悶々とした思いで授業に臨んでいらっしゃる方も多いことと思います。 Gさんも常々文法の重要性を説かれていますよね。 ただ試験用の文法に基づいた英語の存在がこの国の英語習得の壁になっているのはご存知の通り、かなりの常識になっているようで、これを危惧して、ちまたでは「実際にネイティブが使う英語」なる書籍が本屋さんの棚にひしめきあうようになりました。 その反面、将来的な英語の重要性を認め、自分の子供を小学生の頃から英語を習わせていたご父兄が、いざ、子供が中学3年生になると、受験用の塾に切り替えてしまう傾向にあるのも現実で、身につきつつあったものが抹消されるようで残念に思います。 試験と無縁になった現在、私としましては、きちんとした正しい(?)英語という基準ではなく、一般市民が日常的に使っている英語を身につけたいと思っています。 そして、早く日本人の英語が諸外国からも快い評価を得られるようになりますよう、このサイトの回答者の方々には、これからもお時間を割いていただけるとありがたいです。 最後に、このサイトの質問者さんの要求に応じて(学校で○がもらえるように)試験文法を重視された回答をされている方のご苦労とご尽力にも敬意を表したいと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 大変遅くなって申し訳ありませんでした。 >その反面、将来的な英語の重要性を認め、自分の子供を小学生の頃から英語を習わせていたご父兄が、いざ、子供が中学3年生になると、受験用の塾に切り替えてしまう傾向にあるのも現実で、身につきつつあったものが抹消されるようで残念に思います。 やはり、日本に受験と言うものがある限り、試験文法と言う「社会」文法が必要なんですね。 このご回答の部分が物語っていると感じました。 >試験と無縁になった現在、私としましては、きちんとした正しい(?)英語という基準ではなく、一般市民が日常的に使っている英語を身につけたいと思っています。 試験文法は試験文法として、一般表現では使わないようにするわけ内はいかないのでしょうね。 それだけの融通性を求めるのは酷なのかもしれませんね。 >そして、早く日本人の英語が諸外国からも快い評価を得られるようになりますよう、このサイトの回答者の方々には、これからもお時間を割いていただけるとありがたいです。 私もそう思います。 >最後に、このサイトの質問者さんの要求に応じて(学校で○がもらえるように)試験文法を重視された回答をされている方のご苦労とご尽力にも敬意を表したいと思います。 試験文法と言うものを自覚しながら試験文法に強くなるのは必要なんでしょう。 ただ、試験文法が万能だと言うイメージを作ってきていることはまずいのではないのかな、徒も思ってしまうGです。 ありがとうございました。
補足
12日間締め切らずにいましたが、多分これ以上のご回答を得ることはないと判断し、文法の得意な方々からは文法の重要性と試験に関してのつながりを説得してくださる事は出来なく非常に残念だと思いつつ締め切らせていただきます。 私の自己主張が大きな比重を持っている回答ではこの情報を得ることが出来ずにいたために試験文法の重要性を説得してくださるような「知識向上」へのご回答はやはり無理なのかなと感じてしまいました。 残念ですが、仕方ないのでしょうね。 一応これをもってこの質問を締め切らせていただきます。 ご回答していただいた皆さんに心からの感謝と回答はしなかったけどご回答が参考になった、このスレが役に立ったとクリックしてくださった方々が多数おられる事を知り大変うれしく思っております。 良回答点は参考点が高く私自身もいろいろな意味で質問をしてよかったと言える回答を選ばせていただきましたが、この二つの回答しか付けられないのが非常に残念です。 この質問に付き合ってくださり本当にありがとうございました。
- mamirs3876
- ベストアンサー率42% (19/45)
#8です。 試験文法と社会文法というものはわかりました。 答えられそうなところに答えたいと思います。 >英語力の中には「使い分けが出来る」実力があるわけですね。 >使い分け能力のレベルを各個人に視点を移した時に自己文法と言うその人が持つ生まれてから意識的 >にも無意識的にも植え付けられた文法があるのです。 よって、I ain't no badのような表現の評価で「そ >んな表現はしないよ」(つまりその人の自己文法には沿っていない表現)とか「故郷に帰ると普通に使っ >ているね」とか「普通の人は使わないけど使う人はいるね、でも営業で売り込んでいる人であればほと >んどの場合は使わないようにしている」と言うような自己文法の持ち主もいるわけです。 こうなると、文法というより、mannerとか、語用論などのレベルになってきそうですね。 >追加質問で恐縮ですが、この区別(prescriptive or descriptive)は今大学院の英語教育課程ではど >れだけ浸透しているのでしょうか。 他の区別の仕方(生成文法も含めて)も紹介され活用している段 >階ですか。 Prescriptive or descriptiveかは、私の印象としては、学生間ではそんなに区別の意識はありません。区別があるとはわかっていても、詳しくはわからないというのが実情ではないでしょうか。授業でもちょっと出てきた程度ですし。 社会文法と試験文法については、区別はないですね。 (余談ですが、教育について勉強していると、それに時間を取られてしまい、 どうしても「英語の専門」にはなれないという風に感じています。) >いいえ、saw some lightですよ。 日本人とで直訳を有効に使える人とだけで使える社会文法に基づい >た表現が、Scales fell from my eyes.と言う「立派な英文」だと認めてくれますか? 「目からウロコ」ですか? 私自身は、カナダ人の教官に付いていたことがあります。彼女は日本語を勉強していたので そういったことわざなど知りたがっていました。 他にも中国などから留学生が来ていて、「日本では(中国では)こう表現する」という話題で 盛り上がったりしたものです。 なので、言葉に興味がある人の集まりの中では、良いと思いますよ。 それこそ、「社会文法」ということで、別コミュニティではなのダメでしょうね。
お礼
ご返事、ありがとうございます。 教育学の方からの情報も大変うれしいものです。 >文法というより、mannerとか、語用論などのレベルになってきそうですね。 結局そういうことなのではないでしょうか。 語用論・表現論が教える文法の中に含まれるべきと考えています。 なぜ、現在完了を使った表現があるのか、なぜ、過去形を使った方が現在完了より自分の持っている考え方を相手にわかってもらえるのか、なぜその逆の方がいいのか、は当然学習者への文法的に説明するには必要でしょう。 このような説明方法は初心者にとっては「理解しやすい」「とっつきやすい」「英語嫌悪なる可能性を低められる」などの利点を含んでいると思います。そして、この簡単とも言える理解がある指導者とない指導者では生徒からの信頼確立のレベルが違ってくると思いませんか。 40年前の専門用語を立て続きに利用する教育方法としての価値はなくなると思ってもいいのではないかと私は考えています。 (私自身、このように専門用語を使うだけの説明には「尊敬の思い」を持ったときがあったのを覚えています。 今ではそういう説明する人に対しては十分な「突っ込み」質問が存在していますね。<g>) なぜ、こちらでは受動態で表現することを嫌うのかなども他の回答者の方々も他の質問への回答の中に含めていらっしゃいますが、能動態と受動態を変換作業をさせるだけの知識を学生に持たせることがどれだけ意味があるのか文法学者さんたちは説明してくれません。 補足に続けますね。
補足
勝手に変えたところで変えた文章が意味にならないと言うことさえわかってくれていません。 受動態が使われるのは能動態から変えられるから使われるのではない、と言うことなのです。 I amの表現がHeになったらどうなるか、と言う変換作業ではないのです。 heになったらどうなるかと言う知識と表現実力は必要なのです。 この文法がなければ英語は使えないのです。 それだけ文法と言うものは大切なのです。 これが社会文法であり、これにあわせなければ英文にならないのです。 この語用論は立派な社会文法であり、社会文法と試験文法の違いがなくなれば、すべてを文法と呼んでもいい時代が来るのです。 その時代がくればより多くの日本人が英語を片言でもしゃべれるようになるでしょうし、試験自体が今までやってきたおかしなことを学生に要求することもなくなるわけです。 ここまで書いてきたことが教育論・教育学に採用される日は来ると思いますか? >Prescriptive or descriptiveかは、~~出てきた程度ですし。 かなり、専門的というか、人によって大切かどうかが変わる分類方法ですからね。 しかし、これからの日本での英語教育学の項目には入れざるものであるとは思います。 descriptiveへの指導が出来ない、なぜなら教師自身がそれが出来ないという批判の的を作ったのはこの項目を重用しなかったと言う日本英語教育者養成の項目には載せていなかったから、と言うことなのではないでしょうか。 つまり、英語教師が悪いのではなく、しゃべれなくてもいいとした教師資格を作った法令自体が今ではおかしいとされると言う事です。 それを変えることが出来るのは、つまり、今まで以上に、学生のレベルを上げる前に、教師のレベルを上げることが必要になっていているわけですから、教育論に含まれていなければおかしい、と言う言うことになると私は感じます。 昔は秘書はタイプが出来ればよかったのです。 今では、ワープロだけでなくほかのコンピューター利用方法も知らなくてはならないわけですから「秘書養成学校」の教師のレベルもそして、資格への知識も向上されてきたわけです。 教師の「強制された」レベルの向上は過去20年でどのくらい変わってきたのか興味があるところです。 しゃべれなくても英語教師になれると言う事実は変わると思いますか? 変わるとしたらいつごろだと想像しますか? >社会文法と試験文法については、区別はないですね。 これは教育学としては区別しがたいところだと感じています。 教育学の学生同士では話の糧にはなっているかもしれませんが、今の現状でどれだけの教授が勇気を持って区別できるか難しいところだと思います。 10年たってから今の教育状況・試験状況を「歴史の一部」として客観的に論じられる時代になったときに「明らか」にされることだと思います。 もしかしたら10年では足りないのかな、と思うときがありますが、このカテでのご回答のレベルを見始めてから5年になりますが、その可能性はもしかしたら5年で起こるのではないかとも思っています。 >教育について勉強していると、~~感じています。) 英語教育専門と言うことでしょうか。 それとも、文法専門と言うことでしょうか。 (もっとも、文法専門、と言うと何か、今でも、文法しか知らないのです、と公表しているような感じに取られている感じですが) >別コミュニティではなのダメでしょうね。 そう言う事です。 わかってくれないでしょう。 わかってくれないから使えないのです。 試験文法的にまったく問題ない表現ですね。 でも社会文法空すれば、おかしな表現なのです。 親父ギャグが使えるのは親父ギャグ社会だけなのですね。<g> 友達にEscuse me, will you pleaseという表現を使ったらおかしいのですね。 でも、この表現を使わなくてはならないと教える現状では、一般表現を使う社会を無視していると言う事なのです。 貴重なご意見をいただいたと、試験文法へ批判に使うと言うことではなく、私自身の知識向上への直接的な情報として、感じています。 ありがとうございましました。 文法に強い方々の文法と言う非常に大切な英語習得項目からのご見解を待っておりますので、しばらく締め切らないでおきますの、何か追加的に考えることがありましたらまた書いてください。
- jayoosan
- ベストアンサー率28% (929/3259)
お忙しいようですので、投げかけられた部分だけ。 >生徒やその親御さんの関心はただ試験英語を勉強していれば事がすんだ昔とは違ってきていると思いますがいかがでしょうか。 かわらないのではないでしょうか。 まず生徒は(特に高校までは)受験や塾一辺倒は変わりないと思います。 親ですが、ちょっと話題がそれますが、別のカテゴリで「だんなが家事をまったく手伝ってくれない。未だ日本では男女平等ではないのか」という質問がありました。 Gさんよりだいぶあとの世代の方だと思いますが、雇用機会均等法も確実に施行された世代以降も、男性が全く変わっていないのは、平等や家事を求めた女性のほうも実は自分の息子(男の子)たちに、家事を全く教えていないのではないかということでした。 家事を教える場合、母親の手伝いだけなら1日10分かもしれないが、実際に大人になったときの家事というのは、そんな短時間では済みません。食後の皿洗いだけ限っても4人家族だと短時間では済まず、多くの家事は計画的にしかも飽きずにつづけることを体験させるには、1日かなりの時間がとられます。 母親は、そんな家庭内のことよりもやはり学校や受験や習い事を子どもにやらせることを、選ばせてきたのが親なのだと思います。 同じ現象は、現代の20代、30代の親でも起きていると想像します。 つまり、その男の子たちは地道な家事を体験してこなかったので、大人になってもきっと同じく家事不参加男性になるでしょう。 同じように、学校以外の英語に親は時間をさかないと思います。そして子どもはやはり話せないまま大学に進むのでしょう。でも大学に入ってからの英語というものは、大人になってからいきなりぶつかる家事と同じく、フルセットが求められますので、大変であり単調でもあり、多くの人は挫折し遠ざかるのでしょう(大学に入ってからでも出来る人はいいのです。家事だって急にめざめる人もいますから。しかし大多数はそうではないと思います)。 名前ですか?前に少し書いたことがありますが、風水師につけてもらった ei という中国名(ピンインではなく日本語のローマ字表記)を持っており、それを誰も西洋の人が読めないので、Jayにひっかけました。 以前ここはサーバがとても重く、教えてgooでIDをとったり、OKwaveで取り直したりをしていましたが、同じ名前は使えないので、jayo jayoo などと変え、現在はjayoosanジャユーさんもしくはジェイヨーさんと適当に呼んでいます。oをつけたとき加油の音にかぶせたので、実は偶然ですがGさんと同じ意味のIDなんですよ。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 一日30時間が34時間必要と言う感じです!! この2週間で日本、韓国、中国の各総領事、この月曜には日本大使とも会うことになっています。 PTA団結は難しいかもしれませんね。 <g>時間の問題とは思いますが、私が生きている間には英語教育革命は起こらないようです。 それにしても日本で日本人として生きるのは難しいみたいですね。 それともそんなことかまっていられないかもしれませんね。 あとは、英語をしゃべれる首相の登場を待ちますか。 >現在はjayoosanジャユーさんもしくはジェイヨーさんと適当に呼んでいます。oをつけたとき加油の音にかぶせたので、実は偶然ですがGさんと同じ意味のIDなんですよ。 では、Jさんで行きましょう。 今後ともよろしく!!です。
レスありがとうございます。私を飛ばして先に#7さんにレスが付いたので無視されたと思いました。(笑) >英語崇拝・信仰は私には見たくない現象です。 英語に対して、そして母国語に対してのスタンスは日本人とフランス人では大きく違うんですよ。しかし、英語のリーディングに比べてスピーキングが弱いという点では似ているんですよね。 >日本で教えられていてこちらでテストする文法の知識が実際に応用されていないのは私自身経験したことで、 ちょっと不思議なんですが、Gさんはアメリカに40年暮されているそうですが、日本にはどれくらいいらっしゃったのでしょうか? すみません、これ以上は突っ込みません。 >「英語を職場で使わなくてはならなくなった」 これはまだ一部の人たちではないでしょうか? 日本人の場合 もっと頻繁に遭遇するのは、機械のオペレーターをしなければならなくなったが、数学が弱いので困っているとかじゃないですかね。しかし、OK Waveではこの手の質問は少ないですね。なぜなら、こんなことはこういうサイトで質問するまでもないからだと思います。 >「海外旅行に行くのですが」 日本人の海外旅行の渡航先は英語圏だけとは限りません。行先の国に応じて言葉を学習しなければなりませんね。 >「留学したいのですが」 留学を安易に考えている人が多過ぎます。私はフランスに留学したことがあるんですが、一番の目的はフランス語ではありませんでした。 私は日本の伝統工芸に関心があり、フランスでは油絵と彫刻を勉強しましたが、語学だけが目的の人は挫折しやすいですね。 >「外国人のお客さんがお店に来るようになって」 日本に滞在する外国人は多い順から、韓国・朝鮮人、中国人、ブラジル人、フィリピン人の順です。それで、英語圏の人の割合は20%以下です。例えば、店員にしても、ブラジル人は仕方ないけど、アメリカ人には英語で応対しなさいと要求している店は少ないと思います。 >「外国人なのですが結婚を前提に付き合っていますが」 この外国人というのも英語圏の人とは限りませんよね。でも、外国人と結婚するとなると言葉以外にも習慣の違いも大きいし、これは英語の問題では片付けられないでしょう。 >「メル友の英語がぜんぜん」 こんなの勝手にしろって感じですが、このような相談に答えてくれるのがQ&Aのサイトの役割ですからね。 全体的に見ると、これらは個別に応じて対応すべきであり、果たして全員が一律に英語を学習する必要があるのかという疑問も起きます。そして、ここで質問される皆さんも 何か英語よりも大切なものを見落としているような気もします。
お礼
再度の書き込み、ありがとうございます。 無視したんじゃないですよ、順序を間違えただけですよ。 <g> 文法は出来てもしゃべれない、使われている表現では無く文法的に正しい文章を作る(ネイティブに言わせればおかしい表現)、状況に合わない「かしこまった表現」を正しい表現とする、などおかしいことがたくさんです。 それを鵜呑みにしか出来ない初心者はかわいそうだと言うことでもあります。 >日本にはどれくらいいらっしゃったのでしょうか? 今までに30回くらいではないでしょうか。 いくときは年に3度くらいですかね。 行かなかった年が昔はほとんどでしたし。 >語学だけが目的の人は挫折しやすいですね。 これは正しいと思いますし、語学だけだったら日本にいても十分出来ると考えています。 私の空手や護身術の弟子たちは日本に一度も行ったことのない人がほとんどですしね。 そして、本家である日本の本部よりも「すごい!」のは私の先生たちの実力と指導力のおかげとしかいえません。 >ここで質問される皆さんも 何か英語よりも大切なものを見落としているような気もします。 はい、これも賛同できると思います。 ありがとうございました。
こんにちは。 学習者でも答えていいんですね?(笑) ではNo.13の方に続いて。 (これはまぁ言わなくてもいいことかもしれませんが名前を変えましたafter_8です、一応・・・) 英語学習者・中級の立場からです。 英語学習関連の本を読んでいると、気づいている人は気づいているし、指摘している人もいます。 (だからこそ、日本にしか住んだことのない、英語を使う生活をしていない私でもそういうことを薄々知っているのです) 最近はおっしゃるような内容を含んだ学習本も増えていると思います。 ただ、受験用とその他の英語が分かれているような気はします。 ANo.12のご意見のように。 >6)英会話に対して「日本の英語教育は読み書き重点」と言いながら「卒業生の多くが読み書き出来ない」 これに関しては気づいていない人が多いかもしれません。 指導者側の中には指摘している人々がいます。 一般学習者の場合、読み書きに目を向けず、とにかく英会話が出来るようになりたい人も多いです。 または、「英語力=英会話」だと思っている人とか。 自分は外国語大学に行ったでもなく英文科に行ったでもない、趣味で始めた一介の自己流学習者です。 ときどき3ヵ月や6ヵ月の英語講座に通ったりしていますが。 個人的な経験からしますと、中級レベルになるまでは、英語が出来るとはどういうことなのか、英語力の中身にはどんなものがあるのか(読む・聴く・話す・書く)、ちっとも解っていなかったし、気づいていなかったし、考えもしなかったと思います。 気づいて関心を持っている教育者もいる一方、 気づかないレベルの学習者も多い。 という感じかなと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます!! お久しぶりです、A-8さん!! 書いてくれて本当にうれしいですよ。 あれからちょっと時間を割いて受験用英語力と言う英語習得のジャンルが認識しつつあるみたいですね。 特に、すでに英語力がある人はそう感じているのはいろいろなところで見ることが出来ました。 ただ、習い始めた人たちにはこくな英語勉強だとも思いました。 その区別が出来ないわけですし、これは試験文法です、と言える文法学者さんが少ないともいえるのも感じました。 試験のためであれば覚えておいてください、とか、試験ではバツになるので気をつけてください、と言う人はたくさんいますね。 ただ、試験文法と言うカテゴリーはまだ作られていないな、と言うのも実感しました。 6)英会話に対して「日本の英語教育は読み書き重点」と言いながら「卒業生の多くが読み書き出来ない」 昔から疑問に思っていました。A-8さんが来られる前はこのカテは文法文法の時代でしたよ。 <g> 文法的に正しくない、と言うコメントはかなり多かったですね。 (仮定法と言う単語についてはいまだに根強くこだわり過ぎていますが) 学校は会話を教えるところではない、読み書きだ!と現行教育方法を弁護する人もいましたね。 それが今回の矛盾の一つになっているのだと思います。 教えない理由がそこのあると言うのであれば仕方ないのかもしれません。 しかしそうであれば、日本人誰もが算数を知っているように、簡単な表現を作れるはずなのではないかなと思うわけです。 10%くらいなのではないでしょうか、簡単な表現が出来るのは、なんて悲観的に見ているわけです。 >個人的な経験からしますと、中級レベルになるまでは、英語が出来るとはどういうことなのか、英語力の中身にはどんなものがあるのか(読む・聴く・話す・書く)、ちっとも解っていなかったし、気づいていなかったし、考えもしなかったと思います。 私も言われる前はぜんぜん気がつきませんでしたよ。 >気づいて関心を持っている教育者もいる一方、気づかないレベルの学習者も多い。 気がつかない自称教育者もいる、と言う事も含めたいところですよ。 <g> 初心者を引っ張らなくてはならない教育者が昔なりの試験文法崇拝者では初心者がかわいそうです、と思います。 またかいてくださいね。 ありがとうございました。
- 成る丸(@Narumaru17)
- ベストアンサー率39% (171/433)
こんにちは、その昔、私の質問にご回答いただき、ありがとうございます。 <出来るだけ多くの方々からの回答をいただければと思っています。> <英語学習者、の思いを知ることを望んでいます。> なんとか、『ポジテブ』に考えれば私も回答してよさそうですね。 当然私なんぞでは、1~6全てに回答する事は不可能!(だってまだまだ学習者ですから。) なので、分かるところだけ・・・、 <5)「日本人留学生の英語文法の成績は抜群」でもコミュニケーションは出来ないのは文法と表現力とは無関係> あ、これは、本当にそうですね。 ・・・というか、よくご存知ですね、私は留学するまでまさか、自分が留学先の大学の「英語」科目をとって好成績をとるとは想像すらしていませんでした・・・。 40年もアメリカに住んでいると、そんな事まで分かるようになるんですね! 私は、留学先の大学で「英語(国語?)」を一科目だけ取りました。(必修ではない) 取ると決めた時は、自爆覚悟だったのですが・・・、意外にも好成績・・・。 小学生の時から、英語圏で暮らしているアジア人生徒よりも英語の成績がよかったです。 やっぱり文法を学んだということが、成績につながったのかも知れません。 しかし、会話力は・・・現地で育った人には全く敵いません。 読み書きレスリングは、全く問題ないのですが。 そして私自身「聞く」、「読む」、「書く」、がそれなりにできて、何故「話す」だけは・・・他の3つに比べたら断然レベルが低いのか・・・不思議です。 この前も、vaccineを「バッシン」と発音してしまいネイテブを混乱させました。(汗) <6)英会話に対して「日本の英語教育は読み書き重点」と言いながら「卒業生の多くが読み書き出来ない」> え? そうなんですか? 私も私の弟も、高校時代にトーフルで高得点を取りましたし・・・、英字新聞も、洋書も読みました。 ・・・もちろん質問者様や、このカテゴリーの英語の達人の方々には足元にも及びませんが。 しかし、質問者様や、英語の達人の方々と比べたら、読み書きどころか、全部何にもかもできてない事になります。 もしかしたら、私は、この質問の意味を理解していません・・・。 <そして、なぜ試験にしか使われない文法と呼ばれるものの一部と実際に使える文法の一部との区別をしないのでしょうか。> まだまだ未熟なので、試験文法と、社会文法の違いが分かりません(泣) いつか、私も、区別ができるようになって、「あれは試験文法だ」とか、「これが社会文法」だとか言ってみたい!!(←回答じゃなくて独り言じゃな・・・。) <文法がどれだけ大切なのかを「説得」してください。> ネイテブでも、hisとhimを使い間違える事があるそうです。 そんな時に、外国人である日本人が正しい使い方をしていると「WOW」と驚くそうです。 私自身は、けっして、文法が得意ではありませんが、日本人の方が文法的に正しいというのもカッコイイと思っております。 まあ、この程度しか回答できません。もともと質問者様相手にまともに、回答ができるとは思っていませんが・・・。 嗚呼、この質問の中で唯一の『学習者』の回答になってしまった!!!
補足
ご回答ありがとうございました。 >嗚呼、この質問の中で唯一の『学習者』の回答になってしまった!!! 広い意味では誰もが学習者となると私は思っていますよ。 >40年もアメリカに住んでいると、そんな事まで分かるようになるんですね! そういうことではないと思いますよ。 <g> ただ下にも書きましたように、在学中にお前の文法力は認めるが使えない(表現力でのという意味です)んじゃ話にならないよ、と言われたのが「事の」始めでした。 今では、留学生を目にしている環境にいるわけで彼らのほとんどが文法クラスではまったく問題が無い、と言うレベルなのです。 しかし、表現力、理解力(comprehension)は「話にならない」のですね。 >やっぱり文法を学んだということが、成績につながったのかも知れません。 会話力も学んでおけば同じようにいい成績をが取れたと言うことになりますね。 >6)英会話に対して「日本の英語教育は読み書き重点」と言いながら「卒業生の多くが読み書き出来ない」> >え? そうなんですか? 私も私の弟も、高校時代にトーフルで高得点を取りましたし・・・、英字新聞も、洋書も読みました。 >もしかしたら、私は、この質問の意味を理解していません・・・。 同じ卒業生の友達も同じように読め、そして書けましたか? >>そして、なぜ試験にしか使われない文法と呼ばれるものの一部と実際に使える文法の一部との区別をしないのでしょうか。> >まだまだ未熟なので、試験文法と、社会文法の違いが分かりません(泣)いつか、私も、区別ができるようになって、「あれは試験文法だ」とか、「これが社会文法」だとか言ってみたい!!(←回答じゃなくて独り言じゃな・・・。) 下のお礼にこの点をちょっと詳しく紹介しておりますので参考にしてください。 意地悪選択問題に使われているのが試験文法です。 実際には使わない文法知識ですね。 >まあ、この程度しか回答できません。もともと質問者様相手にまともに、回答ができるとは思っていませんが・・・。 いいえそんなことはありませんよ。 非常にうまくまとめてくれた回答だと感じています。 また何か感じることがあったら書いてください。
- insoluble
- ベストアンサー率34% (22/63)
「これらの矛盾に関して誰も日本では関心が無い様に思われます」 そうです、無関心です。それは不思議でも何でもありません。至極当たり前のことですから。何故か? 必要が無いから! 日本人一般の英語(英語に限らず外国語)の読み・書き・会話は、それらを学業や仕事、娯楽・趣味等で必要とする人がその必要性(又は、その緊急性・切迫性)に応じてその要求程度迄(又はそれを超える程度迄)、自分で行うもの。従って、各個人により「読み・書き・会話」の優先度が違って来る。それらの結果の優劣や学習の方向性を第三者が論じても殆ど意味は成さない。語彙の豊富さを追求する人もいれば、文法(語法)に拘泥する人もいる、他の手法も全て正しい、うまい下手(自然な英語として通じるか)は本人の努力次第。 結論:やりたい人、やらざるを得ない人がそれぞれ各人のやり方(方向性)で勉強すれば。やりたくない人の首に紐付けて迄は、出けンでしょう。生活に是非とも必要なら誰しも必死のパッチでやるでしょう、上手下手は別にして。その勉強方法(!)に他人がとやかく口出ししても、何にもならんし、教育者でもない一般人が論議する程の事でもない。
補足
ご回答ありがとうございます。 >無関心です。それは不思議でも何でもありません。至極当たり前のことですから。何故か? 必要が無いから! そういうことになるでしょうね。 関心を持つ機会を学校では作ってくれない、ということでもあるのではないでしょうか。 逆に関心を持てたらどうなると思いますか? 事実は「無いから」ですね。 私もそれは正しい判断だと思います。 もちろん、統計を取ったわけではないですが。 関心を持つ、と言うことは、関心を持たせられる、と言うこととは違いますか? 英語表現では立派に受動態の表現をしますね。 関心は自然には起こらないと思いませんか? 英語崇拝ではありませんよ。 フィーリングですね。 >やりたい人、やらざるを得ない人がそれぞれ各人のやり方(方向性)で勉強すれば。 そう言う事になります。 だからこそ日本でも小学校・中学校と義務教育があり、その延長として高校があるわけですね。 高校の時点で方向性を決める人もいますね。 そして、大学でその方向性を決める人もいますね。 しかし方向性とはどうやって作られるのかは必要は無いのですか? >その勉強方法(!)に他人がとやかく口出ししても、何にもならんし、教育者でもない一般人が論議する程の事でもない。 文法に関して、そして教育論にも発展しているわけですが、一般人が教育に間接的も「口を出さなかったから」、このカテでも「教育カテ」で一番の質問数があるのではないかと思いますが、この点どうお考えでしょうか。 しゃべれない英語教師に「英語で話したい」と言う各個人にどうやって教えるのか何か案はあるのでしょうか。 あるのかもしれませんね。 残念ながら、最後の一行は一般人としてこのカテに参加しておられるinsolubleさんのお言葉とは思えないのですが私の思い違いでしょうか? 思い違いだといいのですが。 >生活に是非とも必要なら誰しも必死のパッチでやるでしょう、 これは、確かそうでしょうね。 誰もが生きてい続きたいと言う「必死の思い」はあると思いますが、殺人の犠牲者は日本でも絶えませんね。 なぜなら、生きていく方法の勉強方法が教われていないからではないでしょうか。 仕事に使わなくてはならない、そうでないと職を失う、生活に必要と言う人が本当にいるのかな、とふと思いました。 そして、これだけ英語関係のメディア、営利機関がこれだけ存在するのはなぜなんでしょう。 教育者だけが「口を出してもいい」と言うことなのでしょうか。 ぜひともこれらに関して書いていただけませんでしょうか。 多分、他の人もぜひ聞きたいと思っているのではないでしょうか。 ご回答ありがとうございました。 身勝手ながら、私の考え方とは違う有益なお考えを持っておられると感じましたので、ご返事をお待ちしております。
- yoohoo_7
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毎回の快刀乱麻のかつ実例に裏打ちされた卓見を感服しつつ拝見しております。 >なぜ試験にしか使われない文法と呼ばれるものの一部と実際に使える文法の一部との区別をしないのでしょうか。 御質問はこの1点にあるのではないかと思います。 そんなことは学校では教えてくれないからです。教えてくれさえすれば誰でも分かるようになるに決まっています。Gさんも40年前に渡米されたときには 「試験にしか使われない文法と呼ばれるものの一部と実際に使える文法の一部との区別をし」 ておられなかったはずです。なぜか。答は簡単です。教えてくれなかったからです。 これを教えるためには英国人か米国人を教員として雇用して全ての学校の全ての英語クラスの担当として英国人か米国人を常置で配置すればたちどころに問題は解決し、かつそれが唯一の根本的解決方法なのですが、残念ながら、文部科学省はそのようなことは露ほども考えていません。なぜなら、それは文部科学省が目的とする「選別教育」とは無縁のものであり、そのようなことをしても彼らの勤務成績は下がるだけだからです。現在の文部科学省をブチ壊さない限り、御質問に対する満足できる答は得られないと思います。 Gさんの仰る問題点は、英語教育を真面目に考えている人は多分例外なく全ての方が感じており、歯がゆく思っておられると思います。しかし、御承知のように、日本の英語教育体制の決定権はそのような方々から遠く離れた別の世界にあります。
補足
ご回答ありがとうございます。 >毎回の快刀乱麻のかつ実例に裏打ちされた卓見を感服しつつ拝見しております。 お世辞でもうれしくなりますよ。 >御質問はこの1点にあるのではないかと思います。 私はそう感じています。 そう考えないと、文法的には正しいけど、正しくないけど、のフィーリングがなんでこのカテでも表現されているのか説明がつかないのです。 >Gさんも40年前に渡米されたときには 、、、、、答は簡単です。教えてくれなかったからです。 そうです。 教えてくれなかったのです。(米軍基地に勤めていた人の個人塾を除いて) 教えてくれなかったから犠牲者が出てくるというのが私の信条なのです。 それだったら教えるようにすればいい、そのためには教えることの出来る教師を雇え、と言う事になり、過激とも批判された「教えられないのであれば時間の猶予とチャンスを与えて、それでも教えられないのであればやめてもらう」と言う事になるのです。 教えられないのは教えられる様に教師養成をしていない、ということに過ぎないのです。 そして、今感じていることはやはり「選別教育」がまだ残っていると言う事なのではないでしょうか。 >現在の文部科学省をブチ壊さない限り、 が私の言う教育改革が必要だ、という事だと思うし、それを実現できる政治家を出せる環境を作る事、そしてその環境を作るには、「世論」しかないわけです。 私たちがこのカテや他のところでいくらがんばってもほんの一握りの犠牲者候補からはずす事しか出来ないのです。 出来ることは、一生一度のジャンヌ・ダルクになってもいいかな、と思うことです。 PTAを団結させる事は出来ると信じています。 今は、今の現状に立ち向かえる英語実力を持っている人が、yoohooさんのような方々が、いるのです。 昔はその実力を持った人が少なすぎたのです。 「言いなりに」なっていたとも言えるでしょう。 また、教育システムなってしまいますが、結局そういう事なんだなと思ってこの質問を出しました。 私には何か誤解をしている事もあるでしょうし、現場での現状(教育現場・政治力現場を含めて)をしらなすぎるのかもしれないからです。 だからこそ、文法の専門家、試験文法の存在を否定する方々、にも書いてもらいたいのです。 本当に心から文法正当を信じているのであればそれなりの信条を持っておられるはずだと期待しているのです。 >遠く離れた別の世界にあります。 そうだと思います。 そして、いわゆる「初心者」からしてみれば私みたいな人たちが言おうとしている世界から離れてしまっている、言い換えると、隔離されてしまっていると感じてはいけないのでしょうか。 わざわざ書いてくださりありがとうございました。 これからもよろしくお願いいたします。
朝からずっと読んでますが、 少なくとも、 6)英会話に対して「日本の英語教育は読み書き重点」と言いながら「卒業生の多くが読み書き出来ない」 これに対しては皆似たようなことをいってますね。 「切実には必要とされ続けないから」 Education is what remains after he has forgetten everything he has learned in school.(by Einstein) ということなんでしょうか?
お礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。 私は実は、読み書きを重点にしているいっているのにもかかわらず、その高いレベルの「文法」が実際の読み書きに応用できるようには教えていないから読めない人が(も)多い、といっているのだと理解しています。 アインシュタインの言葉、私は応用できるものを教えてくれれば一生死ぬまでself-educateはできると信じているので、この質問を書かせてもらったともいえると思います。 試験が終われば「文法の習得」は終わる、と考えている人が多いのでしょう。 なぜなら、文法は試験のために教えられていると感じている(感じさせられている)人(実は犠牲者)が多すぎるのではないだろうかと感じているからなのです。 その実態を私は知りたかったのですね。 土台作りがlearning in schoolであり、どの土台さえしっかりしていれば、意識的に忘れたと思っていても無意識のレベルではちゃんと生きているからこそ、忘れた後に「更に身に付け残った」物がSELF-EDUCATIONとなるわけです。 彼が達成した理論は誰も教えてくれませんでした。 でも、達成できるようになる土台はちゃんと教えてもらっていたのです。 それも、学校で。 死ぬまで天に昇るための階段が私たちの目の前にあるのです。 目には見えない階段、一歩上るたびに下がってくる階段、自分を中に浮かせない階段、一歩踏み外しても地に落とさない階段、一歩サイドステップすれば地上で使える実力を持たせる事の出来る階段、習ったことをこの地上の大地に「踏み込ませる」実力を持たせる階段、上っているとは実感させてくれない階段、そして彼のいう、上っていることを忘れさせる階段、そして、毎日一歩一歩上る階段なのですね。 だからstep UPの挑戦が待っているのです。 方向性はあるけど終わりが見えない階段ともいいますね。 再度の回答ありがとうございました。
- mamirs3876
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大学院で英語教育を専攻しているものです。 このカテゴリーはまだほんの2~3ヶ月程度なので、「矛盾」が出てきた文脈がどういったものかわかりませんが回答させていただきたいと思います。(勉強したばかり(笑)のところが当てはまりそうだったのです。) 1)「文法的には正しくないけどアメリカでは一般的に使われている」 2)「文法的には正しいけどネイティブだったら使わないでしょうね」 規範文法 (prescriptive grammar)と記述文法 (descriptive grammar)という区別があり、1)、2)の質問に当てはまるかと思います。 規範文法の方は、「『正しい』文法を定めると同時に、そこから外れた『間違った』文法を禁止する。」もので、 記述文法は、「言語事実は観察されるがままに記述し、分析すべきであるとする。」というものです。(参考URL中からお借りしました。) 「あるべき姿」というのはやはりあって、それに対して「実際使われている姿」というのはあるようです。 生成文法の分野でも、言語の能力(competence)と言語の使用(performance)を区別しています。そして「(会話などの中では、)必ずしも能力のとおりには使われていない」としています。例えば若者言葉であるとか、「~になります」といった誤用のようなものは言語使用のperformanceのレベルなので、変化するものであるそうです。 実際、以前テレビで、NYのあるミュージシャンが、"He asked ~ "というところを、"He aksed ~ " のように発音し、それがNYではよくある現象だと言っていました。 >なぜ試験にしか使われない文法と呼ばれるものの一部と実際に使える文法の一部との区別をしないのでしょうか これは「このカテゴリー内で」でしょうか?「学校教育で」または「一般的に」でしょうか? >これらの矛盾に関して誰も日本では関心が無いようの思われます。 とのことですが、世間一般はもちろん大して関心はないと思いますが・・・ 、それこそNHKではシャーペンのかわりに「ノック式鉛筆」と言うとか、「10本」のことを「じゅっぽん」じゃなくて「じっぽん」というとか、その類のことと似ていませんか?他にも、「たいく」じゃなくて「たいいく」とか、「ふいんき」じゃなくて「ふんいき」だとか。 (ちょっと単語の例しか出てこなくてすいません。) こういった現象があるから、英語にもそのような「あるべき姿」と「実際」が異なっていても、「どこも一緒なのね」っていう気がして、そんなに関心事にならないのかもしれません。(もちろんこれを専門としている方はあるでしょうが。) >文法がどれだけ大切なのかを「説得」 月並なことかも知れませんが、やはり英語というのは他の言語よりも「語順」が意味を左右すると思います。スポーツでも素振りとかフォームとかを調整したりするように、型として文法を知っていれば(どの程度まで知っているべきか、というのははっきりいえませんが)、英語を運用する際に良いパフォーマンスができるに違いないと思います。 (文法の質問なのに、単語の例ばかりですみません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >大学院で英語教育を専攻しているものです。 との事、すばらしいことだと思っています。 英語学者を作るためであろうと使えるようになるためであろうと生徒がそれになれるように教えられる教師の作り方・養成方法も含んでいると思います。 prescriptive grammarと descriptive grammarと分けて考えると言う姿勢は私は価値のあるものだと思っています。 日本で文法と一般的に呼ばれているものが実はこの二つが含まれておりこの二つを別の視点から見て区別しているわけですね。 私は日本のどこかでひとつの文法システムではなく複数である必要を感じている人がどこかにいるはずだと思っていたのです。 まさにその区別をしているわけですね。 私はこれを更に広い意味での文法と言うものを感じているのはまだ私の回答をあまりごらんになっておられないかもしれないのでまだご存知ではないかもしれませんね。 簡単に言うと日本には試験だけに必要な文法とこの二つをひとつにまとめ使える・応用できる部分だけを取り出して社会文法と呼んでいます。 そしてその社会文法とは実は生活文化や生活環境によって使い分ける必要がそれぞれの社会に存在する、と考えています。 つまり、それが狭い意味でのビジネス英語環境であったり、若者同士のため口社会であったり、ストリート社会であったり、またビジネス社会でも営業社会と社内社会とはまったく別なものと見るわけですし、幼児社会もあるわけですし、友人社会もあるわけです。 その社会のそれぞれで認識された表現方法はその社会では「必須」とも言われてもいい社会文法が存在するわけです。 文語・口語と日本では漠然と区別されているのはこれらの社会での「表現規律」を英語のformal, informal, coloquial, slang, xxx,というような分類用語をそのまま「まねして訳して」いるだけで疑問を起こさせないままに教えつけていると私は感じるわけです。 文語はもうすでに「書くもの・タイプするもの」であったり口語はしゃべるときのものと言う区別はなくなっていますね。 メールがそのいい例ですね。 <補足に続きます>
補足
必要時には伝統的文語調にもなりますし、時にはI luv uの様に極端に話言葉以上に簡易化されています。 タイプする文書感覚ではなく、TypingではなくKeyboardingになってきたわけです。 砕けた表現でも社会文法では一般的表現として認める社会の隣に悪いとされる社会が存在するのです。 結局認められる社会と認めない社会が存在すると認識もされるわけです。 そして、この観念は実は、英語を磨くと言う向上の一つです。 日本では敬語を使う社会もあるし、使ったらおかしいとされる社会も隣り合わせになっているわけです。 英語力の中には「使い分けが出来る」実力があるわけですね。 使い分け能力のレベルを各個人に視点を移した時に自己文法と言うその人が持つ生まれてから意識的にも無意識的にも植え付けられた文法があるのです。 よって、I ain't no badのような表現の評価で「そんな表現はしないよ」(つまりその人の自己文法には沿っていない表現)とか「故郷に帰ると普通に使っているね」とか「普通の人は使わないけど使う人はいるね、でも営業で売り込んでいる人であればほとんどの場合は使わないようにしている」と言うような自己文法の持ち主もいるわけです。 prescriptive grammarと descriptive grammarと分けて考える姿勢がまさに今までの文法を区別しながら両方をバランスよく教えていく教育方法への架け橋になっているとご回答を読んで思いました。 追加質問で恐縮ですが、この区別は今大学院の英語教育課程ではどれだけ浸透しているのでしょうか。 他の区別の仕方(生成文法も含めて)も紹介され活用している段階ですか。 >He aksed ~ " のように発音し、 これはたまに聞く発音方法であり、間違って発音していると言うことに知らずして「慣れている」人が言ってしまうものですね。 また子供のほとんどがLisp発音をしますし、その数パーセントは直るまでに年数がかかってしまう時もあります。 I wanna thing a thongが幼児社会では存在するわけです。 成長過程の一部とされているこの表現方法は批判されずに大人は「翻訳」をして理解してその社会で生活しているわけです。 >「どこも一緒なのね」っていう気がして の部分は私も時々「日本語の表現でも同じようにな感覚を持ちながらそれを知らずに表現していますね」と言っているわけですが、I seeわかった、ですが、見えてきました、と言う表現を例にしたりしてseeと言う単語の意味合いの理解を深めてもらったりもしています。 私はこのような日本語で同じようなフィーリングの表現の仕方をしているよ、同じ人間であれば言語が違っても「根底の言葉の考え方に似ている所があるじゃんか、いつまでも英語は違う難しい言葉だと自分を洗脳しないほうがいいよ」と言う風にも持っていけるわけですね。 教え方の一つとして、考えるほど難しいものではないと言う「突破口」を与えるのと「わざと難しくしているとしか見えない試験文法」に挑戦させるのとは違う指導方法と感じるわけです。 >私の信じていることを論じるための質問では決してありません。 と書きましたがご回答に私の考えはあまり間違っているのではないな、もう少しこれからの教育関係者を信じてもいいのではないかと感じました。 それをお伝えするために私の考えていることを「羅列」してしまいました。 >「語順」が意味を左右すると思います。スポーツでも素振りとかフォームとかを調整したりするように、型として文法を知っていれば 学校で教える文法がその素振りであると言うことには間違いないと思いますよ。 いつか教育の中で、素振りを応用して実際にピッチャーが投げる球を打てるように「育て上げるのも」教育の一部としてもらいたいと感じているわけです。 コーチが、もし投手が80km/hrで投げてきたらこのように振り、90km/hrだったらこのようにしろと言っても、「試験文法的には」正しいでしょう。 しかし、「じゃ、どうやってその速度を判断するの?」と言ういい意味での突込みには答えられないのでは、そのプレイヤーは「素質」に頼るだけですね。 文章を見てこれは副詞です、これは形容詞句なのでこの訳になります、では、何で副詞だとわかるのか、なんで形容詞句とわかるのか、を教えてくれないのと同じです。 試験文法の一つの問題点であるわけですね。 >単語の例ばかりですみません。 いいえ、saw some lightですよ。 日本人とで直訳を有効に使える人とだけで使える社会文法に基づいた表現が、Scales fell from my eyes.と言う「立派な英文」だと認めてくれますか? <g> (英語親父ギャグと言われても仕方ないとあきらめてはいますが) ありがとうございました。 これからも皆さん同様他の質問でのご回答を期待しています。
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補足
ご回答ありがとうございました。 いつも英語だけでなく中国語へのご回答も交えて勉強させてもらっています。 上海語で最初に習ったのが謝謝儂でした。 (もちろん、試験文法なしでです<g>) 受験、これは試験文法と名づけられるほど大きな弊害となっていると考えています。 そうすると、教育システムに受験システムへ質問と回答がそれてしまうようなのです(私自身、直接かんけいがあるとしんじていますが) しかし、これだけ多くの人が実際に英語を使っている環境になってきているわけですから生徒やその親御さんの関心はただ試験英語を勉強していれば事がすんだ昔とは違ってきていると思いますがいかがでしょうか。 つまり、今では、英語習得環境が非常に複雑になってきていると言うことでもありますし、生後教師の知識だけでは「ついていこうとしない」か「出来ればついていきたくない」と言う生徒もかなり出てきているのではないでしょうか。 昔は、高校・大学があるから英語を勉強する、それだけだったですね。 そして、その環境についていけていないのが英語教育制度だとも言えるわけですね。 また、楽をして英語を身につけたい、と言う時代(つまり、なんでも楽をしたい、だから商品が毎年よくさせざるを得ないというメーカーにしても迷惑千万と感じる管理者も出てくるわけですね)になって島田のだと思います。 高校3年なのに中学一年の英語の文章がわからないということがおかしいとは思わない(これも矛盾の一つですね)環境が存在しているのです。 高校生になっても掛け算ができないと言うのと同じくらい大きな問題とは思わないのは過去5度の進級はどうしていたのでしょう。 この点何かお考えはありませんでしょうか。 林家小三治師匠が自分は高校卒業(予備校中退)ですが英語は中学2年中退だと言い、高校の3年間は師匠曰く「ずる」を通したと言っています。 だからと言っていまさら高校卒業を取り消されても何の支障もないとうそぶるのも結局そういうことなんだなと思いました。 しかし、50になってUC Barklayに語学留学したのにはやはり違うな、と感じました。 この質問を立てて、文法の区分けだけでなく教育システムとそれを牛耳る政府とも問題があまりにも大きいと言うことになってしまいそうなフィーリングを感じているところです。 ご回答ありがとうございました。 P.S. いつも思っていたことですが、How do you pronouce your ID name?なんでしょうか。 お聞きしてもよろしいでしょうか。 (聞いてしまいましたが) Appreciate it if you wouldと言うフィーリングです。<g>