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カンボジアの国王が不在の時期1
1841~1847年は、国土が併合され、国王が不在になったとのことですが、 これはいったい、どういうことなのでしょうか? ご存じの方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。
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この当時のカンボジアは衰退しており、ベトナムとタイの勢力争いの場となっていました。 当初はタイの力が強く、カンボジアはタイの宗主権を認め、カンボジアの王子は、タイで勉学に励み帰国して王の地位に就くような状況でした。まあ、人質とも言えるでしょう。 しかし、だんだんとベトナムの勢力と圧力が大きくなり、1806年にカンボジアの王のア・チャン二世は、ベトナムの宗主権も認めるしかなくなりました。 その後、1834年に即位したアン・メイ女王の時代になると、カンボジアでは、タイよりもベトナムの力の方が大きくなり、ベトナムから派遣された役人が、カンボジア宮廷を牛耳り、政務を行い、地方の統治もベトナムが行っているような状況に陥ります。もはやカンボジアはベトナムの傀儡政権となったのです。 そして1841年にベトナム(グエン朝)は傀儡政権にとどめをさしました。アン・メイ女王をベトナムのサイゴンに幽閉し、カンボジアを併合したのです。 この結果、カンボジアはベトナムの支配下に置かれ、カンボジア人の王あるいは女王という存在がいなくなりました。 この後、タイで学んでいたカンボジアの王族アン・ドゥオンがタイの力を借りて、祖国奪還を試みベトナムと戦います。この戦いにアン・ドゥオンは勝利し、1845年(1847年との説もあり)に、タイとベトナムから了解を取り付け、カンボジアの王として即位しました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 タイに宗主権→ベトナムに宗主権→ベトナムによる支配(この時点で国王不在)→タイと組んだカンボジアがベトナムに勝利 といったところでしょうか。 結局、その後、フランスの保護国化してしまうのですね。