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ネパールとギャネンドラ国王について
ギャネンドラ国王についてWikiで調べていたら「1950年11月、 祖父トリブバン国王が父や兄を連れてインドへ亡命。 取り残されたギャネンドラはラナ将軍家によって 国王に祭り上げられる。」とありましたが、 1.この時期に一体どんな事件があったのでしょうか? 2.何故ギャネンドラだけ置いていかれたのでしょうか? 3.ラナ将軍家について教えてください。王を勝手に決められるほど 力があったのでしょうか? 4.現在ラナ将軍家はどうなっていますか? 5.兄・マヘンドラ一家と不仲だったとどこかで読んだ記憶があるのですが 本当でしょうか? よろしくお願いします。
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一部しか分かりませんでしたが、「」内はコピペです。 1.「インドの独立運動に端を発し、ネパールでは政治的大改革が始まった。追放されたシャハ家、軍のグルカ兵(インド軍のネパール人傭兵)連隊、そして不満を募らせた不遇なラナ将軍家の一派は、互いに手を組み、1950年11月に蜂起した。」 http://www.ab-road.net/travelinfo/lp/kathmandu/history.shtml 3.「1846年にカトマンズの100人もの有力者がダルバール広場(Durbar Square)のフォーラムというまさに公の場で虐殺され、シャハ王朝は終わり、代わってラナ将軍家が実権を握った。 」 1846年~ 1951年 ラナ将軍家による専制政治 5.マヘンドラは父親で、兄はビレンドラ前国王。 http://parliament.no-blog.jp/hougatawagoto/2005/05/post_f940.html