日本語の「皇帝」という言葉の語源は、もちろん始皇帝の「皇帝」です。始皇帝は、三皇五帝と呼ばれる古代の君主より偉いということをアピールするために「皇帝」という呼称を作ったという説が、概ね主流ですね。三皇五帝は、8人ではなく十何人いたりするので、この辺が古代史のアバウトな所ではありますが。
ともあれ、中国ですから中華思想の下にあり、天が認めた地上の支配者という意味がこめられています。だから、皇帝は「封禅の儀」という天に自分の就任を知らせる儀式を執り行うのです。
そのツテで続けると、王は No.1 でも述べられているように、皇帝に任命された人です。従って、その人がなぜ王なのかという権威の源は皇帝になります。他方で皇帝の権威の源は、上述のように、天です。「天が認めたから皇帝」という立場だからです。皇帝と国王の関係は、天と皇帝の関係と同じです。
というわけで、軍事色は全く同等ですね。軍事は政治の一部ですから。
なお、ナポレオンも含めたローマ皇帝の系譜について言えば、中国の皇帝とは全く違うものです。初代エンペラーのアウグストゥスは、ある意味エンペラーではありません。独裁官(インペラトール)という役職に終身で付くという法改正を行なったので、それが彼の立場の別名になっていったのです。
つまり、エンペラーの権威の源は、ローマ法です。この点の中国皇帝との違いはかなり大きかったのですが、ローマ帝国の国教がキリスト教になって、ローマ皇帝自身がローマ法王となってしまってからは、いわば“皇権神授説”になってしまいました。権威を授ける主体が「天」なのか「(キリスト教の)GOD」なのかの違いだけで、構造は同じになってしまったということです。
これに対し、日本の「天皇」は、やはり中華思想の「天上皇帝」から取ったという説があり、「あめのしたしろしめすすめらみこと」の漢訳という説もあり、なかなか不明確です。
皇帝と名乗ると煬帝の怒りが直接日本に向きそうだから、ちょっと変えようと、聖徳太子は思ったのかもしれません。当時、煬帝は内乱に気を取られていたので、少々のことでは玄界灘の荒海を越えてまで膺懲の軍は起こさないだろうと、聖徳太子は踏んだから「東の天皇、西の皇帝に」なんて書いたと考えたい。
そして、その呼称の成立意図はともかく、天皇の権威の源は、記紀神話に基づきます。具体的には、天照大神が孫の神武天皇に対して、日本を治めろと託宣を下したことです。つまり、神々の子孫であることに、天皇が権威を持つ理由があるということです。
つまり、日本の天皇は、中国の皇帝とも、ヨーロッパのエンペラーとも、全く違う伝統を持っているわけです。
あなたは「時代錯誤」という言葉を使いましたが、時代なんてものは一瞬で過ぎていくものです。それに対して2600年(ということになっている)の伝統は、望んでも得られるものではありません。たかだか一瞬の「時代の雰囲気」で、世界が敬意を払う財産となっている伝統を、「時代錯誤」などと言って切り捨てるのを見聞するのは、とても残念なことです。
お礼
詳しくありがとうございます。 大学の史学科で、で西洋史(古代マケドニア、卒論はローマと原始キリスト教)専攻だったのですが、 「三皇五帝」なんて知りませんでした。 東洋史の時間は隣の大学に遊びに行って、隣の大学の学食を食べ、寝ておりましたので、 もしかしましたら、講義ではやっていたのかも…? 今になって気になるなんて、史学科に行った意味ないですね。。 英語やフランス語(?)のエンペラーと皇帝、天皇…。中々複雑な経緯がありますね。 本当にありがとうございました!