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皇帝(天皇も含む?)、国王の意味合いの違い
皇帝の方が国王よりも軍事色が強いような気がしますが、皇帝と国王の違いは何でしょうか?
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日本語の「皇帝」という言葉の語源は、もちろん始皇帝の「皇帝」です。始皇帝は、三皇五帝と呼ばれる古代の君主より偉いということをアピールするために「皇帝」という呼称を作ったという説が、概ね主流ですね。三皇五帝は、8人ではなく十何人いたりするので、この辺が古代史のアバウトな所ではありますが。 ともあれ、中国ですから中華思想の下にあり、天が認めた地上の支配者という意味がこめられています。だから、皇帝は「封禅の儀」という天に自分の就任を知らせる儀式を執り行うのです。 そのツテで続けると、王は No.1 でも述べられているように、皇帝に任命された人です。従って、その人がなぜ王なのかという権威の源は皇帝になります。他方で皇帝の権威の源は、上述のように、天です。「天が認めたから皇帝」という立場だからです。皇帝と国王の関係は、天と皇帝の関係と同じです。 というわけで、軍事色は全く同等ですね。軍事は政治の一部ですから。 なお、ナポレオンも含めたローマ皇帝の系譜について言えば、中国の皇帝とは全く違うものです。初代エンペラーのアウグストゥスは、ある意味エンペラーではありません。独裁官(インペラトール)という役職に終身で付くという法改正を行なったので、それが彼の立場の別名になっていったのです。 つまり、エンペラーの権威の源は、ローマ法です。この点の中国皇帝との違いはかなり大きかったのですが、ローマ帝国の国教がキリスト教になって、ローマ皇帝自身がローマ法王となってしまってからは、いわば“皇権神授説”になってしまいました。権威を授ける主体が「天」なのか「(キリスト教の)GOD」なのかの違いだけで、構造は同じになってしまったということです。 これに対し、日本の「天皇」は、やはり中華思想の「天上皇帝」から取ったという説があり、「あめのしたしろしめすすめらみこと」の漢訳という説もあり、なかなか不明確です。 皇帝と名乗ると煬帝の怒りが直接日本に向きそうだから、ちょっと変えようと、聖徳太子は思ったのかもしれません。当時、煬帝は内乱に気を取られていたので、少々のことでは玄界灘の荒海を越えてまで膺懲の軍は起こさないだろうと、聖徳太子は踏んだから「東の天皇、西の皇帝に」なんて書いたと考えたい。 そして、その呼称の成立意図はともかく、天皇の権威の源は、記紀神話に基づきます。具体的には、天照大神が孫の神武天皇に対して、日本を治めろと託宣を下したことです。つまり、神々の子孫であることに、天皇が権威を持つ理由があるということです。 つまり、日本の天皇は、中国の皇帝とも、ヨーロッパのエンペラーとも、全く違う伝統を持っているわけです。 あなたは「時代錯誤」という言葉を使いましたが、時代なんてものは一瞬で過ぎていくものです。それに対して2600年(ということになっている)の伝統は、望んでも得られるものではありません。たかだか一瞬の「時代の雰囲気」で、世界が敬意を払う財産となっている伝統を、「時代錯誤」などと言って切り捨てるのを見聞するのは、とても残念なことです。
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- tiuhti
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まず、日本語で「皇帝」という称号をつけて呼ばれる例を、今、思いだすものをあげると、ヨーロッパでは、ローマ皇帝(含む東ローマ)、神聖ローマ皇帝(ドイツ皇帝を含む)、ロシア皇帝、ナポレオン、アジアでは、ムガル皇帝、オスマントルコ皇帝、中国の各王朝の皇帝、日韓併合直前の大韓帝国皇帝、それ以外ではエチオピア皇帝、メキシコ皇帝(19世紀のごく短期間)といったところでしょうか。まだ他にもあったような気がします。 これだけたくさんあると、共通の特徴を見つけ出そうとしたら、ある程度主観的な判断基準に頼らざるを得ません。単に地域別にバラバラなだけでなく、同じ地域でも、時代によって、実態は相当異なります。 先に私の結論じみたものを申し上げれば、東アジアにおいては、皇帝は「理念としては、一番偉く、かつ一人しかいない」、ヨーロッパにおいては、「なんとなく国王よりは偉そう」という程度に考えておくべきだと思います。(それ以外の地域では、訳語として皇帝が妥当と考えられたか、あるいは実態は別にして皇帝を自称したかどうかなので、乱暴ですがこの際無視します。) また、帝国という言い方ですが、形式に注目して「皇帝が支配する国」と定義するか、あるいは実態を見て「別の国だった地域を含む、広域を支配する国」と定義するかのどちらかだと思います。No.8&No.9の方の言われるように、大英帝国皇帝はいなくても、大英帝国という言い方はされます。同じ様な意味で、チンギス汗からモンケ汗(4代目)までのモンゴルをモンゴル帝国と読んでも構わないと思いますし、実際そのように書く歴史関係の本もあります。ただ、皇帝の定義を考える際に、実態に注目した帝国の定義を持ち出すと、かえって混乱してしまうような気はしますが…。 で、上に書いたような、甚だ「いいかげんな」定義がよいと考える理由を説明します。 1)王との関係について 東アジアでもヨーロッパでも、皇帝は、王より上位にあるのは、既に他の方が回答されている通りだと思います。ただし、東アジア(いうか中国)においては、皇帝の称号の成り立ちが、既に他の方から回答のあった通り、戦国時代に複数存在した王を超えるものとして皇帝の称号が決まった訳で、最初から王よりも上にある事ははっきりしていました。実際、その後は王は皇帝によって任命されるものになりました。しかし、ヨーロッパでは、ローマ皇帝の支配下に複数の王国があった訳ではないし、ロシア皇帝も同じ事。神聖ローマ皇帝は、ドイツ諸侯(国王ではない)のいわゆる「領邦国家」の上にたつ存在ではあったが、他の国の国王が諸侯に対してよりも、同等もしくは弱い権力しかありませんでした。ですから、皇帝が国王に対して上官として命令する、という例は、ヨーロッパにおいては、原則としては存在しません。皇帝の下に国王がいる、という政治体制自体が存在しなかったからです。(ドイツ帝国成立時などは除く) また、中国においても、「王が一定地域を支配し、その上に皇帝が立つ」という言い方をもししてしまったら、かなり実態からはずれるように思います。冊封体制に注目すると、そのようにも思えるのですが、そういう概念が無かった秦や前漢はどうするのか、という問題が直ぐに思い浮かびます。それに、皇帝の支配が直接及んだ地域(=簡単に言えば中国の国内)では、そもそも論からすれば、地域毎の王の支配を否定した所から、秦の郡県制は始っています。漢の初期は、秦にくらべ王の地域支配力が強くなりますが、それも武帝の頃になると、ほとんど名目上だけの存在になってしまいます。その後も、比較的王の支配権が強かった晋の時代はありますが、常に皇帝権力は、各地方をより直接的に支配しようとしました。唐の後半は、中央権力が非常に弱くなった時代ですが、それでも地方の権力の中心は節度使であって王ではありません。五代・宋以降は、皇帝の独裁権力が非常につよくなり、王はまったくの名目上のものになってしまいます。 相手によってバラツキはあるとはいえ、実効的な支配がほとんど及ばない冊封体制と、上に述べたような、王には領域支配権が無い状態のどちらを、皇帝権力の本質というかと言えば、後者というべきだろう、というのが私の考えです。 2)文化圏の問題について 東アジアにおいては、冊封体制等を通じて、中国風の文化や法・政治制度が、周辺諸国へ広がりましたから、それから見れば、結果論ではありますが、同一文化圏に一人の皇帝、という事はできるでしょう。しかし、中国の影響は、社会の上層部に限られる傾向があるので、社会全体で見れば、「異なる文化圏に一人の皇帝」という事になってしまうでしょう。ヨーロッパでも、ローマ皇帝の時代は、東アジア同様、社会の上層部では文化の共通性が高まりました。しかし、例えばカール大帝の時代は、ヨーロッパでは、一応「キリスト教文化圏」ともいうべきものが成立していたと考えられますが、東ローマ皇帝にとっては、カール大帝は、西ローマの皇帝を継ぐものであって、自分の皇帝としての地位には何も影響を及ぼさない存在であり、そう考えると、一つの文化圏に2人の皇帝が存在した事になります。中国が分裂状態にあった時は複数の皇帝が存在しましたが、それぞれが唯一正統な皇帝である事を主張しましたから、根本的に違います。(宋と遼&金の関係は例外) 「文化圏」の範囲を客観的に決めるのはかなり難しいし、皇帝の有効な支配が長く続けば、結果的には文化もある程度収斂してしまうので、結果から見てしまいがちなような気がします。 3)宗教との関係について キリスト教の国教化に伴い、ローマ皇帝は教会の庇護者となりました。それは、東ローマでは皇帝がギリシア正教会に対して強い影響力を行使し続ける形で継承され、カール大帝も、ローマ教会が自ら庇護を求める為に皇帝に勝手にしてしまった、ともいうべき存在でした。神聖ローマ皇帝は、最初はカール大帝に似て「持ちつ持たれつ」の関係で、その後も神聖ローマ皇帝のイタリアでの勢力拡大の為の「口実」として、「教会の庇護者」という立場は重要でした。その意味では、皇帝と教会は特別な関係にあったとは言えるでしょう。 しかし、「神の代理としての支配者」という意味であれば、国王もそうです。今でも、英国王の即位にあたって、聖油で祝福されるのは、その名残です。中世ヨーロッパでは、すべての事が神の摂理に従って起こる、と考えられていましたから、国王も、神に認められた支配者である事が重要であり、かつ自然な発想でした。 尚、中国の「天」は、キリスト教風の神の摂理とは、相当違う概念なので、同じレベルで語るのには抵抗を感じますが、「神(天)にその支配を認められたもの」という概念があったのは事実です。 しかし、ヨーロッパの例でわかるように、それは皇帝の特徴ではありません。 そんな訳で、東アジアでの皇帝とヨーロッパの皇帝を統一的に定義するのはほとんど困難に思えます。ほぼ確実にいえるのは、東アジア(より正確には中国)では、理念としては「皇帝は一人しかいないはずだ」という意識がずっとあった、という事と、ヨーロッパでは、ローマ皇帝の栄光を理念として引き継ぐ、という点ぐらいでしょう。それ以外には、とりたてて、「これが皇帝だ」と言える様なものは思いつきません。ただ、英国のビクトリア女王が、自分の親戚にドイツ皇帝やロシア皇帝がいるので、皇帝の称号が欲しくなって、英国政府&議会のお手盛りで「インド皇帝」の称号をもらったという事実からも、「皇帝の方が国王よりもなんとなく格は上」という意識があったとは言えると思います。 尚、質問者の方はよくご存知だと思いますが、ローマ皇帝自身がローマ法王になった事なんてありません。インペラトールではなくて、インペラートルでしょう。どうも、塩野七生あたりが、そういう読み方をしているらしく、インペラトールが広まってしまったようなので、一応買いときます。
お礼
大変詳しくありがとうございます。 (お返事遅くなりましたことをお許しください) 塩野七生さんの影響で(?)史学科に入ることになったのですけど、 大学では殆ど遊んでおりました。 卒業後に後悔することになったのですけれど、歴史を真剣に学んでも それを活かせる職業にはそうそう就けませんし。。(遊んでいた言い訳ですね…) 明治以降の日本を「大日本帝国」と呼んでいたのも、大英帝国と同じような意味合いでしょうか。 天皇を皇帝と同じ扱いにしたのか、ドイツ辺りの影響を受けたのか…。 どちらにしましても、「皇帝」という言葉は、翻訳の関係で複雑な意味を持っているのかもしれませんね。 中国皇帝と西洋の皇帝の概念を、同一視することは出来ませんよね! ご回答、どうもありがとうございました!
- jk7
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#8です。 正式に言えば当時のイギリスは、大ブリテン「王国」でしょうけど、世界に植民地を多く持つ国だったのも事実です。 多くの国々の上に立つ国がイギリスでしたから、「帝国」と位置づけられるわけです。 かつてアカデミー賞を受賞した映画「ガンジー」でも、インド総督ら英国人は、植民地を含むイギリス全体を「エンパイアー」つまり「帝国」と呼んでいました。
お礼
再度お寄りいただきまして、ありがとうございます。
- jk7
- ベストアンサー率18% (46/247)
皇帝とは、自国を支配すると同時に、同じ文化圏に属する国々をも間接的に支配する人です。 例えば中国皇帝は、周辺諸国(東アジア文化圏)の君主から朝貢を受ける代償として、その国を外交的に保護するという関係、つまり冊封関係を樹立しました。 これが典型的な例です。 ただし近代以降は、同じ文化圏とは限りません。 例えば大英帝国は、アフリカ・インドなど違う文化圏を多数支配していますからね。 いずれにしても軍事色は、関係ありません。
お礼
ご回答ありがとうございました! 時代によって地位の持つ意味合いも変わってくるのですね。 でも、英国は皇帝の国なのでしょうか? 大英帝国というのは、通称だと思っておりました。
- phj
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#4です。答礼ありがとうございます。 さて、質問者様は、「皇帝」と言いますと米大統領のような「軍の最高司令官」という感じがしてしまいます。 と書いておられますが、まさに感覚的にはそのとおりだと思います。 そうすると小泉首相とかノムヒョン大統領とかは、国王でしょうね。 冗談はさておき、皇帝という地位がある時代・国の安全保障を考えると、パックス・ロマーナや中華思想などは、現在のパックス・アメリカーナと似ている部分があります。 それは集団安全保障を行うときに、小国が共同で集団安全保障をするのではなく、強大国がいてその国と同盟関係を結ぶことにより、小国の安全が保障されるという構図です。 中国の皇帝でも、辺境を守るため、同盟国に対し軍事的な支出や軍隊を送ったりしています。 この部分だけ見れば、ローマ皇帝とアメリカ大統領は本質的に同じものだといってもいいのかも知れません。 ですから、軍事的に皇帝が絶大な権力(と同時に義務も)の印象があるのは正しいのではないかと思います。 国王は自分の国の利益を中心に考えればいいのですから 、皇帝よりは力が無い感じですね。
お礼
再度お寄りいただきまして、ありがとうございます。 小泉首相やノ・ムヒョン大統領が「国王」というのは、偉いのか そうでもないのか分からないですね。(何だかアメリカの手下みたい…) 確かに世襲制では有りませんし、最近は本当に軍事色が濃いですものね。 クリントン氏の時には、もう少し丸く収めようという感じでしたけど、 今ではそんな雰囲気はないですよね。 何だか本当にアメリカの最後の州のようで、ビートたけしさんではないですけど、 プロ野球でメジャーの1チームを編成して、全員でメジャー参戦しても良さそう! とても納得のいくご説明、どうもありがとうございます。 具体的で分かりやすかったです!
- EmethG
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> 英語やフランス語(?)のエンペラーと皇帝、天皇…。中々 > 複雑な経緯がありますね。 一点訂正です。 独裁官を「インペラトール」と書きましたが、「ディクタトール」の間違いです。No.4 を見てあれ?と思って、調べた所ミスに気づきました。 なお、インペラトールが戦勝将軍に対する敬称だとか、オクタヴィアヌスがインペラトールの称号を持ち続けて、それが彼の立場の別称となったという点は変わらないとか、ありますが、原始キリスト教の時代を専攻していたのでしたら、この辺は釈迦に説法かもしれませんね。 ちなみに、前回述べるのを忘れていましたが、皇帝と国王の関係は、シナとヨーロッパでは違います。シナは柵封体制の一貫として皇帝が王を任命しますが、英語で言う King は皇帝とはあまり関係ないのです。 東ローマ帝国が滅んだ後に地方の暴力団のような実力でのしてきた連中の、地方でのトップが King の始まりで、その後に王の権限が強化されていって絶対王政ができてきたり、逆にその王権に対抗するため貴族が連携して王と談判するために議会ができたりという経過をたどります。 その辺の時代にになると、皇帝の権威はどちらかというとキリスト教のトップという位置付けになり、国王に上官として命令するという立場ではなくなりますし、任命とか参戦の命令も出せません。
お礼
再度お寄りいただきまして、ありがとうございます。 英語のエンペラーやドイツ語のカイザーを「皇帝」と訳したこと自体が、 不自然だということかもしれませんね。 他に訳しようがなかったのでしょうか。。 ヨーロッパの歴史も大陸であっただけに、複雑な経緯を辿ってきているようですね。 そこが面白いのかもしれませんけれど。 どうもありがとうございました!
- jamiru
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軍事色が強いのはジュリアス・シーザーの影響かもしれませんね。 シーザーの圧倒的軍事力の強さ。 シーザーのカエサルがドイツ語のカイザー(皇帝)の語源でもありますから。 皇帝は「強さ」の象徴に使われてますし。 ただ、皇帝と天皇はちょっと違います。 英語では同じ扱いですが私は同じとは思えません。 何よりも、 「兵権」が天皇には無い。これはかなり重要。 皇帝は自分で兵権を持っています。 皇帝直属の禁軍は師団クラスを誇りかなり強力です。 しかし、天皇には無い。天皇直属の軍である近衛兵は中隊~大隊レベルです。 皇帝はよく簒奪されるのに、天皇は簒奪が中々起きない。 これは権力の象徴である「兵権」が無かったからではないかと思われます。 ちなみに、中華思想の体制である中央集権国家を設立しようとした天智天皇と大友皇子は地方豪族の手によって滅ぼされています。 ここで天智天皇による「皇帝=天皇」は挫折したのです。 日本では兵権は地方豪族が持っていて手放そうとはしなかったんですよ。 天武天皇もその中央集権の野望を抱こうとした矢先に豪族の反撃を喰らって折れています。 これがやがて武士の時代へとなっていくのですがね。 日本ほど名目上の最高権力者に兵権が無い国はありません。 これは神託と似ていて天皇は兵権を「授ける」立場であったからだと思います。 結局は巫女の時代と同じ感覚なんですよ。 巫女による神託が天皇に摩り替わった。 天皇≠皇帝であると私は思います。 外国から間違った印象を受けます。 構造的に「似ている」のは確かですがね。 世界で皇帝が消えたのは兵権があったからです。 それ故、軍をおもちゃのように使ったりもされましたが、 日本は天皇の一存で軍隊は動かせません。 一度想像してください。 固有の武力を持たない権力者とはどういうものか。 天皇が何故敬意に値するのか分かるでしょう。
お礼
詳しくありがとうございます! 今では日本の天皇制度は象徴的なものですし、存続して欲しいものですけど、 軍事色も政治色もないのですよね? 確かにすぐに出家したりするイメージはありますけど、高校で習った以上のことは よく知らないのです。(大学では、1年の時、東洋史概論はあったのですけど 日本史はなかったので。あってもサボっていた可能性がありますけど…) 中国の皇帝直属の軍隊のことなんて知りませんでした! 日本の最高権力者は、大した兵力を持ってはいなかったのですね。 あまり考えたことがありませんでした。単に「皇帝」「国王」の違いについて 単純に疑問に思っただけだったのですけど。 軍事力は、持っているとそれを行使して、結果を出さないといけませんよね。 結果が出ないと誰もついて来ないし、下剋上の可能性も出てくる、ということでしょうか。。 大変具体的に、どうもありがとうございました!!
- phj
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皇帝はヨーロッパと東アジアで意味が大きく違います。 アジアの皇帝は、中国の始皇帝に始まる帝(ミカド)のことで、軍事的・経済的・文化的に強大な権力を持ち、朝貢外交により臣下の礼を取った国の権力者を国王として保護し、絶大な権力を誇りました。また基本的に世襲で権力移譲されました。 このような東アジア的な皇帝は、国王よりも上の位に位置します。 日本は、天皇を立てることにより、中国的な冊封体制に組み入れられることを拒否し、独自の文化を育てることにより、現在でもエンペラーの称号を有しています。(足利将軍が朝貢して、国王印をもらったしたこともありますので、完全に独自ということではありません) それに引き換え、ヨーロッパのエンペラーは成り立ちが共和政ローマに遡ります。 もともと共和政ローマは、紀元前509年に王制を廃して元老院・政務官・市民集会の権力分立による、民主主義的な政治体制を持っていました。 このとき、軍事的な指揮権(インペリウム)を持つのが政務官の中の執政官で、任期1年で常時2人の体制で、その2人の執政官の合議で指揮が取られていました。 しかし、ローマが強大になり領土も拡張していくと、どこまでが市民といえるのかも問題になり、また市民でも参政するのに住居が遠すぎるなどの理由で、民主主義的な意思決定では時間がかかりすぎるようになってしまいました。 そこで困ったのが軍事的指揮権(インペリウム)です。軍事ですから待った無しです。このため、軍事的な非常大権を「独裁官」という役職を作って指揮を一任するようになりました。 これは任期6ヶ月で1人しか選出されません。 しかも、ローマ市内に入るためには民主主義を守るために、完全に武装解除しなくてはなりませんでした。 これを破り、恒常的に「独裁官」が軍事的(そしてたぶんに政治的に)指揮が取れる状態にしたのが、有名なカエサルで、武装解除の境界線がルビコン川だったのです。 しかしカエサルは、皇帝につくことはありませんでした。民主的な体制(本当は自分たちの権力)を守りたかった元老院の一部が襲撃してカエサルを刺し殺したため、ローマは危機的な状況になりました。 そして結局元老院はオクタビアヌスを初代皇帝「アウグストゥス」(つまり指導者1人に指揮権(インペリウム)もつ体制)にすることにより状況を収拾しました。 ここにヨーロッパ的な皇帝(エンペラー)が誕生するのです。しかしアジア的な皇帝とは違い、権力は世襲したものの、政治的な決定は多分に民主的なものを含んでいました。 また、国王は洋の東西を問わず大国から認められて(守ってもらって)初めてその国の国王になれるのです。 ですから、ヨーロッパ的な皇帝だろうが、アジア的な皇帝であろうが常に軍事的な大権を持っています。 国王は皇帝が戦争をするといったら従わなくてはならなかったのです。
お礼
大変詳しくありがとうございます! ローマは卒論で取り上げましたが、東洋史については無知もよいところでした。 西洋の「皇帝」と中国の「皇帝」を似たものと考えることに無理があるでしょうか? ローマは皇帝というよりも元首と訳されますが、後の神聖ローマ帝国でも 世襲制ではなく、確か選帝侯から選出されるという建前があったと思いますので、 西洋のローマ「皇帝」の元は、古代のローマにあると思っても良いのかもしれませんね。 何だかナポレオンの影響もあるのでしょうけれど、「皇帝」と言いますと 米大統領のような「軍の最高司令官」という感じがしてしまいます。 国王も同様かもしれませんが、もっと宮廷に入り浸っていそうな印象も… ご回答、本当にありがとうございました!
- nacam
- ベストアンサー率36% (1238/3398)
ナポレオン以後、乱れた使い方がされていますが、「皇帝」は、「天、または神に代わって地上を統治する最高権力者」です。 ですから、その文化圏では、一人しか存在しません。 「教皇」「カリフ」「天皇」「ツアー」なども、皇帝と同格の扱いとなります。 「国王」は、世俗的最高権威です。 ですから、その文化圏には、何人も存在できますが、「皇帝」よりも格下扱いになります。 日本の「征夷大将軍」、なども同じ扱いになります。 国王の下には、「大公」クラス(イスラム圏では「スルタン」) さらにその下に、「公爵」クラス(イスラム圏ては「首長」) があります。
お礼
征夷大将軍と同じなのですね! よく分かりました! ご回答、どうもありがとうございました。簡潔で分かりやすいご説明、助かりました!
- osi_nari
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知人からの受け売りなので、正確なところは専門の 方に聞かれたほうが良いとは思うのですが。 国王は、皇帝に任命されてその地域(国)を 治める人、と聞きました。 例えば、中国の皇帝が朝鮮国王を任命し、 朝鮮を治めさせる、といった具合に。 日本もかつては中国皇帝の支配下にあったわけですが、 (漢の倭の国王という金印を授かった・・・って、 日本史で習いましたよね?) 天皇が「俺日本の皇帝。中国の皇帝と対等だから。」 という言い分を中国の皇帝に認めさせ、以来天皇は (統治エリアこそ小さいですが)エンペラーとして 世界に認められるようになったと。 ローマ皇帝もいなくなり、中国の皇帝もいなくなった 今、世界で天皇(エンペラー)を名乗っているのは 日本だけ。しかもその統治が一筋の男系で2000年 以上続いている。 だからこそ日本は「世界でも稀な国」として扱われるし、 天皇家も敬意を払われるんだよ、と。 そう教わりました。
お礼
ご回答ありがとうございます! 国王の方が下なのですね。確かに朝鮮は王朝で、陛下ではなく「殿下」という呼称だったと 聞いたことがあります。 世界でただ一つ残ったエンペラー。貴重なような時代錯誤なような 不思議な象徴になっていますね。 残ってほしい制度ですけど、最近の状況からしますと、制度時代の存続も危ぶまれますよね。 日本人は変化を嫌いますが、一度決まってしまったことには、あまり逆らいませんので、 将来、天皇制存続がどうなるか…。 個人的には、平和憲法同様、存続してほしいですけど。。 話がずれましたけど、本当にご回答ありがとうございました!
お礼
詳しくありがとうございます。 大学の史学科で、で西洋史(古代マケドニア、卒論はローマと原始キリスト教)専攻だったのですが、 「三皇五帝」なんて知りませんでした。 東洋史の時間は隣の大学に遊びに行って、隣の大学の学食を食べ、寝ておりましたので、 もしかしましたら、講義ではやっていたのかも…? 今になって気になるなんて、史学科に行った意味ないですね。。 英語やフランス語(?)のエンペラーと皇帝、天皇…。中々複雑な経緯がありますね。 本当にありがとうございました!