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伝統宗教の開祖って精神病患者?
メンタルへルスのカテゴリーに投稿すべきか迷いましたが、あちらでは少し配慮に欠ける質問かなと思ったのでこちらに… 伝統宗教の開祖、あるいは中興の祖の方々は、自分は神の子だの預言者だのと言ってみたり、長く一人で閉じこもって「悟りを開」いたり…逸話が事実だとすると現代人の常識的に考えれば誇大妄想症などの精神疾患(あるいは人格障害)の症状だと思うのですが、これまでそういった議論はなされていないのでしょうか?タブーになっているのでしょうか。分かってるけどあえて触れないということなのでしょうか。 (もちろん新興宗教の開祖も似たようなものですが今回は置いておきます) 歴史的見地から、またできれば医学的見地からのご教授を希望します。 ※人格障害という概念が極めて曖昧で、ある意味いい加減なものであることは知っています。
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- magga
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現代で皆に「確認不可能な物事」を自分だけ知ったといって良い回ると「誇大妄想症などの精神疾患」と言われるでしょうね。 確認できることを証拠に基づいてその方法とともに語られたなら、「誇大妄想症などの精神疾患」といえるものではないと思います。 しかし確認できることでも「誇大妄想症などの精神疾患」と切り捨てることも出来ますし、自分の常識と反していればそのようにするのが一般的な気もします。どんなに証拠を提示してもねw 後者の理性的に語られたうちに入るのが「ゴータマシッダールタ(お釈迦様)」だと思います(私の知る範囲はパーリ語の仏典)。 ゴータマの語る生命の分別・法則は、現代科学の検知から見ても、違うとはいえるものではないと思いますよ。 参考になれば幸いです。
- magga
- ベストアンサー率15% (56/359)
<<現代医学の視点で精神疾患>> の定義。を明らかにしなければ皆さんそれぞれの印象で語られることになると思いますよ。 補足要求しておきますね。
お礼
ありがとうございます。開祖達をタイムマシンで現代に連れてきて病院に行かせたら医者がどう診断するかということです。
>宗教は鎮痛剤=人間が必要に応じて発明したものであり、目の前の事象の本質的な解決にならないけれども救いを得られるもの だと思っています。 宗教の領域を非科学的なものとして、上記のように感じておられるのですね。宗教の世界を科学的に説明しようとするのが無理なんです。質問者の行き着くところは虚無主義です。虚無主義はそれはそれで、ひとつの考え方でありますが、心の世界は四次元の世界です。三次元的な科学的手段で理解できないところが多いのです。神にしろ大日如来にしろ、存在を肯定することも否定することも科学は成功していません。信じるか、信じないかだけです。 エドワード・ゴールドスミス「エコロジーの道」(ウニベルシタス叢書) >ルネ・デカルトはこの世の存在を二つのカテゴリーに分けた。外延的実体と思考実体であるが、このデカルトの言う前者が科学の領域であり、後者が神学の領域である。この全くもって人工的な分割の目的は、科学の影響力を行使できる領域を切り分けることであり、そうすることで科学が神学のコントロールという枷から自由になると同時に、教会に対して科学は決してその領域を掠めようなどとはしていないことを保証しようとしたのである。 デカルトは科学の領域に、神学が干渉して欲しくなかったのです。二つを明確に分けなければ、いつまでも水掛論争が続くのです。 質問者は明確な線を不明確にするという、逆行する考え方にとらわれているのです。宗教が発明されたのではなく、風土と歴史にいきる人間の求める論理が見つけられただけです。 森林の民族、砂漠の民族、田園の民族は、それぞれに自分たちにあった宗教をもつことです。
お礼
ありがとうございます。私が質問に答えたのがまずかったですが、完全に神学論争なのでコメントは差し控えます。勉強になりました。
宗教を信仰しておられる方々から非難されることは必至ですが 私は開祖になるような人々の中には パラノイア的な人が多いのじゃないかと思うことがあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E5%9F%B7%E7%97%85 自らを特殊な人間であると信じるとか、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われる。 オウムの麻原さんなんかは完璧にコレですよね。 その他の宗教の開祖についてはよく知りませんが 自らを特殊な人間であると信じることができなければ 開祖などにはなれないんじゃないか、と思います。
お礼
ありがとうございます。私も今さらながら同じように考えたことがこの質問の動機でした。 麻原氏は自己愛性人格障害とされたようですね。彼の場合、精神疾患としてしまうのは責任能力の関係で明らかにまずいという考慮はあったと思いますね(だから人格障害にとどめたなどとは言いませんが)。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
回答番号:No.5 (孔子のこと) 私は政治、修身哲学であると同時に、それはやはり宗教に足場というか、宗教の中に、膝まで使っての考察ではないかと存じます。 当時も今も、迷信や神頼みは、得たい知れない振る舞いで煙にまいている教師が多いと存じます。 そして人々もそうやっている人が多いし、何かと依頼するものです。 質問者さんが仰せのように、孔子はそういうことを、安易に不可視なもの、超物証、物象のものに依頼することを戒めていました。 孔子が病気でふせっているとき、気持ちの自然な、朴訥剛毅な子路、愛弟子ですね、が孔子に見え(まみえ)て願いました。 どうか祈ることをお許しくださいと。鬼神に頼ることを戒めていたからです。 低俗な鬼神がそのねがいを受け入れるとき、料金や税金を徴収するのは目に見えていたからです。 これは孔子ばかりがいうのではなく、ヒンドゥの哲学でも教えております。 孔子が、袖でそっと涙を拭き、私の一生は祈ることであったのだよ。 私は私の祈りをしてきた。そういうことは人にしてもらうことではないのだよ。と。 無論、哲理の学者ですから、ご馳走が、健康が、幸せが、という祈りよりも、自分の問題の、そして理想の実現でしょう。 孔子の出自は無論さだかではありません。 白川静さん、漢字の大権威ですね。 孔子のことを叙述されています。だろうということですが。 孔子の父母がよくわからない。でもお母様は巫祝集団の巫覡のかたであろうと。(巫は巫女さん 覡は男のそういう仕事の人) そしてお父さまは、頑丈で大きな軍人であったようだ。 でもあまり上のひとよりも、先陣をきって突撃する人のようだ。 そして正規のご家庭もあった方のようである。と 巫祝集団はお墓や、葬儀の仕事をする人の職業と階級の集団です。 社会階層は低い。 でも、死や霊、宗教のことについては関連し、そういう中での方で、孔子はそういう中で、幼児から少年まで育ったらしい。 だから、高い霊や不可視の存在もその後、存在を感じてきたが、育つときはそういう中での育ちではなかったとのことです。 そして宗教的雰囲気の中で育ち、彼の理論の出発の根底と終局は高い不可視を見つめています。 彼が宗教を全面に出さないのは、迷信を、依頼心を、民衆や為政者から除きたいからでしょう。 私は先般、一週間ですが中国を慶弔のために行きました。 真に民俗としてそういうお仕事の方に接してきました。 男性が(卑弥呼とその介助者のように)お世話する、そういう巫祝の女性です。 まぁこのことを報告し始めると、長く為りますので此処で終わります。 孔子とその思想が宗教と無関係ということはいえないと存じます。 ということが結論です。
お礼
ありがとうございます。勉強になりました。 宗教者でないとは少なくとも言い切ることはできないようですね。
まあ、常人ではないことは確かです。 「人格障害」ねえ。 おっしゃる通りDSMIのやつはあんまりどうもねえ。あれはなんとか常人のうちに入るよ思います。 開祖さんはもうちょっと桁がはずれているように思います。 >歴史的見地から、またできれば医学的見地からのご教授を希望します。 とてもとてもそんなことはできません。 素人の「感じ」だけです。すみません。
お礼
ありがとうございます。人格障害概念は乱用すると世の中の人の大半が人格障害にされてしまいかねないですよね(笑)。ちょっと危険な概念だと思います。 >まあ、常人ではないことは確かです 私も「感じ」からの質問なので、同じように思ってらっしゃる方を確認できて安心しました。
クレッチマー「天才の心理学」では、天才を以下のタイプに分類しています (1)神経質タイプ (2)粘着質タイプ (3)顕示質タイプ (4)偏執質タイプ (5)分裂質タイプ (6)循環質タイプ われら凡才からみれば、ノーベル賞をもらったりする人は、ある種の狂人のようにみえますが、アスペルガー症候群のように、共通する症状がみられるのであれば精神疾患の一疾患単位として確立されますが、私は宗教の開祖の多くを精神疾患患者と断定しにくいと思います。気質の問題と判断しています。 「人は自分の尺度でものを測る。」という諺もありますので、質問者が精神疾患を大したものではないので、世の中のひとを精神疾患患者に見立てたいのはわかります。 それではキリスト親鸞、マホメット、孔子はそれぞれ何病ですか? No.6の方のように「宗教は阿片だ」くらいにおもっておられるのでしょうか?
お礼
>私は宗教の開祖の多くを精神疾患患者と断定しにくいと思います。気質の問題と判断しています なるほど、ありがとうございます。私も宗教の開祖が皆が皆医学的に疾患だというのは乱暴であると思います。質問で精神病患者という表現を使ってしまったのは乱暴だったかなと反省しています。「精神病患者」と「精神疾患と診断される人」では印象が違いますもんね。短く端的な表現が思いつかなかったので…。 >それではキリスト親鸞、マホメット、孔子はそれぞれ何病ですか? いやいや、それを教えてくださいと言ってるんじゃないですか(笑)。 >No.6の方のように「宗教は阿片だ」くらいにおもっておられるのでしょうか? NO.6の方の意図がそうであるとは読み取れませんでしたが、私自身は当たらずといえども遠からずだと思っています。ただし、阿片=麻薬であるという意味なら同意しません。マルクスはもっぱら阿片=鎮痛剤という意味でこの言葉を述べたと言われています。レーニンは麻薬という意味で用いたようですが。 宗教は鎮痛剤=人間が必要に応じて発明したものであり、目の前の事象の本質的な解決にならないけれども救いを得られるもの だと思っています。
- 安房 与太郎(@bilda)
- ベストアンサー率27% (228/822)
矛盾する記憶の交差 ~ 変化を認めない人々 ~ わたしの中学時代の恩師は、スキー・カップルの噂をする生徒たちに 「雪山の恋は実らない」と教えました。その理由は、つぎの通りです。 「山の上は空気が薄くて酸欠状態だから、山を降りれば熱が下がる」 ひとりの人格は一つでなく、昼夜・季節・年令に応じても変化します。 おそらく人格障害も、固定するよりは、症状が変化しているはずです。 それらの傾向を、つぎのような“三分法”で説明してみましょう。 1.天使ガブリエルの伝令(物的証拠がない) ユダヤ教:死の床にあるモーゼを訪れた。 キリスト教:聖母マリアに受胎告知した。 イスラム教:マホメッドに啓示を与えた。 2.それぞれの危機状況と結果(客観的証言がある) 酩酊(薬物・酒酔)解脱:釈迦は瞑想だけで悟りを開いた。 飢餓(空腹・拒食)修験:キリストは40日間の荒野の試練に耐えた。 幻覚(夢幻・酸欠)憑依:天理教の中山ミキ、大本教の出口ナオ、他。 3.個々別々でなく、独裁的教祖のもとに階級的集団化する。 教祖:かならず一人で、開眼・悔悟・宣告する。 使徒:教祖の体験談を、物的証拠なしに承認・追従する。 信者:使徒の説話を信じ、教祖に服従する(すべての矛盾を封鎖する)。 Peirce, Charles Sanders 18390910 America 19140419 73 /“Semiotics vs Semiology” http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%A8%98%E5%8F%B7%E8%AB%96/ (概念の記号化を試みても、議論は堂々めぐりになる)
お礼
ありがとうございます。深いお話で難しいですが、極限状況で幻覚を見た人が、その人の元々の気質(必ずしも疾患ではない)から宗教を作り出してしまうことはあるんだろうな、実際そうやって生まれた宗教もたぶんあるんだろうなとは思います。 なんにせよ信じている人が幸せならそれでいいと言ってしまえばそれまでですが、それではすまないものも中にはありますね、オウムとか。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
並みとか普通と、ずば抜けというのとの問題もあるのかもしれませんね。 個人としての資質や、能力などの他に、生きさせられてきている状況や経緯(いきさつ)、或いは背負い込んでいる、問題や喜怒哀楽、思いなど。 仰せの観点からいろんな分析をされたり、根拠があるかどうか、こんきょになるかどうかは別ですが、「実は◎◎は何をやんでいた、とか姉さん女房でどうだったとか、囚人の子だったとか、婚外子だったとか。」。暴露的な論述をされている方もいますね。 たいへんな発見のようないいかたではありますが。 <歴史的見地から、またできれば医学的見地からのご教授を希望します。>は、歴史的なことはいえますが、イエスや孔子、バガヴァン・クリシュナ、ムハメッドなど二三、医学的には私も期待しますね。 (私の上げた方は、少し調べると、そしてあからさまなことですから直ぐわかりますね。
お礼
ありがとうございます。仰せのように精神疾患といっても、非常に広いと思います。肉体的な意味での障害が非常に幅が広いのと同様に。 挙げてくださった有名な人の場合、有名すぎるだけに逸話や伝承があとづけでどんどん膨れ上がっていると思うのでどこまでが事実か今となってはわからないので、医学的な判断を下す意味がないということなのかもしれないですね。 孔子は私の中では宗教者ではないんですが、そうでもないんでしょうか?儒学は神だのなんだのの議論には基本的に立ち入らない(敬して遠ざける)という姿勢でしたよね確か。
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
「現代人の常識から考えれば」という点で間違っています。 それならば「コロンブスの新大陸発見」だっておかしいですし、地動説が信じられていた時代や人々もおかしいことになります。 魔女狩りなんて・・・・ 文化、科学的発展段階にはいろいろあるということでしょう。
お礼
ありがとうございます。「間違っている」というのは? 質問はあくまで医学的な話しです。新大陸「発見」と思っていようが天動説を信じていようが、それだけで医学的にどうこうという問題ではないと思うのですが。魔女狩りは一部「おかしい」人もいたかもしれませんね。
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お礼
ありがとうございます。お釈迦様は「大丈夫」というご意見は参考になりました。たしかに仏教は本来はそもそも宗教なのかなんなのかわからない、砂漠の一神教とは全く毛色の違うものだそうですね。ただ、教えが理性的だとしてもそれを発した人間が精神的に正常かはまた別だと思います。