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もし中学で英語を習わなかったら
暇つぶしの質問ですので、お時間のある時にでもお付き合いいただければ幸いです。 私は中学、高校と英語は得意な方でしたので、英語が苦手で悩んだことはないんですが、英語が嫌いな人も多いし、また、学校の英語教育も何かと問題がありますよね。そこで質問なんですが、もし、いっそのこと、英語を中学校の必修科目から外した場合、どのような弊害が考えられるでしょうか? 英語の必要性が叫ばれる昨今ですが、日本はインドやフィリピンなどと違って母国語で高等教育も受けられるし、オランダや北欧のように、ある程度英語のスキルがないと仕事にも支障をきたすことも殆どありません。
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一般の人にとっては大きな変化はないけれど、まずは日本人の知的レベルが少し下がるのではないでしょうか。 勉強というのは、目に見えて直接役に立つことだけではありません。数学も理科も社会も、役に立たないと言い放つ人は多いのですが、それなりに勉強すれば、ものの考え方に深みや広がりをつけることに役立っています。また、若いうちにさらに先へ進むための基礎作りをしておけば、30代、40代になってどうしても必要になったときに、とっつきやすいでしょう。すっかり忘れたといっても、一度もふれたことがないのと、一度少しでも習得して忘れたのとでは、やりやすさが違います。 英語の場合、日本語とは異なる言語にふれることによって、日本語を含めた言葉というものに対する理解が深まると思います。言葉は、思考に大きく影響しますから、言語能力が増すことで抽象的なものに対する思考力もアップします。外国人の考え方の違いを意識する助けにもなるでしょう。ただ、現在の中学・高校の英語教育では、そのような観点からの教育があまりされていないようですが。ここの質問を見ていても、日本語と逐一対応する英語が存在すると思いこんでいる人が多い様子には、がっかりします。ただ、中学レベルの英語でも、さとい人はそれに気づくでしょう。 それから、中学・高校で習った英語は役に立たないと言われますが、実際には基礎作りとして大いに役立っていると思います。私は特に英会話学校などに通わなくても、社会人になって半年ほどの通信教育で独習しただけで、英検2級には合格できました。まあ、英検2級でどの程度役立つんだというのはおいておくとしても、本当のゼロからやっていたのでは、半年で英検2級は無理だと思います。 大学受験などで英語やったのに話せないとなげく人がいますが、多くの指導者が、大学受験などできっちり英語をやった人と、ほとんど何もやっていなかった人では、海外駐在などをしたときの英語力の伸びる速さや深さに大きな違いがあると言っています。受験でちゃんとやったか、漫然と授業を受けただけかどうかでそれだけ差が出るのに、本当のゼロからやるのでは、大変な苦労をしたあげくに日常会話レベルくらいにしか達しない人ばかりになってしまうでしょう。 日本の一般社会で英語を必要とする場面が少ないと言っても、いまはどんな分野でも、トップクラスの人は国際的に活動するのが当たり前です。例えば研究職になるのであれば、英語論文を読みこなして自分でも書き、国際学会に参加しなくてはなりません。留学や海外での研究経験も重要です。 もちろん、必要な人は独学で英語を習得できますが、英語の習得にはある程度の時間がかかります。エリート家庭の親は自分の子どもに若いうちから英語を習わせようとするでしょう。日本でトップクラスの仕事をしてきた親の多くは、それを実感しているはずです。そうして、お金がある家庭の子どもは英語ができるので有利な職につきやすくなり、お金がない家庭の子どもは英語を習う機会が減り、有利な職業につけない(少なくとも職業選択の幅がかなり狭まる)という、格差社会が広がっていくでしょう。公立の中学・高校で英語を一通り習えるということは、独学で身につけるしかない人にとっては、大変な助けになると思います。
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- ucok
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「英語を中学校の必修科目から外した場合、どのような弊害が考えられるでしょうか」ですよね。 まず、今って「英語」が必修なんでしょうか。私が30年前に中学生だった頃は「外国語」が必修でした。なので例えばフランス語しか教わらない中学も私立にはありました。 さて、「日本で外国語を中学校の必修科目から外した場合に考えられる弊害」と解釈してよろしければ、義務教育期間に基礎的な学問を提供するのを怠っている、という弊害が起きます。つまり、生徒や親の側にしてみれば、「がんばって鞄しょって学校行かせてんのに、最低限の勉強をする権利も与えず何ごとだ!」ってことになります。 では、なぜ外国語を義務教育期間に学ぶべきか。それは教養のためですね。では、なぜ教養として外国語が必要なのか。私の考えでは、外国語を学ぶことによって、母国語の価値観や概念とは違う世界を学べるからです。つまり、「世の中には、オノマトペが当たり前じゃない世界があるんだっ!」とか、「主語と述語の順序が逆の世界があるんだっ!」とか「訳すって訳語を当てることじゃないんだねっ!」とか、ひいては「外国語でものを考えると、ちょっと見方が変わるね~」といったことを実感できます。もちろん、ひとつ外国語を身につけておけば、そこで「外国語というものの概念」が身につくので、別の外国語を勉強するときにも役に立ちます。 以上のような理由で、世界の殆どの文明国では義務教育期間に外国語を必修科目として定めていますから、逆に「うちの国じゃ、外国語の授業ないよ」ってことになると、かなり傲慢な国だと見られかねません。つまり、「君とこの国は、子供たちに我々の言葉の世界観を知る機会すら与えようとせんのかね。何ごとだ!」ってことになるわけです。現に、似たような言語上の理由で傲慢だと見られがちな国はあります。 ところで、「必修科目と定めているに関わらず、英語を学習しない場合の弊害」はあるか。ありませんね。現に、殆どの日本人が、英語しゃべれないでしょ。もっと言えば、国語だって数学だって、ずっと赤点だったなんて人が、大人になってまともに生活できています。 というわけで、英語もしくは何らかの外国語を必修科目として定めるのは今のままでいいでしょう。生徒たちは、やる気が湧いたら、ぜひとも教壇に耳を傾けて税金や学費の元を取ってもらいたいものです。でも、べつにすべての大学入試に外国語を設ける必要はないと思うし、外国語なんて、いざ使う必要に迫られて勉強したほうが身につくと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 >さて、「日本で外国語を中学校の必修科目から外した場合に考えられる弊害」と解釈してよろしければ、義務教育期間に基礎的な学問を提供するのを怠っている、という弊害が起きます。 「基礎的な学問」の範囲が難しいところですね。人によって、こんなのは高校に後回ししてもいいというのもあれば、逆に高校で習うことも 中学のうちに覚えておいた方がいいといのもあるだろうし。 >逆に「うちの国じゃ、外国語の授業ないよ」ってことになると、かなり傲慢な国だと見られかねません。 #5さんの補足でも書きましたが、アメリカがいい例ですね。でも、殆どの国は中学校では何かしら外国語は学習していますよね。
弊害は「ない」といえると思います なぜかというと、勉強の得意な子は小学生のうちから自費で英語を勉強していますから中学レベルの英語の授業はすでに必要なくなっている可能性があります 勉強が得意ではない子のばあい、中学3年間は平等に英語の時間があったはずですが、高校生でABCが読めないという子がざらにいるわけで こちらもやはり英語の時間はむだ。 親の所得格差だけが学力差ではないのかもしれませんが 「お金がなくて賢い子は公教育でなんとかする」という風になっていないので 公立学校自体、存在意義がよくわからなくなってきている気がします(勉強面で見れば。) 英語の時間は公立中学で週3か4コマぐらいですよね それを国語と数学に振り分けたりしたほうが学力はあがるのかもしれません・・・・
お礼
回答ありがとうございます。 そう言えば、英語だけでなく、美術や音楽や体育も存在意義が疑われますね。美術は作品を仕上げるのに時間がかかりますし、芸術的なセンスとか個性が重要ですし、作品の上手下手で安易に生徒のランク付けをすべきではないと思うんです。なんか、生徒の器用さを測る物差しになっている気がします。音楽に関しては、本来は音を楽しむものであり、「音が苦」になっては本末転倒です。これも頭の固い連中の好みを生徒に押し付けているだけのような気がします。体育に関しては、「気を付け、とか前へ進め」は軍隊の教練じゃないですか。私は中学の部活動をあんまり加熱させないで、課外授業で色んなスポーツを学年は関係なく 楽しめるようにしたらいいのではないかと思います。
- 06miyachan
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私は、「英語を中学校の必修科目から外した場合、どのような弊害が考えられるでしょうか?」という点に絞って書いてみたいと思います。 まず、教本の高価ですね。試しに、アラビア語の入門書を買おうとすると、英語の教本よりも3倍くらいの定価で買わなければなりません。おまけに、解説書も少ない。。。これに対して、英語だと、猫も杓子も学ばなければならないから、「買う人が多い、つまり、出版社として儲かる」という安心感から、出版社として、安く売ることができるわけで、それが、中学校の必修科目から外されると、中学生には高価である英語入門をわざわざ買い求めるかどうかですね。 ちょうど、今の中学生がアラビア語入門を買おうとして、定価が6000円もしたら、考え込むのではないんですか。英語辞典も中学生向けだと、2000円くらいだし、それがアラビア語辞典だと、薄くて8000円もする。。。 つまり、入り口のところで、つまづくようでは困るわけです。そういう意味で、「英語を中学校の必修科目から外す」とそういう状況が全国、人口の少ない土地に発生する弊害が考えられるわけですね。 また、高校生となると、関心を持つ範囲も狭くなるようで、日本ではあまり要求されないような外国語(たとえば、タイ語、韓国語など)に関心を向けるような人は奇特な人であるような弊害(?)が考えられますね。中学生だと、まだ関心の方向というものが固まっていない、未知なものに柔軟性がある内に教えられる有利(?)があると思うのです。 鉄は熱いうちに(頭がまだ固まっていない)たたけと言いますから、「英語を中学校の必修科目から外したら、いつやるのか?」となりかねないと思います。 なんといっても、何かを考えるとき、言語能力は必要だし、想像力を鍛える意味でも、国語(日本語教育ではない)とは違った言語に、強制的に取り組ませるためにも、中学校あたりに導入しないと、あとあと大変だと思うのです。国語って、どういう科目なのか、ただ、感想文を書かせるだけの勉強かと思っている児童にしてみれば、中学校で学ぶ「英語」は、自分とは異なる世界を知る意味でも、必修科目から外したら、その機会を永久に失うおそれがあると思うのです。 まあ、現実には、英語を「儲かる」ためという理由で押しつける、つまり、一流会社に入るという現実的な理由だけで、また、上の人も、自分のもうけのためと押しつけるから、何が何でも英語を覚えなくてはならないと思う人をのぞいて、しぶしぶと覚えるから、長くやったにしては英語がわかっていない人がどんどん出産されているのが、今の日本ではないでしょうか。 考えてみてください。親の方はまったくできないくせに、子供には英語ができるようにさせるようにするのは、泳げない人が子供に競泳方法をプールのサイドから述べるようなもので、滑稽なことではないでしょうか。 そもそも、国語を習って、日本語の知識を固めたという中学生はいるのでしょうか? いないと思うのです。反対に、日本語の知識を固めるために、英語という科目を習う意義がある思うのです。その辺が忘れられて(?)いるのが、日本の英語教育の欠陥ではないでしょうか。ともかく、子供全員が英語ができなければならないという理由はない、と思った方が正常な気がしますが。。。 あまり回答になっていない気もしますが、許してください。
補足
回答ありがとうございます。 私は外国語に興味あり、アラビア語も齧ってみたい気持ちもあるんですが、先ず最初にあの文字を覚えなければならないし、発音も文法も難しそうなので、引いちゃいます。 私はフランス語が得意でしたので イタリア語やスペイン語はスイスイ覚えられましたが、アラビア語だと苦労の連続になりそうなので、今一気が進みません。ですから、アラビア語を学習している人って少し尊敬します。 私も中学の時、フランス語の辞典を購入しましたが、価格が英語の辞典の2倍近くしましたね。 >中学校で学ぶ「英語」は、自分とは異なる世界を知る意味でも、必修科目から外したら、その機会を永久に失うおそれがあると思うのです。 アメリカがいい例かもしれませんね。アメリカでは外国語の学習が必修でないので、英語しか知らないアメリカ人って多いですよね。そして、アメリカが唯一の超大国であることも手伝って、「アメリカ=世界」という偏狭な考えの人がいかに多いことか、、、、、 >なんといっても、何かを考えるとき、言語能力は必要だし、想像力を鍛える意味でも、国語(日本語教育ではない)とは違った言語に、強制的に取り組ませるためにも、中学校あたりに導入しないと、あとあと大変だと思うのです。 これなら、外国語であれば必ずしも英語ある必要はなくなりますね。 中国語とかフランス語でもいいことになりますね。中国語の方が、漢字の造詣も深まるだろうし、また庶民レベルで外国人と会話するには中国語が必要になってくる場合の方が多いくらいですから。また、西洋の文化を知るんだったら、フランス語だって引けをとりませんし。むしろ、教養的な側面からはフランス語の方が適しているかもしれません。 >そもそも、国語を習って、日本語の知識を固めたという中学生はいるのでしょうか? いないと思うのです。反対に、日本語の知識を固めるために、英語という科目を習う意義がある思うのです。 これなんですが、学校での英語教育が何かと問題にされていますが、私は国語教育にも大きな問題があると思います。文学偏重でコミュニケーションとしての教育が疎かにされています。敬語の使い方も含め、そういうことに力点を置いた学習は、高校の選択科目である「国語表現」で行われますが、そんなのは小学校のうちに学習すべきでしょう。 最後に、私が言っているのは結局は、高校から大部分の生徒が英語を学習することになると思うので、それほど教材の価格の高騰は招かないとは思うんですが。
英語が中学で必修科目に制定されたのはそんなに昔のことではないこと ご存知ですか? 私が以前住んでいたところでは昭和30年位まで、町の中心から外れた農村部の中学では英語を取らない生徒が居たようです。選択科目でしたのでね。アジアで大学程度まで自国語で教育が可能な国は確かに”日本”だけでしょう。日常生活でも外国語は必要ありませんね。学習能力を測定するために外国語の学習は必要でしょうね。現行の中学/高校の英語の授業では50年も前の学生の程度には絶対に達しないでしょうね。いい加減な”会話”と称することでは多少出きるでしょうけれど、全く読めないのですよ。人によってでしょうけど、大卒の新入社員の研修で英語を教えた経験がありますが、中学程度(私がそう考える程度ですが)にも達しない人が大学(理工系)の入学試験を通過して卒業できたのかと思うような程度ですよ。 選択だろうが必修だろうが、自分でどうしても必要だと考えれば、学ぶのだし、そう思わなければそれこそいい加減に遣るだけです。 あなた自身は如何思っておられるのですか?
お礼
回答ありがとうございます。 wy1さんは私の父よりもご年配の方のようです。 >アジアで大学程度まで自国語で教育が可能な国は確かに”日本”だけでしょう。 いや、中国や韓国だって、日本と同じように自国語で教育は受けられますよ。それから、タイやインドネシアも現在ではほぼそれに近いレベルまで達しています。 >学習能力を測定するために外国語の学習は必要でしょうね。 確かに。外国語は暗記力、論理的思考力、直観力など生徒の学力を測る重要な物差しになりますからね。 >あなた自身は如何思っておられるのですか? これは個人レベルよりも、社会レベルで考えたいと思います。私の場合は、wy1さんもご存知の通り、英語を介して他の外国語を学習することも出来ますが、ここまで全員が到達する必要はないわけで、、、
- ANASTASIAK
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日本の英語教育は、明治の維新期以来海外の文化や技術を学ぶため の道具として、子弟に習得させるのが目的でした。いわば実学であ ったわけで、福澤諭吉がオランダ語をやめて英語に転向したのもそ の表れです。 しかし、今日の日本の英語教育は悲しいことに使い物にならない一 種の英語技術を習得させるために膨大な時間とエネルギーを注ぎ込 んでいます。英語が一つの受験科目であるからですが、その中身は お寒い限りで、同じ意味になるように括弧の中に適語を入れさせた り、正誤をこたえさせたり、そのたもろもろのテクニックを叩き込 むことに費やされています。英語が得意であるとか、できる、とい うことは、これらの「問題が解ける」ということとイコールです。 英語でコミュニケーションをとるというのは別の話で、それは街の 英会話学校という妙な名前の教室で教えてくれます。 これらの弊害が指摘されているのは今日だけのことではありません。 現状を憂える識者はいたのですが、英語が受験科目であるかぎり、 like=be fond ofであるというような技術を教え込まなければ、英 語を教えていないと評価されます。 で、私の結論は、義務教育から英語を選択性にすることですが、受験 での必須科目からも外し、英語で受験する生徒にはディスカッション で評価するようにします。私はよく海外に行きますが、いまだlikeを be fond ofで言い換えて言ったことは一度もありません。むしろ、そ んな知識が邪魔をして反応を遅らせているのでは器具するほどです。 人間というのは、面白いもので、やるなといわれるとやったり、紙の 上の点数は関係ない、英語でどれだけ自分の考えを主張できるかを 見たいといわれると、点数がばからしくなります。しかし、他人から 一律に点数で評価される基準がすべてではないことを人は知るように 鳴るのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 オランダ語に関しては英語に転向してから手のひらを返したように見向きもされなくなりましたよね。でも、オランダ語はヨーロッパではそれほどマイナーな言語でもないようですね。 そう言えば、アメリカでは外国語は必修ではないみたいですね。それでもスペイン語に人気があるようですが。1つ言えるのは、日本における英語はアメリカにおけるスペイン語よりも必要性は低いように感じます。
お礼
回答ありがとうございます。 >英語の場合、日本語とは異なる言語にふれることによって、日本語を含めた言葉というものに対する理解が深まると思います。 これなら英語でなくても何語でもいいのでは?この目的だけを考えたら中国語の方が漢字の理解も深まるだろうし、漢文とも連携すれば見識の幅が広がります。 >ここの質問を見ていても、日本語と逐一対応する英語が存在すると思いこんでいる人が多い様子には、がっかりします。 日本の英語教育は中学から大学まで一貫して和訳することを主体としていますからね。 >それから、中学・高校で習った英語は役に立たないと言われますが、実際には基礎作りとして大いに役立っていると思います。 これも一理あるんですが、外国人とのコミュニケーションで重要なのは小さなミスに物怖じしない姿勢があると思うんです。でも、現在の英語教育では、まるっきり逆行しています。 >もちろん、必要な人は独学で英語を習得できますが、 私が言っているのは、中学での英語を必修から外すだけで、学校の裁量で選択制で教えることが出来、高校では半ば必修にする形になります。ただ、いずれにしろ、社会格差が出てくるのは確かですね。でも、今の日本の現状では、英語の得手不得手が就職に大きく影響するケースもそんなに多いとは思えないんですが。