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「いはぬはいふにいや増る」の出典は?

「いはぬはいふにいや増る」は http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/1288_7932.html で引用されています。多分、何らかの芸道の真髄なり処世訓なりを説いた書物が存在するのだと思います。誰が何に残した言葉なのかをご存知の方は居られませんか。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • gekkamuka
  • ベストアンサー率44% (138/309)
回答No.2

いわぬはゆうにまさる(言はぬは言ふに勝る)<諺>「勝る」は「増す」「弥勝る」とも。(前田勇編「江戸語の辞典」)  もともとは白氏文集の「琵琶行」の一節「此時無声勝有声」から、「古今和歌集 6帖」の「心には下行く水の湧き返り言はで思ふぞ言ふに勝れる」を踏まえた上での、「源氏物語 横笛2-3」の「言(こと)に出でて言はぬも言ふにまさるとは人に恥ぢたる気色とぞ見る」で、「琴」と「言」の掛詞や、何よりその「想夫恋」の場面と共に、「諺」として人口に膾炙するに至ったものでしょう。

参考URL:
http://etext.virginia.edu/japanese/genji/frames/Mur37GO.html#in23
sono-higurashi
質問者

お礼

1 江戸後の辞典は当該箇所を読んでおきました。 2 琵琶行を含む白氏文集は手近にはありませんが検索により見つかったので、字面を追っただけですが読んではおきました。こんな長い漢詩は初めてです。 3 源氏物語は未だ当該箇所の確認だけしかしていません。小学館版でこの部分を含む6ページほどは読んでおこうと思います。 4 古今和歌集に「心には下行く水の湧き返り言はで思ふぞ言ふに勝れる」は未だ発見できていません。角川の「新編国歌大観 第一巻 勅撰集編 索引」で「こころには した・・・」「こころには もと・・・」のいずれで調べても記載がありませんでした。多分、この書籍は本日初めて手にしたので正しい利用法が掴めていないものと思われます。 この歌はネット上ではヒットするのに、「国歌大観」のみならず小学館版、その他手近な古今集数冊の何れの巻末の索引にも発見できないのが不思議です。しかし、焦点は絞れているので何れは見つけられると思います。 琵琶行の「此時無声勝有声」を源として古今和歌集、源氏物語、その他の作品を通じて広まり江戸時代には諺として定着したことが分かりました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。 お二人のご回答で十分と存じますが他にも調べに取り掛かってくれている方があってはいけないので29日(日)までは締め切らないでおきます。ご了承くださいませ。

その他の回答 (3)

  • gekkamuka
  • ベストアンサー率44% (138/309)
回答No.4

 No.2です。 No.3さんに正していただきました通り、こちらの浅学のしからしむるところ、出典を取り違えてしまい、色々お調べに余計な手間取りを重ねてしまいましたこと、改めてお詫び申し上げます。 「琵琶行」は例えば「新唐詩選続編」(岩波新書)に吉川幸次郎訳で載っております。八十八句、626文字の名づけて琵琶の行(うた)と。  「別に幽(ふか)き情(おもい)と暗(ひそ)かなる恨みの生まるる有りて   此の時 声無きは 声有るに勝る」 この原詩の表現の驚くべき艶やかさと、この訳文の明晰さは素晴らしいと思っております。

sono-higurashi
質問者

お礼

・お詫びなんて、とんでもありません。解説や凡例すら読まずに索引だけから引こうという横着根性がいけないのです。それに「国歌大観」を知ったのは大変な収穫でした。もともと教わるということは「ここまでおいで」位のヒントを与えてもらう程度が適切な筈ですし、少し抵抗を設けておくのは、むしろ親切というものです。 ・源氏物語は駆け足で読んでおきました。思わせ振りで読者の興味の繋ぎ方が上手いものですね。 ・「新唐詩選続編」(岩波新書)と雅楽の「想夫恋」のCDは容易に入手可能だそうで手配だけは済ませました。 ・「心には下行く水の・・・に勝れる」の件は解決しました。ANo.3の補足の欄をご覧下さいませ。 わざわざ、ご丁寧に有り難うございます。またの機会にもよろしくお願いします。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.3

「古今和歌集」と「古今和歌六帖」とは、別の書物なので混同なさらぬように。

sono-higurashi
質問者

お礼

むむっ、何とな。 「古今和歌六帖」との表記は「古今和歌集」が何分冊かになっていて「六帖」に当たる分冊との意味だとばかり思っていました。小学館編の古今和歌集に収録されている歌の末尾に矢鱈と「六帖一」だの「六帖五」だのとランダムに出てくるのはナンジャラホイ、一体この書籍は何を基準に順番を決めトルノカ、困ったヤツダと思っていました。 それでは「古今和歌六帖」を探さなければなりませんが「古今和歌集」ほど容易ではなさそうではありませんか。 「国歌大観」には私家集、歌合(だったかな)など勅撰集以外の索引が3~4冊ありましたから「古今和歌六帖」がどんな歌集かを調べて当たり直すことにします。 過去全体を通じ、このお答えは、もっとも役立ちました。将来、二度とこれほど役立つご回答は出ないことを強く希望しますが、果たして。 大変ありがとうございました。感謝しています。(こういう用件では、またの機会はお願いしたくありません。)

sono-higurashi
質問者

補足

後日談。これはお礼の欄の後に記しています。 「国歌大観」の「第二集、私撰集編索引」に「古今六帖2648」として確かに記載されていました。 索引の記述通り(記憶に誤りがなければ)「第四集私家集編」に間違いなく有りました。 慧眼に感服しています。

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.1

完全一致ではありませんが、「大和物語」百五十二段に「いはでおもふぞいふにまされる」というのがあります。以下部分引用です。ご参考程度にどうぞ。  同じ帝、狩いとかしこく好みたまひけり。陸奧国、磐手(いはて)の郡よりたてまつれる御鷹、よになくかしこかりければ、になうおぼして、御手鷹にしたまひけり。名を磐手となむつけたまへりける。それをかの道に心ありて、預り仕り給ひける大納言にあづけたまへりける、……いかがしたまひけむ、そらしたまひてけり。……いかがせむとて、内裏にまゐりて、御鷹の失せたるよしを奏したまふ時に、帝物も宣はせず。「この御鷹の、求むるに侍らぬことを、いかさまにかし侍らむ。などか仰せ言もたまはぬ」と奏したまふに、帝、「いはでおもふぞいふにまされる」と宣ひけり。……。

sono-higurashi
質問者

お礼

長い引用文を紹介下さって恐縮しています。時間の掛かったことと拝察します。 如何にもやっつけ仕事という感じですが、大和物語は百五十二段だけ読んでおきました。 「増る」と書いてあるではないかと言われればそれまでですが、無意識裏に「勝る」が頭にあったので初めは「沈黙は金」みたいな感じで受け取っていました。大和物語では「沈黙は金」ほどには俗っぽい意味でないのが判りました。「いはぬはいふにいや増る」はよく見聞するので、この度、本来の意味が掴めてとてもよかったと思います。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。 余談ですが「係り結びの研究」は手配してあります。

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