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「やにこい」の意味は?
用例 「たとえやにこくても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると、~」( http://www.aozora.gr.jp/cards/000027/files/1462_16657.htmlの冒頭部分) この用例で「たとえやにこくても」は前後の文脈と噛み合いますか。「たとえ」の後には良い意味の言葉を置かないと不自然だと思いますが、手元の辞典で見る限り「やにこい」にプラスイメージはありません。「たとえやにこくても」の意味が明治時代と今日では大きく変わったなどの事情がありますか。 それとも上の用例は自然で、違和感をもつ読解力の方に問題があるのでしょうか。 よろしくお願いします。
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やにこい 地元では 扱いにくい、油濃い、五月蝿い の意味の使われていますが 京都では ややこ(赤ん坊)は弱いことから 弱弱しい、ひ弱な、取るに足らない、扱いに気を使う などの意味に使います お尋ねの件は 取るに足らない、弱弱しい の意味で使われていると思います。 私が育った土地では 弱いそうな 今住んでいる土地では 扱いにくい
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- tomajuu
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「人家や製造所などが建つのは『構わぬ』が」・・・と言ってるので、建造物の 古い・新しいは関係ないと思います。 作者が、たとえ江戸時代の古ったらしい下町の、それこそ第一義の「やにこい」人家の密集地にタイムスリップしたとしても、窮屈さを感じない訳にはいかないのではないでしょうか? わずかでも黒い土の見えた畑なり、空き地なりに 窮屈さの緩和を感じる作者ですから、時代が新しかろうが、古かろうが、「押し寄せた家並び」をみれば「窮屈」に感じると思います。
お礼
作者が >>たとえやにこくても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると、時々気が詰まる と明記しているし、この質疑に参加してくれた何方の文面からも「古ければ気が詰まらない」と理解している形跡は認められないので、ご指摘の点は心配なさそうです。 以下ご回答を寄せて下さった方々全員への伝言です。 1 この用例で問題を感じない方々が相応の比率で存在していそうなことが判りました。 2 「たとえやにこくても」の意味は明治時代と大きく変化してはいなそうなことも判りました。 3 この文に違和感があるのは「やにこい」に馴染みがないかららしいと見当が付きました。 さて、何れ劣らぬ善意に甲乙をつける嫌な作業についてです。 論理でなく感覚で解決するしかない質問をしておきながら(今回の質問は論理で解決すべきだとの立場もありましょうが)自分の感覚に合わない回答を排除するかのごとき印象が残るのは嫌なものです。そこで私の感覚に近そうなANo.4、ANo.6を敢えてポイントの対象から外させて下さい。ANo.1が柳田國男を連想させたことと(といっても読み齧りの付け焼き刃ですが)、同系列のANo.2、ANo.3、ANo.5、ANo.7を代表してANo.2にポイントを受け取っていただきます。悪しからずご了承下さいませ。 皆さん、有り難うございました。
- k-pix
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『人家や製造場などが建つ』=新しい建築物 『たとえ』は、新しい建築物に対して用いていると捉えて、 『やにこく』=脂濃く ⇒ 古い建物 と私は考えます。 郊外がドシドシ潰されて、人家や製造場が(新しくドシドシ)建つのは、堪らなく窮屈だ。 たとえ、(新しい建物でなくとも)、間隙のない家並びだと時々気が詰まる。 ほぼNo.4の回答者様と同意見です。
お礼
図式化して下さって一段と分かり易くなりました。 「やにこく」は何も考えずに「脂気く」からと思っていましたが、なるほど「脂濃く」も十分、考えられますね。 お説はよく理解できたつもりです。 有り難うございます。またの機会にもよろしくお願いします。
- tomajuu
- ベストアンサー率38% (304/782)
「心の休まる空間も無いほど密集した家並み」に、作者は「気が詰まる」のだから、一軒であれば貧弱でみすぼらしい家でも、軒を連ねて押し寄せるように建ち並べば、それは「気が詰まる」と解釈します。 時代を経て風格が出てれば「隙間もなく押し寄せ」ても「気が詰まる」ことがない作者じゃないと思います。 なので、No.3さんと同意見です。
お礼
「やにこい」を第三義の「よわい」「もろい」「取るに足らない」と解釈する立場ですね。 勝手に括るのはご不満もありましょうが大筋としてANo.2、ANo.3の流れであるのは理解しました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
私の解釈は異なります。 郊外が潰されて人家などが建ち、ユトリの気分が亡くなって窮屈になる“昨今”だが、昔はそうではなかった(総じてユトリの気分があった)。 しかし、家屋が今や“脂濃く(やにこく)”なってしまったような“遠い昔”に建てられたものでも、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると気が詰まるなぁ~。
お礼
「やにこい」を第一義の「脂(やに)気が多い」と解釈する立場ですね。これも理解できます。 つまり作者の感覚では新築の人家や製造所よりは「やにこくなって」街に馴染んだ建造物の方が余程ましなのだが、たとえそうであっても密集しているのを見ると時々気が詰まる、という訳でしょうね。「やにこい」を辞典の謂い通り受け取るとすれば、これも素直な読み方だと思います。私の感覚も、これに近くテストならこう書きそうです。しかし、「やにこい」に馴染みがないせいか原文には引っ掛かりを感じてしまいす。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
- staratras
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「やにこい」を辞書で調べると(広辞苑・第5版) 1.脂(やに)の気が多い。粘り気が多い。 2.しつこい。くどい。 3.よわい。もろい。という語義が載っています。 小島烏水の用例は、3の意味だと思います。 たとえ貧弱な建物であっても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると、時々気が詰まる、と言いたかったのではないでしょうか。 つまり郊外に本格的に「人家や製造場」が立ち並べばもちろん「堪まらないほど窮屈になる」のですが、たとえ粗末な建物であっても、隙間なく家が建て込んでゆくことは耐え難かったのでしょう。 「たとえ」の後には必ずしも「良い意味の言葉」が来る必要はなく、「程度が低い」意味の言葉が来れば、上記のように意味が通じるのではないでしょうか。
お礼
意味としてはANo.2と共通した解釈ですね。 「たとえ」の後には相対的にマイナスイメージの程度が軽い言葉が続けばよいのはよく分かります。 どうやら無理なく読める方々も多そうなことが判りました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。 15日(日)までは締め切らないでおくことにします。
- kanora
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自信はありませんが、 「野に国ても」つまり「田舎」という意味ではないかと思います。 私は使いませんが、明治生まれの祖父は自分は街中育ちなので、 田んぼのある郊外に住んでいて、農家でない人を 「野の国」にいるからと見下げたことを言ってました。
お礼
「野に国」=「やにこい」はなるほど暗示的です。「野の国」という言葉が明治時代には実際に生きていたのですね。 すると用例の解釈は 「たとえ田園地帯の一角であっても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると」、こんな具合になりますか。これだと、まぁまぁ書き手も読み手も許容できるのかもしれませんね。 重要なヒントを下さって有り難うございました。他の方の見解も伺ってみることにします。またの機会にもよろしくお願いします。
お礼
こちらは、「赤ん坊」=「ややこ」から「やにこい」=「取るに足らない」、「弱弱しい」説ですね。これにも一理ありそうに思えます。 すると用例の解釈は 「たとえ、取るに足らない程度とはいえ、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると」、こんな具合になりますか。これだと、まぁまぁ書き手も読み手も許容できるのかもしれませんね。小島 烏水は香川出身だそうですが明治時代には京都の言葉は今日より影響力があったかもしれませんし。 重要なヒントを下さって有り難うございました。他の方の見解も伺ってみることにします。またの機会にもよろしくお願いします。