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ろう者と人工内耳について。
人工内耳の技術を巡って賛否両論がみられるのですが、しばしば両者の議論が全くかみ合わない事があります。 その理由や背景は何故なのでしょうか? おしえてください。
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過日にTVで放送してたのですが、 人口内耳というのは人の話し声のみならず、自然の音とか人工的に作られた音など、 全ての音を捉えるそうです。 健聴者はそれぞれの音を区別できますよね。 甲高い声・滑るように話す声・小川のせせらぎのように心地よい音・耳障りな騒音・・・ 人口内耳では、それら全ての音が同じような感覚で聞こえるそうです。 それでも、それまで音のなかった人にとっては画期的なことです。 自分はもはや聴障者ではないと錯覚してしまい、 それまでの聴障者同士の文化から離れてしまおうとします。 聴障者にとってはこれが面白くないことのようです。 お互いに培って来た聴障者同士の文化を拒否される形になるからです。 一方、人口内耳を装着したからといって、その人はもはや健聴者かというと、 やはりそうとは言い切れない面があり、どうしても孤立してしまいがちです。 こうして彼らは、どちらにもつかないような中途半端な立場に置かれてしまうことが多いようです。 その放送では、聴障者同士の夫婦と聴障の娘家族が取り上げられていましたが、 自分達は諦めるとして、娘にだけは聞こえるようにしてやりたい、 しかし娘に人口内耳を付けると、 娘が自分達の文化から離れて行ってしまうのではないかと恐れる様子を追っていました。 耳の聞こえない人がひとりでも少なくなればいいのにと単純に考えていた私は、 複雑な背景があると知って少々衝撃を受けました。 単純な問題ではないんですね。
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- Singollo
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聾者が、日本語と異なる言語である『手話』という文化を持つ、一種の(ユダヤ人とかロマ(ジプシー)のような)民族集団を形成しているという特異性が根っこにあるかと思います この『聾族』からみれば、人口内耳は構成要員を、手術可能な者と不可能な者に分断し、ごっそり引き抜いていき、民族弱体化の元凶となる可能性を持っているわけです
お礼
なるほど、連帯感の問題もあるのですね。 参考になりました。 ありがとうございました。
お礼
自分も単純に考えていた一人なのですが、同じく衝撃をうけました。 やはり、自分とは違う環境にいる人達を学ばずに簡単には理解出来ないものですね。 ありがとうございました。 参考にさせてもらいます。