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トルコ 平等
何年か前にトルコの大統領が発言した「男女は平等ではなく対等であるべきだ」というもの。 賛否両論だとは思いますが、これって具体的にどういう意味なんでしょうか? 男女は身体からして別物なんだから全てを同じように扱う事は出来ない、という趣旨だけだったら分かりますが、この発言の前後に「女性にとっての最高地位は母親」と言っているので、性別での役割分担の固定化や女性の職業選択の抑制を図っていますよね。 ここが賛否両論の理由ですか? つまりここでの対等とは、社会的には対等だけど同権では無いという事なんでしょうか?
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その発言だけ抜き取れば「生物学的な性」と「社会学的な性」を分けて考えるべきだと言うことになります。社会学的にはそれぞれ「セックス」と「ジェンダー」と呼んでいます。 女性には乳房がありますが、男性にはありません。このような違いは生物学的なものなので「セックス」です。一方、「男は度胸、女は愛嬌」のような社会や歴史的な背景で決められた男女の区別が「ジェンダー」です。 つまるところ、大統領は「平等=男女関わらず肉体労働をさせる。対等=男女関わらず社会に参加できる」と発言したことになります。 しかしながら、limited2otさんのおっしゃるとおり、大統領はこの発言に続きイスラム教における女性の役割に言及し、これが「ジェンダーの視点からは正しくない」と受け止められたため、批判が起きました。 参考:内閣府「性差:ジェンダーとセックスの違い」 http://www.pko.go.jp/pko_j/organization/researcher/atpkonow/article070.html
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- eroero4649
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トルコはイスラム教国家でありますが、ヨーロッパの東端でもあるために欧米の影響も大きな国です。そのため、ビール程度の飲酒は認められていたり、女性が髪の毛を出したままだったり、男女のカップルが公園で手を繋いでいてもあまり咎められることはありません。咎められないということは、国民はその自由を支持しているということでもあります。 しかし一方で保守的なイスラム層からは特に女性に対して寛容なのは目に余る「西洋かぶれの堕落」というふうに映ります。女性にヒジャブをかぶらせろとかどうとかいう声は外国から入ります。 国民からの自由を求める声を無下にはできない。しかしイスラム保守層からの声も無視はできない。イスラム教の教えからいえば「男女平等を!」とはいえない。かといってトルコ国内では認められている女性の権利を奪うわけにもいかない。それが「平等ではなく、対等」という発言になっているのではないかなと思います。 トルコ人の発言なら、そういった宗教的な問題を無視して語ることは不可能だと思います。それが全てでもないとは思いますけどね。 一般的な日本人が考える、宗教倫理の問題を抜きにしたジェンダー論では語れないと思います。
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