• ベストアンサー

オランダ側から見た名誉革命

オランダ側から見た名誉革命について興味を持っています。 自国の総督(ほぼ王様に相当)が隣国に行ってしまう感覚が いまいちよくわかりません。 例えば「日本の天皇(or 徳川将軍の末裔)が韓国で議会主導の 立憲君主制やります」とかありえませんよね??? 日本人は猛反対すると思うんですが、オランダはどうだったんでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

このまえ、元宮城県知事が、東京都知事にでましたよね。 あんな感じです、欧州の王家というのは。 現在のスウェーデンの王家は、ナポレオン配下の将軍ですし、スペインの王家はブルボン王家、つまりフランスからですね。 現在のルクセンブルクの王家である、ルクセンブルク家は昔は、現在のチェコが本拠だったりする。 イギリスの王家も、途中までは、ドイツの王国と同君連合。 ドイツは、女子が継承できないので、別の王家になったという感じであります。

bougainvillea
質問者

お礼

> このまえ、元宮城県知事が、東京都知事にでましたよね。 だいたいこんな感じなんですね。 江戸時代の大名の配置転換とかに近いのかも。 ヨーロッパの王家はキリスト教圏内なら、移動しまくってますもんね。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.3

当時のヨーロッパ世界では、王室と庶民生活は、全く関係無く存在していました。 王様が誰であろうと一般庶民にとっては関係なかったので、特別どうこうは無かったでしょう。 また、領土が移動した王朝はいくらでもあります。 ハプスブルク家といえば、オーストリアとでてきますが、元々はスイスが本拠地でしたし、イギリスもウイリアム1世は、フランスの大貴族で、本拠地はあくまでフランスにありました。 また、ルクセンブルク家は、神聖ローマ皇帝・ボヘミア王位を得ると、本拠地ルクセンブルクを担保にお金を借り、抵当権が何人もの貴族達の間を転々とし、最終的にはブルゴーニュ公の手に入ります。 そのブルゴーニュ公も、そもそもの本拠地はフランスのブルゴーニュ地方ですが、ルクセンブルクを買収した当時は、現在ベルギーのブリュッセルが根拠地でした。 このように、ヨーロッパでは領主が領地を移動するのが当たり前でしたから、特別な感情を持つことは無かったと思います。 名誉革命で王位を失ったスチュアート家は、元々イングランドと敵対していたスコットランドの王家でしたから、オランダ人の感覚としては、自国の王が敵国の王となって、自分達が支配されるスコットランド人よりは、冷静でいられたでしょう。

bougainvillea
質問者

お礼

王室と庶民が分離した世界を形成してたのですね。 やっぱり国民国家誕生以前のヨーロッパはどっか中世ぽいですね。 「名誉革命=近代のスタート」という視点で見がちだったので、 欧州に残る中世的な側面は見逃してました。 回答ありがとうございます。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

>自国の総督(ほぼ王様に相当)が隣国に行ってしまう感覚 名誉革命でイングランド王ウィリアム3世となったウィレムは、ネーデルラント連邦共和国統領を、死ぬまで兼任しています。 革命前のイングランドは、フランスの手先となって英蘭戦争をしかけてくる強敵でしたから、オランダ国民にとって、自国の統領がイングランド王になれば、自国そのものと海外交易が安全になるので、大歓迎したのではないでしょうか。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 英蘭戦争したあとに名誉革命というセンスが、やはり日本人には理解しがたい部分が残ります。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A