• ベストアンサー

日本の立憲君主制について

日本の昭和天皇による立憲君主制は、なぜうまくいかなかったのですか?明治憲法が、悪かったのですか?それとも昭和天皇に資質がなかったのですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.3

さまざまな要因がありますが、最大の問題は「統帥権の独立」という憲法の規定のために「軍部大臣現役武官制」の制約もあって、内閣総理大臣が軍をコントロールできなくなってしまったことでしょう。 大日本帝国憲法が制定されてしばらくの間は、憲法を制定した人たち、文官のトップ、武官のトップが明治維新で活躍した人たちで重なっていて、個人的なつながりもあり、総理大臣が軍事を含めて何とか国全体を考えた総合的な運用ができました。 ところが後の時代になると、国政のトップと軍人のトップは別々に偉くなるようになりました。軍のトップは軍の学校で教育を受けましたが「軍人は政治にかかわらない」とされ、(現役の軍人には選挙権・被選挙権もありませんでした)政治に関する教育も欠けていました。 こうなると、内閣総理大臣も軍の要求を抑えられなくなります。昭和9年に陸軍新聞班は「国防の本義と其強化の提唱」という小冊子を出しました。このパンフレットでは、本来の国防の範囲にとどまらず、思想や政治・経済など広い範囲にわたって、自分たちの主張・要求を展開しています。「政治にかかわらない」はずの軍人が「政治・経済に口を出す」という大きな矛盾がのちに恐るべき結果に繋がりました。 さすがにこの「国防の本義と其強化の提唱」に関しては当時の政財界からも反発の声が上がりましたが、本質的な問題はこのような直接国民に対するプロパガンダを軍が行うことを内閣は抑えられないという点にありました。その後政治家の多くは軍部に妥協あるいは迎合するようになり、結果として戦争への道を歩むことになります。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

Powered by GRATICA

その他の回答 (2)

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.2

kiyurohi88さん、こんばんは。 ドイツ製の憲法の明治憲法下で、昭和天皇が目指したイギリス流の立憲君主制を始めたら、天皇という君主を中心にして動いていた国家が、議会や内閣、そして軍部という3つ位の派閥のようなものによって、運用されてしまいます。特に軍部の跋扈は大きく影響し、日中戦争から太平洋戦争にかけて、その圧力は大変なものでした。明治天皇と違い、昭和天皇個人の資質というよりも、周りに人がいなかったということですね。

  • EXIST2090
  • ベストアンサー率30% (184/606)
回答No.1

軍部の権力拡大したことと政党の弱体化がうまく行かなかった理由です 更に戦争もあったんでシッチャカメッチャカになりました 天皇の発言権も制約されていたため一人でどうこう出来なかったでしょう。

関連するQ&A